7.インド亜大陸縦断タイトルマッチ。(インド)

Attack.6 From Mumbai to Goa 661.1km

(2004年2月17日〜2004年2月29日)

<17.Feb.2004 Day-122>

From Mumbai to Pen 107.0km

とりあえず朝食を食べるが、なんだか全然体に力が入らない。胃拡張気味なのに、食べる量をセーブしたせいだろうか、それともクーラー病にかかってしまったからだろうか?入念に出発前のストレッチを行い出発。ロンプラにはこのホテルの記事に何もタックスの事に関して書かれていなかったが、結局チェックアウト時に4%分のタックスを取られた。600Rsを550Rsに負けてもらっていたが、この分を取り替えしたわけだ。ムンバイではこのホテルが最悪だったせいもあり、あんまりいい印象がない。

とにかく出発。このムンバイにはチョーク名(交差点名)はあるけど、道路名が少ない気がする。せっかくムンバイのロードマップを買ったがあんまり意味が無かった。街にはいたるところに高架があり、その高架下がスラム街(長屋?)になっているというところが多かった気がする。ただ、なんでスラムの住人は洗濯が好きなんだろう?というか、洗濯物が必ず干してあるんだろう?余談だが、2日前ネットカフェの側でタバコを一服していたとき、乞食の女の子から英語でバクシーシ(喜捨、ほどこしですな)を要求された。英語を自由に話せる乞食ってものムンバイだなぁと思いつつ、1Rs渡したら「こんだけかよ?」と言われてしまった。バクシーシの物価も上がっているんだろうか?と思っていたら、その子は隣にいたインド人青年のところへ歩いていき、再度バクシーシを要求していたが、そのインド人はその子に5Rsをあげていた・・。

とにかく、やや体力を失い気味だが、なんとかグレータームンバイ(ムンバイ半島)の東側にあたる産業道路を北上し、国道3号に到着。そして急に気温が上がってきて、日中の国道沿いの気温が40℃になっている。むちゃむちゃ暑いよ〜と思いながらたまたま入ったレストランがエアコン効いていて嬉しかった!ムンバイ半島を抜け、国道4号に入るが道はガタガタで走りづらい。どんどん暑くなり完全にオーバーヒート。レストランでスプライト飲みながら30分以上休憩をとる。気温が人間の体温以上になると、まったく自己冷却機能が麻痺してしまう。

そしてやっとのことで、ゴアを通りコーチンまで続いている国道17号にのっかった。チャイを飲んで休憩し、やっと看板(標識)に「パナジまで545km」の文字が現れた。当初はゴア(ゴアは州の名前であり、州都はパナジ(パンジン)である)を最終のゴール地点としていただけに、感慨深いものがある。というか、どうせなら最終目的地をゴアから最南端のカニャクマリにしてやろう、自転車冒険を終了させる場所として、このカニャクマリという場所は、おそらく僕にとって最もふさわしい場所なんだから!というだけで最終目的地を日本出発後に変更したのだが、この変更したということ(だけ)が重要なのである。なんだかパキスタンからインドに入ってきて、どうも「最南端に自転車行く」とか「インドを自転車で縦断する」という「シンボル」だけが先に出てしまい、いささか欺瞞の匂いが立ち込めていたが、このパナジまで545kmの看板をみた瞬間、その欺瞞を体でぶつかって払拭した、そんな気がした。人間なんらかのタイトル戦に出場するとなると、どうしても煩悩というか、欺瞞の渦に巻き込まれてしまうんだなぁ。

そんなわけで、気分的に幾分すっきりしたこともあり、かつ、夕方5時を過ぎてだいぶ涼しくなってきたこともあってか、だいぶその本来の走りを取り戻したような気がした。5本目を走り終え、暗くなってきたのでライトを取り出す。ただ、国道17号に入ってから、中央分離帯無しの上下各1車線の細い道になってしまっているので、対向車線を走るトラックのアッパーライトが眩しくてしょうがない。まったく前が見えなくなり、大きな石ころに乗り上げてしまう。「こりゃ、危ない、集中して走らねば」と気合を入れ直し、再度走りはじめた瞬間だった。坂道を登り、くだってちょっとスピードがでてきたところで、やっぱりまた対向車線を走るトラックのアッパーライトで視界を失ってしまった。「しまった!段差があった・・」と気が付いた瞬間に、80kg近い荷物背負って時速20km以上で走る物体にどのくらいの力量があるのかわからんが、自転車がよろめき、アスファルトのある道路側へと右半身から倒れこみ、自転車の下敷きになってすっ転んでしまった・・。ちなみに、自転車だけを倒して転倒したってのはこれまで何回もあるが、自分まるごとすっころんだってのは、今回が初めてである。

これはチャリダー、地球を走るサイクリストとして、絶対やっちゃあかんことだし、絶対あってはならんことである。が、周りには外灯一つ無い真っ暗闇の中、結構落ち着いてその後の対応できたのはマルだった。

まず、体と頭はびっくり仰天している中、水を飲み、タバコに火をつけた。そして落ち着いた後、吸い殻は必ずタバコの空き箱に入れてしまっているが、転んだ場所が分かるように、吸い殻を事故現場に捨てさせてもらった。転んでしまいリアのパニアが外れてしまったので、外れたパニアと自転車を安全な道路脇に寄せた。傷を探すと、右肘から血が流れていたので、たまたま昨晩ミネラルウォーターに1%次亜を入れ殺菌していた水を傷口にかけて消毒した。体の各個所を動かしてみると、どうやら右肩や右肘に異常あるようだが、動けない程度ではないようだ。そしてパニアが破けていないか(そのまま走って荷物がおっこちないかどうか)を触ってチェック。また、腰や首から巻いている貴重品入れや財布、その他ポケットが破けていないか触ってチェックした。最後に何かおっことしたものがないか入念にライトを当ててチェックして、再度荷物を積み込み、走りはじめた。

5kmくらいですぐにペンの街に到着。500Rsと高かったがそんなこといっている場合じゃない、400Rsに負けてもらいHOTEL ZEE GARDENに宿泊することにした。ただ、こんな時にバカな警官にあってしまい、パスポート見せろとか言われ、がっくり。

部屋に入り、再度荷物をチェックすると、フロントサイドバックがほんの少し破けてしまっていた。傷口にマキロンを吹きかけ消毒した後、夜飯を食べることした。事故のショックのせいか、頭が痛いが(鈍痛っていうのでしょうか)、下手にバファリン(鎮痛剤)は飲まずに、ビタミン剤だけにした。オープンガーデンレストランはこじゃれていたが、蚊に刺されまくり。ちゃんとフライドライスを食べた後、部屋に戻り、自転車のチェック。問題無くギアもすべて入る(使える)ようだ。ただ、タイヤの空気が減ってしまったようだったので、空気を入れ就寝。とにかく、死ななくてよかったです。

<18.Feb.2004 Day-123>

From Pen to Mangaon 71.3km

夜は涼しいけど危なくて走れないとなると、朝涼しいうちに走りはじめて距離を稼ぐしかない。が、このあたりのホテルはビールが飲めるレストランが営業のメインであり、夜遅くまでレストランがやっているせいか、朝が遅い。結局10時くらいまで従業員はフロントのソファで寝ており、フロントのおっさん(お金を動かすことが出きる人)が来たのも10時くらいだった。

