6.ムンバイへ。「生活」イコール「冒険」。(インド)

Attack.5 From Delhi to Mumbai 1,566.3km

(2004年1月20日〜2004年2月16日)

<20.Jan.2004 Day-94>
From Delhi to Bawal 93.0km

昨晩は掲示板の更新含め2時半に寝た。デリーではずっと夜中2、3時まで作業していたので、久しぶりの7時半起きは辛い。ただし、なんとなくこのデリー6泊を終えて思ったのが、アフガニスタンの冒険とパキスタン北部の冒険を完遂し、これから本格的に始まるインドの冒険のテーマが「日常生活の範疇において冒険していくこと」と感じることができた。単にツーリストORサイクリストがデリーに6泊したのではなく、日常生活を冒険しようとしたのではないかと・・。
アヌープホテルの屋上で朝飯を食べる。このホテルの従業員は僕とその生活スタイルが似ているらしく、数年働いてちょこっと遊んでまた働くという生活を繰り返しているらしい。「もう少し経ったらゴアで半年くらい遊んで、今度はマレーシアに働きに行こうかと考えているよ」と、ネパール出身の彼がうらやましい。
出発前、ホテルの前にはそれほどひとだかりはできず、結局欧米人一人から声をかけられただけだった。とにかく5日ぶりの出発。
わかりづらいコンノートを避け、メインバザールの北側にある公園らしきところを通過していく。ただ途中までは順調だったが、えらく混んでいる交差点があり、まったく信号が変わらない。お巡りさんが手信号していたが、そのお巡りさんが通行人に道を聞かれ、そのまま思わず話が弾んでしまったり・・と、結局10分以上待つはめになってしまった・・。
1本目を走り、空港近くで休憩を取る。飛行機ショットを撮ろうと何機か試みたが結局うまく撮れず。グルガオンの街を通り抜ける。大きな街であり、多国籍企業が入っているビルの高さでは、首都デリーに引けを取らない。グルガオンの街を抜けたところで昼飯。今回初めてのターリー(でっかいプレートにカレーやらいろいろとのっかったインド版定食)を食べる。(20Rs)
国道8号線を走る。ジャイプルまでの国道8号線には「バジパイ首相夢のプロジェクト、デリー〜ジャイプル間の4車線化計画!」という看板があちこちにあった。ちなみにこのデリー〜ジャイプル間の国道8号線(NH8、ナショナルハイウェイ8)は99年にインドをデリーからバラナシまで自転車で走ったときにも走ったところである。そういや5年前にはあっちこっちブルトーザーで道路を工事していた気がするが(そんなところの写真があったはず)、えらく道がきれいになっておる。5年前はへろへろになっていたので記憶が定かではないが・・。
国道沿いのレストランにてチャイを飲みながら4本目の休憩をとる。ここで、目標のバーワルまで行くと、明日の行程が60kmと短めになってしまう。このレストランの従業員はかたことの英語を話しているということもあり、ここで一泊することにした。
という判断が失敗だった。小屋みたいなところへ自転車を入れ、ゆっくりしていると次から次へとガキンチョが入ってくる。結局2時間近く自転車をいじくられながら「何だこれは?」「教えろ!」「これはいくらだ?」「わからん、説明しろ!」とわかるまでずっと説明するはめになった。しかもこのガキンチョは「20Rsくれ!」とか言い出し始めたり、自転車から引っ張り出したものをかたさなかったり、目がキョロキョロしている。これはしっかり教育せなあかんということで、引っ張り出したものを、ちゃんとしまわせたりしているうちに、お父さんらしいホテルの従業員と、どこかへいってしまった。
かな〜り疲れ果てたものの、さっそく荷物チェックをすると、案の定、ソーラーバッテリーチャージャーが無くなっておる。「ちくしょ〜、あ〜んの、くそがき〜!」という気分と「お〜い、またかよ〜、とほほ・・」という気分一杯。3分で再セッティングし、夜7時にこのレストランを飛び出す!単三電池2本を、太陽の光で充電できるというこのバッテリーチャージャーは、1台5,000円もするので、3年かけて1台づつ買ったものだ。
うろうろこのあたりを探してみるが、あたりまえの話少年を見つかることができない。結局数キロ走った後、近くにある別のレストランを見つけ、そこに泊まることにした。
が、最初はこのレストランの従業員部屋に寝させてもらう話が、へんなオーナーと名乗る親父が現われ、マネージャールーム(というか、たんなる電話屋さん)に泊まることになり、結局200Rs払うはめになってしまった。夕飯さえ食べればただで泊まることができるというナイトシステムは、インドにおいて崩壊してしまったようだ。これじゃまったくメリットがない。
飯を食べて、このマネージャールームで就寝。夜半トイレに起きたが外側から鍵がかかっており出られず。う〜ん、2泊以上自転車に乗らずに走りはじめた初日はなんかしらあるようだ。

<21.Jan.2004 Day-95>
From Bawal to Kot Putri 78.0km


朝起きると雨!が降っている。う〜ん、最悪。ちょこっと雨が止んだのでとりあえずポテトパラーターとチャイの朝食をとる。ふったりやんだりが続いていたので、とりあえず、昨日のソーラーチャージャーをぱくった少年向けの手紙を書き出発。
そして、昨晩泊まらせてもらおうとしていたレストランに行くが、少年は学校に行っているのか見つけることはできず。とりあえず一番偉そうなおっさんに、英語で「もしぱくったのであれば、インド人であれば、返してくれ。携帯と住所はこのとおりだ。とりあえず警察に行って報告するだろう」と書いた手紙を渡す。別に帰ってくるとは思わえないし、警察に行く気もないのだが、少年が悪い子にならないよう(調子に乗らず、盗癖が付かないよう)サインまで書いて渡したわけだ。とにかく、教育・知識・金が無いってゆうのは関係ない。とにかく、考えが甘いやつってのは嫌いだ。
そして気分新たに1本目。日清食品インド、旭硝子インド、YKKなど工場多し。昨晩雨は降らないだろうと思って自転車を雨ざらしにしてしまったせいか、なにげに道が登っているせいか走りづらい。時速が20km以下に落ちる。レストランで昼食。ちなみに今日の朝携帯を見ると、ハリヤナ州に入っていたので、携帯のオペレーターがHUTCHからESSARにローミングされていたが、この昼飯をとったあたりから砂漠のあるラジャスターン州に入ったので、OASISというオペレーターに変わっていた。
そしてバリバリの筋肉痛だ。サドルが低くなっているのかと思い、サドルの高さを調整する。そして地道にだらだら登りながらコトプトリの街に到着。99年と比べて何が一番違うかというと、気温が倍半分以下ということだろう。曇りがちな天気ということもあり日中最高20℃しかないが、99年は40℃を超えており、ばってばてのへ〜ろへろになったわけだ。そしてこの街は99年にも泊まった街である。なんとなく、99年に泊まったホテルに吸い寄せられるかのように到着。そして300Rsと高かったが、グットルームだよ、といわれ、角にある部屋に泊まることにした。99年にはへろへろでホテルに着いた瞬間にぶっ倒れていたので記憶は定かでないが、たぶんこの角部屋に泊まった気がする。おそらく5年ぶり2回目の外国人宿泊記録だと思うこのホテル、2度と来ることはないだろうなぁと思ってたところにまた来るのもまた、冒険の匂いがする。
外に出る。よく分からんが車でインド一周したことのあるおじさんにチャイおごってもらいお話する。
ホテルに戻り、自転車のメンテをする。トゥクリップをデリーで作り直したものの、ジャストフィットしていなかったので、ちょっとまたいじくる。また、走行中プーリーがきぃきぃうるさかったので、グリスは少ないがメンテすることにした。リアディレーラーガイドについているプーリーをあけて見ると、そこにはグリスは全く無くなっており、泥しか入っていなかった・・。また、どうも後輪の「振れ」がひどくなり、リムにブレーキシューがあたっている気がしたので、ブレーキシューの位置を調整した。
そして99年にも夕食を食べに行ったレストランへと、自然と足が吸い込まれた。ここのアールーゴービー(じゃがいもカリフラワーカレー)はむっちゃくっちゃ美味かった。ただ、ビールが飲めるレストランだったもののお腹を壊しはじめていたので諦めることにした。う〜ん、なんて冒険的でないんでしょう?!

<22.Jan.2004 Day-96>
From Kot Putri to Jaipur 109.0km

朝起きて飯食いに出かける。プーリー(チャパティを油で揚げたもの)4枚、ダール、ダヒーで12Rs。プーリーってのは油がきつい印象があったけど、朝一番だと新鮮な油を使うのか非常に美味かった。そこらへんでチャイ飲んで出発。なんとなくこの街はお気に入りである。
昨日いろいろと自転車のメンテをやったのでだいぶ走りやすい気がする。そして、ここからの風景に関して、北海道(札幌)に3年半いたときに何回か思ったことだが、石山通り(国道230号線)の定山渓付近の風景に近いと思う。
昼飯を食い、走り始めるがやっぱり熱くなってきた。そしてやはり筋肉痛がひどい。99年の時はまったく余裕なかったからだろうが、デリーからジャイプルまでで300メーター位だらだらと標高をあげているのに気が付くと同時に、ボディーブローのように響く。そしてなんとかジャイプル入城。ジャイプルは、首都デリー、タージマハルのあるアーグラとあわせてインド観光の「ゴールデントライアングル」ともいわれているところだが、99年にも観光していたので、1泊しかしない予定。なので、観光ポイントである「アンベール城」の前で休憩を取り、写真を撮ることにした。ぱちり、ぱちりと写真を撮っていると、次から次へと乞食が現れ、瞬く間に小銭が無くなってしまった。そしてまた観光ポイントである「風の宮殿」の写真を撮る。「ハロー」とだけ声をかけてくれる、このラジャスタンの人々は気分がいい。(何も声をかけてくれないというわけでもなく、石を投げつけてくるほどでもない)
そして99年に探そうとしたのか、探そうとして見つからなかったのか、見つかったけど他にしたか忘れてしまったが、このジャイプルの街の城壁(旧市街の中心部がかつての「城壁」でかこまれている)内にあるRAJIDEEPホテルに決定。(200Rs)
結構疲れた。これからもこんなにだらだらとアップダウンがあるんだろうかと地図を見ているうちに寝てしまう・・。
起きると汗が引いて寒い!すぐさま近くのレストランに行きチョウメンとコーヒーを食す。そしてぷらぷらとジョホリバザールを歩く。城壁がライトアップされており、ミニ天安門のようだ。
昨晩泊まったホテルの領収書をチェックアウトする際もらっており、その中にヒンドゥー語でホテル名らしきものが書かれていたので、ヒンドゥー語会話帳を開く。(昨晩泊まったホテルには、ヒンドゥー語の看板しか書いてなかった)たぶん「ホテルキルナ」だと思う。創造・維持・破壊がシヴァ神のマントラである。

<23.Jan.2004 Day-97>
Stay Jaipur

爆発的な筋肉痛と疲れあり。とりあえず食パンにピーナッツ付けて食って再び寝る。昼前に起きると依然として爆発的な筋肉痛があり、爆発的にストレッチを行う。
昼から観光スタート。ただ、今回は本当に観光意欲なし。とりあえず、99年に行ってない「宮殿」と「天文台」に行くことにした。歩いて宮殿に行き、入る前にチャイを飲む。宮殿の前に、日本のバスとそう変わらないデラックスバスが次々とやってくる。とにかく、いまや欧米人だけがツーリストという感じはなく、半分が欧米人で半分は韓国・中国・日本(多い順)である。カメラ代含めて180Rs払い、中へ入る。(ほんと入場料が高くなったもんだ。これじゃ観光する気もしない)今でもこのジャイプルのマハラジャが住んでいるという宮殿の中には、世界一大きい銀の壷とか、美川憲一が着てそうな銀じゃらなドレスなんかが展示されておった。よくわからんが日本語話せるお土産屋さんのおやじとチャイ飲んでから宮殿を出る。
むちゃくちゃ腹へって死にそうだ!せっかくホテルから宮殿まで歩いてきたのに、サイクルリキシャに5Rs払ってレストランへ連れていってもらう。ジャガイモカリフラワーカレー、バターチャパティ×4、サラダ、コーヒーで72Rs。このジャガイモカリフラワーは傑作だった。
戻って天文台「ジャンタルマンタル」へ行く。今でも使えるらしい日時計なんかがあったが、さっぱりどう使うのかわからず、ただオブジェが何十個もある彫刻の森美術館という感じだった・・。そして今回多々見られるように、あまりにもぽかぽか陽気で風もちょうどよく、ツーリストが何十人もいるなか昼寝してしまう。う〜ん、こりゃ気持ちいい。
特に意味はないが動物園に行ってみる。が、跡形なし。そのまま博物館へと行ってみる。この博物館にはヘビのホルマリン漬けとか、日本のサムライの人形とか意味不明なもんが多く面白かった。またサドゥー(聖者)の人形が100体くらいあり、それぞれ「一生逆立ちします。それが修行です」系とか「一生ブランコに乗ってます。それが修行です」系の人形があり、妙に説得力と迫力がある。
博物館の見学を終え、ちょこっとコーヒーでもと思ったら青年「アナント君」に呼び止められた。なんだかよくわからんが「僕の友達が日本人の女性と結婚して住んでる。見に行こう」と強く押され、彼のスクーターの後ろに乗った。ちなみに疲れていたので、30分でホテルに戻してもらう予定だった。
結局風の宮殿近くにある宝石屋に連れてかれた。宝石屋の兄さん「ラジャ君」はいろいろと日本人と交流したことがあるらしく、また日本人を捕まえたのが久々のせいか楽しそうだ。このラジャ君の親戚がバラナシのクミコハウスの人と関係あるらしい。よく分からんが、観光用に市内からアンベール城まで人を乗っけて歩く象さんの住処(エレファントエリア)に連れてってもらう。そして、最終的にビレッジエンポリウムというところに連れてってもらう。すでに夜20時である。僕はまったくお土産の類を買う気はなく、ただ商品の説明をえんえんと聞いていると「もう店閉めたいんだけど。買う気のない日本人連れてくるなよ」とラジャ君とアナント君が店の人に怒られている。しょうがなく1番安くて使えそうなショールを10$で買う。99年に壁掛けなどを買っていたので多少価格は知っていたが、その3割増しくらいで売っていた。
宝石屋に戻る。もうなんか買わないと飯食いに行けない雰囲気だ。結局保証書もない、欲しくもない宝石を500Rs出して購入する。おそらく原価は250Rsくらいだとおもう。いちおう原価を把握してメーカーに3年間勤務していたので、原価を言われたときの「おい、それじゃ原価割っちゃうよ!」顔でわかる。なんで買ったかというと、日本人ツーリストらがこのラジャ君と交流し、日本に帰ってからこのラジャ君に、日本の地図とか日本語勉強本なんかを手紙と一緒に送ってたりしていたので、彼らの「思い出」を壊したくなかったから、ただそれだけだ。「日本ではコーヒー1杯で2$するんでしょ?」「どこかへ行ったらお土産ってのは必ず買わなくちゃいけないものなんだよ!」というこのラジャ君の説得には全く納得いっていない。
納得いかないまま連れていってもらったレストランは、チキンコルマーとナン、ペシャワールでよく食べたチャプリカバブを出してくれるイスラムレストランだった!この最高にうまい料理を食えたことですべてを忘れた。が、「4月から日本に行こうと思ってるんだよね。今1,500$はあるんだけど、聞いたところによると2ヶ月滞在するには2,500$くらい必要らしいから、宝石を担保に金を貸してくれないか?」ときた。「俺は冗談やゲームで金がないと言ってるわけじゃない。どっかで日本人に会ったらあんたの店を紹介してやる」とだけ答え、彼の名刺をもらう。はっきりいって、僕は今このような冒険を続けてはいるが、実際50万近い借金がある。しかも日本に帰ってからは、保険やら年金やらで3万は毎月払っていかねばならぬ。1,500$なんて今の俺よりも持ってんじゃねぇか。
まったくゆっくりできないままホテルに戻る。どうもやっぱり観光地ってのはだめだ。別に観光するなら死ぬまでにいつだってできるだろう。金を媒体としたフレンドシップなんて日本にいてもできるだろう。僕は冒険をするためにはるばるインドまで来ている。そして今回2回目だが、大江健三郎著『日常生活の冒険』を読み始めた。

