『月の音』 1 夏休みが終われば、9月はあっという間に過ぎ去っていく。 授業が始まるのは当然の事ながら、それと並行して文科系のクラブは、学期半ばに予定されている文化祭に向けて、その活動により熱が入り始める。 もっとも、本格的な準備期間に入るのは10月の下旬、文化祭の約2週間前からだが、それはいわゆるラストスパートである。 実際、夏休みが明ければ、徐々にではあるが、校内の空気は文化祭一色に染まっていく。 そして、勿論それはも例外ではなく――、 ここの所、放課後は第一音楽室で練習していくのが日課となっていた。 「よッ、ちゃん〜!」 いつもの様に、フルートケースと楽譜を胸に音楽室へ向かおうとしたを、朗らかな声が呼び止めた。 「今から帰んの?――って、その手に持っとんのは何やねん」 「姫条くん」 振り返れば、良く日に焼けた背の高い男子生徒が、ひょいと気軽な様子での胸元を覗き込む。 「――楽譜!」 「あっちゃ〜、滅茶苦茶見たまんまやなぁ」 相手によっては、セクハラにもなりかねない行動も、この姫条がやると不思議と嫌味がない。 (だからと言って、そうそう簡単に胸元など――隠すほどではないかもしれないが、覗き込まれたのでは、堪ったものではない) 覗き込まれたのを押し返す様に、ぐいっと楽譜を相手の眼前に突き出すと「そこはボケとかなあかんやろ」と苦笑が帰ってくる。 姫条まどか――女の子の様な名前に反して180cmを超える長身、切れ長の瞳が印象的な甘いマスクに、関西弁。 となれば、隣のクラスのこの男、ある意味、やはり学園の有名人である。 初めて声をかけられた時には驚いたが、お互い高等部からの編入という共通点もあり、にとっては比較的喋りやすい男子生徒の一人でもある。 無論、それは姫条自身の人懐っこい性格によるものでもあるが。 「っちゅう事は、自分、すぐには帰られへんのか?」 「うん、ちょっと練習してこうと思って――」 「って、即答かい」 ピシっとお約束どおりのツッコミの後。 「久しぶりにちゃんと楽しい下校デートや、て楽しみにしててんで?」 大げさにガックリと肩を落としため息をつきつつ、じーっとを見る。 そう言えば、2学期が始まってから何度か声をかけられた気がする。 その都度、やはり部活があったので一緒に帰れなかったのだが………。 それに思い当たって、少し拗ねた様子の姫条に何と声をかけようか一瞬迷ったその隙に。 「なーにが、下校デートなんだか」 呆れた様に、しかしバッチリのタイミングでツッコミが入る。 「なんやて〜?」 「奈津実ちゃん!」 振り返れば、明るい色の髪を後ろでアップにした少女――藤井奈津実が、いた。 クラスの離れた奈津実とは、どちらかが会いに行かなければなかなか会う機会は少ない。 それでもが彼女と友達になったのは、同じクラスの珠美とこの奈津実が仲がよく、奈津実がよく遊びに来ていたからである。 「元気だった〜?」「最近あんまり会ってなかったね〜」とか、ついその場が盛り上がってしまうのは、奈津実の明るくサバサバとした性格によるものであろう。 「………おーい、俺ぁ無視かい」 「あんた、まだ居たの」 そんな二人の様子を、笑いながら見守っていた姫条の言葉に、我に帰る。 「ごめん」と小さく謝れば、同時に再び奈津実がやれやれとため息をついて見せる。 「、困ってたじゃん。これから練習してかなきゃなんだよ? あんたにつきあってるヒマは、な・い・の!」 「ジブンに訊いてんのとちゃうわ!」 この二人、寄ると触るといつもこんな感じなのである。 テンポ………というか波長が合うのだろう。 二人の共通の友人である珠美をして「夫婦漫才みたいだね〜」と言わしめたのも頷ける。 ややあって。 どうやらお互い言いたい事を言い尽くしたらしく、姫条がふと思い出した様にに向き直った。 「あ、でも、ホンマちゃん困らせたかったワケじゃないんやで? ごめんな?」 「うん、分かってるよ。 こっちこそゴメンね」 「ホンマに? はぁ〜、良かった。それ聞いて安心したわ〜」 と胸を撫で下ろしてみせる姫条の横で、奈津実もしみじみと言う。 「でも、も大変だよねぇ。夏休み明けてから、ほとんど毎日練習じゃない? ………って、まぁ、顧問が『あの』ヒムロッチじゃ、しょうがないかぁ」 「氷室センセ? そら確かに大変そうやな」 「あはは………」 二人から同時に寄せられる同情の言葉に、のやや乾いた笑いが答える。 氷室の厳しい部活指導は、が思っている以上に、有名な様である。 「でも、まぁ、この時期はどこの部も大変じゃないかなぁ。文化部は」 「さよか?」 「そっか。そう言われればそうかもね」 どことなく曖昧なの答えに、姫条は軽く首をひねっていたが、チア部に所属している奈津実は納得した様に小さく頷いた。 それぞれに「部活、頑張りや」「ヒムロッチに負けるな〜!」等々と励ましの言葉を残し、帰っていく二人に手を振り、は改めて第一音楽室に向かった。 ・◇◆◇・