結局11時に出発。それでも午前中は涼しく走れることは走れるが、道に迷ってしまい、2kmほどロスをしてしまった。そして暑くなってきた。ヒンドゥー寺院の前で1本目の休憩をとっていると、村人が次々とお参りにやってくる。カレンダー上、今日はシヴァ神のお祭り(休日)であり、日本の正月のような風景になっている(気がした)。ちなみに、このムンバイ-ゴア間の風景は、日本の東北、国道4号線の「平泉」あたりの盆地的でのどかな風景(僕の記憶もあいまいですが・・)が広がっていた。この間出会った人たちもまた素朴な人たちが多かった気がする。

あまりに暑く、30kmも走っていないが、ナゴタナという街の、冷たいミネラルウォーターがありそうな立派なレストランで昼飯にすることにした。するとそこにはなぜか欧米人がおり「日本人かい?このレストランに日本人いるよ」と言われ、中に入ってみる。

と、エアコンの効いたレストランには日本人技師2人と通訳1人が昼飯をとっており、隣のテーブルに相席させてもらうことになった。話を聞くと、この近くに「インドペトロケミカルズ社」という石化プラントがあり、その17年ぶりにして初めてのシャットダウンに来ているらしい。インドの半分を賄っているという大きなプラントらしく、イタリア、フランス、イギリス、アメリカと世界各国からエンジニアがレストランに集まってきており、ちょっと前には日本の某重工メーカーが大勢いたらしい。「こんな暑いのによくやるねぇ!」といわれ、この技師さんがコックに覚え込ませたという日本味的なスパゲッティとビーフカレー(インドですよ、ここは!)に加え、アイスののっかった果物やミリンダ(ファンタオレンジですな)とミネラルウォーターを3本もごちそうになった。これはほんとにありがたい。そして数ヶ月ぶりに「日本の社会人」と話すことができて、なんでだろう、なんだか嬉しかった。

そしてお腹もいっぱいになったところで走りはじめるが、だいぶアップダウンがでてきた。こんな暑い中、せこせこと時速5kmくらいで炎天下の中を走るなんて自殺行為に等しい。平坦な道であれば、風を感じることができて、自冷型の走りができるが、直射日光をまともに受けながらじゃ体温が上がる一方だ。ちなみに、走行中メーターの温度計は平均して40℃から45℃くらいの温度を示しており、休憩中に陽のあたるところに置いておくと50℃近くになっていた。

5本目の休憩で7Upの600mlのペットボトルを買い、何回かに分けて飲もうと考えるが、結局全部一気に飲んでしまうほど暑い。ただ、間違いなく時間あたり600ml以上の汗をかいている自信がある・・。

熱いんだバカ!

結局朝も夜も使えない、つまり時間を増やすことができなければ、時速を上げるしかないと思ったが、それもこの炎天下の中でかつアップダウンある国道においては不可能なようだ。つまり「は・じ・き」の三角形、「はやさ、じかん、きょり」の三角形の中で、「き」を減らす、つまり1日の走行距離を減らすしかなさそうだ。結局目標のマハドの街には届かず、昨晩自爆しているということもあり、マンガオンという街でストップ。久しぶりに150Rsの安宿らしい安宿だ。とりあえずチャイを飲んでゆっくりした後、部屋で計画(1日の走行距離とホテルのありそうなところの組み合わせ)を立て直すが停電してしまう。扇風機が止まってしまうと恐ろしく暑くてしょうがない。ボタボタと汗が零れ落つる。

あ〜、暑いとなんだか疲れる。夜はエッグフライドライスにチキンマンチョリアンを食す。確かバドダラの街で夕食をとった時だった思うが、この時僕の横のテーブルで飯を食っていた学生が「マンチョリアンベジタブルチョウメン」ってのを食っていた。覗き見したところ、焼きソバの上に「から揚げ」がのっかっている風景だった。食べてみると、このマンチョリアンってのは、鶏のから揚げをさらにニンニクとショウガの海に突っ込み、さらに揚げ直したものらしく、むっちゃくっちゃ美味かった、というか我ビール欲す。

夕食後、ムンバイからゴアまではノンストップ6日間の予定だったが、それを3日間+1日休暇+4日間の計8日間行程で突き進む予定に変更した。

<19.Feb.2004 Day-124>

From Mangaon to Khed 89.3km

朝できるだけ早く出発しようと思い、8時に下のレストランへ降りていくと涼しい!なんで部屋の中は暑いんだろう?チャイ2杯とよくわからんパンをかじる。再度食パンを追加投入し、ちょっと調子の悪かったトゥクリップを直し、結局いつもどおり10時の出発。

ホテルの2階から1階へ荷物を降ろすだけで、右肩は痛いし、とにかく肋骨が痛くてまったく力が入らない。うかつに咳払いをしたり、くしゃみをすると、びっくりするほどあばらが痛くてしょうがない状態になっている。ヒビでも入ってるんだろうか。体育座りのかっこうになり、膝を抱え込まないと、ベッドから起き上がることもできない。

1本目は2日ぶりで水を得た魚のように走った。立派なもんである。そして2本走り、早めにマハドの街で昼飯にし、12時半に出発。こっからが暑さとの勝負だ。が、聞いていないよこんなの、といいたくなる峠が待っていた。じりじりと肌が焼けこげるような暑さの中、標高50メーターくらいから400メーターちょっとまで登ったと思う。途中からは長渕剛を聞きながら走ったという記憶以外、全く他の記憶は無いほど必死だった。途中途中「あ〜、こりゃもうだめかも〜」という時は、風の通る木陰の下で、5分くらいの休憩を1時間に数回取った。もし木陰がなかったら間違いなく「いってた」と思う。

頂上までたどり着き、いちおう写真を撮り、一気に下る。じゃじゃ馬のように走ったら、今回の旅において初めて、右足がつってしまった。とりあえずミニマム目標のケッに到着。ちょうど新築途中だったANMOL HOTELは300Rsと高かったが、新しい木の匂いがする部屋で、窓も広く、洗面所も新品できっちりしていたので、予定通りこのケッに2泊して疲れをとることにした。着いたと同時にホットウォーターの入ったバケツ2杯も持ってきてくれたので、とりあえず体を洗いゆっくりする。

PDA(クリエ)をいじくろうとしたら、急に画面が「ピカピカ」し始めた。ずっと太陽電池を使って充電していたのがまずかったのかなぁと思い、普通のアルカリ電池(エネグガイザー)でちょろっと充電してから再度いじくると、「本体全体をリセットしますか?」という、「そんな全体をリセットなんてするわけないでしょっ、バカ!」と言いたくなるようなエラーメッセージが現れた。暑さでバカになっちゃったんだなぁと思い、一晩置いて見ることにした。

夕食はエッグフライドライスとチキンヌードルスープ。とにかく、日中大量の汗をかいているせいか、「むちゃくちゃしょっぱいやつ」つまり、塩分を欲す。

<20.Feb.2004 Day-125>

Stay Khed

朝、下のレストランでバターブレッドとチャイを食し、パールGを追加投入。やっぱり暑さとその暑さを冷やすのが大変なのか、疲れが溜まっているみたいだ。宿のおじさんに連泊宣言する。PDA(クリエ)をいじくってみるが、またしても「全部リセットしますか?」というエラーメッセージが出てきた。もうなんともやりようがなかったので、ハードをリセットすることにした。メモステに入っている写真や動画のデータは無事だったのでよかったが、本体に入っていたメールやアドレス帳や英和・和英辞典、エクセルのデータをPDAで見れるようにするソフトと今回の計画書データがすべて吹っ飛んでしまった・・。残念。

昨日の夜風呂に入ったというのに、またしても朝9時から大バケツ2杯のホットウォーターを持ってきてくれた。やはり昨晩この従業員のおじさんとやりとりしたときに相互不理解を生じていたようだ。昨晩、この従業員のおじさんが「明日の朝何時にホットウォーター持ってくればいいかい?」と聞いてきたので、「僕は今日体洗ったのでホットウォーターはいらないよ、ノーだよ」と言ったのだが、「OK、ノーだね」と言っていた。ちなみにヒンドゥー語で「ノー」は数字の「9」にあたる。