<24.Jan.2004 Day-98>
From Jaipur to Dudu 69.6km

食パン8枚にピーナッツ塗ったくって食う。ピーナッツクランキーは失敗だった気がする。そしてどうも昨日の「金」の使い方や彼の「淡い幻想」に納得が行かず、できれば140km走ってアジメールまで行きたいなぁと思い出発。
ジャイプルの街はでかい。ごちゃごちゃとしていたが、なんとなくヒンドゥー語の「ア」と「ル」は解っていたので、なんとなく街を抜けることができた。ただ工事中の個所が多く、だいぶ遠回りをした気がする。2本目を超えるとだいぶ砂漠の景色になってきた。低い木が多く、砂がサラサラしておる。昼飯を食ってると、あっというまに、お皿に砂が積もっている。
暑さもあるが、風が強いようだ。なかなか走れず、結局16時前、ドゥドゥの街手前のMIDWAY MOTEL DUDUに決定。何故かかたことの日本語を話せる従業員がおり、400Rsを300Rsにしてもらう。TDC(ツーリストデベロップメントカンパニー。観光公社)系で、結構僕が好きなタイプのホテルである。とりあえずコーヒーを飲む。
デリーを出て雨にあってから何もしてなかったので、ブラッシングとチェーンのオイリングをし、地球の歩き方を読む。
夜飯はフライドライス。ここはあからさまだが、一般人用メニューと値段が3倍くらいになった観光客用のメニューと2種類置いてあった。お土産コーナーも併設しており、欧米人用(というかイギリスか)のガイドブック「ロンリープラネット」03年10月改定版が置いてあった。思わずドルキャッシュ28$(定価)で購入する。さっそく部屋でチャイを飲みながら読む。地球の歩き方を見て、明日アジメールで泊まろうと考えていたホテルの値段は150Rsだが、ロンプラ(ロンリープラネット)で見ると倍以上になっている!これだけで200Rsは得することになる。僕の持っている地球の歩き方は97年改定版という歴史の穴ぼこみたいなガイドブックで、ホテルならだいたい1.5倍くらいになっていたし、博物館などは5倍以上になってたりとか、もう今は無くなってるってゆうのが多かったので、これはよい買い物だった。何よりまったく上達しない英語の勉強になるでしょう。
夜、このホテルの青年が部屋にやってくることになっていたので、お話をする。というよりも「何を探してますか?」ではなく「何かお探しですか?」とお客さんにたずねた方がいいよ、と日本語のレクチャーをした。結構日本人の団体ツーリストが来るらしく、彼は独学で勉強をしているらしい。「毛布2枚で大丈夫?もう1枚追加しようか?」と聞かれ、もう1枚お願いする。なんだか下痢がとまらず。

<25.Jan.2004 Day-99>
From Dudu to Ajmer 72.0km

夜半、寒くて何回か起きた。毛布なんて3枚も必要なんかいなと思っていたが、やや砂漠ティックなところにいるせいか、朝晩の冷え込みが厳しいらしい。どうやら風邪をひいた気がする。
朝フレンチフライとバタートーストを食べるがどうも下痢で全ての体力をまた失ったようだ。ただなんで今回は下痢しても体力ゼロになっても元気に動けて食べれるのか不明だ。出発前、ホテルというかレストランというかお土産屋には欧米人ツーリストがちらほら。
1本目。やっぱりどうも満足に走れない。この1本目はU2を聞きながら走ったが、U2ってのは寒いところ、雪国に合うもんかと思ってたら砂漠の風景にも合うようだ。2本目を走り、昼飯。なんか隣のおっさんが美味そうなのを食ってたのでそれを頼むと、パキスタンでよく食べた「ゴーシュト」(牛肉の煮込み)だった。よく周りをみると「アッサラ〜ム」とイスラム教徒の挨拶をしている。そう、アジメールはイスラム教徒の街とガイドブックに書いてあったが、このあたりからもうインドの中のイスラム圏なのだ。ちなみにインドの9割を締めるヒンドゥー教徒は牛肉が御法度で、イスラム教徒は豚肉が御法度です。ただ、インドにはベジタリアン(菜食主義者)が多いし、パキスタンのディナであったアビさんは日本に住んでいたとき、ちゃんとお祈りしてから鳥や牛を殺す肉屋さんでしか(千葉にあるっていってたかなぁ?)買わないと言っていた。
このあたりから赤やオレンジなど、派手な色を使ったターバンというか手ぬぐいを巻いた、いかにも「砂漠の民」っぽい人が増える。そしてぐんぐん熱くなってくる。なんとかアジメールの街に到着。そして、ロンプラに「このホテルが安くてベスト!」と書かれていたHAVERI〜というホテルに行くが、このおじいさんに「今はもう飯を出すことができないんじゃ、他のホテルがええと思うぞよ」と柔らかく他を薦められる。なんだ、最新版のガイドブックもだめじゃないか。結局となりのSAMRATホテルに決定。220Rs。ホテルのおっさんらは調子いいが(いつも通りに面した2階におり、このホテルの前を通るたびに「アキヤマ〜!アキヤマ〜!」と叫んでいた。)、設備はしっかりしており、バスタオル、石鹸、カラーテレビ、ホットシャワーがあった。
とりあえずプラプラ歩き、さっきのHAVERI〜のおっさんとチャイを飲む。そして、ボンベイ在住でアジメールへはお兄さんの結婚式に来たという青年とお話する。彼はソフトウェア会社に勤めており、1番のお客さんである日立に行くため、先日東京に行っていたそうだ。
ホテルでゆっくりする。「Mr.Bean,The Movie」がやっていたので思わず見てしまう。英語が分からなくても笑えるってのはすばらしい。そういや98年にインドに来たとき、飛行機の中でビーンがやってた気がするが、いっこうに英語力は増えていないようだ。
夕飯はホテルでフライドライス。このホテルの従業員は揃って面白い。食後のコーヒーを持ってきたついでに、金くれとかタバコくれとかうるさい。あげくに「スマイル!スマイル!」と叫んでおり、何かと思ったら僕の足が臭い(スメル)と言いたかったらしい。まったくもう・・。お湯がじゃんじゃん出る。これはすばらしい、というか、デリーから9日間シャワーを浴びてなかったではないか・・。
そして今回初めてインドのMTVを見る。ちなみに北海道(札幌)にいたとき、朝起きて目覚しテレビを見る以外は、ずっとMTVを見ていた僕にとってうれしい。「Hero Honda Presents ローディーズ」という、若い青年数人がバイクに乗ってインドを旅するというあいのり的な番組が面白かった。また、夜には「IMMIES」というインドのミュージックアワードをやっていたが、「ノミネートはこの人たちです。」「ベスト〜はこの人です。」「ありがとうございました。親に感謝します。」「次です。」と、全く盛り上がりを見せないまま、別にTVで放送する必要全くないんじゃねぇか、という淡々さが面白かった。ただ、経済的にインドとアメリカが結びつき、また中東最前線(イスラム国家最前線)として、どんどんインドがアメイカナイズドされている気がする。ペプシもアメリカだと思うけど、街中にはコカコーラの看板が増えた。ジーンズ履く若者が増えた。インド映画からヒット曲が生まれる構図は変わってないが、その映画のダンスにおいて、いかにもアメリカっぽい銀の登り棒にセクシー女性がまとわりついているシーンが多いし、セクシー女性が地面をごろごろ転がるというビヨンセっぽいシーンも多い。ちょっともったいない気がする。

<26.Jan.2004 Day-100>
Stay Ajmer

予定ではアジメールで3泊する予定だったが、ウダイプルの方が面白そうだし、1日だけゆっくりして、筋肉を休めてまた走り出すという、筋肉を付ける方向で持っていきたかったので、アジメールでは2泊だけすることにしていた。(なんだか雰囲気でない、説明臭い文章だなぁ。しかも、パキスタンで英字新聞読めないのに毎日のように読んでたせいか「かっこ」書きや「、」と「、」でつなげる文章が多いんだよなぁ。ネットカフェでゆっくり書き込む時間があんまりないってのもあるけど・・)
昨晩風邪薬「ルル」を飲んだせいか、だいぶすっきりした気がする。パンを食ってまた寝て、午前中はMTVみたりロンプラみたり(結構情報量は多いなぁ)ゆっくりする。
午後から歩き始める。とりあえず昼飯を食うが、ここのレストランのチョウメンが地方的でしょっからい!あっというまに胃腸がやられ、しばし休憩する。やっぱり僕は疲れから胃腸がやられて体調を崩すというよりも、もともと胃腸が弱いので炭酸のジュースがばがば飲んだり、辛いものを立て続けに食べたりして調子を崩している気がする。ゆっくりしたのち「ダルガー」へ向かう。ダルガーってのは廟というか、お墓です。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので偉い人のお墓のお参りに行くのだが、それってある意味偶像崇拝では?と思って普通でしょう。街を見て歩くと、なんとなく、雑貨屋さん、スパイス屋さんなどイスラム教的店構えである。そしてダルガーの前で一服して、ダルガーに入るために必要な(頭を隠すために必要な)タオルみたいな布切れを買っときながら、結局中には入らず。そういやパキスタンにも結構観光地化されたダルガーはあったが、どうも入る気にならず、結局どこにもいっていない。ただ、この布切れはかっちょいい。タリバンソルジャーか、セラマサノリかって感じだ。これを頭に巻いて走るというモチベーションアップだ!ぷらぷら歩いてチャイ飲んでホテルへ戻る。どうも胃腸の調子が悪く下痢は止まらず。
そして、夕暮れを狙ってアナサガールといわれる湖に出かける。このホテルの横にあるチャイ屋さんの向かいにあった車の飾りもの屋さん、というかナンバープレートや車に貼るシールを売っていた店に惹かれていたので、ちょっと話を聞いてみる。車のナンバープレートの大きさに30文字くらい書いて70Rsだったので、自転車の後ろに付けるメッセージボードを作ってもらうことにした。これはモチベーションアップだ。そして庭園を通り抜け、その湖に行ってみるとベストタイミング!カップルも多い。カメラを持ち歩かない習慣があるが、カメラを持ってくればよかったと後悔した。すると「写真撮影禁止」と書かれた立て札があり、「なんだ、やっぱり持ってこなくてよかった」と思ったら、インド人がかまわずばりばり写真撮っており、やっぱり後悔した。ちょうど目の前に湖があり、その湖のほとりに街並みが広がる。さらにその向こうに山が連なっている。陽が沈むとちょうどその山の稜線が、壊れた液晶画面の様に真っ黒になり、その真っ黒でぎざぎざの稜線の上にオレンジ、黄色、青とコントラストが広がり、まったくもって美しい。
戻り、「DRIVE AROUND INDIA PAKSITAN AFGHANISTAN」と書かれたプレートを受け取る。ただ、プレートに手作業で文字のテープを張ったらしくいびつだ・・。ただこれはかっこいい!ヘッドや前キャリアはいかれているし、リアタイヤのスポークはいかれているしなので、1グラムも荷物は増やせないが、それ以上のモチベーションアップだ!
夕飯はお腹にやさしくベジタブルグリルサンドイッチとフレンチフライ。このSAMRATホテルに決定した理由は、ロンプラに高速のインターネットカフェがホテルの目の前にあると、書いてあったからだが、結局昨晩と今日トライしたが日本語は使えず・・。メールが10通くらいきていたけど、返信できない悔しさ・・。
そして何回トイレいったんだろう?

