馬橋川 2001年秋

馬橋川の存在を知ったのは、今年になってからです。

松川(最上川)の写真を撮ろうとして、車で移動中、曲がるべきところで曲がらずに、違う道に入ったとき、偶然、銘板の付いている橋が目に入りました。「こんな小さな川にかかっている、橋に銘板がついている。」ということで、写真に撮ってきました。
ゼンリンの住宅地図上で良く見ると、たしかに、地図には、川の名が記載されています。「なんで今まで気がつかなかったのだ」。ほかにも気づかない川がないだろうか。よく、住宅地図を見ましたが、見つかりませんでした。これで、「国土地理院の地形図とゼンリンの住宅地図の記載の川」という、はじめの設定での川は、頭に入りました。まだ写真に撮っていない川はいくつかありますが、場所としては、頭に入っているので、そのうち撮影に行きます。

はじめに、見たところと地図でだいたいのところのアタリをつけたところを、虫食いに探してあるいて、なんとか、つなぐことができました。歩いた行程とは違って、とりあえず、上流から下流へ見ていきましょう。

羽黒川橋を渡って、上郷方向に行くと、目立たない橋を渡ることになります。橋には、銘板らしいものはありません。ただ、小さく、「昭和40年11月」と書かれています。この橋のわずか数メートルのあたりから、馬橋川は出発します。その上流は、田んぼの用水路の集まりです。その昔は、自然の川らしいところはあったのでしょうが、今は、その自然の川の名残を追うことは、不可能に思いました。
(2001.10.6 E950)
坂和橋の下流から、橋の姿を見る。
水は、水量もあり、なかなか良い姿です。
こんな川があったんだ。知らなかった。
(2001.10.6 E950)
がんがら橋付近の様子。
遠くに見えるのは、携帯電話の中継アンテナかな。
(2001.10.6 E950)
「がんがら橋」の下流にひとつ橋があり、そのもうひとつ下流にある、熊野橋から、上流方向ー見る。この橋の銘板を見る限り、「昭和六年」にしか見えない。この壊れ方は、昭和六年からの年期のためだろうか。車の通りは結構あるのだが、この古い橋はいつまでもつのやら。
ここは、水が急に減って、雑草がボウボウだった。
(2001.10.6 E950)
「熊野橋」と「森合橋」の間は、こんな感じで、川としては、きちんと工事されているのに、水が流れていないばっかりに、草ボウボウです。そばは、水田が広がっていて、この季節は、コンバインでの刈り取りもほぼ終わりに近づいていました。
(2001.10.6 E950)

「森合橋」の上流で、水田からの用水路の水が入るので、馬橋川はまた、水量が戻ります。ここはちょうど、小さな山と山の間を流れると言う、摩訶不思議な状況でした。こんなところに川が流れているとは知りませんでした。車の通りは少なく、すぐそばのゴルフ練習場に来る車と地元の人しか通らないのでは。
(2001.10.6 E950)
「森合橋」を過ぎると、しばらく山のふもとのヤブを流れます。
ここに古い橋があります。「馬橋」と書いてあります。やっと読める状態でした。もしかすると、馬橋川の名前の由来でしょうか。
後ろに見えるのは、煉瓦造りの、鉄道用の橋です。山形線の橋です。新幹線も通る橋が煉瓦造りとは、面白い。もうひとつ面白いのは、この鉄道の橋の銘板には、「入生田川橋りょう」と書いてあります。「入生田川」とは、「馬橋川」の別名なのでしょうか。橋が並んでいるのに、別な川の名前が書いてあるのは不思議です。情報の無い川だけに、謎がとけません。
(2001.10.6 E950)
「明神橋」。
「馬橋」から、しばらくして、県道の下をくぐって、ここにくる。
実は、この上流30mくらいで、分岐していて、小さい方の川も、「馬橋川」と記載があり。「鐘ヶ崎橋」ときちんとした、銘板のついた橋がある。
(2001.10.6 E950)
「明神橋」のあとは、水田と、松川(最上川)と並行するように、堤防を隔てて流れる。遠くに、松川の堤防が見える。
(2001.10.6 E950)
松川の堤防から、南方向を見る。
ここで、馬橋川は、松川の堤防の下をくぐって、松川へと合流して行く。
(2001.10.6 E950)
松川の堤防から、水門を通り、松川へ合流する。
水門には、きちんと「馬橋川」の表記がありました。
この先数十メートルで、松川と合流しますが、最後まで追いかけようとすると、やぶが邪魔して、行けませんでした。

この下流1キロメートルのあたりに、天王川が、松川に合流するポイントがある。
(2001.10.6 E950)
馬橋川2001秋
(2001.10.13)


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