贅沢にもまた体を洗いつつ、洗濯をする。鏡を見てみると、なんだか左肩にあるでこぼこが右肩には無い。どこに引っ込んだんだろう?そして、右腰あたりに黄色いアザができている。アザを作ることがあまり無い僕にとってこのアザは目新しい。入念にストレッチを行い、ヴィックスベポラップを患部に塗ってみたりした。そして、右足がつったのはどうも筋肉の疲れではなく、付け根のあたりがごろごろしているというか、右足の付き具合(こんな日本語あるんだろうか?)がおかしいということが解った。あいかわらず、起き上がるたび、咳払いをするたび、ろっこつが痛く、都度「あいたたた・・」と悲鳴を上げており、事故の影響が大きいことを改めて思い知る。

「徹底的に今日はゆっくりしよう。そして骨をくっつけよう!」と思い、昼まではガイドブックを読み、ゴアの研究を行い、ちらりとリパッキングを行う。

昼はホテルでマカロニグラタンとチーズトーストサンドイッチを食す。これがまたガーリック風味でなかなか美味でやるじゃない。

ちょこっと街に出る。タバコを買いだめしつつ、食パンやビスケット、ジュースなどを購入する。こういう意味の無い街(失礼な言い方だなぁ)というか、ガイドブックにのっていないような街に連泊して、街をぷらぷら歩くってのは、この街に合法的体験入学してるみたいで楽しいもんだが、あっというまに汗だくだくになり、ゆっくりする日だったと思い直し、ホテルへ戻る。

出発前に作成した計画書を見直し、いろいろと考えて持ってきた装備が、実際使ってみてどうだったかというところをちらりとメモしてみた。

そして、夕方からはゆっくりと小説を読んだ。とにかく、どうせなら全ラウンドを攻撃的に戦いたいなぁ、と思う。そして、ぼくには、やっぱり、ときおり、ちょっぴり「センチ」になりすぎるところがあるんだなぁと反省してみたりする。

夜飯はチキンマサーラーを食べたがあんまり美味くなかった。だいぶゆっくりできたなぁと思ったが、部屋に蚊が多く、結局2時くらいまで寝れなかった・・。

<21.Feb.2004 Day-126>

From Khed to Sangameshwar 86.3km

今日は目標100kmコースだ。早く出発して、午前中に50km走ろうじゃないか。レストランでチャイにバタートーストを食し、昨日買ったミルクブレッドを追加投入して(シンプルで美味い系)出発。ムンバイから何故かパワー全開にできなかったが、1日休んだらやっと100%力が入るようになった。肩・腰・ロッコツは痛いがこんだけのパワーがあれば、なんとかいけそうだ。そして出発前にまたしてもお湯バケツを2杯持ってきてくれた。ここのおじさんは片言の英語しか話せない人だったが、すんごい気のきくいいおじさんだった。

早速標高40メーターから180メーターまでアップ。そして昨日は疲れをとることを目標としていたので、まったく自転車のメンテをしていなかったが、パンクしているのかフロントタイヤの空気がかなり減っており、また、走りながら分かるくらいリアタイヤが「振れ」ていた。なかなか距離は稼げない。2本走り35m進んだチップルンの街で昼飯。河の側が中心となっているこの街はなかなかよさげな感じだった。チキンフライドライスとスイートラッシーを食す。自転車を見てみると、案の定、リアのスポーク(フリー側)が折れていた。これで何本目だ?ブレーキシューがあたらないように、そのシューの感覚だけ広げて出発。暑くて応急処置をする気もしない。そして昼からまた木陰での小休憩を挟みながらアップダウンを繰り返す。自転車からは降りずに、木陰ではぁはぁいいながら、ぼとぼとと汗をかいていると、非常に動物的な感じがする。こんなにムンバイ-ゴア間が辛いとは思ってなかった。途中「ほんとオレ何やっているんだろう?」と意味の無い自問自答をしながら、必死に、ぶっ倒れないように走る。ただ、そんな暑さを最大限に楽しまなくてはあかんなぁと思い、途中の街でアイスを食ったりして休憩しながら進む。結局17時にホテルのレストランでチャイとパールGを1袋平らげて再度出発するが、昼からかなりの体力を消耗したせいか、なかなか進めず。結局この日は85km弱走り、サンガメシュワールという街に到着したのが日没と同じ19時。街の中心部でホテルを聞いたが、1軒しかないらしく、そのホテルでは飯も食べることができないとのこと。とりあえずそこに行ってみると、お寺みたいなところで、1晩200Rs。しかもなんでだかわからんが、明日の朝6時か7時にはチェックアウトしてくれと言われる。まぁ、朝早く出発できるのはいいことだ。

熱いんだバカ!アップダウン。

さくっとストレッチをした後、5分くらい歩き、街の中心部へ飯を食いに出かける。夕方ビスケット1袋食べたし、日中水を飲みすぎたせいか(走っているときに2〜3Lは水を飲んでいるし、それにプラスして炭酸のジュースを2〜3本飲んでいるが、出ていく水分に対して半分くらいだと思う)あんまりお腹は減っていない。レストランらしいレストランもなかったので、バススタンド近くの屋台でオムレツパンとチャイを食す。また、ブルジー(といっていた気がする)という一見焼き肉炒めのようなものとパンにチャイを食す。とどめは2Rsでスイカを食した。インドの食事は決して「カレー」ではなく、こういった「スナック」が神髄だと思う。チャリダーは要炭水化物なので、あんまりスナックを食べ歩いたりはしないが、この屋台の食べ歩きは幸せだ。明日の朝飯用のパンやジュースを買って帰る。パキスタンで買った(インドでも見かけた)10Rsショップのミニ懐中電灯が活躍。街灯もまったくないところだったし、人々も懐中電灯を持って歩いていたりする。

ホテル?に戻り、折れてしまったスポークを新しいスポークに交換する。スプロケットを外して編み上げることもできたが、あんまり余計なことはしたくないと思い、またしても針金でスポークを取り付け、ニップルで締め上げ、振れ取りを行った。また、前輪はパンクしている気もしたが、とりあえず空気だけ入れて就寝。明日は5時半には起きようと思い、寝たのが11時過ぎ。朝から晩まで必死です。

<22.Feb.2004 Day-127>

From Sangameshwar to Rajpura 91.2km

結局6時に起き、朝飯を食べてすべての用意を行う。おそらく7時前には「おい、はやくこの部屋を出ろ!」と、言われると思っていたが、なんにもなく、思わず8時くらいまでうたたねしてしまう。結局8時過ぎに出発。

1本目を走りはじめるとガタガタ道が続いた。続いてフロントキャリアの調子もおかしく、聞きながら走っている音楽に影響を与えるほどのデシベルで「キイキイ」いっている。1本目を走り終え、フロントパニアを外し見てみると、左フロントキャリアの金枠の下の付け根部分が、パキッと折れてしまっている。とりあえず針金で応急処置したが、針金を引っかける部分がないので、あんまりきっちりと固定できないがどうだろう。早速腹が減ってしまったので、パンを食い再出発。

なんとかキャリアからの異音は収まった。アップダウンを繰り返し、なかなか距離が稼げない。適当にアールゴービーとライスの昼飯を食す。パン(ローティと呼ばれるチャパティ系)よりもライスの方が、消化が遅いので、夕方の涼しくなってからでも頑張れるだろうと考え、昼飯はライスをとるようにしていた。

