ジャンボ、ハバリ!−その3−
●カランジャの第三千年紀初年のアフリカ里帰り報告(2001年8月9〜22日)
僕は去年に続き、この21世紀と第三千年紀の初年である今年、再びパパとママと3人でアフリカに行きました。今回はアフリカはケニア一国だけでしたが、往きにベルギー、帰りにドイツに泊まり、ケニアでも余り行かない所も訪問したので、変化に富んだ一風変わった旅行となりました。

 ○8月9日、日本(旅行初日)

 去年と同じく、車で夕方に成田のANAホテルに行き、泊まります。しかもこれまた去年と同じくホテルの鉄板焼ステーキのレストランで、少し遅れたママのお誕生祝いと、旅行の前夜祭を兼ねたディナーです。いつも思うけど日本のお肉は美味しいです!(笑)隣の席で学生さんらしき若人の集団が大声で盛り上がって、静かな店内の雰囲気が変わり、皆眉をひそめていました(^^;)。食後は明日に備え早々に部屋で就寝。さあ、今回はどんな旅になるのでしょう・・?

 ○10日(2日目) 成田空港〜ブリュッセル

 さて、朝早く起床して午前のフライトに合わせ食事してチェックアウト、出発。午前11時40分の便なので、9時過ぎの送迎バスで空港へと向かいます。このバスの送迎があるのがこの辺のホテルの良い所です。荷物も運んでもらえますしね。途中の検問でパスポートチェックの後、最初に止まる第二ターミナルへ。ここで僕らは下車。いつもはこの先の第一なのですが、今回は利用したS.Bという航空会社の関係でこちらです。去年と同じく老身のパパとママ、そして太っちょの僕なのでやむなく全行程ビジネスクラスです(^^;)。なので、チェックイン・カウンターもエコノミーとは別で並ぶ人も少なく本当はスムーズに行くはず・・。ところが並ぶと係りの人が「機種が当初の予定と違うので、その書類等のリストの調整のため、10分程お待ち下さい」 といいます。おやおや、と思いながらも、まあ、10分くらいどうということもないな、と思って待ちます。ところがしばらくしても一向に手続きが進む気配がありません。で、不安になって、どうしたのかな、と僕が何気なくふと出発案内の電光掲示板を見上げると、なんと僕らの乗る便の所に「NEW TIME」即ち、時刻変更の表示があり、その先を見ると・・・な、なんと「13:10」 とあるではありませんか〜!! アフリカならともかくこの日本でいきなり飛行機が故障が発見されたわけでもないのに予定より1時間半も遅れるとは・・! 思わず、「ここはアフリカか!?」 と叫びたくなりました。皮肉にもアフリカ旅行の前座段階で良いウォーミングアップになりました(苦笑)。

パパが僕から話を聞いてショックを受け、受付の人に訊くと、申し訳なさそうに「はい、申し訳ございません、左様でございます・・」 間違いなく最低90分遅れるというのです。それでも、前に並んでいた外人のお客さんが状況が分からないようで、受付の人と何やかやとと質疑応答を始め、見かねた別の係りの人が気を利かせて後ろの僕らのとこに来てくれて、手続きを済ませてもらえました。こういう機転はアフリカでは望むのが難しいので、やはりここは一応日本か、と感じました(笑)。また遅延のお陰で、空港内施設ならどこでも使える1人2500円のお食事券を3人分貰う事が出来、見送りに来てくれたパパの部下の方とその奥さんと一緒に5人で近くのレストランに入りました。おそばや天ぷらとか出発前最後の日本食で臨時歓送会とあいなりました(^^)。これで皆少し機嫌が良くなりましたが、しかし、この初日のっけからの飛行機出発の遅延は、今回のトラブル多き旅行を暗示しているかのような出来事でした・・(^^;)

