『鳴らない鈴』1 吹奏楽部に入部して、の学校生活は大きく変化した。 楽譜が読めるとは言っても、それは以前少しピアノを習った事があるという程度で。 そこへ初めて触れる楽器であるフルートをまかされ、ブレスから運指まで本当の基礎の基礎から練習しなくてはいけないのだ。 入部した当初は夏休みという事もあって、さほどその様にも思わず、自然とクラブ活動中心の生活を送っていたのだが、入部してすぐ、8月の半ばには夏合宿も行われ………。 そこで、11月に行われる文化祭での演奏に、なんとソロパートがある事が判明したのだ。 「あー、選曲してた時はね、フルート経験者の子がいたんだけどねぇ」 いつもと同じくどことなくのんびりとした口調で部長が言う。 「先生の丁寧な指導に付いていけなくって、辞めちゃったんだよね」 だから、新入部員のには急遽空いてしまったフルートパートが割り当てられたと言うのだろうか。 あはは……と笑われても、全くの初心者であり、かつ、事の当事者のには笑い事ではない。 その『丁寧な』指導については、夏休み前の補習授業を思い起こせば、何となく想像に難くはないのだが………。 「うん、君ならできる。 がんばって!!」 どこにそんな根拠があるのか分からないけれど、にっこり笑ってそう言われてしまえばにはどうする事もできない。 ――何それ〜っ!!(T▽T) と、例え心の中で思いっきり部長にツッコミいれていたとしても。 だって、曲目自体は自分が入部する前から決まっているもので、当然他の部員も練習してきているし、今更他の曲への変更も利かないだろう。 とにかく自分に出来るのは、練習することだけしかない。 もとより、決して器用なタイプではないのは、自分でも分かっている。 練習が終わった合奏所で、は小さくため息をこぼすと、フルートを手に取りソロパートの譜面を開いた。 フルートの教則本と首っぴきで、譜面に運指の指番号やブレスのタイミングを書き込む。 そしてその指運びを、実際に音を出して確かめてから次のフレーズへ……。 は時間を忘れてその作業に没頭していった。 ・・◇◆◇・・
「――!」 「……と、ここが3の指だからこう来て2、1って入れば――」 「――!!」 「は、はい?!」 どの位時間がたったのだろうか、ソロの中でも一番技巧的な箇所の運指に悩んでいたは不意にかけられた声に、驚き我に返った。 いや、不意に――というのは正確ではないらしい。 その声の主を見上げれば、にフルートパートをまかせた張本人、氷室零一その人が半ば呆れた様子でこちらを見下ろしている。 その様子から察するに、が気付くまでに何度も名前を呼ばれたのだろう。 「練習に没頭するのは結構な事だが………、既に夕食の時間だ。 既に他の部員は食事を始めているが?」 「えっ? あ、もうそんな時間………っ、すみません」 と、慌てて譜面や楽器を片付け始めようとしたを、やんわりと彼が制した。 「いや………、それはソロの譜面か?」 「………? はい。そうですけど………」 「ふむ」 そして、その譜面を取り上げて、そこに書き込まれた内容を見る。 一体、何に興味をひかれたのだろうか、しばしの間の後、彼が言った。 「もう一度座りなさい」 「はい?」 「それからペンを。」 「は、はい!」 その意図が分からないものの、素直に座り、言われるままに赤いペンを差し出す。 それは、反射的なものだったかもしれない。 だがしかし、こうした場合――こと、氷室に関しては、訊きかえすよりは素直にその言葉の通り動いた方が話が早い、そして分かりやすい、とは思う。 最初は意味がつかめなくても、彼は決して意味のない指示はしないし、必ず理由あっての事だから。 それは、一学期、そして補習、合宿と、この数ヶ月、氷室と接してが知った事でもあった。 「いいか? このフレーズはこの小節の最終拍から始まって、小節をまたいでここまで繋がっている。 間に休符があるが、感覚的にはここまで一息に演奏すると考えた方がいいだろう」 自身もの隣に椅子を引き寄せて、譜面台に置かれた楽譜に、ペンで音符の連なりを囲む。 「そして和声的に考えても、このフレーズで最も重要なのはこの音だ。 