<27.Jan.2004 Day-101>
From Ajmer to Beawar 75.9km

下痢は止まらず。道中バテそうな雰囲気だがどうだろう。目標はマキシマムでビム、ミニマムでベアワーだ。
一昨日の食事代やコーヒー代を払って出発。50%くらい意味不明のタックスがかかった。ちなみに、ちょうど僕がチェックアウトしようとした時、インド人がこのホテルに泊まろうとしていたが、結局他のホテルを探しにいったようだった。なんとも妖しいホテルだった、こういうの好きね。
1本目。線路を左側に、ややでこぼこ道を走り、アジメールの街を抜ける。走れることは走れるけど、なかなかスピードが出ず。昼飯にチャナマサーラー(豆をメインにしたカレー)を食ったらこれがまた辛かった!食後30分以上休憩したが、へんなげっぷが止まらない。どうもインドに入ってから胃腸をいじめ続けてきたばちがあたったようだ。3本目もゆっくり走る。そういや旅も100日を超したんだなぁと思い、アンダーワールドの100デイズオフを聞きながら走る。決して砂漠ではないが、砂漠的な風景が広がり、やせ細ったサボテンがあちらこちらに見える。そしてヤギがそのサボテンをぼりぼり食べているけど、トゲが刺さったりしないんだろかといらぬ心配をする。
とりあえずミニマムのベアワーの街を通り抜け、10kmちょっと過ぎたところでホテルを見つけ、本日は終了。納得の行く走りができず(職人みたいな台詞ですなぁ)今日はもう辞めた!って感じである。

ラージャスタンwithメッセージボード


家族でやっているくさいAOTOODIホテルは200Rs。父、母、息子、娘それぞれにCDウォークマンを聞かせ、それぞれCDウォークマンの中を開けて見せてと繰り返す。1時間後に部屋に入れるよと言われ、コーヒーを飲んでから入ると、ここの娘3人がこの2階にある部屋で、近くの大学生に授業を受けていたらしい。(なんかいやらしい言い回しだなぁ)200Rsの部屋は単なる家の部屋の一部で、バストイレなく、ただ広いだけで、思いっきり穴があいており外と変わらない。
夕食は辛くないと聞いて選んでいたスタッフドトマトカレーを食べるが、これまた辛い!わざわざ1階まで降りてトイレに行くこと数回。コンタクトつけっぱで寝てしまう。

<28.Jan.2004 Day-102>
From Beawar to Deogarh 94.7km

7時半に起こされポテトパラーターとチャイを飲む。下痢は止まらんがここのチャイは美味かった。出発前にもういちどチャイ飲んで出発。ここの家族はみんないい人だったが、宿泊代含め、食事代が高かった。
今回は単独犯なので、暑さにやられたりしてぶっ倒れたらおしまいだ。「1人で」というのが、結構ポイントかもしれない。だらだら登りを続ける。(結局アジメールの標高500メーターで最終的に750メーターくらいアップした)ただ、走っていると、カチッカチッとリアのハブからはっきりと異音が聞こえる。スポークがうんぬんというよりも、根本的にハブシャフトがだめなのかもしれない。
昼飯を食べる。ラジャスタンを気に入り始めたようだ。このレストランで会った青年は、ラジャスタンは最もインドで安全だよ、と言っていた。
ちらほらと写真&動画撮影しながら進む。今日はマキシマムでラージサムンド、ミニマムでゴムチという街まで行きたかったが、なかなか進まない。何よりスポークの振れが激しいせいか、走っていると急にリアタイヤが沈み、失速してしまう。風も強くなかなかパワーを消費する。
暗くなってきた。ヘッドライトとリフレクターライトを取り付け走る。が、対向車線を走っているトラックがアッパーライト全開なので、前が見えない・・。なんだっけブラックアウトだっけか、歩いている通行人をひきそうになる。腹も減ったし、ウダイプルまで110km圏内に来たし、今日はがんばって走った気がするので、適当な場所見つけてテントを張ることにした。
15分でテントを張り、夕食の準備にかかる。そういや、国道沿いのオープンレストランなど半野宿はあったが、今回初めてのテント泊だ。パキスタンで買った、スパゲッティとガーリックチリスプレッドソースとツナ缶でむちゃくちゃ美味い夕食になるだろうと淡い期待。が、スパゲティを茹でる際に水をけちったせいか、スパゲティがマカロニになっている。スパゲティの箱を確認して見てみると、ちゃんとスパゲティとは書かれている。お湯を捨てようにもお湯が全部無くなってしまっている・・。ま、いっか、と思い、ガーリックチリソースとツナ缶を入れて食べるとこれが結構まずい。というかびっくりするほどまずかった・・。結局残りのツナ缶に塩をかけ、食パンと一緒に食べたらびっくりするほど美味かった・・。やっぱりクッキングってのは苦手だ・・。そして、ネスカフェのお湯に入れるだけでOKってゆうコーヒーがまた美味かった!ただ、コヘルも火器もインドのディーゼルで真っ黒。
今回持ってきているシェラデザインズのコスモスCDというテントを初めて(雨・風よけ用の)フライ無しで使ったのだが、これがまたテントの中から星が見えて素晴らしい!半砂漠の中、見渡す限り民家も建物も何にもない、満点の星の下で寝ることの自由!

<29.Jan.2004 Day-103>
From Deogarh to Udaipur 109.9km

久々にぐっすり寝れた気がする。心配といえば、ここらでなんだかネズミの化け物というかリスのお化けみたいな動物が多かったのが心配だったが、結局それらの来襲もなかったようだ。
食パン+ピーナッツバターとパキスタンで買った牛乳(2ヶ月前ですよ!)を食す。東の丘陵から朝日が昇ってきた。よく見るとほんと贅沢なところで寝ることができたもんだ。ありがちな話、昨晩から下痢は止まっている。
出発。案の定、10kmちょっと進んだゴムチにはホテルがあった。ちなみにこのデオガーやナトダラなどどこでもホテルはありました。ここでミネラルウォーターとビスケットを買い、チャイを飲む。水ってのがやっぱ一番美味い!牛も美味そうにそこらへんの水溜まりの水を飲んでいた。が、誰かの自転車を倒してしまい、「パチーン!」引っぱたかれていた。牛はインドでは聖なる神なのに・・。
今日はだいぶ気合が入っており、その走りに歴史や思想が見える。ウダツのあがらねぇ奴は、とりあえずこの走ってる俺の顔を見ろっ!って感じだ。
ジャイプル以降、とにかくこのNH8には大理石工場が多かった。ナトダラの街で昼食をとる。なかなか笑顔の素敵な青年で、辛くないミックスベジタブルカレーを作ってくれた。
暑くなってきた。とうとう日中の気温が30℃になった。牛がねっころがっている横でいっしょにねっころがり、クールダウンする。急激な峠らしきところもあり、また風が強いせいか(向かい風のせいか)なかなか進まず。アベ15km命を目標に走るが、やっぱりリアが沈み込み失速する気がする。今日出発前にリアタイヤの空気を入れてから出発してはいたが・・。
そしてウダイプルの街に入る前に2回峠チックなところを超える。今日は標高500メーターまで下がって、登り下りを繰り返し、結局最高800メーターまで上がった。
いっきに峠を下る。ウダイプルの街に入り、がたがた道を走る。宮殿を目標に走ったが、わかりづらく、最終的に青年に案内してもらう。最終的に青年から「金くれ、ペンくれ」と言われたので、「なんで?、インド人はみんなそういうの?、それってインド文化?」といったら「バーイ」とどっか行ってしまった。結局地球の歩き方をみて3件ピックアップしていた内の、HOTEL LAKESTARに決定。(200Rs)アットホームを売り物にした日本人宿くさいが、景色が良いのでまぁいいでしょう。屋上や部屋から、宮殿とレイクパレスホテルが見える!ちなみにこのレイクパレスホテルってのはタージホテルグループの中で最も人気があるホテルで、ピチョラー湖という湖に浮かんでいる豪華ホテルであり、エリザベス女王とか泊りにくるような世界的に有名なホテルである。
屋上のルーフトップレストランでチャイを飲みに行くと、おっさんが夕食を食っていた。おんなじものをこのホテルのおばちゃんに頼み(30歳らしいが・・)、待っている間このおじさんと話をする。このおじさんは気に入ったのでいっぱい記述しよう。
このおじさんはふらんす人げいじゅつ家であり、11月からインドに入り、デリーからガンガーバレーと呼ばれるリシュケーシュなどを旅した後、バラナシに下り、カルカッタへ行き(しかもサダルストリートには行かず、カルカッタの南にある島にいたらしい)、そこからバングラディッシュにいる友人宅に長居した後、ベストシーズンである1月に南インド、カニャークマリやコラム(クイロン)といったビーチを堪能した後、ウダイプルに来たらしい。しかも来週にはパリへ帰るらしいのだが、普通帰る前はデリーで買い物してから帰るものの、このラジャスタン、ウダイプルは前から気に入っていった場所なので、ここでゆっくりしてからパリに帰るという。
僕も南インドまで行けばインド中級くらいなんだろうが、このおっさんは上級者だ。そして、なんでふらんす人げいじゅつ家と書いたかというと、20年以上前、日本に通算4年間住んだことがあるらしいのだ。京都に住んでいたが、「24タタミ」の部屋が気に入ったらしく、ビザがきれる寸前にフェリーに乗って韓国に渡り、ビザを取り直してまた日本に2年間フランス語と英語の教師をやって住んでいたらしい。「24タタミでスライディングドアがある部屋がよくてねぇ、しかも京都のタタミだから普通のサイズよりもでかいんじゃねぇかなぁ」、と僕も知らん事を知っておった。このおじさんを気に入った理由は、20年前アジアに行ってみたかったが、生活水準を下げてまで住みたくはなかったということが1つ。2つ目は辛いものは味わいもくそもないから嫌いだということだ。そして、「ここはだめみたいだけど、せっかくルーフトップレストランがあるならビールくらい飲みてぇよなぁ」といかにもなフランス人らしかったことだ。ただ、20年位前、京大に行ってたふらんす人げいじゅつ家ってなんか聞いたことがある気がする・・。

<30.Jan.2004 Day-104>
Stay Udaipur

朝、お祈りの声が聞こえる。昨晩ふらんす人げいじゅつ家が「たぶん、このあたりはムスリムが多いんじゃねぇかなぁ?」と言っていたが、まさしくそのとおりだった。8時に朝食を頼む。ちなみに昨晩は辛くないポテトカリーを食べ美味かったが、この朝食のオムレツもまた美味かった。そういや3日ぶりの歯磨きをし、手帳を読み返しつつゆっくりする。朝食のコーヒーが5杯分くらいあって嬉しい。
そして、パニアのブラッシング、チャリンコのブラッシングを行い、砂と泥の汚れを落とす。そして肝心なリアタイヤをチェックすると、明らかに「振れまくり」だった。タイヤをまわしてみると、左に右に振れていている。着実かつ慎重に振れ取りをするがなかなか難しい。そしてスポークというかニップルを締めていると「パキッ」とまたしても1本スポークを折ってしまった。もうどうにもならん。
13時にホテルでマトンカリーを食べることになっていたので、ふらんす人げいじゅつ家(たしかベシャーンって感じの名前だった気がする。)と2人で食事をする。ちなみにこのとき、「いただきます」とふらんす人げいじゅつ家はこの日唯一の日本語を話した。結局15時くらいまで、レイクパレスホテルを見ながらお話した。特に、僕:「ラオではメコンの夕焼けがきれいでしたねぇ」ベシャーン氏:「あぁ、メコンの夕焼け見ながらのビールは最高だったよ」僕:「あぁ、ビアラオですか?」という会話や、ベシャーン氏:「どうも女の人が虐げられているからイスラムってのはだめだなぁ」僕:「ホーリーブックにはちゃんと女の人を大事にしろって書いてあるのに、パキスタンではそんな感じはなかったですねぇ」ベシャーン氏:「まぁあれはドリームブックだろうなぁ」という地球を旅する人間の会話ができてよかった。特に自転車でフランスを一周したこともある彼の話で「へぇ」と思ったのは、「このラジャスタンは南から北に風が含んだなぁ。南インドのビーチでは北から南に風が吹くんだが・・。自転車で向かい風だと辛いだろう。特に昼頃から風が強くなるってのは、同じ砂漠気候のスペインにそっくりなんだから!」と言っていたことだ。自転車の不調はあるが、もっとも悩まされていたのはこの風だっただけことに、確証が持ててよかった。中国とチベットも見に行きたいし、また日本にも行きたいが、もうコネクションが無いので、とりあえず日本で展示会でも開こうかと思ってるよ、と言っていたので、ひょっとしたらまたどこかで彼に会えるかも知れない。

ホテルから見えるレイクパレスホテル。こんな風景を眺めながら二人でランチタイムを過ごす贅沢。


自転車の復旧作業開始。そして開始直後またスポークを折ってしまう。やっぱ素人じゃ無理だ。32分の1回転だけニップル(ねじ)をまわすなんて不可能だ。微妙に指の感覚だけでなんとか走れるところ(ブレーキシューがリムにあたらないところ)まで持っていき、その他増し締めして終了。
街をぷらつく。いつも吸っているタバコ「FLAKE」がない。まとめ買いすることにしているが、結局2、3箱づつ、10件近くタバコ屋をまわっているうちに15箱も購入してしまった。ネット屋に行く。あちこちに「韓国語ソフト入ってます!」の看板はあるが、「日本語ソフト入ってます!」ってのは少ない。1軒中にはいって聞いてみると、日本語ソフトがサーバーにあり、インストールしてやっとメールの返信をすることができた。夜飯もホテルのおばちゃんに飯を作ってもらった。オムレツとキャベツのカレーいためとライスという非常に胃腸に優しい料理で、非常に胃腸の調子がよい。
とりあえず、計画の微調整を練る。やはり、アジャンタ・エローラに関してはチャリンコで行ったらその500km分が、チャリンコ(スポーク)に負担がかかってしまうので、とりあえず、ムンバイまで走って、そこから5泊6日くらいで電車で行くことにしよう。また、ムンバイまでどうにかだましだましスポークの振れ取りしながら、失速する後輪と戦いながら走ろう。そしてインド経済の中心地ムンバイで、できるだけギア(スプロケット)の多く付いた後輪を買おう。自転車がだめになったらそれはそれでしょうがない。旅のスタイルを改めて考えるまでだ。そして、このゆっくりできるウダイプルで静養して、おそらくアーメダバードへ行くまでとムンバイ周辺のアップダウン+向かい風ランに備えよう。