パパの部下ご夫妻にお別れをして、3人となった僕らは出国手続きをしてビジネスクラスのお客さん専用のビジネスラウンジへと向かい、そこで出発まで過ごしました。そしてやがて待ちに待った登場手続き。今回このS.B社の利用が僕らは初めてだったのですが、パパが旅行代理店の方にコストを抑えたチケットを望んだところ、夏で込み合う時季、ようやく苦労して入手してくれた会社と旅程でした。ですので始めから少々のことは覚悟の上でした。が、一難去ってまた一難・・。飛行機に乗って席についたものの、さて、今度は一向に動き出す気配がありません。ふと外を見ると雨がザアザア降り出しています!! そして放送が入ります、「雨のため離陸許可が下りず待機中です。許可が出るまでしばらくお待ち下さい」・・。おやおや機体の変更で90分も遅れた上に、ようやく出発できると思ったら、今度はいきなり振り出した大雨で離陸許可が出ないとは〜(_ _;)! 天候が原因では仕方ないけど、もし予定通りの機体なら雨が降り出すずっと前に離陸できていたはずだから、結局これはS.B社の落度ということになる!・・そして更にず〜っと待っていると、ようやく許可がおりました、との放送があって飛行機が動き出しました(ホッ!)。時計を見ると、なんともう14時です! どこが「しばらく」 なのでしょう?? 50分位機内でずっと待っていたわけです。結局当初の遅延と合わせて、日本を実際に離れるまで、予定より2時間20分も遅れたのです〜!! この全てが進んだ、良くも悪くもスピーディーさの権化ような現代日本社会がこれではね・・。最近常識では理解できない凶悪な犯罪や政治家や官僚の腐敗も目に余るけど、その風潮がこういう所にも出てくるわけだ〜(^◇^;)/

さて、成田からこの便の目的地のベルギーのブリュッセルまでは12時間弱かかります。一度の乗り物利用としては今回一番長い部分なのですが、その分映画や食事などの機内サービスが楽しみです。・・ところがこの機内食のサービスを巡って、また一悶着ありました・・(嘆息)。

機内食のパンフを見ると洋食と和食があって、洋食の方は有名なフランス料理のレストランがS.B社と提携してそのメニューを担当してます。パパと僕の職場のすぐ近くには実はこの店の支店があってお昼は予約か並ばないと入れないくらい大変な人気です。パパもママも僕も何度も食べに行ってます。なのでパンフを観たパパとママは喜んで洋食にしようと決めてます。僕も2種類ある洋食のどちらかにしようと思っていました。ところが左前の席から順番に担当の乗務員が注文を取りに来て、僕の所まで来た彼女は「和食で宜しいでしょうか?」 と尋ねます。変な訊き方だと思いながらも「いや、洋食の魚の方にして下さい」 というと、彼女は不機嫌そうに「はい」 と答えてチェックしていきます。ここで機内の座席の配列を説明しておきますと、左に2席、真中に2席そして右に2席で、左と真中、真中と右の席列との間に夫々通路があって、つまり横6列の2席ごとに通路が仕切っている、という形です。僕の席は真中の進行方向右側、パパとママはその直ぐ横の右の2つで、僕とパパ達は右の方の通路で席を仕切られていました。 先程の乗務員は左の通路を前から注文を取りながら後ろにやってきたわけですが、僕の注文を取って後ろへと訊きながら移動し、暫くして今度は右の通路の前に現われて何やら前の方の席のお客さんと長々と話し合っています。盛んに「すみません、申し訳ありません」 と謝っているようです。ぺこぺこ頭を下げ泣きそうな顔をしています。一方左側の通路にも乗務員が現われて、日本人客に「申し訳ありませんが、洋食がなくなってしまい困っています。和食でも構わないお客様がおられたら交換して頂けないでしょうか?」 とすまなさそうに言い出しました。僕の左隣の日本人の青年は、その母親らしい更にその左隣のお客さんが怪訝そうな顔をして乗務員を見ているのを見て取って、「あ、なら僕は和食でいいです」 と、元々僕と同じ洋食を注文していたのに和食に切替えて上げていました。乗務員が感謝しています。が、右側の通路では相変わらず前の方でもめていて、それより後のパパ達がいる方などの席へは注文を取りに来ません。パパもママも心配そうに自分達の前の方の悶着沙汰を見ています。と、謝リ続けていた乗務員がさっと立ってスタスタと後ろまで歩いてきて、俯きながら「もう残っているのは和食のみですので・・」 と消え入るような声で話して、す〜っと後方キャビンに入っていってしまいました! パパが憮然とした顔をしています。