100メーターから200メーター登ってはまた下るというアップダウンを繰り返す。ちなみにどうでもいいけど、アップはヒンドゥー語でウーパル、ダウンはニーチェであり、これらの言葉は非常に役に立っている。登りのときは時速5kmくらいになり、腕にハエが止まったりして「バカにすんなよちくしょ〜」と叫びながら走った。背広着て働いている時には、この気持ちなかなかわからなかっただろう、いろんな意味で心から悔しいのである。

やっとこさランジャの街に到着したのが17時。チャイにパールGを1袋食す。そしてここから僕の得意技である「立ちこぎ」がこの旅初めて用いられた。この特技は決して履歴書に書けるたぐいの特技や資格ではないが、なかなかできそうでできない技である。お米10kgをカゴに入れたママチャリをこいでいるというレベルではなく、80kg近い荷物を前後左右に背負って走っているわけだから、この状態で立ったまま1時間くらい坂道を立ちこぎし続けるってゆうのは、なかなかの熟練工でなければできないことである。ひ弱でまったく筋力のない僕は、この立ちこぎをしながら、左の足、右の足、左の足へと全身の体重移動運動を続け、スピードアップをはかり進んでいくのである。必然的に坂道で1.5〜2倍くらいスピードがアップした。完全に自分の中だけでの範疇だが、とにかく自分信じて必死でピョンピョンと飛び跳ねながら立ちこぎを続ける自分自身こそ最高でしょ!と思ったりする。端から見たら「なんじゃありゃ?」で終わる話なのだが・・。思うに、やっぱりあくせくと試行錯誤したりとか、忍耐強く我慢してやってきたってことは、どこか自分にたいして否定できない嘘があるんだ(あったんだ)と思う。とにかく今の瞬間さえ必死であれば、あくせくと試行錯誤したなぁとか、忍耐強く我慢したなぁという思い出が(ほろ苦い思い出群が)作られることはないんじゃないかなぁと思ったりした。簡単にいうと、転んでから、朝早く起きなくちゃだめだぁ、とか、午前中に距離稼がなくっちゃだめだぁ、とか、夜は絶対に走っちゃだめだぁとか考えていろいろとここ2、3日やってきた気がするけど、それらは単なる言い訳で、要はせいいっぱいペダルをこぐことだけが正解であり、それ以外に答えは存在しえない、という気がした。

よく走ったけど、暗くなってきた。ただ、今日はラージャプラの街までいくことが目標なので、テールライトとヘッドライトを取り出す。旅はまだ終わらない。ただ、2〜3分ごとにやってくる対向車に対してはその都度立ち止まることにし、その都度グーにした手から、親指だけを下に向けて出してみたり、グーにした手から中指だけを突き出してみたりした。たまにアッパーライトを使っていない車もあったが、自転車が走っているとわかると、彼らはアッパーライトにした。外灯もなく暗い道なのでアッパーライトを使いたくなる気持ちはわかるが、恐らくただの自分勝手であり、スピードを上げて走りたいがためだけにアッパーライトを使ってしまうのは止めてほしいと思ったわけだ。

そして19時半にラージャプラの街に到着。これもレストランの2階の従業員部屋に並んだところの部屋で1泊200Rs。でっかい蜂が2匹おり、残念ながら即効でやっつけさせてもらった。たまにゴキブリ君などもホテルにはおるが、これらの小動物を殺生する際に、日本から持ってきている「塩化ベンザルコル溶液」をミネラルウォーターで薄めた消毒液を吹きかけ、弱まったところを一網打尽にする作戦をとっておる。

チキンフライドライスとベジタブルクリアスープを食す。夕方結構食べているので、明らかに食べ過ぎだ。部屋の中も暑いので、外のいすに腰掛けゆっくりする。ゴアまであと200kmまで来ただろうか、地図と実際に国道沿いにある距離標とは誤差が30km近くあるが、だいぶ見えてきた。とにかく、ゴアまでたどり着いて、そこから1歩でも踏み出せば今回の旅は完遂だ。

<23.Feb.2004 Day-128>

From Rajpura to Kudal 94.3km

7時半に下のレストランにいってみるがシーンとしている。とりあえず3日前に買ったパンを食し、用意を整える。9時ころオーナーが現れたので、朝からコーラを飲む。今日の目標はミニマムでクダル、マキシマムでベンギュリアというところだ。できるだけゴアへ近づけたい。

登り下りを繰り返し、1時間で10kmしか進めず。結局2本走り20kmしか進めないが昼飯にすることにした。ミックスベジタブルを食べたが、ここに来て野菜系のカレーもどろどろしてきて、あんまり美味くない。ちなみに、毎朝出発する時にはミネラルウォーター常時飲む用2Lと予備用の3Lを満タンにしている。そして、昼飯の時に1L、昼過ぎに1Lと最低日中に2本のミネラルウォーターを買って飲んでいる。立ちこぎを取り入れたので、時速はそこそこだが、やっぱり途中途中木陰で休みながらじゃないと走れないので、なかなか進めない。盆地の風景は変わらないが、途中途中やせ細った細長いサボテンと砂というか土が赤く、やや砂漠の風景になっている。そしてやせ細っていない、りっぱな牛がそこらへんをのしのし歩いているというイメージがあった。

17時、60km走り、カンカウリの街に到着。サモーサー(カレー味のじゃがいもはる巻きといったところでしょうか)とペプシコーラを食す。なんてインド人らしい生活なんでしょう。ちなみにインド人は結構このサモーサーなどのスナックをよく夕方食べており、その分夕食は21時前後と遅いイメージがある。そして、昨日同様テールライト・ヘッドライトを取り出し再度出発。ただ、だいぶここらへんは平坦な道になっており、かっとばせた。クダルの街に到着し、考えたあげくこの街に宿泊することにした。どうも、地図にかかれている距離が間違っており、道路の脇に立っている距離標の方(数字)が正しい気がしたからだ。このSATYAMホテルは200Rs。夜飯はチキンマサーラー定食を食べ、なかなか美味だった。食後、ゴアをどのようにしようか、どのビーチに宿泊するかいろいろと考えてみた。目標としては州都パナジ(パンジン)に到着し、2、3日掲示板の更新したり、両替したり、メンテしたりして、その後、30km南にあるコルヴァというビーチで2、3日ゆっくりしよう。もしパナジまで到着できなければ、温泉もあるというゴア最北のビーチ「アランボル」に泊まって先にゆっくりすることにし、あとからパナジでその他雑務をこなそう、と考えた。

とにかく、今回パタゴニアの発汗性のよい半袖シャツを持ってきているが、汗で飽和しているというか、塩分いっぱいになってしまったのか、一日中ぐっちょぐっちょのままになってしまっている。水風呂を浴びて就寝。

<24.Feb.2004 Day-129>

From Kudal to Panaji 82.4km

朝4日前に買ったパンを食べようとしたら、一面に白や青のカビが生えていた、って昨日食べてるんですけど・・。予備のケーキパンを食べ、レストランのスペシャルチャイ(なんでスペシャルなのかわからんけど、確かに美味かった)を食し、出発。ムンバイから長い(長く感じる)旅を続けているが、今日で完成させよう、もう待ちきれないよ。

1本目はすっとばせた。20kmを1本で走り休憩。「いろんな人のサインを集めているんですよ」という少年の手帳にサインをし、出発しようとしたらチャリンコに赤アリがいっぱいくっついている。この赤いアリって噛んだりしちゃうアリじゃなかったっけ?

