8.「よくやった!」ラストライブレポート。(インド)
Attack.7 From Goa to Kanyakumari 1,166.0km
(2004年3月1日〜2004年3月23日)
<1.Mar.2004 Day-135>
From Colva to Karwar 83.1km
ホテルの隣のレストランへ行き、バタートースト2セットとチャイを食す。3日くらい続けてビールを飲んだせいか、腹がややゆるい。ただ、ここ1ヶ月以上も、1日10回以上というオーダーの下痢をしていない。腹が強くなったのか、それとも西インドが衛生的なんだろうか?
毎朝ホテルの従業員が庭の芝生に水をやる際、ついでに自分の自転車にまで水をやっていたことを除けば(せっかくチェーンに注油したのに・・)、このホテルは最高だった。(このホテルにチェックインする際、最初は自転車持ち込みOKだったが、あとから偉そうな人が来て、「外に置け」といわれ、部屋から庭に自転車を移動した。「なんでいけないの?」と聞いても「認められていないからだ!」としか言わなかった)
久々の出発。4日間でカルナータカ州のマンガロールを目指す。1本目、5kmくらい走り国道17号に戻り、ごちゃごちゃとしたマルガオの街を抜ける。やはり、100メーター位のアップダウンはあり、なかなか思い通りには進まない。レストランも少なく、3本走って35km進んだところで昼食をとる。と、このレストランにも欧米人ツーリストがいた。35kmくらい走ったが、国道上はほとんとスクーターか単車に乗った欧米人もしくは、欧米人ツーリストをのっけたジープばっかりで、インド人よりも多かった。ほぼ観光客に占領されているというよりも、欧米人観光客が自由に生活できるところなのだろう。
昼食後さらに走り、コンカナの街を通過する。なるほど、ここでやっと気がついたのだが、欧米人はこのゴア州の最南端(?)にあるポレムというビーチに行くため、スクーターや単車にのってたわけだ。ここまで35km走って100組以上欧米人とすれ違ったが、青春の汗を流しながら自転車こいでいる僕に手を振って挨拶をしてくれたのは3人くらいで、あとは「うわぁ、汗だっくだく!きったねぇ〜」って顔して通り過ぎるか、まったくもって無視されてしまった・・。
やはり日中は暑いが、40℃以上にはならず、少しは走りやすくなった気がする。そして、ゴア州からカルナータカ州へと入った。この州境には緩衝地帯(どちらの州にも属さない道路の部分)が50メーターくらいあり、さながら国境のようだった。
「祝!カルナータカ州入境」ということで、炭酸のオレンジジュースを飲む。このあたりにきてから、コカコーラやペプシと同じくらいの割合で、各地の町工場で作っているジュース(だいたいどの工場でも、コカコーラ社でいうところのコカコーラ、スプライト、ファンタオレンジの3種類炭酸ジュースを作っていた。200ml入れ5Rs)を飲むことが多くなった。ここでしばしゆっくりし、汗を拭いていたら、雑貨屋のおやじが氷をくれたので、タオルに氷を入れて走りはじめる。
ヤシの木とアラビア海と夕陽を見ながら目標のカルワールの街へ到着。区画整理されているきれいな街だ。そして、そこらへんにいる人に聞き、ANAND HOTEL 120Rsに決定。ただ、4階の部屋しか空いておらず、今日からガーゼをアバラに巻いていたものの、やっぱり荷揚げが辛い・・。
夕食はホテルの向かいのレストランで食す。コルヴァでそういやカレーばっかりくっていたが、またこうやって走りはじめると、しょっぱい中華が食べたくなる。エッグフライドライスとチキンクリアスープを食す。しょっからいスープが美味いなぁ、と思いながら食べていると、このレストランにいたおやじに「あなたは自転車の前にソーラー充電器を付けていたでしょ?」と鋭い質問をされる。ホテルに着いて荷揚げするときに眺めていたとしても、よくそんなところまで見てたなぁ、と感心する。
話を聞いてみると、このおじさんがかつてカルカッタ(インドの東部にある都市、今はコルカタという)にいたとき、日本の某ゼネコンの下で働いていたらしい。「某F社は東京の渋谷区が本社でしょ?」と10年以上前の話をよく覚えていたが、「グッドモーニングは日本語で%*&@#$%でしょ?」と片言の日本語はさっぱり忘れていた。
街をぶらつく。ゴア州はキリスト教の教会ばっかりだったが、ヒンドゥー教らしき寺院があり、なんとなく「あ〜、インドに戻ってきた〜」という感じがした。薬局でORSを購入。
<2.Mar.2004 Day-136>
From Karwar to Kumta 78.4km
昨晩いったレストランへ行き、ドーサとチャイを食す。たしかこのドーサってのはガイドブックに「米の皮で作ったクレープ」と書いてあった気がする。
そして、部屋に戻り、昨晩薬局で買ったORSを作ってみた。以前にこの掲示板に書いたかもしれないが、このORSっていうのは、たしか経口補助液って訳すんだったろうか、つまるところ、塩と砂糖である。なんで薬局で売られているかというと、ひどく下痢をして、水分補給がおっつかなった時、早急に水分を補給するために使用するものだからである。
今、ぼくのカバンやシャツには汗で白い跡がいっぱい残っており、この白い跡ってのは塩であり、つまり塩分を失っているということになる。(あいまいな知識なので、本当かどうかわからんが)汗をかいたときってのは、単にさっき飲んだ水が、腕や顔から汗として出ているわけではなく、水がどっかで吸収されたものが、血管から、つまり血液の中の水分が、塩分と一緒に出ていっていることになるので、血の巡りが悪くなって心臓がバクバクする。(本当かなぁ?)よって、失った水分と塩分を早急に補給する必要があるが、(補給しないと脱水症状に陥る、これを熱射病というらしい)そのためには水だけ飲んでもだめで、塩分もとらなくてはならない。熱射病のホームページには「塩をペロペロ舐めてもよい」と書いてあったが、なかなかそうはいかないので、飲みやすいように砂糖を加えつつ、体に浸透しやすいような塩と砂糖のバランスにしたのがORSと呼ばれるものであり、これをさらに飲みやすくしたのがポカリスエットやアクエリアスと呼ばれるスポーツ飲料である。
・・長々と書きましたが、「この塩と砂糖だけで作られたORSを、水に溶かして飲んでみたら、ポカリの味がした、塩と砂糖だけなのに!」というこの1行がいいたかったのです。
ちらりと自転車に空気を入れてから荷降しして出発。自転車こぐ前にこれだけでべらぼうの汗をかいてしまった。なんとなく、日中の路面温度が暑く、また夜は多少冷えるためか、すぐにタイヤの空気が抜けてしまう気がする・・。
1本目。ここらへんには米を作っている水田らしいところも多い。あたりまえかもしれないが、「かかし」の顔はインド人だった。1本目の休憩で、ミネラルウォーターを買って飲む。このカルナータカ州の人たちは、南国チックなのか、非常に陽気である。
朝食が足りなかったせいか、あっという間に腹が減り、昼食にする。ミールズ(定食)を食ったがあんまり美味くない。ゴアカレーはあんなに美味かったのに・・。しかも、ゴアではそろってサービス精神旺盛だったが(といって日本のようにまではいかないが)、まったくレストランの従業員もやる気なく、メニューも無くなってしまった。
そして昼からは、20分くらい走ったら木陰で5分くらい休む、というサーキットを繰り返し進んでいく。時折ほんと「ふらっと」倒れそうになる暑さである。3年間北海道にいて汗腺がまったく閉まってしまった人間が、しかも夏でも30℃を超える日なんて数日しかない北海道にいた人間が、よくここまでやれるもんだと感心する。
ミルジャンの街に着いた。当初の予定ではこのミルジャンの街で1泊する予定だったが、明日のクンダプーラの街までは100km以上あるので、もうちょっと今日のうちに進んでおきたい。とりあえずプーリー3枚にミリンダを飲んで腹ごしらえしてから出発。このレストランでは乞食の少年が中まで潜入してきていたが、なんとなくやる気が見られない。
何度か橋を渡りながらクムタの街に到着。アイスを食って休憩をした後、クンダプーラまで104kmの看板が見えた矢先に、カルナータカ州政府経営のホテルがあり、今日は78km走ってここでストップ。250Rsの部屋だったがそれほどたいしたことはない。どうやら州政府経営というよりも、州政府公認のホテルという感じらしい。
部屋から夕陽を見ることができた。シャワーを浴び、しばしゆっくりする。
自分が忘れないためにも、ひとつここにゴアでちょこっと考えたことを書いておく。なぜ本日80km未満で終了したかをもとに。
「ターザン」を買ったり立ち読みしたりしつつ、たまに筋トレに励む肉体系冒険旅人K氏より、以前からその話を聞いて知っていたが、その原理の名前こそ知らなかった。それをコルヴァのネットカフェで熱中症に関するホームページを見ていたとき、たまたま見つけた。「オーバーロード(過負荷)の原則」というらしい。
それは何ぞやというと、筋トレなんかをして、筋肉をつけるということは、体(筋肉)に負担をかけるということである。じゃあ、体(筋肉)に負担をかけ続ければいいかというと、そういうわけにはいかず、逆に疲労になってしまう。だから、たとえば1日筋トレをしたら1日休むとか、今日上半身の筋トレをやったら次の日は下半身の筋トレをするのが、もっとも効果的であり、このちょっと休ませることで、ちょっとだけ筋肉が強く(多く)なることをオーバーロード(過負荷)の原則という。
だから、今日はコルヴァから走りはじめて2日目なので、78kmで早めにホテルに入ることにした。ただ、これがいいたい訳ではない。
なんとなく、現代人が旅に出る(それはどこかここより他の場所へ出かけるということを定義としたい)ってことは、この社会において、「負荷」をかけたり、逆に「負荷」をゼロにするために、使われているのかなぁと思ったりした。日常生活がマンネリズム化し、負荷が低くなってしまったとき、「どっかいきたいなぁ」と考えて負荷を欲することもあるだろうし、逆に日常生活での負荷が高くなれば「どっかいきたいなぁ」と考えるのかなぁと考えてみた。A地点からB地点へとジャンプし、またB地点からC地点へとジャンプし続けなければ、決して満たされることない現代人において、旅に出るってことは非常に有効な手段なんだろうなぁと、コルヴァのビーチで考えたわけだ。この考え自体未完成だが、こっからひも解ける部分は多いと思うので、記念にここに記す。
やはり、レストランにはメニューがない。フライドライスなら作れるということなので、ベジタブルフライドライスを作ってもらったが、これはたんなるコショウだけの味付けゴハンで、チャーハンと程遠い。しかも、ダール(カレースープ)まで付いてきた。嗚呼愛しき中華、しょっぱいもの食べたかったのにぃ!