少しして別の白人の乗務員が食事を運んできて、何も言わずにパパとママの席に日本食のセットを置いてゆこうとします。で、パパが「洋食を頼みたいのだが!?」 と事情を理解しつつも怒って言うと、彼女は「はあ、こちらは日本食となっています。外国の方には洋食を、日本人の方には和食を御用意しています」 とさっきの経緯を知らないようでサラッと答えました。さあ、これを聞いてパパが切れました〜「なに!? 日本人だから選択なく日本食を喰えというのか! どちらか選べるとこのパンフにも書いてあるではないか!」 とたどたどしい英語で啖呵を切ります。そして困惑する乗務員を前に、僕に次のようなことを訳して伝えなさい、と言い出しました。「私は日本の法律家だが、パンフに虚偽があり、食事を自由に選べない。これは契約違反だと判断するが、いかがか? これがもし会社としての貴社の方針なら受け入れられないので、断固抗議したい。また日本人は日本食を、というがこれは人種差別ではないのか!? また先程の日本人乗務員は何も訊かずにボソッとつぶやいて逃げていったが、これは失礼千万である、彼女を呼んできて謝罪させよ!」 ・・僕は何の事やら先程の事情も知らず、パパと僕との日本語の会話も理解できない、乗務員に対して、努めて温和に笑顔を見せながら、パパの主張と事情を柔らかい表現で英語に訳して話しました。すると彼女はひきつった笑みを浮かべ、「どうも申し訳ありません。事情が分かりませんでした。私はこちらは日本食とリストに出ていてそれを見て運んだだけです。勿論人種差別などございません。会社の方針でもありません。ただ洋食と和食を夫々20食ずつしか積んでいないので、注文を伺う途中で洋食が人気が高くて、品切れとなってしまったのです。申し訳ございません。また日本人乗務員の彼女は実は前の席のお客様が品切れについて大変ご立腹で、ただそのクレームの付け方があまりに非礼だったもので気持ちが傷つき、実は今キャビンで泣いているのです。気持ちが収まるまでこちらに連れてくるのはご容赦願えませんか?」 とオロオロ答えます。自身事情が分からず自分で決めた方針でもないので、彼女の言い分も分からなくもありません。しかし彼女の説明は明らかにおかしいのです。

日本人乗務員はパパ達には何も訊かず、一方的に日本食しかない、と捨て台詞を言っているわけですが、僕などにはちゃんと訊いているわけです。つまり始めは和食も洋食もあったが、途中で洋食の人気があって品切れとなり、和食しか選べなくなったわけでしょう? その事情を知らない客には「日本人には和食を・・」 といえば最初から選択権が客になかったといっている事になり、英語や事情が分からない人はそうか、と思ってしまいます。しかし実際は僕らは言葉も事情も分かっていたのでそこを突っ込めたわけで、言わなければそのままになるところでした。つまり白人乗務員は嘘を言ってその場を取繕おうとしたわけです。そこに不実さがあると観てよいでしょう。本当に勘違いしてそう言っただけかもしれませんが、それなら日本人乗務員の一件を説明して「泣いているので・・」「品切れの文句をつけた客が非礼で・・」 という話は展開できないはずです。なのでその白々しさを観たパパは更に怒って、「まあ、泣いているのならそれはもう良い。でも、日本人だから和食を食えと強制されるのは断る。この食事は食べられない」 と強く言い返します。彼女は更に引きつり「そんな事を仰らずに召上がって下さい・・」 と自分も泣きそうになりながらパパに懇願し始めました。