2本目を走り、パンダという街で昼飯を取ろうとレストランに入ったら、「日本人ですか?」と問い掛けられ「え、日本人ですか?」とオウム返しする。恐らく今までに日本人が来たことは皆無に近いであろうパンダという街に、自転車冒険家日本人4人が終結した。覚えている限りのことを書こう。その後の暑さでやられて記憶があいまいでごちゃごちゃになってしまっているのだが・・。

この3人組みは僕と同じように自転車で旅をしている日本人だった。ただ、それぞればらばらの出発である。

1人はイワサキさんという僕と同じかちょっと年上くらいの青年で、韓国から始まって中国、東南アジア、そしてまた中国、チベット、ネパールそしてインドまで3年だか5年だかかけて自転車で旅をしているらしい。ちなみに日本人で自転車で旅をしているツーリストにあったのは僕が最初らしく、また、僕と同じように会社を辞めて旅に出てきたそうだ。目標は僕と同じ最南端のカニャクマリで、帰りは別ルートでまた日本まで自転車をこいでいくらしい。

もう1人はオウミさんとおっしゃるおじさんで、ものすごい豪快かつパワフルな方だった。エベレストを見るため、真冬に5,000メーター級のトレッキングを運動靴でやった後、ネパールからイワサキさんと合流し(そのいきさつが不明である)、折り畳み自転車にリヤカーをくっつけて、自転車の旅をしているらしい。バラナシなどを回ってきたと言っていたので、おそらくインドの真ん中を走ってムンバイまで来たのだと思う。このおじさんは会社をつぶして旅に出てきたらしい。最南端まで行った後、バングラディシュまでは自転車で行きたいといっていた。

最後の1人はタケシ君という大学生?で、春休みのバックパッキングでインドに来たら、ムンバイでこの強烈な2人組みと遭遇し、またちょうど別な1人が、一緒に自転車で旅をすることになって自転車を買ったがキャンセルになり、自転車があまっていたので、この2人組みと一緒にムンバイからゴアまで自転車で旅することになったらしい。

なかなか嬉しい出会いであり、そしてこのムンバイ-ゴア間を苦戦していたところだったのでなお嬉しかった。ちなみにこの3人組みは14日間くらいかかってここまで来たという。「1日に100kmも進めるんですか?いいなぁ!」と言われたけど、こんだけの装備を持っていて100kmしか走れないという感じなのだが・・。

そして一番びっくりしたのは、なぜ、14日間もかかったかというと、途中オウミさんがすっころんでケガをしてしまい、病院に行っていたかららしい。「いや〜、ちょうど僕もすっ転んで、咳するだけでロッコツが痛いんですよねぇ」と僕がいうと、オウミさんが「笑うだけで痛いんだから!私も転んで病院にいったらロッコツにヒビが入っているよっていわれてさぁ!」とまったく僕と同じで驚きである。しかも、「ちょうどペンの街に入る手前5kmくらいですかねぇ、オウミさんが転んだのは・・」とイワサキさんが付け加えて言った。これはまったく作り話でもなんでもなく、ただただその時寒イボをたてたのだが、僕が転んだところとまったく同じ場所なのだ。オウミさんも同じ右ひじにカサブタを作っており、そこには5匹くらいハエがたかっておりオウミさんは「傷口ってのはうまいんかねぇ」とつぶやいていた。

4人で昼飯を食べつつ、オウミさんは日本で安宿チェーン店を作ることを考えているらしく、4月には札幌にある自分のビルをドミトリーに変更するため、一度帰国するらしい。「走りながら名前やロゴを考えているんじゃが、ロゴがリアカーじゃ世界に通用しないと思ってさぁ」とぼやいていた。非常に痛快かつ豪快な方たちに巡り合えて幸運だった。恐らく日本国はこの4人が現在インドにいることで、GNPの数%を下げているに違いない。

オウミさんを先頭にバラバラに出発した。数キロ先に自転車の後ろに付けたリアカーを右に左にジグザクさせながら走っているオウミさんが見えた。やっとオウミさんにたどり着くと、ちょうどゴア州に入ったところの境界というか検問所だった。オウミさんは汗をダクダクたらしながら「トラックドライバーからいくらの税金を取っているんだい?」とそこにいる警官に聞いた後、僕に「日本とおんなじで取り易いところから税金とるんだよなぁ、まったく!」と言った。

イワサキさん、タケシ君も自転車を押してちょうど坂の頂上になっているこの検問所に追いついた。4人そして4台の自転車をならべて記念撮影。残念ながらやっぱり40℃以上になるとヘソを曲げてしまうPDA(クリエ)は動かず。ソニーの300万画素のデジカメを持っており、ムンバイの東京三菱銀行で3,000$(30万近く)をおろしたというオウミさんは「ソニーってのはこれだからだめなんだな、これが世界のソニーだよ、世界の!」と言った。

ここからまた一人旅が始まった。彼らはかつて何十年か前にはヌーディストビーチであったアンジュナビーチに行く(今でもその歴史が残っていることを期待して!)予定になっていたので、とりあえずお別れだが、目標地点が同じ以上またどこかで会えるかもしれない。

ゴア州に入ると特に酒屋が目立つ。そしてアップダウンの斜度がきつくなった。夕方17時にサモサ2つに7Upをのみ、走り始める。

そしてこの1本はまた寒イボが立つくらい、ただ充実した走りだった。そして18時半、目標のパナジへ到着。ちょうどマンドビ河に架かる橋を渡っている瞬間、夕暮れが沈む瞬間とどんぴしゃであり、この日3回目の寒イボを立てる。「Welcome to Panjin」の看板の前で記念撮影をし、余韻を楽しんだ後、ホテル探しへ。ロンプラにのっていたホテルレパプリカは200Rs。

とりあえず汗でぐっちょぐっちょになっていたので、風呂に入る。適当に夕飯を食いに行った後、ゴア限定らしい「ハワード2000」というビールとポテチ買ってホテルで晩餐する。いやほんとよくやったわ、いやほんとつかれたわぁ、とただ繰り返しつぶやき続けた・・。

<25.Feb.2004 Day-130>

Stay Panaji

4日間休み無しで走ったので、久々の休日だ。目覚めの瞬間も気分的にゆっくりしている。とりあえずホテルの従業員にコーヒーを頼み、パールGを1袋食す。そして、昨晩ビールを飲んだら面倒になってしまい、ほったらかしておいた洗濯物にとりかかる。なんとか30分で終了。ただ、バケツを使って洗濯物を洗うときはいいものの、洗濯物を絞って脱水しようとすると、アバラ骨も一緒に絞られてしまう。あいたたた。その後手帳(日記帳)を2時間かけて読み返す。できれば今日中にこの掲示板の更新を終了させ、明日は1日かけて自転車のメンテナンスをし、やることぜんぶやって、明後日には念願のビーチへ移動したいのだ。

昨晩街を歩いたときは暗かったので分からなかったが、結構ネットカフェはあるし、街は栄えている。昼飯は中華がある店を探し、チョウメンにファンタオレンジを食す。

教会の前から続く目抜き通り(らしいところ)を歩く。HDFC銀行にてコーチン分までをキャッシングした。ATMのボックスにはクーラーが入っており、このままずっと長居したくなる。ちなみにATMの前には、たいていどこでも銃を持った護衛が1人座っている。これなら日本みたいにブルトーザーで持っていかれたりはしないだろう。