<31.Jan.2004 Day-105>
Stay Udaipur

朝食は昨日と同じオムレツ。昨晩からホテルのおばちゃんに誘われていたのだが、2月の2日から3日間、ちょうどイスラム教のお祭りがあるので、お祭りをこのホテルというかおばちゃんの家で楽しんだらどう?と言われていた。まったく時間はないが、金を使ってアジャンタ・エローラをバスと電車で行くことで対応できるだろう。イスラム教は今回のテーマに深く突き刺さっているので、これはありだと思う。ゆっくりできるホテルだし。
お湯をバケツに汲み、体を洗い、洗濯をする。これだけで2時間だ。すっきりした後、外出する。
ウダイプル観光の目玉である宮殿に行く。これもジャイプルと同じで、今でもマハラジャが住んでいるところだ。ここは順路がちゃんとしており、鏡を使ったものなど見ごたえあり。
宮殿近くのレストランへ行く。このウダイプルの街には、屋上からレイクパレスホテルとピチョラー湖を見ることができるレストラン兼ホテルが100軒近くあるんじゃないだろうか。とにかく、ゆっくりできてよろしい。チキンフライドライスと今回初のホットチョコレート(ココア)をたしなむ。
そして気合いを入れてネットカフェで掲示板の更新。1時半から開始して17日分を8時間かけ終了。ネットカフェに電話屋さんが併設されており、途中韓国人の女の子が「お母さん、ワタシ無事だよ〜。でもキムチとカルビが食べたいよ〜」(キムチとカルビしか聞こえなかったがたぶんそんな会話だろう)と、かわいげある電話をしていた。この掲示板の書き込みが終了すると、初めてゆっくりできる気になる。
適当にレストランで飯を食って帰る。このレストランにも、ウダイプルで3週間くらい沈没していた日本人と仲良くしていたというインド人がいたが、これはその日本人がメモした手帳を見させてもらった限り、このインド人の勘違いだろう。
とりあえずネットで振れ取りに関するホームページを見て勉強したので、スポーク全てにガムテープを貼る。付箋紙みたいに貼ることで、ペンチでスポークを押さえたときの補強になるし、もしスポークが動いてしまったときでもわかるわけだ。

<1.Feb.2004 Day-106>
Stay Udaipur

朝はまた同じ朝食。砂漠なので乾燥しているせいか喉が痛い。
4日前に自炊をし、残念ながら結局失敗に終わった手作りスパゲッティの残り半分をコヘル(食器)の中に入れっぱなしにしていたので、思い腰をあげて洗うことにした。もしここで面倒になって洗わなかったら、このタイミングを逃せば、たぶん一生洗わなかった気がする。
スポーク調整後の試走をかね、荷物をホテルに置いたまま空の自転車で街を走る。街中でベシャーン氏にばったり会った。そういや、難しい顔してスポークの振れ取りをしているとき、ベシャーン氏の何十年使っているんだろうというカメラで写真を撮られ、「フランスに帰ったらスキャンしてメール送るよ」と言われていたが、アドレス交換してなかった。名前はベッソン氏の間違えでした。このおじさんのホームページアドレスも教えてもらったが、「.comはかっこわるいので、別に団体じゃないけど、.orgにしたんだよ」と、これまたイカシタおじさんである。
ガイドブックに「見晴らしがよい」と書かれていたロックガーデンへと向かう。が、たいして高い所にあるというわけではなく、入場料を取られしかも自転車の駐車料金も取られると聞き、結局入らず。昼食がてら、近くのファテサガール湖とファテサガール湖に浮かぶネルー公園が見えるルーフトップレストランに行く。これは正解だったが、料理の方はいまいちだった・・。
観光ポイントである、サフェーリョンキバリに行く。が、単なる公園で、しかもガイドブックに写真がのっていた池は枯渇しており、噴水はウォシュレットくらいにしか思えないものだった。う〜ん。
買い物しながら街を走る。期待していたが残念な結果に終わった「ガーリックチリスプレッド」ソースの代わりに、保存が効くだろうただのケチャップ(25Rs)を購入。また、お湯に入れるだけで簡単ミルクコーヒーができるネスカフェのコーヒースティックを追加購入。(3Rs×4)また、これからの戦いに向け、パンケーキやビスケット、喉痛防止のため飴など購入。
朝ホテルを出る前、このホテルのおじさんから「もし行けるようであれば、モンスーンパレスに行ってごらん。風景は素晴らしいよ」と言われていたので、ちょこっと足を運んでみることにした。ホテルからもこのちょこっとした山の頂上にみえるモンスーンパレスってのが見えたが、確かに頂上までいければ風景は素晴らしいだろう。が、30分くらい走ったものの、あまりにも遠く、またけっこうな登りで汗だくだくになってしまったので、ある程度風景がよくなったところで写真撮ってチャイ飲んでホテルに戻る。
今日はどこかでゆっくりと本でも読みたかったのだが、結局自転車で走ってばかりだったので、ホテルで読むことにした。久しぶりに昼寝をしてしまう。結局2、3日走った後、大きな街で滞在するする際、あっちゃこっちゃ見て回って結局疲れが取れないパターンが多かったので、これはよい決断だった。
久しぶりに青森在住の東北旅人A氏に電話してみた。日本にいるときは月に数回電話していたが、今回まったく連絡していなかった。「2週間に1回くらい掲示板見てるよ」と嬉しい。また、「しっかし、いきいきとしてますなぁ」と、おそらくこれが帰国後のキーワードになるだろうお言葉を頂く。
夜飯をホテルで食べることになっていたので、屋上へ向かう。今日デリーに向かったベッソン氏と入れ替わりで、ドイツ人のシュテファン君がホテルに滞在していた。彼はインド初めてで、しかもまだ3日目らしい。「先輩、教えてくださいよ〜」みたいに言われるといささか恥ずかしい。彼はこの後、北インドから最も近いだろうビーチ「ダマン」に行き、今回の彼のメインテーマであるアッサム・シッキム州のヒマラヤトレッキングを楽しむという。
カリフラワーカレーを食べながらお話をしたが、ベッソン氏の英語は解ったけど、このシュテファン君の英語は解りづらかった。シュテファン君の英語はなんとなく教科書的な感じがする。
ホテルのおっさんの部屋へ行く。このおっさんから「ぜひともガイドブックにこのホテルを紹介して欲しい」と言われていたからだ。この件に関してはちょっと詳細を書こう。
確かにこのホテルはやや中心地からは遠く、また若干値段は高かったが、このおばちゃんも頑張っており、なにより宮殿とレイクパレスホテルを静かにゆっくり部屋からも眺めることが出きるホテルであり気に入っていたので、このおっさんのお願いを聞くことにしたわけだ。
ただ、僕の97〜98年度版地球の歩き方はさすがに古く、投稿するためのメールアドレスなんてのってないし、今なら付属している投稿用ポストカードも付いていない。なので、「メールアドレスは調べておくよ」と朝このおっさんは言っていたのだが、結局1日探しても見つからなかったらしい。居間で1時間くらいテレビを見ながら、このおっさんが探し出せるのを待っていたが、結局見つからなかったようだ。
自分の部屋に戻り少し立った後、「やぁっと、3つめの部屋探したら出てきたよ」とアドレスと投稿用ポストカードのコピーを持ってきた。これで投稿はできるが、旅行先に滞在しているのならまだしも、旅行中に投稿するのは、いかにも強制されて書いている感じがするので、「帰国したら、メールなり、ポストカードなりをガイドブックに送って、もし不安ならコピーをあなたに送るよ。その方がベストだと思うけど・・」と言ったものの、「いや、今すぐに1通でも多く投稿してほしい!」と譲らないので、夜10時過ぎにネット屋に行く。
僕は自転車で旅行しているので、空港やバススタンドや駅からタクシーやリキシャに頼らずホテルを探すことができるし、ガイドブックにほとんどのっていない場所にも行っているので、かなり貴重な情報を持っている方だとは思うが、これまで1度もガイドブックに投稿をしたことはない。とりあえず、嘘をつくことはイヤなので、「静かで落ち着くことができるホテルで、ここのおばちゃんの飯は美味」と地球の歩き方のホームページに書き込み、内容を日本語だがプリントアウトし、かつその内容を、このおじさんのメールにコピペして送った。
深夜でもやっているというウダイプル総合病院内にあるチャイ屋に行き、チャイをごちそうになる。今回バイクの後ろに乗っかってどっかいくということが多いが、これは一人旅の特権だろう。詳しくおっさんから話を聞く。
かつて、7、8年前、僕の持っている歩き方の時代は、常に満室の状態が続く状態で、特に2〜3月、7〜8月は日本人旅行者で占領される、日本人宿だったらしい。ただ、このおっさんは、せっかく来てくれたのに満室で断ってばかりいたので、思い切って大改築、大増築を試みたそうだ。が、後先考えずに突っ走った結果、途中で金がなくなり、現状の6部屋以外は全て工事がストップしたままになっているという。今では日本のガイドブック、韓国のガイドブックの地図にだけは名前が載っているが、投稿自体は無くなってしまっているという。
確かに、今僕が泊まっている部屋に「しゅうのへや」と落書きがあったり、歩き方にドミトリー(大部屋雑魚寝)80Rsと書いてあったので、日本人宿だったのはやはり間違いではなかったようだ。そして、今ウダイプルでは景観を損なうということでホテルの新築には許可が要るとロンプラに書いてあったので、許可が下りずに6部屋以外がそのまま工事中になっているのかと思ったら、そういうわけではなかったのだ。
ここのおっさんもおかぁちゃんもそういったわけで、一生懸命頑張っていたわけだ。ただ、現状の6部屋だけでは資金がたまらないだろうし、街からちょっと遠いということもあり、なかなか過去のような経営復帰は難しいだろう。ガイドブックの使い方をちょっと考えてしまった。

<2.Feb.2004 Day-107>
Stay Udaipur

また同じ朝食。今日からイスラム教のお祭り「イードウルジュハー」が3日間行われる。よく分からんが、犠牲祭というお祭り終了記念みたいな感じらしい。夜はこのホテルの家族から、僕とシュテファン君がお呼ばれされていたので、 シュテファン君と相談し夜19時にディナーに合流することにした。
無菌状態及び胃腸にやさしいものを食べ続けていたが、下痢。根本的にやっぱり僕は胃腸が弱く、下痢にならないようにするのは不可能らしい。が、別に楽観的になるわけでも悲観的になるわけでもなく「また下痢ね」くらいしか感じなくなってきた。
久しぶりに思い切ってモラルをする。やはり、帰国後のポイントは「いい顔してる」状態に持っていく以外にない気がする。勤めていた会社や、友人からのメールの内容はだいたい「いきいきとしているねぇ」という評価だ。
出かける。朝シュテファン君は、別に今日どこにいくか全くプランないよ、といっていたが、庭でここの家族というか、子供たちとじゃれていた。その側では男数人がお祭り(いけにえ)用のヤギを解体作業している最中だった。あんま見たくない光景・・。そういや昨日りっぱなヤギがホテルに迷い込んでいて、夜メェメェうるさかったが、このいけにえ用に買ってきたヤギだったんだなぁ。
最後のモチベーションアップ、インドと日本の「旗」を掲げて走る目標があったので、探してみたがなかなか無い。時計塔の近くにあるといっていたが、結局見つからず。
昼飯は、レイクパレスホテルがみえるレストランでスパゲッティを食べる。自炊からスパゲッティ自身にかなり不信感を持っていたが、ちゃんとしたスパゲッティだった。う〜ん、やっぱ職人の腕にかかっとるんだろうか。
ネット屋に行き、写真のアップ。一昨日も来たこのネット屋はチャイを持ってきてくれるし、タバコ吸えるし、近くに便所があってよいが、ここのネット屋のおやじはびっくりするほどロナウドそっくりである。サーバーに写真を送り、ウダイプル滞在中の日記もメールに書いてすぐに送れるようにした。ベッソン氏のホームページを見る。かなりかっこいい。
バザールを歩いてホテルへ戻る。なんだか部屋の外が騒々しかったが、結局全6室が埋まったらしく、おばちゃんが喜んでいた。日本人の僕と、ドイツ人のシュテファン君と、鼻高そうなイギリス人女性シャナちゃんと、「ワイフが体調悪くて寝込んでしまったから、申し訳ないけど夕食はキャンセルするよ。僕も食事は喉通らないよ」と愛妻家なスペイン人夫婦と、結局4回ホテルを出たり入ったりを繰り返し、1部屋150Rsに値切った韓国人6人組みが1つ屋根の下(ホテルですが・・)に寝ることになった。
まったく下痢が止まらないが、ホテルの向かい側にある、このおばちゃんの家に行き、お祭り用ディナーをごちそうになる。昨日メェメェないてたマトンのカリーがこりゃまた美味かった。このホテルのおっさんとおばちゃんとドイツ人のシュテファン君とイギリス人のシャナちゃんと僕の5人で2時間くらい歓談。ただ、このシュテファン君とシャナちゃんの英語がさっぱりわからず、シュテファン君とシャナちゃんの英語を、このホテルのおっさんに英語で訳してもらいながらお話した。デリーで出会ったヒンドゥー語学校に行っている子が「欧米人の話す英語は聞き取れないけど、インド人の話す英語は聞き取れるんですよね。だけど、インド人は欧米人の英語も聞き取れるのってなんででしょうね。」と言っていたことを思い出す。ロンドンから20分のニューロンドンに住んでいるシャナちゃんが訛っているとは思えないし・・。まぁ、特別な会話があるわけではなく、インドのヨガ、香辛料などのテーマで歓談しつつ、写真なんかみたりしながら時間を過ごした。そしてイスラム教徒にしてはめずらしくヨガスクールに通っていたこのホテルのおじさんが、ヨガの大技「3メートルの布を飲み込む」という練習をしていたときのことを話しながら、思い出し泣きしていた。歓談後ホテルのおっさんから「チャイ飲みに行こうよ」と誘われたが、残念ながらお腹を壊していたためお断りしてしまった。