走っている際、特に口ヒゲに汗が溜まりうっとおしかったので、4ヶ月ぶりにヒゲを剃り落としてみた。・・剃り落としてみると、しっかりとヒゲの部分だけ日焼けしておらず、白いヒゲをつけているみたいで恥ずかしい・・。
とかく、この暑さが本格的になってから、休憩中非常に眠くなることが多くなったのだが、コンタクトをつけっぱなしで寝ることも多くなった。
<3.Mar.2004 Day-137>
From Kumta to Kundapura 106.3km
朝適当にホテルのレストランでパンとチャイを食す。ムンバイ以降100km以上走った日はないが、今日は目標のクンダプラまで100km以上あり、楽しみである。
1、2本目はそれほどアップダウンなく、スムーズに走ることができた。が、朝飯が足りず、11時半に昼飯にする。イドリー(米の皮で作った蒸しパン。というよりもおはぎに近い気がする)とプーリーにカレーをかけて食す。
とりあえずの目標であった50km地点のバトカルに14時到着。まずまずの調子だ、アイスを食す。ほんと南に行くにしたがって、アイス屋が多くなった。創業1924年(この数字は適当)というロゴがあったので、その当時どんなアイスだったかは想像もできないが、やはり赤道が近くなるにつれ、アイスなど冷たいものの需要があるのだろう。
暑さと戦いながら走る。街の女子高生は日傘を差しているが、真っ黒のコウモリ傘を差しており、はたしてその効果が気になる。また、黒いチャドルを着たイスラム教の女性もここらへんになぜか多い。「貧しい人々が多いところは、その貧しさの原因であるカースト制度が存在するヒンドゥー教から改宗するため、イスラム教徒の割合が多くなる」と単純にインドでは考えることができると思うが、このあたりではたぶんもっと複雑な理由がありそうな気がする。
なんとか今日はそれほどバテバテにならずに走ることができている。後20kmのところで、かりんとうとバナナとジュースを食し、再出発。川を何本か越え、目標のクンダプラに到着。休憩を取りながら20時くらいになるだろうと思っていたが、日没前の18時に到着することができた。よしよし上出来。
6〜7階建てのホテルがあり、500Rsくらいかなぁと予想してと入ってみると、シングルで150Rs。拍子抜けしてダブルのデラックスルーム300Rsにしてしまった。門番のガードマンは酒臭くてウサン臭かったが、ホテルにはエレベーターがついており、バルコニーもついているしっかりとしたホテルだった。
ゆっくりとテレビを見ているとHBOというチャンネルで日本人発見。「灰暗い水の底から」という日本映画がやっていた。はたしてなんで、だれがこの映画を放映しようと考えたんだろう?ちなみにどこのチャンネルを回しても、ちょうどアジアに売り込みを賭けているのか、三菱ランサーのCMばっかりだった。ついでにいうと、トヨタは「エコ」がんばってます、というCMをよく流していたが、果たしてこのインド人にどこまでエコ感覚が通じるのか不明。もう一つついでにいうと、スズキ(こっちではマルチ社とスズキの合弁会社)はアルトのCMをガンガン流している。アルトならわかるけど、1.8Lのランサーがどこまでインド市場に食い込めるんだろうか?
涼しいバルコニーでゆっくりしていると、蜂が部屋に入ってくる。バルコニーが付いているところでありがちなパターンだ。何をいっているのかよくわからんが、ルームサービスで夕食を頼む。さっぱり片言英語を使える人も少なくなった。よく分からん魚のフライとご飯とカレー。チャムチー(スプーン)さえ付いてこなかったので、手で食べた。中華が食べたいよ〜。
<4.Mar.2004 Day-138>
From Kundapura to Mangalore 97.0km
ちょうどホテルの部屋を出ると、従業員がいたので、よく分からんが朝食を頼む。ドーサ2つとドーナッツの中に玉ねぎが入っているようなものにカレーをかけて食す。
ふと気がついてみると、4Fの部屋だが、部屋中アリンコだらけである。特に、食料部を担当している(パンやビスケットなどが入っている)フロントの左のパニアにいつのまにか小さな穴が空いていたらしく、そこからうじゃうじゃとアリンコが出入りしている。ボディーブローのようなショック・・。一生懸命その穴から次々と出てくるアリンコを、ホテルの鍵を使って次々とバルコニーに振り落として移動させていると、ホテルの従業員がクレンザーみたいなものバルコニーに巻いた。するといつのまにかバルコニーには100匹以上のアリンコが死んでおった。
まったく甘いものなんか入っていないパニアなんかにもアリンコは進入していた。この赤アリは「とにかく中へ入ってみる。中に何もなくてもしょうがない。とにかくまず中へ入ってみること!」というスピリットがあるせいか、どんなところにも進入しており、アリンコ駆除することを諦めて出発。
1本目、4Heroの2Pagesを聞きながら走る。スポークンワードの曲を含め、ほんとスギョクのアルバムだなあ、と思う。最初の目標ウディピという街のホテルで昼食をとる。やっとチキンフライドライスとチキンクリアスープという、ロッコツに異常あり脱水症状気味のチャリダーに嬉しい、最強のパターンであるしょっぱい昼食をとれた。
途中の休憩でORSを飲みつつ(やっぱりあったかいポカリは美味くない)、60km走って2つめの目標であったムルキの街に15時到着。フルーツサラダウィズアイスクリームを食し、しばし休憩。グデグデにならずよく走れてるなぁ、と思ったが、こっからの5本目は道がガタガタで思うように走ることができず。残り15km地点で、その場でオレンジを4つ絞ったジュースにバナナを4本食す。最後の1本、L&Tセメント社の工場を通り抜け、旧道に入る。さっぱり道がよくわからんかったが、そこらへんにいたおっさんに駅の場所だけ聞き、なんとくなく走るとロンプラにのっていたホテルに到着。ホテルマノラマはシングル200Rsだったが、3泊部屋でゆっくり釘付けにさせるため、300Rsのテレビ付き部屋に泊まることにした。このホテルも8階建てくらいで、エレベーターが付いており、ロッコツ異常野郎にとっては嬉しい限りだ。
とりあえずシャワーを浴びる。バスルームに5匹くらい蚊がいたが、毎晩の格闘の戦果か、1分半ですべて叩き殺すことができるまで、腕があがっていることに気が付いた。
歩く。非常に都会的な街である。ちなみに、この「マンガロール」から内陸部へ300kmくらい(かな?)走ったところに「バンガロール」というおんなじような名前の街があり、このバンガロールはインドのシリコンバレーと呼ばれる都会的なところである。「多くのアメリカ人がヴィザとってバンガロールで働いて、かなりの給料をもらっているのに、なんでインド人の給料が低いのか?」という新聞の記事をみたことがある。また、ガイドブックには、「ウィンドウズ95はこのバンガロールで作られた」と書いてあった気がする。
適当に中華がある店で、えびの入ったチャーハンを食す。ネットカフェに2軒行ったが結局日本語ソフト使えず断念。ポテチなどを買った後、ホテルでゆっくりとビールを飲む。なんとか最終アタックの第1タームを無事走ることができたというか、暑さにバテバテではなく、思うように自転車をこげて満足の一杯だ。
<5.Mar.2004 Day-139>
Stay Mangalore
ふぁ、ゆっくり寝れた。朝ホテルの従業員にコーヒーを頼み、昨日買ったパンを食す。新聞も各部屋に無料で配っている、しっかりとしたビジネスホテルである。
洗うのに面倒な短パンと半袖シャツはランドリーサービスに出し、Tシャツなどだけ自分で洗濯する。
とりあえず午前中はゆっくり。今後の行程や、金の計算をする。気がつくと、今回の予算30万をすでに超えてしまっている、なんでだろう。携帯で日本へ電話し、僕の銀行口座の残高照会をしてみる。う〜ん、今後どうしよう・・。まぁ、いっか、と思いつつ、これまでに買ったものをチェックしてみた。SIMカードやプリペイドカード含めた携帯関連(200$)、アナログカメラ2台(150$)、また結局スピーカーの電池をソーラーバッテリーで代用できなかったため、ちょくちょくと購入していた単三電池約100本(50$)、また1時間に30Rsくらいするネットカフェでの費用がでかい。1日分の更新に1時間かかったとしても、それだけで少なくとも140時間かけたことになる。そしていろいろとこれまでに買ったものをチェックしてみると、この旅の中にかなりの歴史が詰まっていることがわかった。
とにかくホテルの従業員が「ルームサービスどう?」と、うるさい。昼飯はルームサービスでベジタブルヌードルとベジタブルスープを食す。
そして、手帳(日記帳)を2時間かけて読み返しあっというまに15時。この読み返す際、そのままこの掲示板に書き込めるように、手帳のメモ書きを文章化する作業を行うのだが、書き込みたいことはやまほどあるので、なかなか時間がかかってしまう。
肉体疲労、明らかに筋肉の疲れが残っているのがわかる。ネットカフェに行くが、なかなかうまくパソコンが起動せず、スキャンディスクを繰り返してしまう。それでもなんとか起動させ、1日分の更新が終わったところで、見事ハングアップしてしまった・・。
結局掲示板の更新は諦めてぷらぷらする。ボンベイバザールという店があり、どでかいベッドシーツを160Rsで購入。シュラフはもとより、シュラフカバーでも夜寝るとき暑すぎるのだ。かといって、何も体にかけておかないと、蚊に刺され放題になってしまうので、ちょどよい、真っ白なベッドシーツを買ったわけだ。また、パン屋で食パンと粉末オレンジを購入する。ORSもさっそく飽きてしまったし、この水に入れるだけでよい粉末オレンジには塩分も入っているだろうし、1日中自転車こいでいる人間には甘い飲み物ではなく、疲れを取るため(乳酸を分解するため)柑橘系のクエン酸が入っている飲み物がよい、と聞いたことがある。そしてスーパーを発見し、中を覗いてみる。なんでか知らないけどスーパーが嬉しくまた楽しい。パキスタンで買いもう残り僅かになっていた歯磨き粉、ロッコツのヒビがひどくならないよう1日中ガーゼをまいていると、どうしても汗が溜まってしまい痒くなるので、J&Jのベビーパウダーなどを購入。
今日出したランドリーの受け取り予定が18時だったので、ホテルへ戻る。2つで15Rsと安い。ランドリーを受け取った際、夕食もまたホテルのルームサービスを20時でお願いしたので、それまでパッキングを行う。昨日大量のアリンコの進入を許してしまったフロントパニアを恐る恐るあけてみる。と、数匹アリンコが死んでいるだけで、後はどっかに逃げていったようだ。穴開いた部分をガムテとビニール袋で補強。また、さっき買ってきたベッドシーツの1部分を切り取り、腹に巻いてみた。これまでコルヴァで買ったガーゼみたいなショールをずっと胸に巻いていたが、汗で24時間濡れっぱなしの状態が続いており、乾かせず不快度100%だったので、これでローテーションができる。