毎晩毎晩「蚊」と死闘を続け、日本から持ってきた蚊取り線香が無くなってしまったので、「グッドナイト」というインド製の蚊取り線香を14巻16Rsで購入する。ちなみに、バピの街で買った液体系の蚊取り線香は、「ものすっごい危険です。絶対に子どもに触らせないように!」と書いてある割には、残念ながらほとんど効果なかった・・。さらにいろいろと服や電化製品などの店が入ったミニデパートで、CDを2枚購入した。このうち1枚は「カンナタリミックス(だったかな?)」というアルバムで、MTVインドでちょくちょくCMをやっていたCDであり、気になっていたものだったので、ゲットできてちょっとうれしい。ただ、ここの売り場のオバチャンは「なんでここで買うの?面倒だなぁ!」って顔しており、驚くほど売る気&やる気なかった。

エアコンの効いた喫茶店でコーヒーに甘いものを食し、外で一服してからネットカフェに行く。5時間ちょっとで7日分の掲示板を更新することができた。ふぅ。そこらへんでコーヒーを買い、通りの脇にあるベンチに、欧米人観光客と一緒に座って一服する。喫煙者には住みづらい街である。昼間と同じ店に行き、プローンフライドライスを食す。子エビの入ったチャーハンは驚くほどうまい。4ヶ月ぶりで食べたエビは、俗な言い方をすると「ぷりぷり」しておった。

食後またコーヒーを買い、ベンチで飲みながら一服し、別のネットカフェで再執筆開始。深夜0時までかかって4日分を更新し、ここまでの更新をすべて終了。

昼間は賑わいを見せていたが、野犬を除き今や完全に静まり返っている目抜き通りを歩き、ホテルに戻る。すでに寝ていたホテルの従業員を起こし、コーラを買って部屋に戻る。むしむししており、これじゃ寝れないなぁ、と思っていたら停電し、扇風機も止まってしまった・・。

<26.Feb.2004 Day-131>

Stay Panaji

本日は朝チャイを頼み、昨日買っておいたパンとパールGを食す。

ここまでデリー、ナブサリの街と、だいたい1,000kmくらい走ったらを目安に、全面的な自転車のメンテナンスを行っていた。ここからインド最南端まで約1,000kmくらいなので、今回が最後のメンテナンスディとなる。気合入れてやろう。

午前中はパニアのメンテナンス。ペンの街で転倒し、小さな穴が開いたままになっていたフロントの右パニアを、ビニール袋とガムテープを使って補修した。その他計4つのパニアのネジの増し締め、ホコリ取り、形直し、リパッキングを行った。

部屋の扉をあけっぱにしてやっていたので、従業員がちょくちょく入って見物しにきた。ゴア周辺で話されるコンカニ語のレッスンを受けたがよく分からず。

昼飯は昨日と同じ店に行く。公園の前にあるこの店は「フードパラダイス」という名前らしく、酒を飲むのがメインのレストランらしい。昨晩エビチャーハンがうまかったので、プローンチョウメン(エビ入りアンカケヤキソバ)を頼むとこれがまた美味かった。

4人がけの席で昼飯を食っていたが、相席していたインド人3人組みは、カレーに魚のフライとライスという定食を食べながら、普通に英語で会話していた。ここらへんではいろいろな言葉が使われているので、多数決の原則上、英語一番がてっとりばやいのだろうか。1番最初に料理が来た兄さんが「なんで俺の魚だけ冷えてんのよ!」と文句を言っておった。

やや量が足りず、昨日行った冷房の効いた喫茶店に行き、コーヒーと甘いものを食した後、ホテルへ戻って作業再開。自転車をホテルの自分の部屋へ入れようとして断られるケースが多くなっており、ここでも自転車をホテルの2階に置いていたので、この2階で工具を広げ作業した。

ヘッドの増し締め・グリスアップ。シートピラー・ポストのグリスアップ・高さ調整、自転車全体のホコリ取り・ウエスがけ。キャリア・ボトルゲージ・ペダル・チェーンリングの増し締め・ホコリ取り。そして、前後のタイヤをブラッシングした後、前後のタイヤを入れ替えた。5,000kmならタイヤもなんとか持つだろうと思っていたが、ムンバイ以降非常に気温が暑く、また路面温度も相当高かったせいか、前に比べて荷重の重い、リアのタイヤのブロックが半分くらいにまで擦り減っていたからである。そしてフロントタイヤの空気の減りが激しかったので、タイヤの中をチェックしてみると、タイヤに釘が刺さっていた。と思ったら、釘ではなくサボテンのトゲらしきものが刺さっており、チューブを交換した。(どこかのホームページで「南米走行に最適!サボテンのトゲ対策済み!」というタイヤを見たことがある)また、チェーンとスプロケットの汚れを歯ブラッシングして注油した後、プーリーを分解し、グリスアップする。

ファンタとチャイを飲みながら作業をしていたら、このホテルに同じく宿泊しているという日本人旅行者に会った。彼はホテルのバルコニーでゆっくり読書したかったらしいのだが、そこには欧米人の女性が、なにやら神妙な顔つきで書き物をしており、なんだか居づらくなって、ペスト読書スポットを探してうろうろしていたところだった。僕をみた瞬間、彼は「結構自転車で旅している人って多いんですねぇ!」と言った。彼はムンバイにてリヤカーチャリダーの「オウミさん」と「イワサキ」さんにあって話をしたらしい・・。自転車で旅している人がいっぱいいるわけじゃありません、たまたまです!

彼は3週間かけインドを旅する20歳の大学生。彼は毎日のように、州政府主催のバスツアー(安くていろいろな所を見てまわれる)に参加しているようで、昨日は北ゴアツアー、今日は南ゴアツアーに参加しており、明日はバックウォーターツアーに参加する予定らしい。しきりに「インド人ってほんと親切ですよねぇ」と言いながら、ホテルの従業員とも仲良くおしゃべりをしていた彼が、もしアジアバックパッキング大学というものがありそこに入学したとしたら、おそらくそうとう優秀な成績で卒業することができたに違いない。

部屋に戻り、パンクしたチューブの補修(パッチ貼り)を行い、すべて作業が終了したのが19時。

ちょろっとネットカフェに行き、「熱射病」に関して調べたりしてみた。ムンバイ以降、走っているときはもとより、寝る前や朝起きた時でも、絶えず心臓がバクバクいっているのが気になっていた。調べてみると、これってゆうのは脱水症状が激しくなった場合に、こういったように鼓動が激しなる、と書いてあった。ただ、それに対しては風通しの良い日陰で休みを取り、しっかりと水分を補給するという今までどおりの対処法しか書かれていなかったが・・。

フードパラダイスに行きチキンフライドライスを食す。なんでも美味い。そしてビールでも飲んで寝ようと思ったら、一昨日ビールを買った店が閉まっている・・。晩餐用に昼間チョコレートやポテチを買っておいてあったので、諦めるわけにはいかず、バーでSAND PIPERというビールを買い、ホテルの部屋でゆっくりと飲んだ。チャイを飲むときに使うガラス製のコップがあったので、それに注いで飲んで見たら、なんとなく日本のラーメン屋や居酒屋ででてくる○○ビールと書かれてコップに見えてくるから不思議だ。

<27.Feb.2004 Day-132>

From Panaji to Colva 39.3km

「はっ」と起きたら朝9時だった。このホテルは10時チェックアウトであり、今日はコルヴァというビーチへ移動しようと考えていたので、「しまった、遅刻だ!」という、懐かしい感じがした朝である。ちなみに気が付いたときから、目覚し時計という存在自体がバカ臭くなり、行程上朝早く起きなくてはいけないときでも、ほとんど目覚ましは使っていない。急いでコーヒーだけ頼み、パンをかじって出発。このホテルの従業員の人たちは、みんなフレンドリーで感じが良く、コーヒーをちょくちょくと何杯か頼んでいたら、どんどんその量が増えてうれしかった。