従って、この音を優先して指の運びを考えた方がいいだろう。 私はフルートは専門外だが………ここでブレスが入ると、 この小節全体にかかるスラーがうまく表現できないと予測されるが、どうだ?」 「あ………」 彼に指摘された通り、が考えたブレスのタイミングでは確かに小節の途中で一度スラーが途切れる。 自身、何度も自分で演奏していながら、そのことには気付いていなかった。 素直にタイミングを変更して、実際に楽器でその小節を奏でる。 確かに言われた通り、先ほどまで苦労していたフレーズがすんなりと収まった。 「ふむ。こちらの方がずっと良いようだな」 彼も小さく頷きながら、更に譜面の別の場所をペンで軽く指し示す。 「それでは、ここから――230小節の4拍目から、続けて吹いてみなさい」 「はい」 その指導は、更に時計の針が一回転する間の続けられた。 「。それでは、この4拍目表の休符がきちんと取られていない」 「――この小節になると、君は必ず遅れる。 テンポを見失わないように」 「そうではない。先ほども注意した点だ。君は私の注意を聞いていなかったのか?」 「………焦る必要はない。もう一度最初から♪=60の速さで」 そして、自身、噂の『丁寧な』指導を身をもって体験した。 ・・◇◆◇・・
「今日はこの位にしておこう」 ふと時計を見やり、今の時間に気付いた彼がそう言った時には、は空腹と疲労でフラフラだった。 空腹はともかく、疲労の方は――主に精神的なモノで。 いつになく頭を使ったというか、慣れない使い方をしたせいか、少しでも動いたら頭から音符や休符、メロディが零れ落ちそうな気がした。 こんな感覚は、はばたき学園受験の時以来。一夜漬けの英単語がこぼれてしまいそうで、その英単語を忘れないように意味もなくそっと歩いたりしたものだ。 「この合宿で、君にもいくらかの成果が見られたようだ」 「は、はい………」 彼の言葉に、疲れた体の姿勢を正して返事をする。 「が、しかし、我が吹奏楽部が目指すのは、あくまで『完全な調和』のみ、だ」 こちらは、露ほども疲れを感じさせない、いつも通りの彼が言う。 その言葉が意味するのは……… ――分かっているな? 言外に、更なる強い言葉をひそませながら、ふっと彼の顔に薄い笑みが浮かぶ。 「………れ、練習します」 最初に、成果を認められて浮かんだ笑みを、凍りつかせたまま、も返事をする。 「結構」 二人をとりまく空気はひんやりと冷たい。 傍目には、穏やかに微笑み交わす二人のはずなのだが………(苦笑) ともかくもやっとは練習の後片付けを始めた。 楽譜を順番どおりに並べ、閉じ、楽器を丁寧にやわらかい布で拭ってきちんとケースに収める。 そして譜面台に置いてあった携帯電話を取ろうとして手を滑らせた。 コン! さほど高いところから落としたワケではないが、携帯は固い音を立てて床に落ち、氷室の足元へ滑った。 その携帯電話を、彼が拾い上げた。 「携帯電話を持ってくるな、と言うつもりはないが、部活動の時間は電源を切っておいたらどうか?」 とても、無論部活動の妨げにならない様に、普段はマナーモードにしてある。 今もそうだ。 が、確かにそう言われれば部活動の間は電源を入れておく必要もないはずで。 「すみません………時計代わりにしているものですから」 「それに精密機械に対して衝撃は厳禁だ。――以後気をつけなさい」 恐縮するに、携帯電話を返そうとした彼の手がぴたりと止まった。 「ん? この鈴は………」 の携帯にストラップ代わりに付けられた、赤い組紐とその先端の鈴。 直径2cmほど、表面に細かく唐草か花鳥の模様の彫りこまれたそれは、長い年月を経たものらしく、鈍い金色の光を放っている。 「あ、それ………鳴らないんです」 「鳴らない?」 「えぇ。はばたき市に戻ってすぐ、公園通りのアンティークショップで買ったんですけど、その時からもう………。 でも、とっても綺麗なんで気に入ってて」 「そうか………」 の説明に、彼はマジマジとその鈴に見入った。 が、すぐに携帯電話ごとそれをに返すと言った。 「早く食事を取りなさい」 |
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