彼女の説明によると、和食洋食夫々20ずつを積載しているそうです。ビジネスの座席は全部で34あり、仮に満席で全員が和洋どちらかを全部注文したとすると、14人あぶれることになります。丁度和洋が半々の注文となった時夫々3人分ずつのみ余るという訳です。まして洋食は肉と魚の二種類(10食ずつのみ)あるので、きつい見込みで、これでは直ぐ品切れになるのも道理です。パパが「貴社の方針でなく、品切れでどうしようもないということなら不承不承和食を食べる。しかしそれには1つ条件がある。和食には日本酒が必需品である。なので日本酒を持ってきなさい、その条件を満たすなら不本意ながら和食を受取る・・」 と言うと、乗務員は「はい、只今〜!」 とホッとして叫びながらキャビンに消えました。直ぐに綺麗な青いガラスの徳利に入ったお酒を持ってきて、ぺこぺこしています。パパはふんと鼻を鳴らし、「今度の事は決して納得したわけではないので、帰国後また対応を考えるが、取合えず食事は頂く」 と言い、乗務員も頭を下げて、一応この騒ぎは収まりました。

しかしパパは気分を取戻してサービスを続ける乗務員に、ニヤニヤしながら箸袋に英語で「日本人だから日本食を食べろというのは人種差別ではありませんか?」 と書いて見せ、乗務員が「いえそんなことは・・」 とまた青くなりかけるのを観て喜んでいます。結構しつこい性格です(^^;)。でも後で「そもそもこんな風に客を怒らせる位なら始めから多少無駄になっても全員の選択の可能性を考えて食事を積込むべきであるし、安全性や経費からそれができないなら、くじ引きとかにするべきで、客に平等のチャンスを与えるべき。座った座席の順番次第で乗務員の都合で端から勝手に注文を取り始め、その途中で食事が無くなったから、それ以後の座席配置の客は残りの物を強制する、というのは契約として余りに不正不平等でおかしい。パンフの記載も虚偽になる・・」 と言っていましたが、約款の内容次第ですがこれは正にその通りでしょう。おまけにパンフには「地上1万メートルの空中フランスレストランへようこそ!」 とかいかにも誰もが喜びそうなコピーで、特別に美味しいフランス料理店のメニューをお出しします、という感じに説明されています。高いビジネスの料金も払っていることだし、客の方もそれなりのサービスを期待しての事と分かった上での契約なのでしょうに、これでは却って逆効果です。おまけに乗務員達の態度応対の悪さ・・これでは客を馬鹿にしていると思われても仕方ないでしょう。クレームをつけていた前の方の客は乗務員の分の洋食・・それが別に取ってある事も問題ですが・・を無理に出させたようで一応納得したようです。せめてパンフ、メニューにも、「ご希望に添えない場合もあります、品切れの際はご容赦下さい」 とでも書いてあれば納得も行くかも知れませんがそれもありません。ちなみに今回の旅行で帰りのチューリッヒから成田までは相互委託の関係で実質はJALの便で帰ってきたのですが、その時のメニューには食事の選択についてきちんと品切れの場合の陳謝と断書きが書かれていました。さすがJALだな、と思いました(笑)。