ベッドシーツで作った臨時コルセット。
夕食はチキンフライドライスに330mlのアイスビールというビールを飲む。さ、ネットカフェにいって、掲示板の更新をしよう!と思ったが、ビール飲んだらあまりにも気持ちよく眠くなってしまい、そのまま就寝。
<6.Mar.2004 Day-140>
Stay Mangalore
朝、昨日買ったパンにコーヒーを食す。ちなみに、ここマンガロールで2泊したのは意味があり、今日は「ホーリー」という、春の到来を祝うお祭りの日だからである。僕が6年前インドに来たときは、ちょうどこのホーリーをヒンドゥ教の聖地ヴァナーラス(バラナシ)で迎えたのだった。このお祭り方として、色の付いた粉や色をつけた水(水風船など)を誰それ関係なくかけ合うのだが、ツーリストということも関係なくそこらへんにいた子どもにこの色の付いた粉をかけられてしまい、子ども相手に結構本気になって怒ったもんだ。が、新聞を読んでみると「最近ではこの南インドでも注目を浴びるようになってきたもんです」ということくらいしか書かれていなかった。やはり、年間を通してずっと平均気温が30℃くらいにあり、春も秋もまったくないこの南インドでは、ホーリーというお祭りはたいしたもんじゃないらしい。
ちらりとゆっくりする。タイムオブインディア誌を読むと「BJP優勢」とある。新聞やテレビをみると、どこもインドかアメリカの選挙のことだらけだ。
道具をもって、自転車を置いてある、となりの病院の駐車場へ行き、軽く自転車のメンテナンスをする。簡単に自転車全体のブラッシング。チェーンとスプロケットの歯ブラッシング・注油、スポークの振れ取りと、タイヤに空気を入れ終了。ここの駐車場のおっさんは愛くるしかった。
床屋に行きたいところだが時間がなさそうだ。ホテルのルームサービスで昼飯を食した後、ネットカフェに行く。なんとかスムーズに日本語ソフトをインストールすることができ、5日分を5時間かけて終了。水や食パンなどを購入してホテルへ戻る。そして、またしてもホテルのルームサービスで夕食を取る。従業員が「ダルバールってのがうまいから食ってみな!」とうるさいので頼んでみると、たっぷりアイスの入ったパフェにナッツや干しブドウが入った感じでグッド。
床屋を後回しにし、3時間弱かけて、4日分の更新を終了。マウンテンデューを買ってホテルへ戻る。やっぱりネットカフェでスムーズに日本語ソフトをインストールして、掲示板の更新を先に終わらせないと、なかなか休みでもゆっくりできないなぁ、と反省。そして結局ちょこっとネットカフェにいるときパレードの音が聞こえただけで、それほどホーリー、お祭りらしくないまま1日が終わってしまった。
<7.Mar.2004 Day-141>
From Mangalore to Kanhangad 87.8km
昨晩なんだかいろいろと考えごととしていたら眠れなくなり、眠い朝を迎える。どうも、昨日掲示板に書き込みをしたものの、納得のいく文章が書けなかったのが原因だろう。ここにきて、さらにその加速度を上げて「考え方」が日々進化しているので、1日が終わって手帳にメモしたことが、3、4日も経つとみるみる変化してしまっていることがその原因と考えた。まぁ、ネットカフェが暑く、しかもパソコンでゲームをやっている奴がうるさかったってのもあるけど・・。
とりあえず昨日買ったパンにコーヒーを部屋で食す。とにかくここのホテルの従業員はウザイほどよく働く青年たちだった。
出発。中1日休憩日を挟む計6日間で約400kmを走り、コーチンを目指す。マンガロールはごちゃごちゃとした大きい街だったので、例によって(?)地図を頼りにせず、コンパスの方角だけを頼りに走ると、これがまたさっぱりわからんところにきてしまった。そこらへんにいったおっさんに、国道17号までの道順を尋ねると「ぜんぜん違うところ来てるがな、あんた」といわれ、スクーターで前を先導してもらい、おかげさんで無事国道17号に復帰することができた。
そして、1本目を走ったところで、カルナータカ州からケーララ州へと入城。そして、ついに目指すべき最終目標地点「カニャークマリ 700km」の文字が書かれている看板を見ることができた!ゴールが見えてきたのも嬉しかったし、ケーララに入れたのも嬉しかった。というのも、グジャラートのホテルであった中国人も「ケーララはインドで一番いいところよ」といっていたし、ラージャスタンであったフランス人げいじゅつかベッソン氏も「ケーララいいよ、ほんと」といっていたからあり、これから楽しみである。
そしてケーララ州を走り始めると、わかりやすいほど道端にいる人たちからの声援が多くなった。平均することは難しいけど、トラックドライバーや道端にいる人からの「ハロー!」という呼びかけは、1日30〜50人くらいだろうか?それがケーララに入ったら3〜5倍くらいに増えた気がする。また、「HELLO!」という呼びかけよりも、「HOW ARE YOU?」という呼びかけの方が増えた気がする。「アイ・ラブ・ユー!」とか、意味不明な声援も出てきた。南国だけに「陽気」なのか、はたまたただの「ノー天気」なのか・・。
2本目を走り終え、クンブラの街で昼飯。チキンビルヤーニ(サフランの香りがするピラフの中に、骨付きチキンが2本入っていた)を食す。北インドのビルヤーニと比べて美味しく、気がつくと僕の右足のヒザに、ネコが「にゃあにゃあ」いいながら足をかけていた。
3本目を走りはじめたら急に道が悪くなった。これは峠の部分だけだったが、アフガニスタンを彷彿させる悪路だった。ガタガタ道の峠でばバテバテになり、しばし風通しのよい木陰で涼んでいると、いつのまにか自転車の周りに、20〜30人くらいのおっさんが集まっていた。そういや最近はそこらへんの道端で休憩していても、こんなに群れるまで人は集まってこなかったなぁ、と気がついた。ちなみにガイドブックによると、このケーララ州は平地の部分が少なく、また、そのくせ人口が多いため、比較的貧しい州であるが、教育熱心でもあり、インドで一番識字率の高い州らしい。
道が良くなったり悪くなったりの繰り返し。道が悪くなると極度に時速が落ちるが、道が良くなると極度に時速があがり、かっとばせる。4本目をかっとばしていると、国道が何故か渋滞している。渋滞地点の先までいってみると、大型トラックが道路の側に横になってひっくり返っている。よく見ると、ひっくり返っているから渋滞しているのではなく、ひっくり返ったトラックに、ヒモを何本かつけ、大の男10人くらいで立て直そうとしているため渋滞していたのだった。この渋滞地点のちょっと手前に雑貨屋があったなぁと思い出し、500メーターくらい戻り、バナナとコーラで休憩する。南インドのバナナは実がオレンジ色をしており、そして木を食べているかのようなほど、硬めの食感である。
5本走ったが、目標地点であったホスドラッグというところは見つからず、ちょうどそのくらいの地点にあった街「カンハンガド」に到着。HOTEL CITY PALACEは175Rs。おそらく今後順調に最後まで行けば、これから宿泊する予定の所は、すべてガイドブックにホテルやレストランの紹介がのっているところだ。特に、デリー近郊の国道沿いのレストランに泊まろうとして、残念ながらソーラーチャージャーを1台盗難に遭ってしまってからは、できるだけホテルに泊まろうと心がけていたものの、よくここまで毎日毎日走りながらホテルをつないでいったなぁと回想する。そしてこれまでのホテルを回想しているうちに、うたた寝してしまった。
夜飯はホテルのレストランでエッグフライドライスとチキンクリアスープを食す。外に出て歩いてみるが、真っ暗で周りには何もない。
シャワーあがりにJ&Jのベビーパウダーを使ってみるが、よく考えてみるとパフっていうか、ポンポンするやつがない。塩とか胡椒が入っているような容器であり、それでそのまま胸や足にかけていたら、なんだかこのまま天ぷらにして揚げたくなるような感じ・・。
<8.Mar.2004 Day-142>
From Kanhangad to Kannur 78.2km
じっくり寝れたけど朝8時でまだ眠い。朝ホテルのレストランへいってみるが、まだやっていないらしく、近くを歩き、屋台でサモサ3つとチャイを食す。ほんとこの西〜南インドに入って、サモサとかプーリーにかけるタレが美味くなった気がする。
ちょくちょくホテルの部屋に入ってきたフロントの主人も、なかなか愛くるしいおやじだった。
1本目はなんとかまずまず思い通りに走ることができた。が、2本目からガタ道になり、いっきにやる気をなくす。結局2本走って30kmも進めず昼飯にする。
3本目からはだいぶ道もよくなり、また、この一番暑い時間でも、そんなに気温は高くないようだ。といっても、35℃以上は間違いなくあったが・・。
4本目を走っている時からアイスが食べたくてしょうがなかったので(アイス〜、アイス〜、と叫びながら走っていた)4本目を走り終え、アイス屋で休憩する。チョコバーアイスを食べながら満足に浸っていると、パソコン関係のエンジニアをやっているという青年が現れ、お話し、タバコを交換する。僕は北インドではずっと「フレーク」という10本入り12.5Rsのタバコを吸っていたが、西インドに入ると「フレーク」をあまり見かけなくなり、「ブリストル」というタバコを吸っていた。よくこの青年に話を聞くと、ケーララ州ではもっぱら「シザース」というタバコばっかりで「ブリストル」は販売していないらしく、珍しがってタバコを交換したわけだ。
この青年はしきりに「インディア シャイニング!」を力説していた。「インディアシャイニング」ってのは何かというと、僕も新聞やテレビでちらりと見ただけで、しかも英語なのでよく内容は解っていないけど、4〜5月に行われる総選挙に向けた「BJP」という現政党の(現バジパイ首相の)スローガンである。「アメリカの次は中国が経済大国になるだろう、そしてその次こそインドが世界一の経済大国になるんだから!」とこの青年は熱く語っておった。たしかに今やGNPは7〜8%のアップを続けており、またようやっと国営企業の民営化も始まり(先日のONJCが市場に出されたことはBBCでもニュースになっていた)、とにかく2020年には中国を抜いて世界一の人口を持つ国になるんだから、「インディアシャイニング」の可能性は否定しないけど、まだまだなんかやることはいっぱいある気がするが、どうなんでしょう?
