『月の音』 3


月は満ちては欠け、そしてまた満ちゆく。


そして、相も変わらずの音楽室通いも続いていた。
今や、音楽室までだって一息に上りきれる。4階にあったって、さして遠いとは思わない。
移動教室で一緒になった瑞希サマにそう言ったら、「レディはそこまで鍛えなくてもいいんだから!」と大げさにため息を付かれたが。

は定位置となっている窓際で、その曲を奏でていた。
そこに今日は、の他にも同級生、上級生取り混ぜて数人の生徒も加わっている。
何とかフレーズを吹き通す事が出来るようになったを、部長の望月が合同のパート練習に誘ってくれたのだ。
フルートの音色に、それぞれ違う個性の音色が重なり、曲らしい体裁を見せつつあった。
が、しかし………。

「ストップ。今少しタイミングが遅れちゃったね。 もう一度、ファランドールの頭からやってみようか」
「………そこでrit.(リタルダンド)かかってるよ。 僕がカウントするから、みんなで吹いてみよう」

やはり、経験の差というものだろうか、1人で練習していた時は出来たはずの事が、出来ない。
何度ものところで演奏がつまづいてしまう。
ドラムのスティックで軽く机を叩きながら拍子を取る部長のカウントを聴きながら、一生懸命付いていこうとするのがだ、どうしても他のパートの音が耳についてしまう。
小一時間ほど練習を続けたが、結局曲の半分も終わらない。

「じゃ、ちょっと休憩しようか………」

部長からそう告げられた時、は穴があったら入りたい心境だった。
自分一人のせいで、部長や先輩、みんなの練習を妨げている。
少し吹ける様になったつもりだった。
それだけにそう痛感するのは、恥ずかしいと同時に居たたまれなかった。
「20分休憩ね」と言って、クラリネットをそっとケースに置いた部長に、はおずおずと歩み寄った。

「すみません、この後………個人練習にさせてもらえませんか」

少し驚き何か言いたそうな部長に、慌てて言葉を付け足す。

「えっと、あの――自分で少し………確認したり練習したいところがあるんです」

部長の許可を取ると、は楽譜と楽器を抱きしめて、逃げる様に音楽室を後にした。


・◇◆◇・


秋の午後、柔らかな日差しの中のその建物は、まるで穏やかにまどろんでいる様だった。
雨風にさらされて、色の褪せたその扉に、は背中を預けるようにして座り込んだ。

音楽室にはいたくなくて飛び出してしまったが、だからと言って実際のところ、どこでも音を出して良いわけではない。
フルートを吹いても、誰かの迷惑になったりしない場所。
それを探しながら構内を歩いていたら、ここにたどり着いたのだ。
中庭のそのまた奥。
このどこか古びた教会の前に。
だがしかし、この教会の扉も鍵がかかっている。

「………開いてるワケ、ないかぁ」

誰に言うとでもなく、そんな言葉がの唇から滑り落ちる。
そして、秋が深まるとともにその青さを増した空を、見上げる様に上を向く。
そうしていれば、かろうじて――涙がこぼれずに済んだ。

――今からでも出来る限りの事をしなさい

先日の、氷室の言葉を思い出す。
その通りだと思った。
もまた――そうしよう、そうしたいと思った。
そして、出来る限りの事をしてきたつもりだった。
が、実際はどうだ。

「練習――、しなくっちゃ」

のろのろと楽譜をひろげて、フルートを構える。
――さっき、吹けなかったのはどこだっけ?
頭の中でリズムを取りながら、丁寧にフレーズを辿る。
しかし、今まで吹けたはずの場所が、吹けない。
そのもどかしさに再び目頭が熱くなりはじめた時、不意に誰かの声がした。

「――アルルの女。ビゼー……か」

の座っている教会の玄関から、ほんの数メートル離れただけの木陰。
その木陰でゆっくりと起き上がったのは、同じクラスの葉月珪だった。
たっぷり何十秒か固まった後、はやっと声が出た。

「葉月くんっ?! な、なんで?!」
「………なんでって、寝てた……」
「あ………、そうなんだ」

あわてるとは裏腹に、ぼそぼそといかにも寝起きといった風情の答えが返ってくる。
さすが『眠れる王子』と噂されるだけはある。
そう言われれば確かに、風はそよいでほどほどに暖かく、その木陰は快適そうである。

「ふぅん、お昼寝、気持ち良さそうだね」
「………だな」

葉月が小さく微笑んで、満足そうに頷く。そんな珍しい葉月の様子に、もつられて微笑む。
が、しかし。流石のもここに至って気が付いた。

「――ってそうじゃなくて! い、いつから、そこにいたの?」
「いつって………、昼すぎ、だったか」

午後の授業はどうしたとかツッコミたいのは山々だが、今にとって問題なのはそうではない。
泣いてはいない。泣きはしなかったが、自分の落ち込んだところなど、あまり人に見せたくはない。しかし、そのまんま「見た?」とも訊くわけにもいかない。
うろたえながらも、適当な言葉を探して言いあぐねる内に、葉月の方が先に口を開いた。