出発。チェーンを掃除したせいか、はたまたタイヤを前後履き替えてみたせいか、非常にかる〜く走ることができる。ただ、1本目の終わりに、またしても右足がつってしまった。ただ、これは昨日ネットで見た熱射病のホームページに書いてあったのだが、体温が上昇し続け、脱水症状がひどくなると、四肢が痙攣することもあると書いてあった。ちなみにリヤカーチャリダー「オウミさん」は、ムンバイ-ゴア間を14日間かけて走っていたとき、2回病院にいったといっていた。1回目は転んでアバラを折ったとき、もう1回は四肢が痺れて動けなくなった時であり、1日中点滴を打っていたと言っていた。何もしなくても汗がだらだら出てくる、日中40℃前後の気温の中、じりじりと太陽に照らされながら、1時間も自転車を走っていると熱射病にかかるのは当然だろうし、ましてや骨にヒビが入ったりしていたら、その分がかなり負担になってしまい、どこかが痙攣したりなどの症状を引き起こすのだろう。

1本目を走り終え、CDをビートインターナショナルのエクカージョンオンザバージョンに交換する。ちなみに今回音楽を聴きながら自転車をこぐため、日本からCDとMDを各40枚前後持ってきている。だいたい、1時間に20km走る間に1枚のアルバム(CDやMD)を聞くというスタイルをとっているので、この時点で合計80枚を3、4回サイクルは聞いたと思う。が、「夏」「海」「暑」というイメージが(勝手に自分の中に)あるので出し惜しみにしていたCDとMDがあり、それがこのビートインターナショナルのエクスカージョンオンザバージョンとベックのオディレイ、ノーダウトのトラジックキングダム、モンドグロッソのMGこれら4枚である。ノーマンクックがファットボーイスリムとして活動する前の母体であったビートインターナショナルは、ちょっぴりレゲエテイストなミドルテンポなビートが、ヤシの木が生い茂るゴアにぴったりである。

男性がスクーターを運転し、その後ろに女性が横向きに座って2人乗りするという東南アジア的な風景はインドでも同様に見られるが、なにかゴアはそのインドでのイメージと違う。なんで違うのかなぁと自転車をこぎながら考えてみると、ゴアの女性はサリーなどといったインド的な服装ではなく、洋装しておりスカートをはいているので、他のインドと雰囲気が違うんだなぁということに気がついた。

そんなことを考えながらマルガオの交差点に到着し、国道を右折、すぐいったところで昼飯にした。ここも日本の中華料理屋で出しても好評だろうアンカケヤキソバを食す。ちなみにチョウメン(ヌードル)といわれる類のインドの中華料理は、西インドに入ってから、北インドで食べたような「ソースヤキソバ」系から「アンカケヤキソバ」系が多くなった気がする。

そしてそこから5km程度走り、念願のビーチ「コルヴァビーチ」へ到着!ビーチらしいショットはやっぱ砂浜でなくちゃだめだろうと思い、えっさほいさと砂浜の上を自転車押していると、警官に「ここで寝泊まりしたらあかんぞ、ホテルなんて200Rsちょっとでごろごろしてるからな!」と怒られた。おそらく結構野宿している長期旅行者がいるんだろうなぁと思う。とりあえず記念撮影およびタバコを一服。「あぁ、海っていいなぁ」と、単純に思う。そして、ここが当初のゴール地点であっただけに、「とうとう来たなぁ」とも、単純に思った。最南端にゴールを変更したので、ここから約1,000kmは走るのだが、一つの区切りとしてここでゆっくりしたい。

念願のビーチ!

適当にホテルを探していると、ゾウリ屋のおやじが現れ、何やら話しているうちにコルヴァビーチリゾートというホテルに決定。350Rsを300Rsにしてもらったが、石鹸、バスタオル、テレビが付いているのはもとより、1階の広い部屋で、しかもバルコニーがついており、手入れしてある庭がすぐそばでよかった。ホテルのフロント脇にはコイも泳いでいるし、りっぱないかにもリゾートホテルだった、これならゆっくりできそう!

しばしホテルの隣りのレストランでラッシーを飲んでゆっくりした後、ビーチへ向かう。歩いて2分でビーチに行けるなんて素晴らしい!ゴア州にはおそらく10を超えるビーチがあるのだが、なんでこのコルヴァヴィーチを選んだかというと、落ち着いてゆっくりできそうなところだなぁと、ガイドブック見て思ったからだ。そしてガイドブックの通り、インド人と欧米人の中年層が多いビーチだった、田舎の海水浴場みたいな感じでGOOD。また、世界的に有名なゴアのビーチだけあり、どこまでも続くヤシの木とどこまでも続く白い砂浜が素晴らしい。そしてビーチのレストラン(まぁ海の家ですなぁ)でフルーツサラダを食し、コーヒーを数杯飲みながらゆっくりと3時間くらい本を読んで過ごす、これ最高。

アラビア海に夕陽が沈んだので、買い物してホテルへ戻る。部屋に荷物を置いた後、ホテルから歩いて15秒のレストランへ行く。落ち着いたレストランでU2がかかっていたが、いるのはもっぱら顔を真っ赤にしてビール飲んでいる欧米人のおじさん・おばさんである。ゴア魚カレーとツナサラダを食したがちょっと料理が多すぎた。少々食いすぎたので、ホテルの部屋に戻りゆっくりしながら、インドの国営(?)ニュース専門番組を見ていると(絶えず画面の下の方に、英語とヒンドゥー語の字幕(テロップ)でニュースを流している)、「デスセンテンス!トーキョーガスアタック1995ノグル」とテロップが流れた。そういや、このグルはインドで修行したことがあるんだなぁということを思い出した。

ホテルから歩いて5秒のネットカフェに行く。1台だけなんとか日本語でメールチェックすることができた。

そしてホテルに戻り、夜勤のおじさんにビールをお願いし、冷たいビールを部屋で飲んだ。というか、今日ビーチの帰りに買った「カシューナッツ」がほんとに美味い!もともと僕はこの「豆」が好物なのだが、これを買うときに75Rsと聞いて「高いなぁ」と思ったが、200gも入って200円くらいなら安いもんだと思い直した。

<28.Feb.2004 Day-133>

Stay Colva

昨晩はビール飲んでいろいろなことを考えることができた。ホテルの隣のレストランへ行き、バタートーストとココアを食す。

部屋へ戻り、音量を1つ小さくすると聞こえないし、音量を1つ大きくすると耳が割れるくらいに大きくなってしまう、気難しいテレビでBBCを見ながら、ガンガンに大きな音にしたまま昼寝をしてしまう、これがまた気持ち良い。

そして、歩いて2分、昨日の夕方いったビーチのレストラン(まぁ海の家ですな)に行き、子エビゴアカレーを食す。あえてゴアカレーと呼ぶのは、北インドのカレーでも西インドのカレーでもない、ゴア独特な味付け(ポルトガル風?)のカレーになっているからである。これがまたほんと美味!そしてまたちょくちょくとコーヒーやミルクティを頼みながらアラビア海に夕陽が沈むまで5時間くらいかけて、ゆっくり、ゆっくりと本を読んだ。

ビーチの空には、パラグライダーをボートで引っ張るパラセーリングが常に飛んでおり、海と空とのコントラストが大変素晴らしい。ジェットスキーをやっている人もいたし、ドルフィンクルーズ用のボートがひっきりなしに出ていたが、今僕がそんなことやったらあっというまにアバラが再起不能になるんだろうなぁとぽけっと考えたりしてみた。

そして、この旅2回目『日常生活の冒険』を読了。とにかくこの本は、今後も読むたびに僕への意味付けを変えていくのだろうなぁ、と漠然と考えたが、今後も僕のバイブルであり続けることは間違いない。