<3.Feb.2004 Day-108>
From Udaipur to Kherwara 89.2km

早めに出発したかったので、8時過ぎには朝食を頼んだが、結局すべて出てきたのが10時・・。オムレツとトーストとコーヒーとバナナポリッジを食す。「ポリッジって栄養もあるし、ほんと健康にいいんだよ。ポリッジにトースト食べた日なんて、お昼抜きにしてもいいくらいなんだから!」と昨晩シャナちゃんがいっていたとき、思わず「じゃ、僕も明日の朝食はポリッジで!」と頼んでいたのだが、こりゃすばらしい。なんというか、バナナの入ったおじやであり、むちゃくちゃお腹にやさしいし、かつ高カロリーなツーリング向け朝食である。
下痢は止まらんが出発。このホテルのおっさんとおっさんのおっさん(爺さんですな)から手厚いお見送りを受ける。相当ガイドブックに投稿したのが嬉しかったらしい。というか、このホテルの現状を聞いてもらえたのが嬉しかったんだろうなぁと思う。
中2日の予定だったウダイプルだったが結局中4日、久しぶりの登板である。しかも垂れ流しというか、逆噴射ウォシュレットみたいな下痢をしていたので、途中バテはしないかと心配はあり。
なんとかウダイプルの街を抜ける。このウダイプル以降のNH8はしっかりと工事しており走りやすかった。ちなみに一昨日ホテルのおっさんの部屋でテレビを見ていた時、NHAI(インドの道路公団ですな)の「黄金の四辺形作成中」というCMがやっておった。「バジパイ首相夢のプロジェクト」ってのはどうも、インドの首都デリーからムンバイ、カルカッタ、あともう1つインドの南の方(マドラスだったかな?)という4都市間をすべて4車線化するプロジェクトらしい。まぁ、政治的な背景とかあるんだろうけどねぇ。とにかく、山を削って道を作る(広げる)ってのはイコール自然破壊ですが、チャリダーにとってはとてもありがたいわけであります。
2本目を走り終えチャイ飲んで休憩する。あ、またしてもスポークが折れてるじゃないか・・。なんとなく走っているときにいやな音がした気がしたけど・・。とりあえず針金で隣のスポークに括り付け再出発。
トゥクリップを調整したこともあってか非常に走りやすい。久しぶりに20kmちょっとを1時間で走るという自分のペースで走れた。3本目を走り終えた後、RTDCのホテルがあったがスルーし、ケルワラの街に到着。下痢してたこともあったが、昼飯抜きで90km走れたポリッジパワー。
AAKASHDEEPホテルは300Rs。街を2、3km走ってみたが結局ここしかなかった。ゆっくりした後にスポークの振れ取りを行う。
夜はホテルでアールーゴービーとタンドゥーリで焼いたチャパティ(ローティ)を食す。ウダイプルではずっとフライパンで焼いたチャパティ(ローティ)ばっか食べていたが、やっぱり釜で焼いたパンがうまい。
そしてありがちな話、下痢は収拾の方向に向かった。

<4.Feb.2004 Day-109>
From Kherwara to Himatnagar 98.0km

朝コーヒーに食パン10枚。(桁は間違ってません)10時に出発しようとし、9時30分過ぎにすべての荷物を降ろし取り付けが終了したので、チャイを1杯飲む余裕あり。というか、ウダイプルでポットに入った5、6杯飲めるくらいのコーヒーを毎朝飲んでいたせいだろう。
ありがちな話、街を出た後に2、3軒ホテルがあった。どんどん暑くなってきた。昼飯はRTDCのホテルでミックスベジタブルを食べる。しっかりしたホテルのレストランだとゆっくりできるし、天井の扇風機が回っているので、クールダウンできてよい。3本目、4本目と走るがオーバーヒート気味でバテバテ・・。しばしば木陰で立ち止まって走っていたが、道路の木陰で大の字になってネッ転がる。30℃を超える気温の中、5時間とか6時間自転車に乗っていれば、当たり前といえば当たり前かもしらんが・・。
が、5本目はいい感じに走れた。立ち向かえないほど夕暮れが眩しい中、The Whoを聞きながら走る。ピートタウンゼント的パンク精神は健在だ。が、いい気分で走ってたら、蚊か蝿らしきものを吸い込んでしまいゲホゲホむせる。
目標のヒマットナガル到着。SARVODAYホテル250Rs。部屋は満室だったが、増設途中のペンキくさい部屋に泊まる。ホテルには団体客が泊まっており、チベット人かと思っていたが、1人と話すことができ聞いてみると、彼らはインドのカルカッタに住む中国人で、仕事でここに来ているらしい。英語と中国語と北インドで主に使われているヒンドゥー語とカルカッタで主に使われる西ベンガル語を話すかなりバイリンガルなおっさんだった。ふらんす人げいじゅつか「ベッソン氏」もいっていたが、「インドを観光するなら南インドのケーララ州が一番良いところだよ」といっていた。
夜はホテルのレストランでフライドライスとベジタブルヌードルスープを食べる。こっちで食べるヌードルスープは決してラーメンとは似て非なるもの。もともと汁もんが好きな僕は「そば」とか「ラーメン」とかが食べたくてしょうがない。カレーはカレーでうまいんだけど・・。
部屋に戻りゆっくりとガイドブック見てアーメダバードの研究。そして、自転車も身体もボロボロにさせるくらいの負荷がある中、アジャンタ・エローラを先に観光するのはどうだろう?観光だけならいつだっていけるのだから、先にムンバイに行き、そしてそのまま最南端まで走り、時間が余ったら帰りに寄るイメージでいいんじゃないだろうか、と作戦会議を行う。
ちなみに、本日よりラージャスタン州からグジャラート州へと移り、IDEAというオペレーターにローミングされておった。

<5.Feb.2004 Day-110>
From Himatnagar to Ahmedabad 82.5km

朝、ホテルのレストランでガーリックトーストとコーヒーを食す。「ガーリックバターペーストのトーストなんて美味そうだ!」と思って頼んだら、単なるトーストに、かりかりというかこげこげになったニンニクがトーストを埋め尽くすくらい大量に入ったパンだった。足りずにパールGを1袋食べる。ちなみに中国人団体さん達もホットミルクにパールGという朝食をとっていた。僕は会社にいっていたとき、出張時以外はほぼ毎日カロリーメイトを朝食代わりにしていた。確か200グラムで400キロカロリーだったと思うのだが、このパールGというビスケットは100gで450キロカロリーもある。しかも4Rs(約10円)と大変お買い得で、1日1袋はツーリングの休憩時とかに食べてると思う。
ヒマットナガル以降のNH8は工事中のままになっており(まったく工事している様子がないところが多かった)、上下各2車線のうち2車線がつぶれているというところが多かった。インドでは追い越しが普通でしかも大型トラックが猛スピードで追い越しをするので、えらく真っ正面から向かい風を受けるため走りづらい。
暑いのにレストランが見当たらない。結局2本で50km走ってやっと見つかる。これまでほとんど休憩中にチャイを飲んでいたが、思わずファンタオレンジを飲んでしまう。ただ、5年前にはほとんど見なかったが、200mlのビンの炭酸ジュースが各種出ているのは、炭酸が苦手な僕にとって嬉しいばかりだ。
昼飯を食って出発。メーターについている温度計を見ると44℃になっている。が、このあたりから道路の両脇に木が生い茂っているため、(並木道っていうんでしょうか?)モンスーンの向かい風と直射日光が和らぎ走りやすい。また、ラジャスターンでは国道の周りにごつごつした岩山とやせほそったサボテン以外何もないという「茶色」とか「赤」に近い画面が広がっていたが、グジャラートに入ると綿花なのか小麦なのかわからんが、とにかくなんかしらが植えられており、画面いっぱいに「緑」「青」が広がっておる。
というわけもあり、3、4本目と快走できた後、なんとなくごっちゃごっちゃの大都会、450万人が住むグジャラート州の州都アーメダバードに到着。ロンプラにのっていたRUPALEEホテルは150Rs。ふぅ、これでデリーから約1,000km走って来たわけだ。
外をぶらつく。自転車掃除用のブラシ10Rsを購入。また、自転車のスプロケット(ギアの歯車)外しがあった!まさかインドで手に入るとは思っていなかったが、明日自転車を持ってきて使えるかどうか試してから買おう。でっかい街だ、なんでもある。地球の歩き方をその都度ついた街のところだけ破り、ばらばらにしながら使っていたので、ホチキスと針を25Rsで購入。また封筒を4Rsで購入。また足りなくなってきていた針金を20Rsで購入。と、しているうちに迷子になってしまった。なんとなく、タイとか東南アジアの街並みに似ているところがあると思う。
ホテルの前に中華の屋台あり、フライドライスとヌードルスープを食べる。料理が来るまで、さっき買った針金の束を小さくするため巻き直していると料理が来て中断。屋台の兄さんが「おら、貸してみぃ」って感じで巻き直してくれたが、買った以上の束の大きさになってしまっている・・。かばんにいれるために小さくしたかったのにぃ。
ロンプラにのっていたネットカフェはパソコン故障のため?使えず。ホテルの通りの向かいにある喫茶店でコーヒー飲んで帰る。

<6.Feb.2004 Day-111>
Stay Ahmedabad

ホテルの兄さんにお願いしてバタートーストとオムレツ、コーヒーを食べる。ちょこっとゆっくりした後出かける。アーメダバードでは当初3泊する予定だったが、ウダイプルで2泊余計に滞在していることもあり、2泊で観光とチャリンコチェックとネット(掲示板の更新)をしつつ、疲れをとらなくてはならぬ。
とりあえずホテルの通りの向かいにある喫茶店で、昨日客が美味そうに食っていたパン「バターパン」とコーヒーを食す。そしてただパンにバターとクリームが挟んであるだけなのにむっちゃ美味い!まぁ、もともと僕は甘いパンって好きなんですが・・。コーヒー飲みながらパキスタンのディナで会った(泊めさせてもらった)アビさんに手紙を書く。アビさんから宿題をもらっていたのだ。(前に書き込んだかなぁ?)1つは、富士税務署の住所、電話番号を教えてあげること、もう1つはパキスタンを出てしまってはもう使うことのできない携帯のSIMカードを送ることだ。なぜ富士税務署の住所が必要かというと、アビさんは親戚に会うため用のビザで日本に入り、いわゆるオーバーステイして人材派遣会社を通し、工場で働いていたらしい。不法就労はうんぬんとして、外国人なので払わなくてもよい税金は多く、3年間は都度確定申告の際、結構な戻りがあったようだ。(申告書を見せてもらったら10万以上あった気がする)ただ、4年目に急遽パキスタンに戻ったので、申告していない最後の年の戻りが受け取れるようかどうか、富士税務署に確認したいが探しようがなく困っていた。ネットで見っけたので、アビさんのメールに送ったが戻ってきてしまうので、ウダイプルで富士税務署のホームページをプリントアウトしたものを送ろうとしたわけだ。
ジェネラルポストオフィスに行った後、観光に出かける。久しぶりのオートリキシャーだ。ただ、このリキシャのおじさんはさっぱり場所を知らないらしく、各交差点で「どこ?どこ?」と道行く人に聞いていた。メーターで走っていたので、適当に走ってから「どこ?あれ、やっぱ違うか?」と聞きながら走らなかったので良い人と判断した。結局ダーダーハリの階段井戸とガンジーアシュラムの2つを待ち時間含めて200Rs(メーター1km6Rsとして30kmくらい)でチャーターすることにした。
20分くらいだろうか、7km走ってついた場所がダーダーハリの階段井戸と呼ばれるところだ。縦50メーター横10メーター深さ30メーターくらいあるんだろうか、ようは地下30メーターくらいの地下水が流れているところ(井戸)に水を汲みに行くための階段がある、というものだが、柱やその柱のガラなどえらくこった作りになっておる。僕は今回お城や宮殿や遺跡などちょこちょこと見てまわったが、この時点でもっともずば抜けて素晴らしい建築物だったと思う。
続いて、ガンディーアーシュラムへと向かう。このグジャラート州の州都アーメーダバードという場所は、かのマハトマ・ガンディーがその活動の本拠地としたところである。このガンディーアーシュラムにはガンジーの博物館と図書館、またガンジーが住んでいた家などがそのまま展示されていた。博物館はそのガンジーの歴史を写真や文書などでつづっており、わかりやすくできていた。僕が予備校にいっていたとき、Yゼミの世界史の先生が「私が歴史上の人物の中で最も尊敬する人物」とガンディーをあげていたのを思い出す。ノートがおいてあったので「やっぱガンディーは偉大だわ」と書き残した。僕の記憶もあいまいだが、まだインドがイギリスの植民地だった100年前、イギリスが塩に税金をふっかけるっちゅうんで、「そんならわしらで塩を作ったるわい」といって歩き出したらガンディーの後ろには「その思想!もう最高!」といって、賛同者がぞろぞろついてきたってゆう「塩の行進」は(世界史受験された方はご存知だろうか)このアーメダバードからダンディという300km間で、明日から僕が3日かけて走る舞台でもある。ガンディーの銅像となんでかしらんけど、「見ざる、言わざる、聞かざる」している猿の銅像があった。
GPOに戻る。文房具やで付箋紙があったので購入。(33Rs/100枚)今回買ったロンプラは最後に誰かにあげるか売るかしようと考えていたので直接書き込めないため付箋紙が便利。あちこちで探したけどなかったというか、英語で説明不可能だった。ちなみに韓国人ツーリストはよく付箋紙を活用しているというイメージがあり、観光地のレストラン、ホテルのフロントなどに、ハングルで情報を書いては壁にぺったぺった貼っているというイメージがある。
昼飯にベジタブルサンドイッチとハンバーガーにベビースターラーメンみたいのが挟まっているダベリ(?といっていた思う)を食べる。そして朝食べたバターパンが忘れられずまたしてもバターパンとコーヒーを食す。また、駅までいって電車の時刻表(インドでは毎年7月にダイヤ改正するので03年7月改訂版)をゲットしようと企んでいたが、そこらへんでみつけることができた。
ホテルに戻り、自転車に乗って再出発。路頭の自転車屋でちょうど長さと太さの合うスポークがあり(なぜか棺桶も隣にあった、なんででしょう?)10本15Rsで分けてもらう。そして、昨日チェックしていたスプロケット外しを買いに行く。リアタイヤを外して当ててみるとちゃんと使えそうだ。90Rsで購入。また、近くのハードウェア屋台(工具関係の屋台)で嬉しいことにスポークを緩めたり締めたりするときに使うニップル回しがあったので2つ購入した。(12Rs×2P/C)今回スポークの振れ取りをする際、TOPEAK21といういろいろとチェーンカッターやアーレンキーやドライバーが1つになったニップル回しを使っていたが、非常に使いづらかったのでこれは嬉しい。
ホテルに戻り、針金を丸めて小さくし、スポークの振れ取りを行う。チャリンコチェック終了した後、ポテチとジュース食いながらゆっくりとさっき買った時刻表の本を読む。時刻表だけではなく、世界で一番大きい駅はニューヨークとか、インドの電車のすごいところはうんぬんと、いろいろと読み物があって面白かった。
夜飯はホテルの隣でスパゲッティ。これがグラタンスパゲッティでお焦げまで含めてむちゃ美味かった。しかも、一欠けら30Rsもするバニラアイスを食べたらこれまたむちゃ美味かった。30Rsってったら100円もしないんだけど、むちゃくちゃ贅沢!
なんとなく好きな感じの街だが、ネットカフェが見つからない。大きな雑貨屋があったので、無くなりつつあった石鹸(DETTOL、薬用石鹸と歩き方に書いてあった)と洗濯用石鹸を購入。またしてもホテルの通りの向かいにある喫茶店でコーヒーを飲み就寝。

