『補習授業』3


四十がらみ、おそらく彼自身よりも一回り以上年上であろう同僚に労われつつ、会議室へと向かう。

「いやー、相変わらず熱心ですな、氷室先生」
「いえ。遅れを取り戻すなら早い方が、本人の為ですから」

それに対し、控えめに、だがきっぱりとした答えを返す彼に、同僚の教師に苦笑にもにた笑みが浮かんだ。今時珍しいくらい頑なで真面目なこの同僚は、他のどのベテラン教師よりも教師らしい。

「あの子がアレですか。学外から編入してきたという生徒は」
「えぇ」
「補習とは、やはり学外編入は厳しいですな。落ちこぼれなければいいですが………」

のんびりと、しかしサラッと『落ちこぼれ』という言葉を使った年上の同僚に、一瞬彼の表情が変わる。が、しかし、それに応えるのは、あくまでも冷徹で当然と言わんばかりの言葉。

「………有り得ませんな。氷室学級に『落ちこぼれ』などという生徒の存在は」

そして不敵な微笑が彼の口の端にのぼる。
聞き様によっては、不遜ともいえる物言いである。
が、彼に限って言えば、それは決して根拠がない事ではない。
常にデータを元にして綿密にシュミレーションされての事であり、また同時に生徒への指導を惜しまない。

同僚の教師は、彼のその笑みに己の失言を悟り、曖昧に笑ってこの話題を終わらせた。



――頭の悪い生徒ではない。

そんな同僚の様子を一瞥しつつ、彼は話題となった生徒について考えをめぐらす。

――飲み込みは決して早くはないが、真面目に取り組もうとする意欲は認められる。

実は今回の補習内容は、彼自身、内容が若干多いかもしれない、という危惧を持っていた。
しかし、ここで遅れを取り戻しておかねば、後々に響いてくる。
2学期以降は、また新しい事を学習せねばならないのだ。
そしてまた、彼女自身が補習で成果をあげられる様、彼自身できる限り尽力しようと考えていた。

そんな状況で、彼女はよく付いてきていると言えるだろう。
彼にしても、1学期の3ヶ月余りの間に導き出されたデータでは、がここまでやれるとは、正直考えていなかった。

そしてまた、先ほどのプリントの問題を思い出す。

その問題だけ異なる筆跡は、歴然とそれが別人による物である事を示していたが、その筆跡の下に、文字を消した痕が何箇所も残っていた。
おそらく、考えては書き、つまずいては消して、と何度も繰り返していたのだろう。
一生懸命考えていた様子が伺える。

――以上を総合するに、今後の指導如何によっては、優秀な成績を修める事も可能と推測する。

指導次第でその生徒の能力が伸びるのであれば、その能力を伸ばすのは己の職務であり、責任でもある。少なくとも彼自身はそう考えている。



会議を終えた彼が学習室の扉を開けたのは、それから小一時間たった頃。

彼が室内に入って、真っ先に目にしたのは………、
ペンをその右手に握ったまま、左手を枕に、机の上で寝息を立てている少女の姿だった。

「………コホン」

軽く小さく咳払いをしてみるが、起きる気配はない。
起こそうと歩み寄ってみれば、閉じられた瞼の下にうっすらとクマが出来ている。
これだけの量の課題だ。
おそらくあまり寝ていないのだろう。

様子を見ている内に、彼女の眉間に縦皺が1本刻まれる。
夢の中でも課題を解いているのだろうか、その困った様な難しい表情に、彼女を起こそうと上げた手がゆっくりと下ろされた。

そしてそのまま、少しはなれた窓際の椅子に座り、教科書を開き、今日補習する範囲を見直す。

そして、そのまま静かに時間が流れていった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


肩でそろえた髪の先を揺らし、頬をなでる心地よい風に、はふと目を覚ました。
ぼんやりと視線を巡らせば、小さ目の黒板に、壁際にある書棚とその中にある参考書類。あまり馴染みのない景色がの視界に飛び込んでくる。

――あれ?
――どこだっけ、ここ。

と。
ここでは急激に覚醒した。

――いけないっ、自習中だったんだ!