音楽室は4階にある。 専用教室だから、もちろん防音処理はされているのであろうが、それでも一般教室から一番遠いところにあるのは、音を出す場所だからなのだろうか。 そんな訳でこの音楽室、芸術科目で同じ音楽を選択している須藤グループ令嬢などには、大変不評である。 その長い階段を登りながら、ふと先ほどの奈津実達の言葉を思い出す。 『ヒムロッチじゃしょうがない』『そら大変そうやな』 それだけ聞いていると、まるで氷室先生怖さに部活に励まざるを得ない様に聞こえる。 そして、彼らもの事をそう思っているのかもしれない。 だが実際、自身は少し違っていた。 確かに、氷室先生の指導は厳しい。 厳しいなんて一言で済ませるのはどうかと思うほど、時には情け容赦なく、泣きたくなった事もあるけれど、その指導は常に冷静かつ的確で、決して感情的なものではない。 (ただ、あまりに端的な言葉と――タイミングが悪い時もある、というだけで) でも、結局のところ、いかに氷室先生が厳しい指導者であってもなくても、フルートを奏でるのは本人で。 それはつまり、指導者が誰であれ、自身が練習しなくてはいけないという事に何ら関わる事ではなく。 そういう意味ではむしろ、その熱心さはありがたい事だと思う。 そして実際、氷室は練習の成果が上がれば必ず気付いてくれる。 (もっとも、逆になかなか成果に結びつかない時も、しっかり気付いていて注意を受ける) だからと言って、決して簡単に褒めたりする様な事はないが――。 そして、また。 何より自身がこのフルートという楽器が好きだったのである。 第一音楽室の扉を開ける。 既に練習を始めている先客の音色が溢れるのと同時に、午後の日差しを照り返す海の色がの目に飛び込んでくる。 その明るい窓際に譜面台を置き、椅子を引っ張っていくと、はそっとこの日最初の音を奏でた。 ・◇◆◇・
「……さん」 「ぇ、あ!はい!!」 どのくらい時間がたったのだろうか。は、自分を呼ぶ声に我に帰った。 きっと、何度か名前を呼ばれたのだろう。楽譜から顔を上げれば部長が苦笑している。 「集中してたとこ、ごめんね。 そろそろ、最終下校時間だから」 ふと壁の時計を見れば既に7時近い。窓の外もまだぼんやりとした明るさは残っているものの、既に黄昏時を過ぎている。 基本的に――準備期間となる2週間は別だが――生徒は午後7時までには帰宅せねばならない事になっている。 すみません、と慌てて謝るに再び部長が笑った。 「謝らなくっていいって。それだけ練習してもらえれば、 鍵は僕が置きに行くからそのまま帰っていいよ」 音楽室の鍵は、最後に退室する人間が施錠して職員室に届ける事になっているのだ。 となれば、本当は自分が置きに行くべきところだ。 更に慌てるに、彼は今度は苦笑――というよりも、面白そうに笑った。 「大丈夫だよ。大体部長なんて、部全体の雑用係みたいなもんだからね。 それより、ほら、時間がないよ。 僕が戸締りしてる間に、片付けたら?」 見れば、更に時計の針は進んでいる。 はその言葉にありがたく甘えさせてもらう事にした。 |
>BACK >>GSトップへ 素材提供:Angelic〜天使の時間〜様 間に一編、番外編が入りましたが、本編えらい久しぶりです………(^^;;; そのくせ、氷室先生全然登場してないし!!(T▽T) なんか、毎回こんな事を言ってる気がします………。 すみません。(^^; タイトルは「つきのね」です。 「つきのおと」でも意味は同じなのですが………、そう読んでもらえると嬉しいです。 今回は少々まとまった章になる予定であります。 いつもながら季節外れなお話で申し訳ありませんが、どうぞお付き合いください。 こんな処まで読んで頂いてありがとうございました。(^^) |