<7.Feb.2004 Day-112>
From Ahmdedabad to Vadodara 124.5km

今日はミニマムでバルサド、マキシマムでバドダラ(旧名バローダ)が目標だ。バドダラまで100km以上あるので早く起きようとしたが、結局8時に起きた。ホテルでバタートーストとオムレツとコーヒーと食パン4枚食べて出発。ちなみにこのホテルの従業員たちはネパール出身の人たちが多く、日本人に対して親近感をもっていた、というか最後「なんか日本製品のギフトちょうだいよ」とうるさかった。
街が大きいと国道に戻るまでが面倒だ。ごちゃごちゃと解りづらい街で、カンケリア湖や寺院を眺めながらの観光がてら、何回か道行く人に聞いてなんとかNH8に復帰した。
2本目を走った後、国道沿いにスイカ屋さんを発見!(「!」マークではなく、「ハートマーク」で表現したいところだ)スイカ100個くらいとカットスイカが売られていたので休憩にする。どうやって冷やしているのか不明だが、冷たくて美味しい。30℃を超える中1時間も走っていればそりゃ当然かもしれないが。また、ブドウの大きさでリンゴの形した桃の味がする果物を頂く。結局お金は受け取ってもらえなかった。
3本走って、昼飯はミクスベジタブル。特に昼12時から2時くらいが一番暑く、また風も強い気がするので、この時間に長めの休憩をとる「シエスタ」作戦をこの日から開始する。というのも、南に下ってきたせいか(地理や理科の知識ないのでほんとかどうかわかりませんが・・)陽の沈む時間が18時半くらいと遅くなってきており夕方走れること、また太陽が近くなってきたので、昼間の直射日光が辛いということがあるからだ。

NH(ナショナルハイウェイ)工事中(or済)の看板は、工事区間ごとにあった。バジパイ首相が手を上げている写真入。


ゆっくりした後出発するが、昼飯のサラダに付いてきたレモンでレモン水を作って飲んだせいか、胃が痛い。またしてもゆっくりする。昨晩警備員が付いているようなレストランで一欠けら30Rsもするアイスを食べておきながら(しかもお焦げ付きグラスパの器が熱いので、ちゃんとウェイターが別のお皿によそってくれた)、次の日にはゴミ溜めの側で大の字になってねっ転がって休んでいるという、このレンジの広さは、日本で日常生活している以上なかなか味わうことができない自由だ。
マドンナを聞きながら走っていると、今度は長老に呼び止められ、半強制的にチャイを飲む。I guess I'll die another day.これもお金を受け取ってもらえなかった。
トゥクリップがしっかりと足にはまっており、またサドルの高さがベスト(120mm)になっているせいか、快調に走ることができる。と、今度はバイクに乗ったバドダラ在住の青年に呼び止められまたしても強制的にチャイを飲み、これもお金を受け取ってもらえない。これが「グジャラート州的おもてなし」なんだろうか。
途中腹が減ったのでパンをかじりつつ、ライトを点けて走っていると、お祭りなのか花火がボンボンあがっており、パレードしていた。そしてバローダの街は大きく、また街中は車で大渋滞しており、結局バローダの街に入ってから駅前のホテルに辿り着くまで3時間近くかかってしまい、到着したのは20時半。ロンプラに掲載されていたホテル2つはいっぱいで泊まれなかった。これは宿泊拒否ではなく、れっきとしたビジネスホテルとして成り立っているので満室になっていたからだと思う。MAHARAJA GUEST HOUSE 120Rs。さっそく夜飯を食いに出かける。フライドライストとガーリックスープを食べたが、都会的になればなるほど、タイなど東南アジアでよく食べる「香味」の葉っぱがいっぱい入っており残念。僕はあんまりこいつらが好きではない。ただ、このレストランの向かいの建物にエレベーターがあり、これはインドの空港以来3ヶ月ぶりに見たことになる。ぶらりと駅前を歩く。大きいというよりも都会的なんだろうか、10〜15階くらいのホテルが乱立しており、そのホテルの屋上にはネオンが輝いておる。こんなインドもあるんだなぁとびつくり。また、この3ヶ月間自転車生活しているので縁のない、久しぶりに「駅」の中に入って見たりした。ネットカフェに行ってみたが、高度なウィルススキャンソフトが入っており、FDに分割してある日本語ソフトが復元できず、ホテルに戻り就寝。

<8.Feb.2004 Day-113>
From Vadodara to Anklshwar 94.0km

ホテルでトーストとオムレツとコーヒーを食し出発。フロントに近い部屋で、従業員が夜から朝まで、ずっとヒンドゥーソングを口ずさんでおりうるさかったのが残念。が、朝食のトーストがいくらとか壁に張ってあったり、ちゃんと座って物を書いたりできる高さの机があり、れっきとしたビジネスホテルになっていた。
出発。バローダの大学らしきところを写真撮りつつ、スムーズに街を抜ける。下手に地図を頼りに行くよりも、コンパスを頼りに突き進んだ方がうまく行けるようだ。2本走り昼飯。グジャラートに入ってきてから、北インドにあるような国道沿いのレストランの感じが変わっており、西インドという世界に入ってきたことを感じる。北インドの国道沿いレストランにはタイヤのゴムや紐で編んだベッドみたいなところに座って、またそのベッドに長い板を置いて飯を食べるパターンが多かったが、西インドに入ってからは直角の椅子とテーブルに変わった。そして西インドでは、常時30人くらいの客がレストランいっぱいに入っており、料理が出てくるのも早く、また30Rs前後と安い。また、タバコを吸っている人が少なく、皆レストランの外でタバコを吸っておる。
走りながらメーターの温度計をチェックすると36℃近くある。う〜ん、こりゃまいる。今日は久しぶりに気合を入れて自転車のメンテをしようかと考えていたので、15時半にはやばやとホテルを決める。が、前にもあったパターンだが、「1泊いくらですか?」とたずねると「いくらを考えてるんだ?」と返される。僕はこのパターンが嫌いなのだが、300Rsを250Rsにしてもらい(まぁこういうところは値段なんてあってないようなもんなんだろうけど)荷揚げをする。自転車をホテルの中へ入れようとすると、「中に入れちゃあかん、外に置いておけ」ときた。「なんでやねん?メンテしたいんだけど。じゃあこの外でメンテやるよ」と言っても、「だめだめ」としか言わない。「なんでやねん?」といっても回答ないため、部屋にいれた荷物を全部降ろし、再度パッキングして出発する。もうっ!
ホテルはいっぱいあるが、ゲストハウスが少ない。というのは、この西インド世界では「ホテル」ってゆうのはちょっとしっかりしたレストランのことを意味し、「ゲストハウス」ってのが宿泊できるところを意味するらしい。ただ、建物の作りは同じなので(1階がレストランで2階が部屋になっている)いちいち泊まれるかどうか聞かなくてはならない。
結局再度荷物をつみ直し、15kmくらい走ったところのNARMADAホテルに決定。案の定チャリンコは部屋に入れることができず、地下の駐車場に入れ、メンテは後日することにした。夕飯をホテルで食す。べらぼうに混んでいたが、チャパティも美味しく、なかなかよかった。部屋に戻るとでっかい蜂がブンブンいっている。このホテルにはバルコニーが付いていたのだが、どうやらここに蜂の巣があるらしい。その蜂がこのバルコニーのドアの隙間から入ってきたらしく、デリーで買ったガムテープの大きさのセロテープで、隙間を完全シャットアウト!して就寝。

<9.Feb.2004 Day-114>
From Ankleswar to Navsari 96.6km

朝食をホテルのレストランで食べる。パンらしいパンがないみたいで、大量のラスクとチャイを食す。ラスクだとどこまで腹が持つんだろう?ちなみにこのホテルの兄さんはなかなか気さくな人で、髪型・服装・サングラス全てを含めて「つんく」にそっくりであり、この「つんくタイプ」の兄さんらがグジャラートには結構いた気がする。日本を離れて3ヶ月経つけど、今モーニング娘。は何人体制なんだろう?
1本目は快速。筋肉が付いてきたんだろうか。このアーメダバードから南下してゆくNH8沿いには大きな工場が多かった。昼飯はターリーに、ラッシー、甘いもの、炭酸ジュース、袋に入ったミネラルウォーターを食したったの25Rs。次から次へと「これどう?」と出され、お腹いっぱいだ。
工事中の個所が多く、休憩できる場所が少なかったが、3本目を走り、チャイ屋で休憩するがこれもお金を受け取ってもらえない。物理的(金銭的)おもてなしが著しい州である。なんとなく目標のナブサリの街あたりに到着。国道からなんとなく外れ、なんとなく5、6km走り、なんとなく駅前に到着することができた。だいぶ都会になってきたので、国道沿いのレストランよりも、駅前の方が競争があり、ホテルの値段が安いだろうと判断したからだ。とりあえず、10Rsでアイス買って休憩し、駅前のHOTEL ARUNODAY 200Rsに決定。ちょうど駅と駅前のロータリーが見える4階の部屋で、窓が大きく日当たりも良い。テレビもバスタオルも付いている。向かいのビルの4階ではミシンでなんかしらを縫っている工場というかテナントになっているらしい。コーラ飲んでゆっくりしつつ、MTVを見る。
駅前周辺を歩いてみるが、それほど大きくないというか、街の中心地ではないようだ。駅前の食堂でジャガイモトマトカレーとチャパティ4枚と半ライスを食べて29Rs。なかなか美味。駅前歩くと屋台にアーメダバードで食った「ダベリ」がありぺろり4Rs。なかなか美味。また駅前歩くと屋台にスイカ屋があり、「カットスイカ」5Rsをぺろり。なかなか美味。ホテルに戻りルームサービスでチャイを頼み、かつポテチと7UPを飲みながらMTVを見るという、なんてスピーディかつ贅沢な晩餐!
BBCはちょくちょくTVが付いているところで眺めているが(何いっているか英語がさっぱりわからんので、見ているというよりは、眺めているという感じが正しいですな)イラクの特派員(駐在員)をやっている女の子は、日増しにその表情に陰りが濃くなり、「もう早く帰りたいよ〜」という泣きそうな顔になっておる。

<10.Feb.2004 Day-115>
Stay Navsari

今日は1日かけてチャリンコのメンテをするつもりだ。デリー以降、ちょこちょことメンテはやっていたが、気合いを入れて大々的にメンテをしよう、デリーからすでに1,000kmを超えている。
朝ホテルの2階で朝食を食べる。観光客とは思えない欧米人6人組みが朝食を取っていたけど、仕事で来たのだろうか。バタートーストとコーヒーでは足りず、向かいのビルにあるパン屋でパンを2つ購入。たんにホットドックみたいなパンに甘いクリームが入っているだけだがマジ美味い。
さ、作業開始。僕は細かいところ、どうでもいいところに凝ってしまうというかマメな習癖はあるのだが、もともと掃除とか面倒なことは嫌いだし、別に自転車メカマニアではないので、作業を開始するまで、思い腰をあげるまでにかなりの時間を要す。
まずはパニアから。計4つのパニアのアタッチメント・ネジ部分のブラッシング・ウエスがけ。計13個/1つ×計4つのパニアのネジの増し締めを行う。パニアの中に入っているプラスチックは、そのまま荷物入れっぱなしにしてしまうと形づいてしまうため、反対側に折り返して元の形に戻す。そして荷物の左右のバランスとるためリパッキング。パニアだけで2時間以上。自転車のメンテに移る。

ヘッドの増し締め・汚れ取り・グリスアップ。サドルのヤグラの増し締め・シートピラーの汚れ取り・グリスアップ、シートステーの汚れ取り・グリスアップ。シートピラーの高さは120mmで固定しマジックで再度しるしを書く。ブレーキのシュー(ゴム)の当たりの調整、左右のブレーキの間隔の微調整。(だいぶシューが削れてきているようだ)ブレーキワイヤの汚れ取り・オイリング。ボトルゲージ・キャリア・チェーンリング・ペダル・ハンドルの汚れ取り・オイリング。
はぁ、疲れた。
ホテルのレストランで昼飯食うがあんまり美味くなかった。続いて、プーリー(リアガイド)の分解・汚れ取り・グリスアップ。(あっというまに泥だらけになってきていた。歯ブラシにパキスタンで買った南インドのKURE-556「WD-40」を吹き付け、チェーン・スプロケットをその歯ブラシで擦り洗浄する。ウエスでふいた後、WD-40は粘度が高いため、日本から持ってきている自転車用サラサラ油でふき直す。前後のタイヤ(チューブ)に空気を入れる。(ミニマムの3.0Bar。いっぱい空気を入れて圧を高くすればタイヤと地面の接地面積が少なくなるのでスピードがでるんだろうけど、キャリア・ヘッド・後輪への負担を少なくするため(クッション作用を出すため)、タイヤの能力を生かす最低限の3.0Barにしている。)そしてリアタイヤのスポークの振れ取り。横振れだけでなく縦振れが無くなるよう、ニップルを締める方向で調整してみたが、実際荷物付けて走ったらどうだろう?ただ、やはりハブ自体から異音がするので、ハブに異常がある以上、振れ取りをしても意味はない(縦振れしてしまう)気がする。それよりもハブ自体の汚れとってグリスアップしてあげた方がいい気がする。最後にフロントキャリアの折れてしまっている部分を、使っていないトルクスレンチを巻き付け補強する。だいぶハイウェイに工事中のがたがた道が多く、フロントバックがゆっさゆっさ揺らいでいたからだ。
は〜。
途中休憩がてらチャイを飲みに駅前に行き、戻るときにパン屋でケーキかって3時のおやつタイムを挟んだけど、すべて終了したのが20時半。こりゃ疲れた。たぶんこんだけの内容を自転車屋さんに出してやったら結構なお金を取られるに違いない。後は後輪のハブさえなんとかなれば、なんとか最後までいけそうな気がする・・。
携帯のプリペイドカードの使用期間が1ヶ月のカードだったので、デリーで買っておいたプリペイドカードをリチャージングしようと思い電話かけると、すべてヒンドゥー語でさっぱりわからない。ただ、なんとなく「あんたの携帯の番号は識別できないよ」といわれている気がした。
駅前食堂に行き夕飯。ここはほんと美味い。そしてまた屋台のダベリを食べる。よく見ると、ハンバーガーみたいなパンに、辛そうな赤いソースと辛そうな青いソースをパンに塗りたくり、細かく刻んだ玉ねぎを入れ、最後に天カスみたいのを入れて、中華なべみたいな大きななべで、パンに焦げ目がつくくらい焼いているようだ、ふむふむ。
丸1日ナブサリ駅の東口でしか生活しておらんので、踏み切りをわたって西口に行ってみた。おそらく踏み切りは人間の手による手動式であったが、みんなそのおっさんの顔色を見ながら、踏み切りの下をくぐっており、まったく踏み切りの意味をなしていない気がした・・。
西口駅前で座ってチャイを飲む。なんか駅前ってその独特の雰囲気ってゆうか文化が見えるよね。