予定通りカヌールに到着。ちなみに「ボンベイ」を「ムンバイ」と現地表記(ヒンドゥー語表記)し始めたように、このケーララでも現地表記(マラヤム語表記)に変わっているため、カンノーレがカヌールに変わっている。また、カリカットはコジカデに変わっているし、小都市含めてほぼ全ての地名が変わってしまっているため、日本から持ってきていた地図があまり役に立たない。
国道に近いCITY LIGHT HOTELは175Rs。ちょうど街の中心地らしく、「私がインドを変えます!皆様の温かい〜」と、選挙演説がうるさい。むちゃくちゃ酒臭い酔っ払いのオヤジに、何故か荷揚げを手伝ってもらった。
とりあえずホテルでゆっくり。部屋とバスルームが段差になっており、2回天井に頭をぶつけたので、バスルームの入り口にガムテープを蝿取り紙のようにぶらさげ、その先端に「Mind your head! Fuck!」と書いた紙を張っ付けた。
インド版「あいのり」である、MTVインドの「ローディーズ」を見る。ちなみに日・月・木の19時からやっています。男5人と女3人が単車に乗ってインドを旅をしているが、どうやら3組のカップルが成立したらしく、あぶれた男一人が、あぶれたもう一人の男に(これもありがちな設定だが、一人だけ太っちょさんである)やつあたっていた。
夕食を食いに出かけようとすると、向いの部屋のおっさんに呼ばれる。部屋に入ってみると、おっさん3人がかなりとろ〜りと酩酊状態である。「ま、飲も!酒飲も!」と言われたが、僕まで泥酔してしまっては何されるかわからんので、丁重にお断りした。
外に飯食いに出かける。ホテルのフロントのおやじが「そこの店なら中華あるよ」とアドバイスもらったので行ってみたのだが、レストランの従業員に「フライドライス!」と叫んでみても「・・・・」なんも応答なく、結局むちゃ辛いチキンチリ+タレ+ライスを食す。これがまた「酢豚」ティックでむちゃ美味かった。
ホテルについて荷揚げをする際に、そういやなんか僕に声をかけていた人がいたなぁ、と思い出し、チャイ屋に行ってみる。ちなみに今日の朝食べた屋台しかり、ケーララに入ってからレストランでは「水」ではなく「お湯」を出していることに気がつく。「ほかの州はみんな水を飲んでいるのに、なんでケーララの人たちはお湯を飲むの?」と率直にチャイ屋のオヤジに聞いてみると、「何故なら単なる水にはバクテリアがいるから。あんたは絶対に生水なんて飲んじゃだめよ。」と率直かつもっともな意見を頂く。ほかの州ではみんなして水を飲んでいるというのに、州が変わるだけでこんだけ文化が違う、インドって凄いなぁ、と思う。結局チャイはおごってもらった。ついでにいえば、南インドのチャイも、葉っぱがニルギリに変わったのか、あっさりとしていてかなりいける。
部屋に戻ると爆発的に蒸し暑い。寝る前温度計をチェックしてみると34℃ある・・。
<9.Mar.2004 Day-143>
From Kannur to Kozhikade 95.5km
何気に熱帯夜でも寝れました。朝、インディアンコーヒーハウスというレストランに行き、プーリー4枚にコーヒーを食す。ちなみに、このインディアンコーヒーハウスってのはケーララに何店か店舗を持つチェーン店であり、また南インドではコーヒー豆が取れるため、結構コーヒーもいける。
出発。走りながら音楽を聴くために、ザックの肩にスピーカーを取り付けているが、やはり途中から熱くなってきたからか、やや調子が悪くなっており、たまに「バババババ」と雑音が入る。ので、走ってホテルに着いたらスピーカーに入れている電池を取り外し、そしてまた毎朝走る前に電池を入れ直す作業(休ませる作業)をしているが、本日は電池を入れるのを忘れずにスタートしてしまった。「何年やってんだこのバカ!」と、自分を叱咤する。
1本目を走り終え、海の見える景色のよいところで休憩する。ちなみに地図を見ると、ゴア以降はずっと国道は海岸沿いを走っているので、海を見ながら走れるのかなぁと思ったら、海を見ることができたのはごくわずか一部だった。ボコ道を走りつつ、腹が減ったので、30kmも走れずに昼食にする。昼飯は(本物の)ミールズだった。これはガイドブックに書いてあったとおりで、まず顔の大きさよりでかいバナナの葉っぱが「どかーん」と皿代わりにテーブルと置かれ、その上に「ぴしゃっ」と水がばらまかれる。その水で各人葉っぱを洗い清めた後、「どすん」とごはんが盛られ、そのごはんに「ドシャッ」とカレーがかけられる。手でごはんとカレーをかき混ぜながら食べた後、残った葉っぱはそのまま洗剤なんか使わずに洗わず捨てられるのだから、地球に優しい食べ方かもしれない。
海の見える景色のいいところ、でも暑い・・。
昼飯を食っているときくっちゃべっていた(ミールズの食べ方を指導してくれた)おっさんは、このレストランの近くにあるタイヤ屋さんをやっているらしく、よくわからんがその店に行く。オートリキシャ用のタイヤのパンクを直した後、地元の小学生がパンクしてきた自転車を持ってきた。このおっさんがあたかも先生のように「ほら、ここに穴があいてるだろう?ここにこのノリを塗ってごらん」と、指導している、平和的な光景を見させていただく。
出発。どうしてもガタ道だとスピードが出せない。汗がポタポタと零れ落つる。そこらへんで休憩すると、子どもらが「わーっ」と集まってきて、なかなか涼めない。
4本目を走って腹が減った、飯食ってから2〜3時間しか経っていないのに、胃拡張気味だろうか。その場でミキサーを使って絞ってくれたマンゴージュースにバナナ3本およびビスケットを食す。南インドのバナナには、木みたいな味がして中がオレンジ色のバナナと、皮がさつまいもとかじゃかいもみたいにやわらかくて薄いバナナと2種類ある気がするが、どちらも美味。
なんとか目標のコジカデ(カリカット)までいけそうだ。5本目を走り、レストランでアイスを食す。レストランの庭にブランコがあり、何年かぶりで、27才、大の男1人、アイス食いながらぶらぶらしてしまった。
コジカデの街は思ったより大きい。ガイドブックにのっていたNCKホテルは満室、ガイドブック「女性は泊まらない方がいいかも」と書いてあったSAJNA HOTEL 175Rsに決定。
水2Lと炭酸オレンジジュース1.5Lを買い、部屋でしばしゆっくりする。バルコニーがあり、通りを眺めていると、乞食の姿がみえた。しばらく眺めていると、なんだかんだと、3分から5分に1人くらいは、バクシーシ(喜捨)をあげていた。こういっちゃなんだが、ホテルの従業員とかわらないくらいの日給があるのだろう。
ぷらっと街を歩く。カルナータカ州からだろうか、ここにきて「スーパーマーケット」が増えてきた。北インドではゼロに近かったが、このコジカデにあるスーパーはちゃんと野菜コーナーなんぞもあり(キュウリはバカでかかった)レジもあってれっきとしたスーパーである。
CD屋を覗き、CDを2枚購入した。1枚はDJ HOT REMIXというリミックス系で、もう1枚はKAL HO NAA HOというフィルムソング集である。これに関しては前に掲示板で書いたかどうか忘れてしまったのだが、カルホナホという爆発的な大ヒット映画である。僕が昨年の10月にインドに入り、自転車をこぎはじめた3日目(かな?)、アンブラという街のホテルでTVを見ていたら、しつこいくらいこのKAL HO NAA HOのCMがやっていたので、サビを憶えてしまった。1月にパキスタンからインドへとまた戻ってきたとき、たしかアムリットサルかどこかで、映画館の宣伝ポスターに「ロングラン!なんと16週突破」と書かれていたのを見た。デリーで出会った、4ヶ月間東南アジア等を旅をしていたという日本人と話をしたとき、「カルホナホは映画館で3回見ました。DVDが欲しいけど、まだ発売されていないみたいで。3日後に日本に帰らなくちゃいけないんで、残念なんですよね〜」といっていた。インドの青年はよくなんらかの歌をくちづさんでいることが多いが、今やその鼻歌の半分は、このカルホナホになっていると思う。また、MTVインドアワードでも、ヒット映画賞にこのカルホナホに出演している人(ペプシやエアテルのCMなどにも出ている売れっ子で、甘いマスクをしておる)が、賞をもらっていた。
ちなみに「カルホナホ」とは「明日はわからない」と訳すことができると、ジャイプルの宝石屋の少年(名前忘れた)から聞いた気がする。まぁ、もし何年後かにこのインドを思い出すとしたら、おそらくこのフィルムソングが頭の中に流れるだろうと思い、一つの記録として買ったわけだ。
適当にホテルの隣のレストランでエッグフライドライスとチキンクリアスープを食って就寝。
<10.Mar.2004 Day-144>
Stay Kozhikde
よく寝た。疲れているせいか、9時半に遅起きした。インディアンコーヒーハウス(コジカデ、マブールロード店)に行き、フレンチトーストとコーヒーを食す。
さ、今日は何しよう!と思ったが、とりあえず午前中はゆっくりすることにした。ガイドブックのこれから訪れる街のページを破り取り、ホチキスで止め、予習する。また、昨日買ったCDを聞きつつ、これまでの歴史を計算をしてみると、旅に出てから144日が経過しており、走った日は(自転車で移動した日は)計75日である。そのうち最終目的地まで、あと6日間走ることを加えると、合計で81日間走る(自転車で移動する)日があったことになる。ということは81分の75日はもう終了しているんだなぁ、と冒険のフィナーレを迎えようとしていることを、改めて実感する。
1階の駐車場へ行き、自転車のメンテナンスを簡単に行う。チェーンのみ注油をし、タイヤに空気を入れ、スポークの振れ取りを行った。リアキャリアもリアハブも限界のようで異音が激しい。また、この暑さとガタガタ道で、アルミのフレーム本体が、折れてしまいそうな気さえする。
手を洗って昼飯へ。日本から持ってきた地図に現地のマラヤム表記がなかったため、本屋でケーララ州のロードマップを65Rsで購入する。近くにあったパン屋でチキンピザとスゥィートパラータ2つとコーヒーを食しながら、買った地図を見てみると、どうやら僕が日本からもってきた地図が間違っているようで、僕の地図だと国道17号がここコジカデからコーチンまで内陸部を突っ切ってスリチャーというところを経由しているが、国道17号は内陸部へいかず、海岸部へと向かい、スリチャーというところは通らないようだ、なるほど。
コピー屋さんで、ロンプラのこれから訪れる街の地図部分をコピーしてもらう。ガイドブックはぶ厚すぎて、自転車こぎながら持ち運びづらいからだ。ちなみにこちらではセルフサービスのコピー屋を見たことはない。1部おじさんが誤ってコピーし、ページの途中で地図がちょぎれていたが、その分もしっかり課金されておった。
