タキタローツアーをふりかえって


第4話 1997年 「T軍団総攻撃だ」の巻

1995年、1996年となぜか同じメンバーで行きました。親友のHくんもさそったのですが、仕事の都合がつかず不参加で、1996年はあのような大雪でスケジュールを狂わされたこともあり、うまく都合がついたのは、たったの3名だったということでした。
この年も、いつもの気持ちで、いつものように比が、アウトドアや渓流の釣りをやりそうで、比と波長のあいそうな皆様に電子メールを送りました。いつものように、ほんとにいつものように「転送は自由におこなってもかまいません」と付け加えました。

確かに、転送は自由とは付け加えたものの、誰も転送するとは考えていませんでした。なにしろ、3時間も登山道を歩いて行って釣りをするということを、皆さんが面白そうと思って参加するとは考えていなかったのです。ところが、この行為を楽しいレクリェーションのひとつのようにとらえる若者たちがいたのです

その前に、私の職場の当時の状況を簡単に説明しなくては、話が進みません。
上り調子で、どんどんと人を増やして行って、それでも足りない分は、社外からまとめて人材を借りてくるしか方法が無い状況で、次から次に若い人が、送り込まれてきました。その人材を派遣して、仕事をどんどんとこなしてくれる会社に、T社がありました。T社の若い人たちは、仕事もバリバリこなすし、遊びもバリバリという皆さんで、徹夜で飲んでも朝にはケロッとして、会社に出てきて、山のような仕事をこなす人ばかりで、まさにT軍団と言うにふさわしい集団でした。

そのT軍団を取り仕切る、A氏からタキタローツアーの、お誘いのメールの転送に対する反応が来たのは、お誘いメールを送ってからすぐでした。A氏とは、仕事上で話すことはしばしばでしたが、プライベートでお付き合いしたことはなく、比には突然の反応という感じでした。しかも、T社の皆様は、よろこんで参加すると言うのです。比の長いタキタローツアーの中でも、最も思い出に残るであろうツアーの始まりでした。

T軍団がこぞって参加するというのです。
この年のツアーは、まったく不思議な構成となりました。

登場人物の紹介です。
「カズ」以外は、初参加です。遠くから仕事に来て、アパート生活のT軍団員は、道具がほとんどありませんが、ありあわせのもので、何とか行ってみようとする気持ちが充分です。
秋さん T軍団の司令官。このころは、貫禄充分だよ。
小○くん 本当は、海釣りのベテラン。T軍団では、中堅どころ。見た目とは、ちがったパワーがあるよ。
原△くん バス少年という話は伊達じゃなかったようで。
菊▼くん デーパックひとつで来ても、なかなか荷物は運べません
福●くん 熱血野球少年は、アウトドアは、だいじょうぶでしょうか
カズ タキタローツアーも3度目です。もうそろそろひとり立ちしてほしいなあと考えているころでした。
オダちゃん 日ごろは、ヘラブナ釣りなのですが、剣道○段の腕っ節を持ってすれば、キャスティングなぞ簡単。
義さん 「釣りは餌だな」を実践する、海釣りのベテラン。細いラインは苦手です。
田くん 大学のワンゲルで鍛えた足はだてじゃない。釣りは初心者だが、やる気は充分。


この年の雪の量は、大雪にびっくりした1996年より、多くなかったため、少し早めに出発することにしました。今回は、初参加が多いので、道具や服装の準備が大事ですから、いつもの準備マニュアルも何回も書き加えて、完璧をねらいました。前日の夕方は、みんな集まってのミーティングもやりました。これで完璧でしょう。

登山口での記念撮影です。まだみんな元気です。ありあわせの道具で参加しているので、これから、山小屋泊まりの荷物を3時間近くかけて運ぶと言う感じではないですね。

なお、写真は、レンズ付きフィルムと、普通のカメラのプリントをスキャナーでとっていますので、やや不鮮明であることをお許しください。







いつもの最大の難所の雪渓はかなりきびしかった。それでも、2000年の殺人的状況よりはましですが。
写っているのは、隊長の比です。カメラを首からさげて、余裕をかましていますが、実はけっこうへたばっていたりするのです。