S.B社は最初の出発の遅延とそれを隠そうとした事といい、機内食の事といい、全く酷過ぎて、今回の旅行の印象を頗る悪くする事に一役買ってくれました。彼らは旅行関係の事業が客の旅の思い出やイメージに大きく影響するという心理的効果をどうやら計算に入れていないようです・・。こんな会社は長続きしない、と思ったら事実吸収されてなくなるそうです(^^;)。そして実は今回の一連の不手際の裏には、吸収を巡るリストラ問題があり、そのため従業員がストをしていて、稼動人員が通常の半数しかいなかった、という事情があることが後で分かりました。そのため行き届かず、労働量も増え、てんやわんやという事だったようですが、それは勿論客への言い訳にはなりません。予め対応を考えるべきで、十分な対応が出来ないなら、その旨を正直に言ってサービス内容を軽減しておくべきだからです。それを何も問題が無いふりをしてその場を取繕ってあわよくば客を騙し通そうというペテン的な態度が問題なのです。サービス内容の濃い薄いが問題ではないのです。会社の体面や面子ばかりに拘り、客をないがしろにし、ぼろが出れば取繕いの嘘をいい、それでもダメなら謝って済ます、という計算を最初からしている精神が大変悪いのです! パパが強く言った蔭には、どうも日本人は人が良すぎたり面倒がって、トラブルがあっても、まあいいや、という態度を取りがちで、そのため外国では軽んじられがちであることをそれまでの経験から熟知していたので、その認識を改めさせ、国際社会における日本人の地位確立に貢献しようという意図もあったのです。去年の旅行でも色々ありましたが、これは僕もいつも海外に出る度に強く感じている課題です。他文化の人たちと交流して分かり合う事も、他者に寛大さや忍耐を示す事も美徳であり、それを実践する事が正しい場合も勿論多いのです。しかし言うべき事はちゃんと言う、主張すべきはちゃんと主張する、と言う態度も絶対に必要です。多民族が入り乱れ複数言語が飛交う世界では「察してもらう」 というのは期待できない場合の方が多いのですから・・。国際社会では日本人の「和の精神」 もマイナスになることが多いのです。

 とにかく、機内食の一件は一応平和裏に収集しました。後で白人乗務員がそっと僕に「お父さんはまだ怒っていますか?」 とパパには分からないように訊くので、笑いながら「いいえ、実は最初から怒ってなどいないのです。ただ貴女達が筋の通らない事をいい、取繕おうとしたから、法律家としての良心見識と貴女達への戒め、教訓の意味も込めて警告しただけですよ。もう大丈夫です」 と言いました。彼女は安堵の笑顔を見せ「良かったです。お父さんの仰っている事は勿論正しいのです。ただ私達としてはどうしようもなかったもので・・」 と頭を下げていました・・。

やがてベルギーのブリュッセルに到着し、飛行機から降りる時僕らを見送った乗務員達とはにこやかに別れることが出来、一応事なきを得た感じです。

19時頃到着したブリュッセルでは、さあ、今度は荷物が幾ら待っても出てこない(TT)・・これもつまりストのため人員不足が招いた作業遅延だったわけですが、その時はそんな事情は知らないので、到着のサインがあるのに荷物がレールに出てこないものですから「荷物がない! どうしたんだ〜!!」 と僕らも他の旅客も大騒ぎをしました(^^;)。やがて随分遅れて出てきて、入国手続きを済ませ、外に出た時には到着から裕に1時間以上たっていました・・!迎えに出てくれた現地の案内のM.Tさんという日本人女性とベルギーの運転手さんとともにホテルへ向かいます。道すがらM.Tさんからストの事情を聞いて僕らはようやく今回の一連のS.B社の打続く不始末の原因を理解したのでした。

初めてのベルギーでしたが、雰囲気がドイツやオランダに似ているな、と当り前ながら感じました。途中説明を受けましたが、ベルギー王宮、EU本部、裁判所、中央公園、美しく絢爛豪華なまたモダンな建物を見て、ホテルへ。ここは中央駅の真向いにある「メリディアン」というホテルで観光には一番良い所のようです。食事はぼる所が多いので近場の良い所かホテルのレストランで、ということになり、パパがとても疲れたので結局ルームサービスを取り、僕だけバーで軽食を取りました。馬肉のタルタルステーキとトマト入りの生魚の料理を食べましたが、美味しかった。特にピーチジュースは最高でした。ルームサービスではスパゲッティ−やチーズバーガーを取って僕はバーガーを食べましたが、これも良かったです。豪華なテーブルに乗せられてきて、雰囲気もゴージャスでした。そして皆さすがに疲れたので早くに休みました。

○11日(3日目)ブリュッセル〜チューリッヒ〜ケニア

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