ネットカフェに向かう。人が死んでいるようで、そこらへんのじいさんが、棒で「つんつん」していた。ネット屋では掲示板の更新はせず、ビザカードの引き落としなどをチェックした。
喉が渇いた。喫茶店でフルーツサラダにコーヒーを食す。タバコを買いだめしつつ、ぷらぷらする。バススタンドや(クリケット用?)スタジアムなど大きくて立派なもんである。
そして、もう「マジック6」が点灯していたものの、こっから最終目標地点まで500km、1時間に20km走ったとして25本分あるわけだが、いろいろと最後に走りながら聞きたいCDやMDがありすぎで、各1枚づつは聞くことができなそうだ。なので、CDからMDへとダビングするため(お気に入りのCDアルバムからお気に入りの1曲を数曲セレクトして、1枚のMDにまとめるため)のケーブルを探してみたところ、アナログケーブルを25Rで発見できた。デジタルケーブル(オプティカルケーブル)も発見することができたものの、残念ながら接続パターンが違かった。
なんだか眠い。ちらりと食料を買った後、ホテルへ戻りゆっくりし、その後スーパーにでかけ、蚊取り線香とジュースを購入。このトロピカーナってのは、その場でオレンジを絞ったジュースよりも美味い、なんででしょうか。
午後ぷらぷらしていたときに見つけたレストランへ行き、チキンフライドライスととチキンクリアスープを食すが、なんでだが、トン骨臭くて食えたものじゃない。もう中華は期待しちゃいけないところなのかもしれない・・。
さっき買ったコードを使い、CDをMDへダビングしてみた。よししょ、なんとかいけそうだ。
<11.Mar.2004 Day-145>
From Kozjikade to Pannnani 98.2km
朝7時、部屋のドアが壊れるくらい「ドンドン!」と叩く音がして目が覚める。眠い眼ををこすりながら、従業員にコーヒーを頼み、昨日買ったパンを食し出発。今日は100kmちょっと走ってグルバユールというところまで行きたいが、いかんせん日本から持ってきた地図が使えないため、実際の距離が不明だ。
昨日買ったCDを聞きつつ、ボコ道を走る。なんだか快速だが、道を間違えてしまい、2kmほど戻り、そこらへんにいた人に聞いてみると、別に間違ってなかったらしい。このあたりにはあまり看板がなく、分かれ道をだいたいの感で走っている。
やや内陸部に入ったせいか、今日は暑い。登り下りを繰り返しながら昼飯にする。昼飯は魚のカレーとチャパティ。南インドに入って、チャパティもパイ生地のような感じになってきた気がする。
昼飯を食いすぎたせいか、胸が苦しい。これまで肋骨ヒビ割れ拡大防止のため、四六時中胸にまいていたガーゼを取り外す。咳をしてももうそんなに痛くなくなってきたし、どちらかというと右肩と右ひじに痛みがシフトしていたため、もうガーゼも必要ないだろう、と思ったからだ。はずした瞬間が天国であり、女性ってのは大変だなぁと思ったりする。
ここにきてまったく平坦な道がなく、ひたすらアップダウンを繰り返し、どんどん集中力およびやる気がなくなっていく。途中からは道が良くなってきたので、アイスを食って休憩した後、気合を入れ直し出発するが、今度は200メーターくらいの登りだ。昨日買った地図に、ケーララ州全土の標高が書いてある地図ものっていたが、ここらへんに150メーター以上の場所なんぞなかったのにぃ!
自転車最終スタイル。相棒はよくがんばりました。
走っていると「What's your name?」と道端にいる人々から聞かれることが多くなった。「How are you?」と聞かれて「Fine!」と返す分にゃいいのだが、あまり自分の名前に自信のない僕は、あまり名前を聞かれるのが好きではないし、まず自分の名前を名乗れよ、と思ってしまう。ので、「What's your name?」と聞かれたら「ホワットイズユアネイム!!」と聞き返すことにした。これはなかなかウケたし、ちゃんとそれで名前を返してくれる人は、冷やかしではなく、ちゃんと会話のできる人たちだった。
そして「本当に国道?」と思ってしまうような、オートリキシャがすれ違うだけでも精いっぱいの道を走り、なんとか18時半パンナニの街に到着。ここなら明日の目標地点コーチンまで、100kmくらいだろう。PLAZA TRUTH HOTELは200Rs。
はぁ、ただただアップダウンの繰り返しと時折現れるガタ道とこの暑さでかな〜り疲れたが、今日到着してマジックが5になった。胴上げまであともう少しだ!
疲れはて、1時間くらいうたた寝した後、飯を食いに行く。チキンビルヤーニを食べたが、やっぱりフライドライスより美味い。
そして、CDからMDへとダビングを行い、1枚のアルバムを作った。強いて言えば「ロックアルバム」だろうか。以下、記念にここに記す。ちなみに1本で60分走ることを考え、順番なども考慮している。(No:アーティスト:アルバム名:トラックNo:曲名)(トラックNoと曲名は思い出せる範囲で適当)
No1:スクウェアプッシャー:バーニングトリー:1:?、No2:カーシュカーレイ:リアライズ:13:?、No3:カーシュカーレイ:リベレイション:8:GK2、No4:アンダーワールド:100デイズオフ:8:ダイナソーアドベンチャー3D、No5:ブンブンサテライト:アンブラ:7:フォグバウンド、No6:ブンブンサテライト:アンブラ:9:ソリロキー、No7:ニルバーナ:ニルバーナ:1:ユーノウユーアーライト、No8:リンキンパーク:メテオラ:3:サムウェアアイビロング、No9:ナンバーガール:サッポロオモイデインマイヘッド:8:オモイデインマイヘッド、No10:レディオヘッド:ライブレコーディング:5:イディオティック、No11:レディオヘッド:ライブレコーディング:6:エブリシングインイツライトプレイス
<12.Mar.2004 Day-146>
From Pannnani to Ernakulam 114.9km
今日は100km以上ある。早目に出ようと思い、食パンにピーナッツバターをつけ、マンガロールのスーパーで買ったパックの牛乳を食す。ちなみに、マンガロールで買ったインドの歯磨き粉は、イソジンの味がするのであっというまに嫌いになった。
出発。今日コーチンまでたどり着ければなんとか見えてくる。ただ、たどり着けるかどうかは、道路コンディションしだいである。
最初はガタ道が続くのかと思ったが、有料道路?に入ってから、なんとかきれいな舗装路が続いており、これならいけそうだ。
1本目を走り、炭酸マンゴージュースをのみ休憩する。10人くらい僕の周りに集まるのは構わないが、一人一人から「名前なんて言うの?」「どこまでいくの?」と聞かれるは困る。代表して一人が聞けばいいのに・・。
昼飯は魚のフライと魚のカレー。たいして美味くはない。そして今日はまた40℃以上と暑い。休憩の際、昨日から胸にガーゼを巻くのを止めたし、貴重品入れを首からぶら下げるのはやめたので、半袖シャツを着ていることに意味がないことに気がつき、Tシャツ1枚で走りはじめる。パタゴニアの半袖シャツは、いちおう発汗性のよいものを着ているが、やっぱり4、5日経つと塩分で飽和するらしく、Tシャツ1枚になるとなんとなく涼しい気がする。
4本目を走り、バダと呼ばれるドーナッツみたいなパンにコーラを食し再出発。とにかく、やや登り下りもあるが、平坦な道では快速で、時速25kmくらいでており、光に満ち溢れている。そしてだいぶ太陽が落ちてきた6本目、昨晩つくった「ロックアルバム」を聞きながら走る。「お、こりゃいいなぁ。」と思って走っていると、またしても腹が減ってしまった。こんだけすぐ腹が減るということは、それだけ体力を消耗するような「走り」を強いられているからだろう。バナナ3本に炭酸オレンジジュース500mlをいっきに飲み干しビスケットを1袋食す。
そして19時なんとかコーチン、そのコーチンを大きく4つの地区に分けた中で、もっとも都会であるエルナークラムに到着。そして最終目的地「カニャークマリ」まで300kmの看板も見えた。ガイドブックにのっていたホテルに行ってみたが閉館しており、その後3軒全て満室。たまたまQUEENS RESIDENCYというホテルが空いており、200Rsで決定したが、エレベーターなしの5階で、荷揚げに一苦労。
そしてやった・・。やっとコーチンまでたどり着くことができ、マジック4になった。コーチンで2泊休み、あと1日どこかで連泊したとしても、まぁあと1週間くらいでこの冒険もフィナーレを迎えるわけだ。もったいない気もするし、やっぱり早く完成させたいという気もある。ただ、これまで書き上げてきた「絵」を完成させるにあたって、最後の一筆は納得のいくものにしたいなぁと思う。
ちょこちょこ食べていたのでそれほどお腹減っていない。屋台でプーリーマサーラと生絞りオレンジを食す。オレンジに入っている、クエン酸を欲するほど、体は疲れていたわけだ。
<13.Mar.2004 Day-147>(マジック4のまま)
Stay Ernakulam
けっこうマンガロール〜エルナークラム間で疲れが溜まっていたみたいで遅起きをする。ホテルの向かいにある立ち食いスナック屋さんで、バターブレッドとコーヒーを食し、ホテルのフロントでランドリーを頼む。あっとうまに短パンが汗(塩分)でぐっしょりじっとりになっていたからだ。その他は、自分で洗濯する。15分で洗濯終了、かなり腕を上げ、早くなったもんだ。
午前中は手帳(日記帳)を読み返す。部屋に陽が入るのはいいけど、当然ながら暑い。何もしなくても汗が噴き出てくる。
そして、今日は土曜日なので、午前中にAmEx(アメリカンエクスプレス)へ両替に行く。旅中はまったく曜日の感覚がなくなり、また曜日の感覚をまったく必要としないが、唯一この両替のときだけ曜日を把握してないと泣きを見ることになる。ホテルから2kmくらいあったので、20Rs払いリキシャにのっていったが、両替をしに行くのに金をかけるほどもったいないものはない。外はくそ暑いけど、AmExの中はガンガンにエアコンがはいっており涼しい。両替をしようとすると「ポーチの中にカード入ってなかった?」と聞かれた。ムンバイのAmExで「両替ポイントのよいAmEx支店リストカード」をもらっていたが、どうやら両替するときにこのカードを見せると、「リピーター扱い」ということで、両替ポイントがよくなるらしい。
腹減った。AmEx近くにあったチャイニーズガーデンというレストランで昼飯をとる。アイスまで食べて計130Rsと、ちょっとした贅沢。