この年は、アマチュア無線のライセンス保持者が多かったので、430MHzのトランシーバーを活用しました。山道で、早い「若者」グループと、「年より」グループが離れても、連絡が簡単です。釣り場でも、離れた場所の状況報告が便利でした。10年以上前も、友人のHくんと行っていた時も、連絡には便利でしたが、久しぶりに、比の古いハンディートランシーバーも出してきました。



山小屋から目の前の場所でのお手軽な釣りを決め込んでいる、菊▼くんと福●くん。














 
流れ込みの中の中州に立つ小○くん。  右は、上段の構えから、鋭いキャストを繰り出す、オダちゃん。新品のゴアテックスの山靴で立ちこんでいます。
3年目のカズは、ベスト、ウエーダー、ネットと、スタイルもベテラン。くわえタバコが余裕をものがたっています。














いよいよ宴会ですよ。中央の焼き網は、秋さんのホネホネ焼き。大ヒットでした。ヒメマスの三枚おろしの、骨の部分を塩コショウだけで、カリカリに焼きます。おつまみに、いけます。缶ビールのほか、酒瓶が並びます。










 
秋さんと、オダちゃん。特にオダちゃんは、ビールが進んでいました。田くん、カズ、原△くん、福●くんも、盛り上がっています。

 
小○くんと義さん。小○くんは、5キロの米を一人で担ぎ上げました。しかも、軽装の二十歳の若者と一緒にあるいていたのです。義さんは、なんだかんだ言いながら、きちんとついて来ましたね。海釣り用の新素材ラインを分けてもらって、○○○○スペシャルをたくさん作りました。ありがとう。右の写真は、義さん、菊▼くん、田くん。
田くんは、ザックから、次々と食材を出してきて、宴会を盛り上げた。四次元ポケット付きのザックです。
シメジのバター炒めの煙は、山小屋の二階に、こもりましたね。

この後、周りから「うるさい」と、怒られて、静かに宴会はつづくのです。

翌日も朝から釣りでした。田くんが、最後にまとまって釣れたので、味をしめてしまいました。
昼ご飯が、大変でした。比のコッヘルは、公称値4人用ですが、一番外側で、5合。次の小さいので、4合、一番小さいので、3合と、合計12合炊きましたが、それでも足りないのです。参りました。小○くんが担いできた、5キロの米は、ほとんど無くなりました。釣った、食った、飲んだのタキタローツアーでした。最後は、小屋のそばで、記念撮影して、帰りです。


それでは、いつもの報告書を見てみましょう。一部、つごうにより、隠したい情報はモザイクがかかっていることを、ご承知おきください。参加者にのみ、無修正版を配布しております。












秋さんは、この年から、タキタローツアーに病みつきになったようです。このあと、1998、2000年と行っています。
オダちゃんと田さんは、ルアーに開眼しました。特に田さんは、あとで、道具をグレードアップして、バスにも挑戦しています。田くんは、このあと、連続で参加して、副隊長の称号を授かりました。
海釣りの義さんは、このあとの東京地区への出向が開けて、2000年にも参加予定にしていましたが、家庭の都合で涙を飲みました。
オダちゃんは、足の故障を乗り越えて、2000年も行きました。その勢いで、足の手術に臨んで、完治したようです。

職場の、仕事のやり方の変更から、T軍団の大部分は、その後故郷に帰って行きました。この大人数のツアーになることは無いのかもしれません。この20年ほどのタキタローツアーの中でも、最大で、一番記憶に残る年だったと思います。

この年は、この後7月に、T軍団主催の、新潟東港ツアーで、防波堤での、大焼肉大会のあと、徹夜の釣りで盛り上がりました。ほんとに、あの野郎どもは、疲れの知らないやつらです。



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