「さっきの……」
「え?」
「……アルルの女」
「あ、うん。吹奏楽部でね、今度の文化祭でやるんだ。 フルートだけでよく分かったね」
「主旋律だろ、さっきのトコ……」
「あ、そっか」

それでも、ワンフレーズ聴いて曲名が出てくるって、結構詳しいのではないだろうか。
それが有名なフレーズでも。

「葉月くん、詳しいんだね」
「昔、バイオリン習ってた、少しだけ………」
「そっか、それで――」

素直に感心するに、淡々とした答えが返ってくる。
そして、そのついでの様に、言われた。

「………いい音だと思う、俺」
「え?」
「………おまえの、音。
 上手い下手は、よく分からないけど……俺、好きだ」

ひとり言の様につぶやかれたその言葉に、すぐには返事が出てこなかった。

「………あ、りがとう」

さっきとは違う感情に、目頭が熱くなってくる。
言葉ではないけれど、『頑張れ』そんな葉月の気持ちが伝わってくる気がした。
見られていたとか、いないとか、もうどうでもよかった。

「うん、頑張るよ」

ちゃんと笑えたと思う。
そう言って両の拳を握ってガッツポーズを作ってみせると、葉月くんが小さく笑った。


それから少しの間。 何をするというわけでもなく、二人してぼーっと空を見上げて。
その空の青さが目に染みわたった頃には、立ち上がる元気が出た。

「それじゃ、わたし、そろそろ行くね」

ホントは分かってた。
わたしに今必要なのは、ここで一人で練習する事じゃなくて、さっきみたく他のパートの人たちと練習する事なんだって。

「文化祭の時は、聴きに来てね」
「ああ」

葉月くんは、小さく手を振って見送ってくれた。


・◇◆◇・


「おかえり。 それじゃ続き、やろうか?」
「はい! お願いします!」

音楽室に戻った時、望月部長は何もなかったみたいに、それだけ言った。
最初と同じ席に付くと、隣の同じ1年生の女の子に、「大丈夫?」と心配そうに訊かれた。
――わたし、やっぱりそんな落ち込んだ顔をしていたんだ。
今更ながら焦りつつ、でも笑顔で「うん」って頷いて返事をする。
再開された練習は、やはりそう簡単にはうまくは行かなかったけど、それでも終わる頃には少し音を合わせる感覚が分かってきた気がした。


その練習を終えて、楽器をケースにそっと納めた時、部長が言った。

「そういえば………。氷室先生って会わなかった?」
「いつですか? 帰りのホームルームから会ってませんけど」
「そっか。どこ行っちゃったのかなぁ……。
 ぃや、さ、君が出てった後、先生が来たんだけど、すぐまた出てったから」

――てっきり、君の様子を見に行ったんだと思ってたんだよね。
望月部長はそう言うと、苦笑した。

「えぇっ?!」

そんな思いがけない言葉に、手にしていた楽譜を思わず落としそうになってしまう。

「そんなに驚かなくても」
「………そりゃ、驚きますよ〜。
 でも、えーっと………やっぱり、会ってないと思いますよ」

クスクスと笑いながら言う部長に、面白がられているなぁと脱力しつつ、でもつられて笑ってしまう。

「そっか。じゃぁ、他に何か用事があったのかもしれないね。
 でも、先生は君の事気にかけてる。 これはホントだよ」
「はぁ………」

ニッコリきっぱりはっきりと言い切る部長に、に出来るのは、曖昧に頷くことだけである。

けれど。
――先生が気にかけていてくれる………。
実際にどうかは分からないが、そう思えば、灯がともる様に心強く――大丈夫だと思える。
そんな漠然とした気持ち。
その自分の気持ちに与える名前を、この時、はまだ知らなかった。













>>next
2003.06.26.

<<back




>BACK
>>GSトップへ

素材提供:Angelic〜天使の時間〜















例によって例によるというか、よもや今回も出番無しとは………(遠い目)
ごめんなさい〜、先生〜(T▽T)

でもって、今回は意外と人気者(?)の部長、それから王子が出張っています。
今回の王子の様なシチュは、本来なら王子がお相手の時なのかなぁと思いますが………
それでも、あくまで、やっぱり、これは先生とさんのお話なのです。

そして、このお話の中でさんが悩んでいた事。
これは、学生時代にやはり自分も経験した事だったりします。
ぃえ、さんほど真面目だったワケではありませんが………。(^^;
部長さんがクラリネット奏者なのは、個人的な趣味です。はい。

まだ、このシリーズは続いていきます。
こんな処まで読んで頂いてありがとうございました。(^^)