KAIRAIという州政府経営で、定価の値札が貼ってある土産物屋さんに行き、自宅用のお土産を購入した。旅が終盤戦を迎えている証拠の一つである。この先南下してもお土産屋らしいお土産屋もなく、この機会を逃すと後はデリーで購入するしかなかったので、そんなにかさばらず、かつ重くない壁掛けとクッションカバーを買ってみた。しっかりとした象とかヒンドゥ教の神様系置物もあったが、やっぱり自転車こぎながらだと壊さずに無事持って帰れるかどうかわからんので、結局やめといた。
帰りは目抜き通りを歩いて帰る。ところどころにある各電気屋さんに、民衆が20人くらい集まりテレビに釘付けになっている。ちょうどクリケットの「インド−パキスタンシリーズ」ってのをやっているのだ。ちなみにどっかのホテルでテレビを見ていたら、インド人がパキスタンで行われるこの試合を見にいくため、臨時の「クリケットビザ」を入手しようとパキスタン大使館に群がっている映像があった。
ネット屋に行くが、1軒目はあっという間にハングアップ、2軒目は日本語ソフトインストールできず、3軒目でなんとかごり押しでインストールすることができ、2日分の掲示板を更新。ただ、なんだか本当に疲れが溜まっているらしく、この旅初めて、書き込みをしながらパソコンのモニターの前でコックリコックリしてしまった・・。
あまりにも眠いので、掲示板の更新を諦め、ジュースを買ってホテルに戻り、昼寝をする。どちらかといえば僕は体力のない、ひ弱っ子であることを再確認しつつ、気持ちよく昼寝をしたら、寝ている間に久しぶりの雨、夕立があったようだ。
腹減った。ホテルの1階にあるレストランへ行きチキンフライドライスを食す、なかなか美味いじゃないか。
ホテルの部屋に戻り、ちょっとゆっくりしてから、掲示板の更新に行こうと思ったが、結局明日やることにした。そうとう疲れが貯まっていたのだろう。CDからMDへのダビングを行い、先日作った「ROCKアルバム」に続き、しいていえば「POPアルバム」と「剛アルバム」を作った。
結局2時就寝。
<14.Mar.2004 Day-148>(マジック4のまま)
Stay Ernakulam
昨晩は結局2時に就寝したものの、蚊に悩まされあんまり寝れなかった。ホテルのレストランへ行き、バター&ジャムトースト&コーヒーを食した後、足りなかったので部屋に戻り、ビスケットを1袋食す。
掲示板の更新は6日分残っているが、先に自転車やるか、と思い、ホテルの入り口(玄関)で11時にメンテを開始。入れ替わり立ち代わりギャラリーが10人くらいじーっと見ていた。簡単にホコリ取りをした後、リアホイールを見たらボッコボコ。フリー(スプロケット)側のスポークが3本も折れている。ンガ!しかも2本は過去に折れて針金で無理くりくっつけているところだったので、これをまた1から針金解いてスポーク外してまた針金でくっつけてってのは、最高に面倒くさいんだよ〜。が、やらなくちゃいかんことは、やらなくちゃあかん。簡単にメンテのみと考えていたので、簡単な工具しか1階に持ってきてなかったから、5階の部屋に戻り必要な道具を持ってきて、作業再開。そしてなんとか肉眼で分からないくらいまで振れ取りをした。途中コーヒータイムを含んだが、チェーンの注油とチューブに空気入れてあっというまに14時。
昼飯もホテルのレストランで食す。チキンヌードルを食したけど、量が少ないのかなぁ、なんか調子が悪い気がする。そのままネットカフェへ行き、6日分を計5時間かけて終了。20時閉店だったので、最後はギリギリ、焦りながら執筆した。ネットカフェに扇風機があってよかったが、このあたりにくると、ネット屋にエアコンもしくは扇風機があるかどうかってのが死活問題である。
時間があったら「カタカリダンス」というケーララ州の伝統舞踊を見に行きたかったのだが、残念ながら掲示板の更新が遅れ、夜の公演時間には間に合わなかった・・。まぁ、途中国道を走っているときに、独特な衣装・化粧をするカタカリダンサーを何組かみたのでまぁいっか、っと開き直る。プラプラと街を歩き、スーパーを見つけ、電池・パン・石鹸などを購入し、タバコを買ってホテルへ帰る。
ホテルのフロントでランドリーを受け取り(その場でチェックしたからいいものの、ぜんぜん違う人のを最初受け取った)部屋に戻る。部屋は暑いし、窓際には鳩の羽がバラバラとおっこちている。高い階の部屋だと蚊が来ないと思ったらそういうわけでもないし、鳩が「ちょうどいい場所!」と、思ったのか巣を作ろうとしているらしく、ひっきりなしに草を口にくわえて飛んできていた。暑い部屋の中でパッキングをする。
夕食はホテルのレストランでエッグフライドライスを食す。いつのまにかチャーハンにケチャップをつけて食べるようになった。
そしてシャワーを浴びて洗濯をする。最後のゴールの時には「赤」のTシャツがいいのか、はたまた「青」のTシャツがいいのかと、どうでもいいことに頭を悩ます。
さ、あと4試合、全力で攻撃的に戦い抜くぞ!と手帳に書いてある。
<15.Mar.2004 Day-149>(マジック4→3)
From Ernakulam to Allapuzha(Alleppy) 73.7km
朝飯は何食おう?と、考えてもしょうがないので、ホテルのレストランでバター&ジャムトーストを頼んだらこれが失敗。結局全部出てくるまで1時間くらいかかってしまった。しかも、あまりに遅いので、途中外へタバコを吸いに行ったら飲みかけのコーヒー持ってかれちゃうし・・。
5階から1階までの荷下げを含め、結局10時半に出発する。どうやらいっぱいミルクコーヒーを飲んだせいか、ヒビ入った(?)ロッコツはけっこう引っ付いた気がするものの、右肩の動きが円滑でなく、肩より上の高さに腕を上げようとすると痛くて上がらない。
今日はそれほどの距離ではないので、ちょこっとフォートコーチン地区に寄り道して行くことにした。マッタンチェリーパレスというところに行く。オランダがこの地を統治していたときのお城みたいなもんである。その後ポルトガル支配になって、イギリス支配になったんだっけかな?とりあえず、このマッタンチェリーパレスの前でアイス食ってしばし休憩。その後シナゴーグへと向かう。なんとなく「ユダヤ人街」という響きに引かれて寄ってみたのだが、別になにがどうってことはない、ただの「お土産屋街」だ。そして、今や数家族しかこの近辺にいないという、ユダヤ教徒の教会入り口には、ぶよぶよとした欧米人のおじさん&おばさん観光客がうじゃうじゃしており、結局中には入らず出発。ほんと今回は宗教を感じているせいか、教会や寺院、お墓等の中に入ることをいつのまにか避けている。
2本目を走り終え、川の側で休憩をとり、「チャイニーズフィッシングネット」と呼ばれる古典的な漁の風景を写真に取る。
そして、旧道?を走っていた道路は本線に合流する。国道47号線は、久しぶりに中央分離帯ありの上下各2車線で走りやすい。ガタガタ道もなく、またアップダウンもないので、スムーズに進むことができた。
昼飯はそこらへんで、ケーララパラーター(チャパティというよりもパラーターというよりも、パイ生地というか発酵させてないクロワッサンみたいなもんで、腹にたまる)にゆで卵1つが入ったカレーを食す。なかなか美味く、テーブルは3つしかなかったが、行列ができるほど次から次へと客が来る、イカシタレストランだった。
引き続き快走する。このあたりから、道路脇にちょくちょく置いてある「○○まであと○○km」と書かれた距離標(石)に、最終目的地である「カニャクマリ」の文字が出るようになり、その距離が280km、270kmと、着実に減っていく・・。
そして4本目を走り終え、水を飲んで休憩し、「血」について考えた。ひどく個人的な話だが、僕の出発に際し、最後まで猛反対したのは僕の父だし、出発後もっともフォローしてくれたのはこれまた僕の父である。会社を退職し、実家に戻ってから出発するまでの間、父からいろいろといわれ続けたもんである。
実家の僕の部屋には思い出グッズですでに満杯だったし、そのうえ札幌で一人暮ししていた時の道具を実家に持ってきたわけだから、これは部屋が溢れかえるのは扱く当然の話なのだが、「家」を大切にする僕の父は、それを許さなかった。結局僕は、実家に置いておくべきだろう思い出グッズ、つまり、小学校、中学校、高校と続く一連の思い出、つまり、高校までにおけるほぼすべての写真、県大会ベスト8に入ったときのトロフィー、絵画コンクールで入賞したときの賞状、「実は好きでした」みたいないわゆるラブレター、文集や卒業アルバムなんかの類を、今回の出発前に全部捨ててしまった。これは思い切りすぎたかなぁとも思ったが、やはり今回冒険をするにあたり、それ以上の勢い、ココロザシがあったということを父に対して示したかったからだろう。
何故父は僕の冒険に反対したか?それはここにきて思い付き、数日その考えを制止することができなかったが、やはり「僕の家系では決して真の冒険家、ましてやテレビにでるようなヒーローにはなれない。だからそれに気づき、また挫折しないようそれに気づかない振りをして、その冒険とは正反対である月並みな生活を送っていくことこそ、我々の家系として生きる理想の姿だ!」ということをいいたかったんじゃないか、と考えている。
僕の父は大学時代、地方の国立大学の山岳部に入っていたということもあり、大の登山好きだ。日本の10大総合商社の1つで定年になるまで働いた後、父はエベレストを見に行ったし、日本橋から父の生まれ故郷である新潟まで歩く、つまり、江戸時代の参勤交代を21世紀に再現するという冒険をし、地方新聞に「秋山さん到着!」と載ったもんである。その冒険スピリットを受け継いだのかどうかわからないが、僕の兄弟の1番上の兄は、単車好きでどちらかというとメカニック派だが、北海道をツーリングにいったりしたことがある。真ん中の兄も単車好きでどちらかといえばモトクロス派だが、日本を代表する旅ライダー「賀曽利隆」氏のサインも持っているし、いろいろとこのモトクロスバイクにのって旅するのが好きな僕の真ん中の兄は、同じように、バイクで旅するのが好きな女性と知り合い結婚し、今は1児のパパである。
つまり、よく考えてみると、母親除いて父とその息子3人は、それぞれおのおのの寝袋、テント、料理を作る火器を持っている「冒険好き」一家なのである。ただ、それぞれやはり趣味の範囲に留まっている。何故ならどうがんばったとしても「真の冒険家」の素質がないし、「真の冒険家」になろうとして、挫折したときどうなるか、ということもまたわかっているからだ、と思う。ここに来て僕はそれに気がつくことができた気がする。今回素晴らしい冒険はできたけど、素晴らしい冒険家になることはできていない。そしてその理由は、やはり冒険家にしては、ひどくセンチメンタル過ぎるし、ふとたまに現実的過ぎるし、変なところでピュア過ぎるからだろうと、考えるにいたった。