あわてて、時計代わりにしている携帯のディスプレイを見れば、意識が途切れてから一時間弱経過している事が分かる。
もちろん、プリントも真っ白。
例の問題もそのままである。

こんな状態では帰ってきた担任にまた呆れられてしまうっ、と慌てて参考書に手を延ばそうとして、はやっと気がついた。
窓際の人影に。

「………っ!!」

そこには、当然――眠っていたは知る由もないのだが――会議を終えて帰ってきていた彼の姿があった。
足を組み、軽くほお杖をついて、膝の上にひろげたテキストの内容をチェックしているのだろうか、その右手にはペンが握られている。

――い、いつの間に………っ。
言葉にならない悲鳴をかろうじて噛み殺して、その驚きに固まる

が、彼は一向に動かない。
不意にフワリと吹き込んだ風が、テキストのページをめくっても、そのままだ。

そんな様子に流石のも気が付いた。

――も、もしかして………寝ちゃってる、のかな?

夏の午後の、白く漂白された日差しが、彼のシルエットを縁取っている。
眼鏡の奥、閉じられた瞳。

――先生も疲れてるんだよね………。
――毎日の授業に、会議、それから補習だし。
   国語や専門科目なんて担当教科じゃないのに講義しなくちゃいけないし。
   (それが担当の先生よりも分かりやすい、ってのがまた凄いと思うけど)

何だか申し訳なく思いつつも、そんな彼の様子に、自分の席に座ったままマジマジと見入ってしまう。

――改めて見ると、綺麗な顔、だよねぇ。
――隠れファンがいるって噂も、ホントかも。

今は閉じられている切れ長の目。
今まで、その眼光に射すくめられて、まともに顔を見たことがなかったかもしれない。
そして、真っ直ぐ通った鼻梁。
意思の強そうな口元。
すっきりと整った――ある意味整いすぎて一見冷たそうに見える事もある、顔立ち。

――あ、氷室先生、意外と睫長い………発見、発見。

は何だか思いがけない幸運にめぐり合わせた様な気がして、クスリと笑った。
ただ、目を閉じている、それだけで、随分印象が違う気がする。
穏やかなその顔を見ていると、とても普段の彼とは同一人物とは思えない。

――あ、でも………

ふと、会議にでかける前に見せた、一瞬の微笑を思い出す。

――優しい顔だったな。

その微笑みは、確かに今目の前でまどろむ彼につながっていく。
は、今初めて会う人を見る想いで、その寝顔を見つめた。

――でも、あんな顔ができるなら、いつもしててくれたらいいのに。……って無理なんだろうなぁ。

と、苦笑してため息をついたはずみに、手にしていた携帯のストラップの鈴が机に当たり、チン!と堅く高い音をたてた。



その音で、まるで全ての魔法が解けてしまったかの様に。
が再び顔をあげた時には、いつもと同じ怜悧な目がこちらを見ていた。

。……起きたのか」
「は、はい!先生も………」

その言葉に怪訝そうに、彼の眉がしかめられる。

「私は寝てなどいない」
「え?」

すっきりとした、眠気など微塵も感じさせない表情。
そして、その訝しげな表情は、本当にのその言葉が心外だった事を物語っている。
そんな彼の様子に、今度はがきょとんとする。
それだけキッパリハッキリ否定されてしまうと、先ほどの彼の姿は夢だったのかと思えてくる。

が、彼の小さな咳払いに、混乱した頭を慌てて現実に引き戻す。

「予習復習は確かに大切だが、睡眠も重要だ。体を壊しては元も子もない」
「はい………」

居眠りをしていては注意されるのも当然だろう。
は多少しょげつつも、素直にその注意を聞いていた。

「………課題が多くて大変だと思うが、それを心がけて時間配分をする様に」

と、僅かの間の後、やや穏やかな口調で言葉が続けられた。

「以上だ。分かればよろしい。 ……補習を再開する!」

驚いて顔をあげれば、が返事をする間もなく、早口に補習の再開が宣言される。
その彼の横顔が、少し照れていた様に見えたのは………、気のせいなのかもしれない。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


こうして、の補習は行われていった。
その成果の程は……、氷室先生の合格(ギリギリ合格ラインでも)をもらった事から推測してほしい。

その夏はばたき学園を流れていた噂によれば、「補習の1週間が終わった時には体重が2kg減っていた」とか、「その後1週間眠りつづけた」とか。

そして、これに懲りたのかどうか理由は定かではないが、二度とが補習を受ける事はなかったという。













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2002.09.26.

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素材提供:Angelic〜天使の時間〜















やっとやっと………補習も終わりです〜(^^;;;
それにしても過酷な補習でございます。
「1週間で体重2kg減る」って一体?!(爆笑)

でも、先生と二人っきりで、体重も減って、学力も身につくなら、やってみたいかも。(^^;)>その補習

次は部活に入らなくては♪

こんな処まで読んで頂いてありがとうございました。(^^)