ネパール編

 

3月14日。この日も早起きし、6時にホテルを出発。朝早いときは、毎回ホテルの従業員を起こして、ホテルの門を開けてもらっていた記憶がある。リキシャに乗り、15分くらいでツーリストバンガローに到着。ここからネパールへの国境まで行くバスが出ているのだ。ホテルの待合室には日本人も含め、20人以上の外国人ツーリストが集まっていた気がする。

タブラ(インドの太鼓)をポコポコ叩いている欧米人男や、どうどうとそこらへんで座小便する欧米人女を乗せたバスは、18時に国境の街スノウリに到着。15$で15日間のシングルビザをもらった後、出国&入国手続きする。袖の下から役人にお金を渡している欧米人もいた。そう、インドビザの期間はマキシマム半年なので、もしビザが切れそうになったらネパールに入り、なんとかインドビザを取り直し、またインドに入り、またビザが切れたらネパールに入りというサイクルを繰り返す、インドの虜になった漂流者がいっぱいいるのだ。

無事ネパール入国。ミッチャンはインドよりもこのネパールを楽しみにしていたので、ちょっと体調が下降気味だった彼女もウキウキ。ちなみに、僕とイーシャンはネパールのガイドブックをまったく持ってきておらず、ミッチャンだけしかガイドブックを持っていなかった。この日はドミトリ(大部屋にベッドがいっぱいあるだけの部屋)に泊まり、味噌ラーメン(みたいなやつ)にビールを飲んだ後就寝。こんだけ北に来るとやっぱ寒い。

3月15日。ホテルの屋上のレストランで、朝メシを食す。屋上のレストランには、あきらかに人間のう○こらしきものがあったが、もうたいして驚かなくなった。ポカラへ向かうバスは、なんだかそこらへんを走っているようなおんぼろバスに変わった。やや予定よりも遅れ気味で出発。このときバスが出発するまで、卒業旅行でインドを回っていた日本人と一緒になり、話をして結構面白かった気がするのだが、残念ながら今では詳しく思い出せない・・。旅で見に行った城などの観光ポイントは忘れてしまっても、旅で出会った人ってのは忘れないものだが、何を話したかまではさっぱり忘れてしまっている。

観光用ノンストップバスのはずが、ローカルバスと変わらず、そこらへんのネパール人を拾いながら走っている。バスはぎゅうぎゅう詰めになった。もうちょっと我慢すればいいのに、薬をやりすぎた欧米人はふらふらになってしまっておる。2日間バスに乗り、やっとのことでポカラに到着。ここは観光地というよりも、山と湖に囲まれた避暑地に近いところである。

バスターミナルからホテルのある場所までタクシーに乗る。降りようとしたとき、最初にこのドライバーが言っていた金額を払おうとすると、金が足りないと言い始めた。昼間ぎゅうぎゅう詰めのバスで切れ気味であり、バスを降りたところでも、うざいほどの客引きに囲まれ、切れ気味だったイーシャンは、とうとうここで「プチン」と切れてしまい、もっていたビクトリノックスのナイフの刃を取り出し、胸ぐら掴んで大いに暴れ、結局このタクシー運ちゃんに金を払わなかった記憶がある。これは間違いなくやばいというか、殺されると思ったのか、周りのネパール人もあせってイーシャンに「まぁ、まぁ、落ち着いてよ」となだめていた記憶もある。観光客だけで食っている村というのは、えてしてこういうところがあると思う。

混沌と喧騒のバラナシから離れ、ヒマラヤのふもとでゆっくりとインドの疲れを癒すことが目的だった僕らは、こじんまりとしてキュートなマンダラホテルに泊まることにした。夜、チベタン料理である、水餃子みたいな「モモ」を食ったらむちゃ美味かった。

3月16日。朝、ホテルの中庭で朝食を取り、屋上に上ると朝日を浴びているヒマラヤが見えた。このホテルは今考えると素敵な、もう1回泊まってみたいなぁと思うホテルだ。ネパールの首都カトマンズまでのデラックスバスを5$で予約し、自転車を1日50Rsで借り、自転車でポカラの街を観光する。ぷらぷらとオールドバザールを見て回った後、僕はヤク(高所系山羊)の毛で作った、もこもこ暖かいセーターを600Rsで買い、180Rsで腕輪や指輪を買ったりした。ネパール人は日本人とそっくりな顔をしている人が多かったが、イーシャンはどうみてもネパール人に見えた。そして僕ら3人はよく兄弟に間違われたものだ。