70km近く走り、あっというまにアラプザ(アレッピー)の街に到着する。平坦でコンディションのよい道路を70km走っただけだと、ひどく物足りない気がする。ロンプラにものっていたRAIBAN HOTELは172Rs。3階の部屋だと荷揚げもいたって楽だ。とりあえずストレッチした後ゆっくり。そしてここまで、コジカデで買ったケーララ州の地図を使っていたが、最後は日本から持ってきて愛用していた、インド全図が書かれた1枚の地図を使いたいと思い、日本から持ってきたその地図に必要な情報だけ書き移す。
街をぷらぷらし、アイス屋でフルーツサラダwithアイスクリームを食す。ブドウが美味い。そして、昨日メールの返信をしようと思っていたが、ちょうど掲示板が更新終了したときに閉店となってしまったため、ちらりとネットカフェに行く。
フライドライス食ってかえる。ほんともう美味くない。
<16.Mar.2004 Day-150>(マジック3→2)
From Allapuzha to Kollam(Quilon) 87.6km
昨日の夜行ったホテル近くのレストランへ行き、バダ付きのマサラドーサとチャイを食す。最終目的地に近づきつつ、ここらにきてほとんど自転車を部屋の中に持ち込むことができていなかったので、毎朝自転車があると「ほっと」する。エルナークラムのホテルがぱっとしなかったので、特にここのホテルはほんと快適だった。
時速22km近くでさくっと進める。2本を走った後、そこらへんのレストランでチキンビルヤーニとコーヒーを食す。南インドに入ってから「Meals Ready」と書かれた店も多かったが「Biryani Ready」と看板が出ている店も多かった。北インドのビルヤーニと比べぜんぜん美味しかったし、ここのビルヤーニにはバナナがはいっており絶妙に美味かった。よく干しブドウが入ったピラフはあるし、また嫌いという人が多いが、このバナナが入ったピラフは最高である。
ややガタガタ道も出てきた。そしてやや曇っており暑さはしのげるが、その分風が強い気がする。そして4本目を走り、最終目的地カニャクマリまで200kmを切った。スプライトを飲み休憩する。コーチンより南に下ると英語を話せる人が減り、「ハロー!」の呼びかけも減った気がする。
そしてコラム(クイロン)の街に到着。ただ、今自分がどこにいるのか、さっぱり地図を見てもわからない。コーチン(エルナークラム)から最終目的地まで4連戦で走り続けることもできたが、ここコラムで連泊し、ゆっくり休養しようと思っていたので、まぁまぁしっかりとしたホテルを探し、KHAITAKA HOTEL 270Rsに決定。荷揚げをしているとおっさんらが集まり、「どっから来た?」「いや、おまえは日本人じゃない、絶対中国人だ!」「俺はうれしい!」とうるさく、気が付くとむちゃくちゃ酒臭い。どうやらこのホテルの一画にバーがあるらしく、昼間っからいい感じになってしまっているようだ。
とりあえずゆっくりする。今日はさくっと快走したなぁと思い、自転車につけているメーターをチェックする。いつからか毎晩、走行距離・標高・走行時間・平均時速・温度をメーターからチェックして手帳にメモる癖がついていたのだが、今日は平均時速20.1kmでいけたようだ。この時速20km以上という記録はインドの首都デリーの手前、パーニーパットというところに到着した日以来、つまり、2ヶ月ぶりの記録だ。
しっかりとしたレストランで、エッグフライドライスとチキンコーンスープを食した後、街をぷらつく。どうやらここらへんは銀、鋳製品や布製品を扱う問屋街のようだ。そしてこのホテル含め、部屋に灰皿が付いている率が50%以下になっていたので、灰皿を10Rsで購入した。結構最近この灰皿を探しながら街を歩きつつ、見つけられないままになっていたのだが、最終的におもちゃやさんに灰皿はあった。そしてこのおもちゃやのおやじはハンディカラオケマイクで「ブンチャッ、ブンブンチャッ!」と一人ラップして楽しんでいた。
網戸が付いているなら、涼しい空気を部屋に入れながら寝ることができるわ!と思っていたが、網戸はところどころ穴が開いている。セロテで補強してから就寝。
<17.Mar.2004 Day-151>(マジック2のまま)
Stay Kollam
ホテルのレストランへ行き、バタートースト8枚にコーヒーを食す。
そして今日はゆっくりしよう。ゆっくり疲れを取って、最後の戦いに備えよう。そしてゴールする前にしか考えられないことを考えよう!
ゆっくり。これまでの走行距離(積算距離)を計算しつつ、ゴール用メッセージボードを作成する。マンガロールで買ったベッドシーツにマジックで書き込もうかと思ったが、結局パキスタンのぺシャワールで買った赤いゴザに白のガムテを貼り、そこにマジックで書き込むことにした。
チキンヌードルをレストランで食った後、またゆっくりして、昼寝する。
ゆっくりゆっくり。明日、明後日の目的地トリヴァナンタプラム(トリヴァンドラム)、カニャクマリのホテルなどをガイドブック見てチェックする。明日はゴールを目の前にした前夜祭だし、最終目的地に着いたときくらい、ちょっといいホテルに泊まろうと検討する。
夜飯をホテルで食い、街をぷらぷらしたが、もう閉店時間なのか、商店街はほとんど閉まっていた。
そして部屋に戻り、チャリンコの最終チェック。最終目的地に到着できるのとできないのとでは、決して埋めることのできない大きな差が出てしまうということがツーリングの楽しさだろう。気になっていたヘッドの増し絞め、前キャリアを針金使って補強する。フレームを拭きつつ、チェーンに注油をし、リアホイールの振れ取りを行う。後輪をまわしてみると「カキ、コキ、ベキ、バキ」とうるさくもう限界なんだろうということを感じる。リアタイヤとフロントタイヤを履き替えたが、履き替えたリアタイヤもあっというまにブロックが擦り減ってしまった。
緊張のためか寝付けず。いろいろなことを考えた。
<18.Mar.2004 Day-152>(マジック2→1)
From Kollam to Thiruvananthapuram(Thrvandrum) 71.4km
朝ホテルのレストランでバタートーストとトマトオムレツにコーヒーを食す。期待したトマトオムレツは、オムレツの中にケチャップが挟み込んであるだけだった。
僕の体自身、もうすぐ旅も終わりということがわかるんだろうか、急激に体力が落ちているようだ。そしてここ1ヶ月半以上、朝1回トイレにいくだけという、正常な消化器系活動を行っていたが、今日はトイレに2回行くことになった。ただの緊張だろうか。カッコントウをかじり出発。
1本目を走りコラムの街を抜けて隣町に入ると、「ペタペタ」とサンダル音が聞こえてくる。ペタペタサンダル音が止まらず、振り返ってみると、へんなおじさんが「グッ、グッドモーニング」と言っていた。僕にも「オッカケ」のファンができたかぁ、と思っていると「俺のこと覚えてる?」と言っている。あぁ、よく見るとこのおっさん、2泊したコラムのホテルのレストランにいたウェイターさんじゃないか。結局コラムでこのレストランしか行かず通いつめただけある。
2本目を走るとやや内陸部を走っているせいか、アップダウンが多くなってきた。ただ、チェーンを掃除し続けていることもあり、走りは軽い。結局最後の最期まで、海を眺めながら走ることはほとんどなかった。そんなに腹は減っていないが、昼飯にすることにした。ケーララパラータとビーフカレーを食す。ビーフってことはイスラム教徒かクリスチャンが多い所ってことだなぁと思っていると、やっぱり向かいにあるモスクからお祈りの声が聞こえてきた。ビーフカレーがあまりにも辛かったので、チャイを頼もうとしたら、お祈りに行っているらしく、コック不在で飲むことできず。
そして、3、4本目は、暑さのため、木陰で自転車から降りずの5分間休憩をしばしば挟みながらも、よく走った。勝手に足がペダルをこいでいるよう感じであり、レディオヘッドのゼアゼアのクリップの1場面のように、足が勝手にペダルをこいでいたのだ。そしてそこに思想と歴史を刻み込むことができたと思う。そして、そして最終目的地カニャクマリまでとうとう100kmを切った。ちょうどよいタイミングだったので、ジュース屋でグレープジュースを飲んで休憩しつつ、「100km÷6,500km」と地面に書いて計算してみた、そう冒険ももう98%以上終了したのだ。
とうとう最終目的地まであと100km!
なんでこんなところに街を作るの?と思ってしまう坂道が多いティルバナンタプラムの街を走り、予定通りHOTEL REGENCYに到着。「最高のゴールを迎えるため、最後の夜くらい贅沢を!」と、思っていたので、350Rsのシングルではなく430Rsでもうちょっと設備のよい部屋に泊まることにした。そう、お腹の調子も微妙だったということもあるのだが。ただ部屋はしっかりとしており、灰皿もあるし、SHARPのカラーテレビ&リモコンもあるし(これまで白黒のところもあったし、リモコンがないところもあった。)、扇風機の風力も調節可能だし(オン-オフ運転のところもよくある)ホテルの名前の入ったタオルは大きいの2枚と小さいの2枚あるし、ホテルの名前の入ったマッチまで置いてある。ベープマットも置いてあるし、これは初めてだが、コップはちゃんと「消毒済みです」と書かれた袋に入っていた。これなら日本のビジネスホテルとそう変わらない。
とりあえずテレビでも見てゆっくりと思ったら、そういえば今日は木曜日、MTVインドの「ローディーズ」の日である。19時からワクワク見たものの、このインド版あいのりも、40日間4,000kmのバイク旅を終え、来週が最終回らしい。
部屋に電話とメニューが置いてあっても、結局会話が通じないパターンが多かったが、ここではちゃんと英語を話せる人がおり、無事電話でオーダーできた。そして、110Rsもする「コンチネンタルリゾゾット」は、何て言うんだろう、「若鶏のガーリック風味ホワイトソース仕立て」で、ジョナサンあたりでこれ出したら、女子高生が殺到するんじゃないかと思うくらい美味かった。まさしく明日、この自転車の旅を終わらせるにあたってもっともふさわしい料理、世界中どこを探したとしても、この「コンチネンタルリゾット」以外の料理はなかっただろう、という気がした。ただ、ちょっと量が足りなかったのでビスケットを食べつつ、適当に薬をかっこんだ。最期の、最高の晩餐・・。
珍しく(?)ここ1ヶ月近くかかさず毎晩シャワーを浴びているが、ひっさびさのホット(ぬるま湯くらいかな)シャワーである。
27歳なのに、ドキドキして寝れない!