<11.Feb.2004 Day-116>
From Navsari to Vapi 88.8km

バタートーストとコーヒーで朝食。向かいのパン屋さん(KKベーカリー、ブランチナンバー8)で、1日何回かフレッシュなパンをトラックで運んできているのが見える、さすが都会だ。9時半出発。
できれば今日ちょっとより道してダマンまで行ってみよう。このグジャラート州の中に、飛び石のようにダマンという小さな州がある。ここは50年前までポルトガル(オランダかな?)が支配していたところである。また、グジャラート州にはジャイナ教徒が多いため(超ベジタリアンで不殺生。なかにはすっぽんぽんで生活している坊さんもいるらしい)禁酒州になっているので、酒飲みたい輩はこのダマンにやってくるらしい。そういやウダイプルであったドイツ人のシュテファン君はここのビーチに行きたいといっていた。
間違えることなく国道まで復帰。久しぶりにチェーン関係を掃除したせいか、劇的に走りやすい。今日は涼しいなぁと思ったらそれでも32℃あった。2本で50km走り昼飯。今まで北東に向かって吹く風に対し、南西に向かって走っていたが、アーメダバードより真南に下っているせいかやや楽な気がする。同方向に向かう交通量自体が多いのも、走りやすい理由だろうか。また、途中から国道の4車線化工事が終了しており、非常に走りやすかった。3本目を走りそこらへんで休憩を取る。と、昨日、ニップルを締める方向でスポークの振れ取りしたせいか、またしてもスポークが折れていることに気が付く。これで合計5本のスポークが折れたことになる。ただ、テンション(引っ張っている力)の高いフリー(スプロケット)側のスポークではないので、特に走れなくなるまでの影響が出ていないようだ。とりあえず炎天下の中、針金で周りのスポークに折れたスポークを括り付け出発。スポークが折れても軽〜く走れる。

もうすぐムンバイだ。


そしてバピの街に到着。ここから西へ10kmくらい行くとダマンの街であり、ビールが飲めるのだが、結構このバピの街が大きく、ネットカフェや携帯のオペレーター「HUTCH」ショップがあったので、このバピの街に泊まることにした。90km走っても、ほとんど疲れた〜という感覚がない。ROYAL INNホテルは355Rsと高かったが、もうムンバイまで数100kmの所に来ているのでこんなもんなんだろう。ガイドブックを見ると、ムンバイの安宿は最も安いランクでも400Rs前後する。
ただ、設備はやっぱりしっかりしている。テレビをつけると、女子グランドホッケーアジアカップ決勝、インド対日本戦が国営テレビでやっていた。日本はなかなかパスが通らず、結局インドのカウンターをくらってしまい、1-0でインドの勝ち。日本はアウェイのインドで暑さにやられたに違いない。
なんてテレビみている場合じゃなかった、スポークを直さねば。スポークを針金で取り付け、結構しっかりと時間をかけて振れ取りを行う。2時間近くかかったが、反フリー(スプロケット)側全体のニップルを緩める方向でかなりうまくいった。やっぱり振れいているところだけを緩めたり締めて直すのではなく、全体を見ながらやったほうがうまくいくようだ。まぁ、荷物付けて走ってみないとわからんが・・。
ホテルでフライドライスを食べ(嗚呼、頼むから香味の葉っぱを入れないで頂戴)外に出る。残念ながらHUTCHショップは閉まっていた。ネットカフェに行き、日本語ソフトをFDからインストールし、ハブのメンテ方法とスプロケットの外し方を2時間以上かけて調査する。うれしいことに何通かメール来ていたが、返信する余裕がなく、また全部で5、6ヶ所蚊に食われてしまった。日中30℃を超すスイカの美味い毎日だが、そういや札幌は雪祭りの時期だったんだなぁ、と感動する。
ホテルの近くにスーパーらしいスーパーがあり、蚊取り線香も残り少なく、また蚊に食われた矢先だったので、45日分の液体が入った電気式のベープマットみたいのを75Rsで購入する。細菌性下痢うんぬんに関してはなんとかなる(辛いけど走ろうと思えば走れる)が、蚊に関する病気(日本脳炎やマラリア等)は特に熱が出る(らしい)のでツーリングの計画に影響が出るだろう。こればっかりは刺されないようにするしかない。
ホテルに戻りネットで勉強した知識を生かし、自転車を再チェックする。スポークが折れ、1回転毎にカチカチ異音がし(しかもペダルをこいでいない時である)、走っているときに沈む込むような感じになるということの原因は、やっぱり何十キロという荷物を背負って、ダート道を走ったことにより、ハブがダメになっているせいだろうと推測した。スプロケット外しはアーメダバードで手に入れることができたので、残りの必要な工具、ロックリング外しとハブスパナとグリースさえ手に入れば、ハブのメンテ、グリスアップができ、最南端まで行けるのではないかと結論つけた。スプロケット(ギアの皿)付きの自転車(クイックシャフトタイプ)をインドで1台も見ていない以上、ムンバイでもしスプロケット付きのハブがあればリムごと全交換できるが、なさそうな感じなので、どうにかハブをメンテできるだけの工具だけでもムンバイで探して当ててメンテしたいなぁと考えた。

<12.Feb.2004 Day-117>
From Vapi to Thana 139.7km

ホテルでバターブレッドとチャイを食し、あわせてナブサリのパン屋で買ったホットドック的パンを4本食い出発。HUTCHショップは10時開店だったので、ちょこっとチャイを飲んで待ち、どうやったらリチャージできるのかを聞いてみた。なんだか説明を聞いてもあんまりイメージが湧かなかったが、どうやらデリーにいない限り、チャージはできないらしい。リモートリチャージングの方法は説明書に書いてあったが、SIMカード方式の携帯でも何通りかシステムがあるようだ。結局また新たにSIMカードを買うしかなさそうだ。
本日はマンドビというところが目標。ムンバイまであと200kmを切っていたが、大都会ムンバイ入城には時間がかかりそうなので、できるだけ今日のうちいっぱい走っておいて、明日の距離を少なくさせたい。
写真と動画を撮りながら1本目を走ると、グジャラート州からマハラシュートラ州に入ったようだ。文字がなんとなく変わっているし、禁酒州だったグジャラートを超えると「BEER BAR」の看板をよく見かけるようになった。出発前に地図を見て予想していた通り、20〜30メーターのアップダウンを繰り返すようになった。これでも4車線化工事のおかげでだいぶ山は削られているようだったが。が、こういう平地がなく登りか下りしかない道路を走ると、ボデイブロォのようにあとから響いてくる。ただ、快走はでき、2本で55km走って昼飯にする。このあたりは500メートルくらいだろうか?山の頂上に寺院らしきものがあるところが多かった。3本目、スクウェアプッシャーのハードノーマルダディを聞きながら走る。この人の叙情的な初期ドリルンベースを聞きながら走っていると、涙が出そうになるくらいただ感動するときがたまにある。
3本目を走り、冷た〜いミネラルウォーターを買って飲み(うま〜い)、4本目を走ると国道が渋滞していた。バスが事故ってた。幸い大事故までには至らなかったようだが(死臭がしなかった)、頭から血を流してるけど、何事もなかったようにタバコ吸ってるおっさんがいた。ちなみにこの時ナンバーガールのアルバム渋谷ロックトランスフォーム状態のデストラクションガールを聞きながら走り抜けていた。
山間を抜けるように走っているせいか、国道は南西方向、南東方向にジグサグしている。モンスーンが西から東へ吹いているのだろうか、南東方向へ進路を向けると走りやすいが、南西方向へと進路を向けると急にスピードがダウンしてしまう。
マンドビの街あたりに到着。が、予想とは裏腹に、ホテルがほとんどない。「ホテル」の看板は1軒あり聞いてみたが、部屋はなくただのレストランだった。「KTなんちゃらというホテルなら泊まれるよ」とアドバイスもらったので行ってみると、ほんとのリゾートホテルだった。聞いてみると1泊1,350Rs!僕の予算は1日10ドル、約450Rsだが、もうこのムンバイ近郊では1日10ドルでの生活は無理なのかもしれない。ただ、「予算にあう部屋は紹介できるよ」といわれ、とりあえず部屋を見に行く。部屋まで行くのに5分くらいかかり、しかも敷地内はなんだか遊園地みたいになっており、でっかいプールもあった。部屋をみると一般客用ではなく従業員用の部屋って感じがする。
フロントに戻り値段を聞いてみると550Rsらしい。この部屋を見させてもらう前、予算が1日10ドルであることを先に説明していたのだが、従業員用のそれほど大したことはない部屋で12ドルといってきたわけだ。「足元みてどうすんのよ」と英語でいいたかったがわからなかったので「これはビジネスになってないと思います」といってその場を離れた。客が10ドルといったら最低でも10ドルに合わせてから、商売の駆け引きが始まるのに、これじゃビジネスになっていない。
その後もホテルの看板はあるが、泊まれるところは見付からず。とりあえず200mlのファンタオレンジを飲んで休憩し、ライトを取り出す。この時19時半。4車線化していたから時速20km近くで走ることができたが、基本的にはやったらいけない夜走りだろう。その後も、ネオンが眩しくプールが付いているようなリゾートホテルは数軒あった。
結局この日は「まぁこんな感じかな?」という具合でM G MOTELというホテルに決定。最も安いノーマルの部屋で450Rs。TVとバスタオルと石鹸はもちろん(シャツやカバンが汗の満ち引き?で塩吹いて白い跡になっていたので、「きったねぇなぁこいつ」と思ったのか)石鹸は3個付いてきた。大理石の床はぴかぴかで鏡の様だし、ふっかふかのソファも付いておる。今回泊まり歩いたホテル中で、1、2を争うすばらしいホテルである。
そしてホテルより感動したのが、今日はなんだかんだいって140km近く走ったが、まだまだどこまでいけそうな感じがする自分に対してである・・。僕の海外での最高距離かもしれない。日本の平坦な道でマキシマム150km近く走ったことはあるが、ここはインド。よく走ったなぁと思う反面、「もっともっとこいや、おら」という勢いがあり、疲れは見えない。へたすりゃムンバイまで走って1日に200km走れたかもしれない・・。
外にはこじゃれたアジアチックないい雰囲気のレストランがあった。カップルは楽しげにビールを飲んでおる。エッグフライドライスとチキンヌードルスープを食す。やっぱりチャーハンはタマゴ入りに限る。蚊に食われたのは残念だったが・・。
もちろんホットのシャワーを浴び就寝。

<13.Feb.2004 Day-118>
From Thana to Mumbai 50.9km

朝バタートーストとチャイを食す。
なんとなく、激走した昨日の晩からこの朝にかけてモラルした。この数年間の僕は、スクリーンセーバーがオンになった状況だったのではないかと。りっぱなハードを持ち、りっぱなデータやソフトさえ持っているのに、ふとマガサシタ時に立ち止まってしまう、焼き付けを起こすことを恐れ、自ら進んでスクリーンセーバーをオンにしていたのではなかったか?なんかしているように見えたのは、決して自分が動かしていた訳ではなく、スクリーンセーバーが勝手に同じような動きを繰り返し続けていただけではなかったか?何かに対して恐怖心を抱き、その動きを止めるのではなく、常にアクティブであれば決して焼き付けは起こさず、全ては創造されていくのではないかと、さっぱりツーリングには関係ないことを考え、「うまいこというなぁ、ぼく」と感動した。ただ、これは僕ばかりに限ったことではなく、21世紀を生きる人たち全てに言えることだと思いませんか??
とにかく出発。長丁場の第5アタック「デリー〜ムンバイ」が本日完遂する目標だ。
そして一本目を走り始めると、さっそく都会的ながたがた道になってきて、人・車が多くなってきた。微妙な勾配もあり、スピードが落ちる。さすが、人口1,600万人、東京よりもでかい、インド最大の都市だけある。ガイドブックによると、ムンバイにあるオフィスのテナントの料金は、東京やニューヨークよりも高いらしい。ちなみに「ムンバイ」という呼び名が現地での元から使われていた都市名であり(ヒンドゥの神様からその名前をとっているらしい)、「ボンベイ」という呼び名はイギリスが植民地時代に発音しづらいため「ボンベイ」といっていたイギリス名である。
2本目を走ったところで昼飯にする。ターリーに加え、進められるがまま魚のフライやケーキアイスも食す。魚なんて久しぶりだ。そして3本目、とにかくコンパスを頼りに南へ進む。高層ビルが立ち並びつつ、またコロニアル風(植民地時代的西欧風)な建物も多い。道も入り組んでいる。人も多いが特にタクシーの数が多くまた運転が荒いため走りづらい。
そして、とうとう目標であったインド門に到着!とりあえずファンタオレンジ買って一人乾杯!あ〜、このデリーからの約1ヶ月間、1,500kmは長かった〜。そしてもっとも感動したのは、久しぶりに見た「海」。ここ数年北海道で仕事していたので、海を毎週のように見ていたが、日本を出てから3ヶ月ぶりに初めて海に出会った訳である。ムンバイの顔?であるインド門とタージマハルホテルを写真に収め、ゆっくりしたあとホテル探しに向かう。