ホテルまで戻ってきた後、湖(名前忘れた!)の近くでお昼にする。このレストランには「日本にいる感覚そのままで旅をしてます」みたいな日本人がいて興ざめつつも、マカロニが美味かった。ボートを借り、2時間近く、なんちゃら湖を遊覧した。う〜ん、素晴らしい風景。白く雪を被ったヒマラヤ山脈の頂上が、夕陽を浴びてオレンジ色に輝いている。ゆっくりボートをこいだ。夜はナスが入ったギリシヤ風なんちゃらってのを食ったら美味かった。ポカラ地図を買ってホテルに戻る。

ボート遊覧中。ボートこぎに転職しようかと考えた気がする。

3月17日。ホテルの中庭で朝メシを食べ、このホテルのオーナーの写真を見させてもらう。いいのかなぁとは思ったが、エベレストを撮った写真をいただいた。

3人はこの日、ミッチャンにとっては今回のメインイベントである「トレッキング」をするため「サランコットの丘」へ出かける。名前がいいよね。ふもとまではタクシーで行き、そこから登り始める。そこらへんにいる子供達は、日本の田舎の子供達にそっくりである。あたりにはマリファナ畑が広がり、じいさんらはタバコを吸うようにマリファナを吸っている。頂上まで登った後、僕はお土産屋で指輪なんかを買って下山した。なんだかわからないけど、ここらへんの人々は、ビンのフタ見たいのを使ったゲームにみんな夢中だった。

3月18日。デラックスバスに乗り、山の中の、断崖絶壁を川沿いに走り、カトマンドゥに到着。ポカラのホテルのオーナーの紹介で、ピラミッドホテル(?かな)に泊まることにした。とりあえずモモを食いに行く。なかなか場所がわからず、しかも途中から雨が降ってきたが、なんとか見つけることができた。ここで食ったモモはもう最高!ぷらぷら本屋なんかを周り、夜メシはチベット系レストランで、アメリカンチョプシーを食す。

3月19日。TIMというところで(本当にこの名前であっているのかなぁ)ソーセージとグリルトマト付きの、リッチな朝メシを食す。この日は西遊旅行・風の旅行社・Green Travel(?)・Star Travel(?)といった旅行会社を回って歩いたが、なんで回ったのかまったく思い出せない。チベットにでも行こうとしたんだろうか、それとも飛行機でカトマンドゥからカルカッタまで行こうとしたんだろうか。このあたりからミッチャンは体調が悪くなり、歩くのもしんどいくらいになってしまった。そして僕は、日本から大量に持ってきていたペン・ライター・電卓等を、指輪や帽子等お土産にバーターしようとやっきになって調子を上げてった。この日はチベット仏教寺院(だったっけ?)「ダルバール」を観光した。意味わからんレストランで夕食を食べ就寝。カトマンドゥは停電が多い。

3月20日。朝はベーグルを食す。この日も市内をぷらぷらする。ミッチャンは地図とカレンダーを買った。昼はモモの店に行き、スープモモがこれまた美味。本屋に行き、おそらくまったく読まなかった(ミッチャンは体調が悪いことも多かったので、僕やイーシャンが持ってきていた本を全部読み尽くしたと思う)モーパッサンと星新一を売った。どっかでバラナシ行きのバスチケットをゲットし、夕方街をぷらぷらしていると、街中が停電したようだ。ローソクの火を灯し、焼き鳥を焼いていた通りは雰囲気的にデンジャラス。ホテルに戻り、夜はTIMに行きステーキを食ったが、むちゃくちゃ固くて食えなかった。

3月21日。ネパール最終日、「この世にインド人がいるかぎり平和です」と上手いことが日記帳に書かれている。ミッチャンはこの日も朝から風呂に入っており、現世を離れつつあった僕とイーシャンは「何故毎日シャワーを浴びるのか」と彼女を糾弾した。11時近くホテルをチェックアウトし、チベタン仏教寺院(かな?)スワヤンブナートを目指す。おそらくここがカトマンドゥ観光の目玉だった気がするのだが、何故最終日に行ったのだろう?急な坂をリキシャは頑張って走り、さらに階段をテクテク歩いて登り、スワヤンブナートに到着。ここからのカトマンドゥ市内の風景は素晴らしいものがあった気がする。メータータクシーで戻り、郵便局に行った後、僕は日本から持ってきていた味噌汁と電卓で時計を交換したらしい。

スワヤンブナートへの階段、登り疲れたおじさん達。