サンダル脱ぎ、アラビア海の温かさを感じながら、波打ち際をぴちゃぴちゃと歩いて帰る。ちなみに僕はカナヅチなのだが、海で泳いでいるのは若い高校生くらいのインド人だけだった。あとはちらほらと若い欧米人のカップルが海で泳いでいたが、もっぱら日光浴がメインらしく、金持ちインド人ファミリーか、「定年退職したのでゆっくりしに来ました」みたいな感じの欧米人中年夫婦が、砂浜にただ座っているという夕景だった。

ホテルの部屋へ戻る。これまで貴重品の持ち運びに関しては、首からぶら下げるタイプと、腰に巻くタイプの2種類を併用していた。首からぶら下げるタイプは直接素肌に接しても気にならないほど肌触りが良いので、Tシャツの中に入れて使用していた。というのも、首からぶら下げている紐が切れたりしても、Tシャツをズボンの中に入れている以上「ストン」と落ちることはないからだ。僕が途中からTシャツ1枚だけではなく、もう1枚半袖のシャツをあえて着ているのにも、こういった理由がある。腰に巻く貴重品入れや通常ポケットに入れて使っている財布は、夜寝る前、かばんに入れて、鍵をかけて寝ることもあったが、この首からぶら下げる貴重品入れだけは肌身外さずに寝ていた。

が、ムンバイ以降あまりにも暑く、この首からぶら下げる貴重品入れが肌触りよい分暑さを助長するし、せっかく発汗性のよいTシャツを着ているが、貴重品入れが1日中汗で濡れっぱなし。特に、胸のあたりにぶら下げていたため、ちょうど痛みを感じる右のアバラ骨のあたりにフィットするので、炎症をより延焼させている気がした。ので、首からぶら下げるタイプの貴重品入れをすべて腰にまく貴重品入れに1本化することにした。(この1行を書くために、なんでこんなに説明を書いたのでしょうか?)そのため、腰に巻く貴重品入れに、キーチェーンと携帯のストラップを取り付け、簡単に盗られたりしないよう補強した。

ネットカフェに行き、これまでの写真をFTPサーバーへ送った。日本にいるデジタル旅人S氏に、このゴアにて写真と動画をコピー&ペーストしてFTPサーバーへ送り、そのサーバーの写真&動画データをCD-Rに焼いて2回目のバックアップを取ってもらうよう、以前にお願いしていたのだ。メールをチェックすると、この掲示板の内容をワードにコピー&ペーストしてバックアップファイルをとってもらっている冒険の伴侶I氏からメールがきており「バックアップワードファイルも80ページなりましたよ」という内容だった。たまたまこのネットカフェにワードが入っていたので文字をカウントすると、16万字になっていた。400字詰め原稿用紙400枚の量である。

そしてまた近くのレストラン「グッドマン」に行く。ソーセージゴアカレーを食ったら、サラミの入っているゴアカレーでこれがまた最高に美味かった。そしてまたホテルの従業員に最高のビール「キングフィッシャープレミアム」を買ってきてもらい、最高のおつまみ「ゴア名産ソルトカシューナッツ」を食べながら1人部屋で晩餐した。もう言うことありません・・。

<29.Feb.2004 Day-134>

Stay Colva

ホテルのレストランでバタートースト2セットとコーヒーを食す。ちなみにまっとうな観光地なので、75Rsと値段も高めである。

午前中はゆっくりと地図やガイドブックを見てゆっくり部屋で過ごし、今後の作戦会議を行う。

このコルヴァでゆっくりするため、パナジですべての所用を済ましてきたので、特にもうすることがない。ガイドブックを参考に昼飯を食いに行くと、ビーチにあるパスタを出す店は観光客でいっぱいだったので、これまたガイドブックにのっていた「パールシー」というレストランへ行く。ゴアにはキリスト教徒が多く、また欧米人観光客が多いこともあってか、ビーフカレーを食べることができた。日本の高級インド料理店で出てくるような美味しさだったが、辛さをミディアムでお願いしたのにむちゃ辛かった。

ホテルを紹介してくれたゾウリ屋のおやじとちょっとくっちゃべった後、ぷらぷらと通りを歩く。明日からの食料、食パンやビスケット、水などを買った後、お土産屋でぴっちぴちのTシャツとガーゼのようなショールを購入する。250Rsを100Rsにして買ったが、こういうお土産屋で何かを買うときは、定価の出ている店や、何件もおんなじものを出している店をあたってから、ハードネゴシエイトして適正価格で買うよりも、自分で「このくらいのツーリストプライスで買えれば買おう」と、自分で値段を決めて買った方がストレスが少ない気がする。なぜかここにはチベットやインドの北にあるカシミール地方のお土産屋が多かった。ちらほらと店のおやじとおしゃべりしてホテルに戻る。

そしてビーチにあるレストラン(だから海の家だってば!)に行く。昨日本を読み終えてしまったので、もう何もすることなく、ただコーヒーをちょくちょく頼みながら、ぽけーっとした。このレストランにて3日間でコーヒーやミルクティを10杯以上飲んだ。これは、「牛乳飲んだら骨がくっつくかも?!」という淡い期待の現れであるが、もう歩くだけでも息を吸うだけでもアバラ骨が痛いという状況になっていた、という現れでもある。びっちびちのTシャツを買ったのも、ガーゼのようなショールを買ったのも、胸に巻くためのアバラ対策(コルセット代わり)である。どうにかゴールに着くまでは、折れた骨がずれて肺に刺さったりして、タバコが吸えなくならないように・・と、必死だったわけだ。思うにパナジにて最後の全体メンテナンスを気合入れてやって、気合入れて増し締めしたりしたときに、ネジは締まったが骨が逆に緩んでしまった感がある・・。

アラビア海に夕陽が沈んだので、波打ち際をちゃぷちゃぷ歩きながらホテルへ戻る。このコルヴァではホテルにて、レストランにて、ビーチにてほんとゆっくりといろいろ考えることができてよかった。

ネットカフェに行き、これまでの動画すべてをFTPサーバーへ送ることができた。蚊に食われまくったのが唯一の残念だが。ちなみにメールチェックをしたら、パンダの街であったチャリダー「イワサキさん」からメールがきており、彼ら一行も無事アンジュナビーチに到着し、ビーチで野宿しているとのこと。また、ビーチには薬をやっている連中ばっかりで、泳ぐビーチではなかった、という内容だった。ちなみにこっちに来てから聞きたくなったCD(曲)があるのだが、なんとかMP3をダウンロードして聞きたいとおもったもなかなかたどり着かない。

「グッドマン」に行き、昨晩大ヒットしたソーセージゴアカレーを食す。ポルトガルが長年この地を支配していたこともあるのか、ゴアカレーはカレーというよりも、トマトベースの西欧料理な感じがする。熱射病のホームページをチェックしたところ、お酒は利尿作用があり、脱水を促進するのであんまりよくない、とあったので、明日からの出発のためにビールは控え、食後ミルクティを飲んだ。すると、「僕ユナイテッドキングダムから来た○○で〜す」とホモ臭い酔っ払いオヤジが現れたので(いつのまにかビールの入ったジョッキと葉巻をもって僕のテーブルに座っていた)ホテルへ戻った。とにかく、アバラが引っ付いたかどうかは別として、ゆっくりと静養することができたし、明日から始まる最終アタック、最南端までを目指す最終アタックを前に、いろいろと考えることができたという点で、このコルヴァというビーチは大正解であり、この世界のどの場所を探しても、今現在僕がいるべき場所はここしかない、と思った。