やっとこさ、ムンバイのインド門に到着。


ロンプラに最も安いランクで乗っていたPROSSERS HOTELに行ったがシングル400Rsが満室だったので、600Rsのダブルを550Rsにまけてもらい泊まることにした。あぁ、果てしないこの大都会では1日10ドルの生活は無理らしい。東京でもビジネスホテルは高いしあたりまえといえばあたりまえかもしれないが。部屋は1階だが、海とタージマハルホテルが見えるバルコニーというか、日本の和室旅館的窓側にあるバルコニーみたいなスペースがあり、トイレシャワーは共同だがまぁいいだろう。ちなみにこのタージマハルホテルってのは、100年近く前に作られたホテルであり、ガイドブックによると、シンガポールのラッフルズホテルと並び称される、有名なアジアのホテルの1つだ。
とりあえずゆっくりした後、チェックやキャッシュ含めた持金の計算、これまで走った距離の計算、そしてシャワーを浴び、洗濯を行う。特に、首からかけている貴重品入れとシャツはひどい汚さだった。
外に出かける。やっぱでかいし都会的な街だ。ナイキ、アディダス、リーバイスなどインドでもありそうでなかなかない店がちゃんと軒を連ねている。そして、結構いろいろと探したけど結局見つからないままになっていた「ツナ缶」と「ピーナッツバター」があった。さすが。
レストランも高級そうというか、ちゃんと入り口に扉があり、護衛が立っている。が、結局高級そうな所での食事は美味そうな感じがせず、いつもの通り、そこらへんの安そうでオープンな食堂を探し、夕飯を食べる。
そして、お待ちかねのキングフィッシャー!このホテルに着いたとき、ホテルの従業員が、ビールを買ってきて冷蔵庫に冷やしておいてくれるといってたので、冷蔵庫にキンキンに冷やされ待機していた訳だ。う〜ん、これまた1ヶ月ぶりくらいのビールだろうか。ポテトチップ(僕はLAYSのカリビアンというポテチがお気に入りである)とキットカットを食べながらビールを飲むという、自分に対する最高のご褒美である。
い〜気分のまま、コンタクトつけっぱで就寝.

<14.Feb.2004 Day-119>

Stay Mumbai

朝8時にホテルの朝食を頼み、オムレツとトーストとコーヒーを食す。暑いせいか、昨日洗濯したものがあっというまに乾いておる。ついでに臭い靴の中敷きも取り出して洗う。

10時アメックスへ出かける。1$=43.85Rsとレートは低い。レートのいいAmEx(アメリカンエクスプレス)支店一覧が書かれたカードをもらう。ここにのっている支店で両替すると、1$=43.85Rsより5%はレートがいいらしく、そりゃでっかいわといったら、違うよ0.5%だよ、と訂正された。とりあえずトチェック200$を換金。また、このカードに載っている支店であれば「カウンターキャッシュ」(窓口でAmExのクレジットカードを出せばキャッシングできる)できるのか聞いたが、HDFC銀行のATMを使った方が早いとのことだった。

そして、これで最後まで間に合うだろう、単三電池「エネルガイザー」12本を購入。また、ぼちぼち使用期限が迫っていた携帯のSIMカードを購入した。今度はAirtelというスペイン系(?かな)のオペレーターである。いままで使っていたHutchinsonという会社もどこかヨーロッパの資本が入ってた気がする。ちなみにリライアンスモバイルという、日本の携帯システムに近いオペレーターが、プリペイドカード方式も始めた、というニュースをみていたのでちらりと聞いてみたが、これもやっぱり携帯とSIMカードがセットになっているらしい。ちょっと大きい街にいけばどこにでもこのAirtelの看板は見つけたし、このオペレーターだと州専用とインド全体用のプリペイド(リチャージ)カードと2種類あったので、最初からこのオペレーターにすればよかったんだろうなぁと思った。

レストランでコーヒーを飲みながらムンバイ3デイズをどのように使っていくか、一人作戦会議を開く。ただ、どこのレストランも混んでいるし、タバコが吸えないってのは納得が行かない。とにかく、自転車のハブのメンテ道具を探し見つけ出して、グリスアップをすること、そしてこの掲示板の更新が目標だ。時間が余ったら博物館に行くなり、エレファンタ島に行くなり、都会をぷらぷらしたい。会議終了後、ネットカフェに行き、ハブのメンテには何が必要か、どうしたらよいかを2時間かけて再チェックし、今回インドで初めてのマックに行く。チキンマハラジャマックとポテトのMとコーラのMで107Rs。テイクアウトにして、インド門と海が見えるタージマハルホテルの側で食べる贅沢。このチキンマハラジャマックってのは美味かったし、インド人が好みそうな味だなぁと思った。どうでもよいが、ふと気が付くと、今日はバレンタインデーの土曜日である、だからどうしたんだろう?

ホテルに戻り、ちらりと携帯で実家に電話をしてから、チャリンコにのって街に繰り出す。バイク修理屋が隣にある金物屋を見つけ、南アジアのKURE-556である「WD-40」とおそらくバイク用であろう「カストロールのベアリング用グリス」とスパナなどを購入することができた。また、自転車を何軒かあたってみるが、どうも長さの合うスポークを見つけることができない。インドではおそらく27インチの自転車が主流であり、ちょっとサイズが大きめなんだなぁ。

自転車屋を探しながら、マリンドライブへ行ってみた。このマリンドライブってのは確か「女王のネックレス」とか言われている、都会の中の美しい海岸である。お台場を2倍の大きさにして、その雰囲気をやや西洋風にした感じだろうか。しばしゆっくりした後、いっぱいものがあって栄えてそうなビクトリアターミナス駅近くに行ってみる。ここで、たまたま工具を扱っている屋台があり、そこでDIYで売っているような万能スパナを見つけた。そして自転車の後輪をその場で外し、そのスパナを試しに当ててみると、ぴっちりハブを外せるサイズだった!よしよし、これでハブの中を開けることができるわけだ。後は、予備用のスポークがほしいなぁと思いつつ探してみるが、自転車屋さんがない、自転車はいっぱい走っているのに・・。たぶん、どこかにはあるんだろうけどなぁ、と思いながら自転車をこいでいると、極度にいいおじさん出現。「何か困っているのか?何を探しているのか?自転車のスポークか?それならカルバデビ近くに自転車屋が数軒あるはずだ!なんか書くもんないか?地図書いてやる。この地図でほんとに分かるか?ちゃんとたどり着けるのか?じゃあ俺の部下が一緒におまえをそこまで先導してやる!チャイ飲むか?」と、なんか押されぎみながらもほんと悪いなぁとは思いつつ、お言葉に甘え、カルバデビというところまで連れていってもらった。確かにここには4、5軒大きな自転車屋があったが、長さと太さがあうスポークが全くない。が、たまたま問屋みたいなところを除いたところ、ジャストサイズのスポーク発見。32本ニップル付きで40Rsで購入した。32本買ったので、これで後輪すべて一からスポークを編もうと思えば編めるわけだ。

ジュースなどを買ってホテルに戻り、お腹もすいていたがメンテをやってみる。そして、ハブスパナ(万能スパナ)を使って反フリー(スプロケット)側は外すことができた。確かに中のベアリングは汚れていた。残っていたグリスを丁寧に拭き取り、今日買ってきたグリスを塗りたくる。ちなみにネットカフェでホームページをチェックしていたところ、別にグリスはなんでもよいし、多めに入れておいた方が耐久性が出ると書いてあった。

ただ、フリー(スプロケット)側が外れない。う〜ん、と考えながらいじくっているうちに、ロックナットは外れた。けど、スプロケットは外れない。う〜ん、と考えているうちに、ロックナットという部品とロックリングという部品が違うものであり、ロックリングと呼ばれる部品を外すとスプロケットが外れ、スプロケット側のハブ(ベアリング)部をメンテできるということが分かった。なんと素人には難しい。

適当に夜飯を食べに行き、再度ネット屋に行き、チェックをする。やっぱりそうだ、ロックリングとロックナットは違うんだ、おんなじ様な名前にするなよ〜。

ホテルに戻り再度作業開始し、とりあえず復元して終わったのが2時。指のあちこちが傷だらけの血だらけ・・。

<15.Feb.2004 Day120>

Stay Mumbai

はぁ、昨日夜までチャリンコいじくっていたせいか眠い。とりあえずチャリンコはそのままに、掲示板を更新するため、手帳(日記帳)に書いたことと掲示板に書くことに偽りが生じないよう手帳をチェック。2時間近くかかった後、今日は歩いて出発。

昨晩最終的にネットカフェでチェックしたところ、このスプロケットを外すには、「スプロケット戻し」という工具と「ロックリング戻し」と呼ばれる工具が必要らしい。そのうち、「スプロケット戻し」はアーメダバードで手に入れることができたが、この「ロックリング戻し」と呼ばれる、自転車専用工具をどこかで手に入れなくてはならない。この専用工具をインドで手に入れることは不可能と思われるが、6角形のもの(ボルト)等があれば、なんとか代用できそうな気がする。

7、8軒の金物屋、鍵屋、水道屋を回り、ボルトナット(オス+メス)3セットと自転車屋でボックスレンチを譲ってもらう。「このボックスレンチ使うんじゃないの?」と聞いたが、「また作ってもらうからいいよ」、とありがたいお返事。おそらくこっちの自転車屋さんは、そういった専用工具がないため、どこかの板金屋で都度オリジナルに作っている気がする。

なんとかこれでいけそうな気がして、昼飯にする。New Light Of Asia(以下NLOAと略す)はいいレストランだった。なぜならこのあたりのレストランは常に人がいっぱいで混んでいて、禁煙で、食べ物は辛いし、外国人と見ると水を出さない。ここは空いているし、灰皿が置いてありタバコをすえるし、料理を頼むとちゃんと「スパイシーにする?それともノンスパイシー?」と聞いていた。そして、ここはちゃんと普通の水を出してくれる。

そして、ホテルに戻り、チャリンコメンテ開始。そして買ってきたボルトがどんぴしゃ!(インドではJIS規格みたいのがないのかボルトの外径がまちまちだった)無事スプロケットを外すことができ、全面的にハブのグリスアップ開始。特にこのフリー(スプロケット)側のベアリング部はかなり汚れており、またグリスも少なくなっていた。じゃりじゃりいっていたので、おそらくだいぶベアリング自身が削れて小さくなっていたんだと想像する。完璧に復元できたかどうかはわからんが、とりあえず無事メンテ終了。アフガニスタンを走ったとき、進行方向に対して右側(フリー(スプロケット側)、ギアの付いている方です)のキャリアのネジがバカになってしまっており、だいぶぐらついていた。たぶん、この時だいぶハブに無理な力が入ってしまったんだと思う。

試走をかねてマリンドライブへ自転車で行ってみる。ちょうど夕暮れが沈む時間がきれいだろうと思って行ってみたが、あまりにもジャスト過ぎてちょうど太陽が海に沈んだところだった。しばりゆっくりポケッとした後ホテルへ戻ろうとしたが、道に迷ってしまい、WTC(ここのWTCは破壊されておりません)まで行ってしまった。荷物を付けていないので分からないが、なんとなく走りがスムーズになった気がする。

ホテルに戻りしばりゆっくりした後、NLOAに行きエッグフライドライス、チキンクリアスープを食す。マトン料理もメニューにあったので、たぶんここのオーナーはムスリム(イスラム教徒)だと思うが、やっぱりムスリムが経営しているレストランは何作らせても美味いと思う。

夜はネット屋に行き掲示板の更新。ありがたいことにネットカフェにクーラーがついているが、効きすぎており寒い。2時就寝。

<16.Feb.2004 Day-121>

Stay Mumbai

夜遅くまで起きている日が続いたせいか眠い。ちょこっとゆっくりしていたところ、部屋の電話が鳴り「おまえもうチェックアウトしなさい」と言われた。何を意味不明なことをいっとるんだと思い、フロントに行く。なんだか、2週間前にネパールからのお客さんの予約(2月16日)を受けたらしいのだが、今日になって部屋がいっぱいなのに気が付いたらしい。「紹介するからどっか他のホテルに行けと言われても、用意に1時間はかかる。そのネパールの人も困るだろうから、どっか他のホテルに移動するのは問題無いけど、ただなんで先にそれを言っておかないのよ?」と言ったが、「だって、あんたがいつチェックアウトするかわからなかったんだもん!」ときた。「あんたそれでもビジネスマンか?仕事しろよ仕事!とりあえず昼までに何とかしてみろや」と騒いでみた。とにかくここのホテルはまれにみる最悪なホテルだった。洗濯物を取り込み自転車で他のホテルに出発できるようパッキングをする。用意が終わるとまた電話が鳴り「あんたはラッキーだ、そのまま滞在できる」ときた。1日毎に朝食代と部屋代を払っていたので、とりあえずまた1日分の金額を払うと「今日デートなんだ。100Rsちょうだい」と言われる。ここの従業員は30分に1回は確実に部屋のドアをノックしてきて「ビールどう?ってゆうか俺にビール1本おごってちょうだい」と言ってきたし、このフロントのおっさんも最悪。ロンプラにのっている安宿はどうもあんまりいいホテルではないという気がする。

NLOAでチキンピザとバナナラッシーを食し、ネット屋に行く。7日間分の掲示板更新とメールの返信をして、途中外にタバコを一服しに行ったのも含め(仕事みたいだなぁ)約5時間。クーラー病になりそうだ。

結局ムンバイではぷらぷらすることができなかった。帰りがけにライター、鍵、そしてグリスを入れておくためのタッパーを購入。

夜NLOAに行きエッグフライドライスとチキンクリアスープを食した後、疲れきって就寝。