<19.Mar.2004 Day-153>(マジック1→完遂!)
From Thiruvananthapuram to Kanyakumari 94.1km
朝ルームサービスでコンチネンタルブレックファストを頼む。トースト4枚にコーヒーポットと生絞りオレンジジュースが付いており、バターはちゃんと1個1個銀紙に包まれている。機内食とほぼ変わらないレベル。
なんでこんなに緊張しているんだろう?!9時半出発。そして、さすが、一晩で体調も回復したようだ。
最終日の朝。たとえこの日核爆弾が落とされたとしても、ゴールまで辿り着くことができただろう、気合の入った顔しちょる。
ティルヴァナンタプラム市街の国道47号は工事中らしく、大きく迂回する。この大事な時に5km近くのロスは痛い。1本目は日本でお気に入りの1曲をCDからMDへと集めていたシングル特集を聞きながら走る。会社を退職してから出発する前の間に中国に行ったときの機内で聞いた「くるり」の「How to go」がよかった。
残り80kmを切ったところで1本目を走り終え、そこらへんで休憩する。もう、最期か。そして、今日もまた暑く、もうすぐ赤道直下、北緯8度線に近いところを走っていることを感じる。パキスタンの北部で東京と同じ北緯35度くらいだったから、よくもここまで走ったもんだ。
2本目、「スクウェアプッシャー」の「ハードノーマルダディ」を聞きながら走る。よく響いた。最期ということを体がよく承知している、気持ちのよい、気持ちのこもった走りだ。
最終目的地まで後59kmを切ったところで2本目を走り終え、ちょっといいホテルのレストランで昼飯にする。ここのチキンビルヤーニもバナナが入っており、絶妙に美味かった。
3本目、「剛アルバム」を聞きながら走る。「気張いやんせ」「ライセンス」「逆流」がよかった。今日は予定上90km近くあるが、道中こまかなアップダウンがあり、夕暮れまでに最終目的地「カニャクマリ」まで着けるかどうか、ギリギリであり必死だ。こういう時に、バイクで走っていて声かけてくれた兄さんが「ちょっと時間くれ!メアド教えて!」と立ち止まってしまうもんだ。
残り40kmを切ったところで3本目を走り終え、そこらへんで休憩すると、目の前に建設中のガソリンスタンドがあった。アフガニスタンで建設中のスタンドに泊まらせてもらったなぁ、なんて思い出しつつ、これまでの思い出がよみがえる。
4本目、「シスターブリス」の「インプレッショニスト」を聞きながら、実質最期の1本を走る。もし、「大地の呼吸を表現してみてください」と言われたら、おそらくこういった表情・表現になるのだろう。これまでの歴史を確実に刻み込みつつ、よく走った。
最終目的地カニャクマリまでとうとう19kmと迫ったところで4本目を走り終え、最期の休憩を取る。最期に腹減って動けなくなったってのはイヤなので、小さくて皮が薄くてうまいバナナを食しつつ、7UPにミネラルウォーターを飲む。
そして5本目、最期の、最期の1本を先日作った「ROCKアルバム」を聞きながら走る!
そして、ここからが歴史的な好判断だったと思う。最期の休憩でちょっと水を飲みすぎたこともあったが、最期の最期に最高に贅沢なことをしてみたいと考えたのだ。
残り13kmと迫ったところで、そこらへんの道端の石段に「ごろり」と大の字になって横になり、10分くらい「うたた寝」をしたのだ。
10分後、おもむろに起き上がる。夕暮れが迫っており、どちらかといえばピンク色がかった夕景と、黄色や緑といったイメージである水田とヤシの木が目の前に広がっている。時折通るトラックから受ける風が涼しい。
「・・なんてComfortableなんだろう??」
動かしようのない、本当の意味で危険の裏側に実在する「自由」の感覚・・。なんて気持ちがよく、なんて心地よいんだろう・・。僕はこれまで「これはいい」「これはわるい」、「これはおいしい」「これはおいしくない」、「これはおもしろい」「これはつまらない」と自分で「判断しすぎた」と思った。そして、「いいもの」「おいしいもの」「おもしろいもの」の事実や歴史が残っているわけではなく、(自分が断定した)「よかった」「おいしかった」「おもしろかった」という判断の結果だけが歴史として残っている気がした。そして、それはものすごくもったいないことだなぁと感じた。
そして、これが本当に最期の6本目を走りはじめる。これはこれまでの中でもっとも感動をする(与える)走りだったと思う。最期は「ナンバーガール」のアルバム「Sappporo Omoide in my head」からの1曲「Omoide in my head」を繰り返し聞きながら走った。
これは補足する。僕はこのナンバーガールというロックバンドがお気に入りで、これまでに出たCDやヴィデオをだいたい持っている。悔しくも2002年11月にこの日本を代表するロックバンドは解散してしまったのだが、その時のライブを収めたCDが「Sapporo Omoide in my head」という2枚組みのCDだ。その中でも特に僕がお気に入りなのは、ラストから2曲目に演奏した「Omoide in my head」という曲で、特にこの映像が素晴らしい。何故なら、田淵ひさ子という、小柄でそこらへんの女子高生みたいな感じのする、このロックバンドのギタリストが、汗だか涙だかわからんもので、顔をくっちゃくちゃにしながら、猛烈なギター演奏をしているからだ!これはだれがみたってアツいし、カッコいい!そして、最期の1本、この曲を聞きながら時速27kmで走った僕の姿が、田淵ひさ子の姿とダブった。そう、望ましい、僕自身になることができたのだ!ときおりシャウトしながら走ったこのラスト13km地点からの1本を、僕は生涯忘れないだろう。そして、始まる歴史、続けていく歴史も素晴らしく、尊いものだが、終わる歴史、終わらせる歴史というものもまた、それらと同じくらい尊く、美しいものだと感じた・・。
そして「海〜!」と、叫んだ。「や〜っとついた!」、「ほ〜んとよくやった!」と叫び続ける。観光地らしいお土産屋ストリートを抜け、ついに砂浜へと降り立つ。2004年3月19日現地時間17時30分、アラビア海とインド洋とベンガル湾と3つの海が交わるヒンドゥ教の聖地でもある最終目的地、インド亜大陸最南端「カニャクマリ」に到着!「や〜っとついた・・」、「ほ〜んとよくやった・・」
とりあえずコーヒーを飲みながら一服すると、ここはインド、ホテルの客引きと物乞いが集まってきた。客引きには「後にしろっ、後に〜!」と叫び、物乞いには数ルピー渡し「見てわかんねぇのか!」と叫んだらどっかいった。
そして、コラムのホテル滞在中に作っておいたメッセージボードに日付と全走行距離「6,558.1km」を書き込み、写真を撮りまくった。また、ちょうどカメラマンが歩いていたので、3枚ほど写真を撮ってもらった。
ふぅ、これですべてが終わったんだなぁ・・、と思っていると、いつのまにかナガーコイルという近くの街から来ていたゼファール君(20歳)と話していた。彼はずっと「6,500km・・。5ヶ月・・。いや〜・・。」と繰り返し、誰の仕掛けで用意してくれたんだと思うくらい、僕の気持ちを的確に、繰り返し言葉に表現してくれた。
アラビア海に夕陽が沈む。さっきカメラマンに撮ってもらった写真を見てみるとなかなかよい。しかも言ってみるもんで、ネガももらえた。
見事完遂!
ゼファール君とその友人4人でレストランに行き、スナックとコーヒーをおごってもらい、その後ゼファール君のバイクの後ろに乗っかり、彼らのお気に入りの場所に行く。波の音しか聞こえない静かなところで、タバコを吸いながらしばし彼らと話しながらゆっくりする。ホテルの面倒も見てくれるということで、どんなに高くてもいいから部屋から海の見えるホテルを紹介してほしいとお願いし、SEAVIEW HOTELに連れてってもらった。が、900Rsと聞きしかもなんだか立派過ぎるので、隣にあるSEAVIEW LODGEというところ(350Rs)に決定。ちゃんとテレビやホットシャワーも付いていたし、何より海が見えるバルコニーが部屋に付いていたのがよかった。
シャワーを浴び、ストレッチする。もう明日から走らないと思うと不思議な感覚である。
ちょこちょことスナックは食べていたので、夜飯はホテルのルームサービスで「チキンマンチョリアン」にビール「キングフィッシャー」を食すことにした。「かんぱ〜い!!」
ビールを飲みながら、さっき現像した写真をみつつ、「や〜っとついた・・」、「ほ〜んとよくやった・・」としか言わない。ほんとそれしか言わない。「や〜っとついた・・」、「ほ〜んとよくやった・・」
<20.Mar.2004 Day-154>
Stay Kanyakumari
昨晩はビール飲みながらよ〜く考え事をすることができた。そして今までに考えたこともない、考えにも及ばなかった斬新な思想が次々と現われたけど、結局酔っ払ってそのまま寝てしまったので、全部すっかり忘れてしまった・・。まぁこれは「一つの思い出」だけにしておこう。
朝、ホテルのルームサービスでバタージャムトースト&シンプルオムレツ&コーヒーを食す。
「あ〜、終わったんだ・・。」部活で最後の試合が終わった次の日のような、または卒業式の次の日のような感じである。しばしゆっくりした後洗濯をする。気分的には「終わっている」が、筋肉痛はまだしっかりとその太股や腕に「残っている」。
テレビを見ながらゆっくりとしつつ、ここカニャクマリでの行動計画を立てる。ネットカフェあるみたいだし、ここで掲示板の更新をしてしまおう。そして、荷物の切り離し、つまり、もういらなくなったもの、もう使わないもの、かさばる物、重い物をこのホテルに置いていくことにしよう。自転車のタイヤなど取り外し、自転車をコンパクトに輪行しよう。そして、床屋に行こう。終われば終わったで、次に何しようかと考えることが楽しく、あまり到着の余韻を楽しむ暇がない。
昼もホテルのルームサービスでチキンヌードルを食す。これいける。そしてホテルにいたフロントのオヤジに、「このカニャクマリからティルヴァナンタプラムまでタクシーでいったらどのくらいかかるか」を聞いてみると、あっさり「うん、それは旅行代理店に聞くのがよい」と当たり前の回答もらい、近くにあった旅行代理店いにく。値段を聞いてみると、ここから約90kmあるティルバナンタプラムまで2時間の800Rsらしい。このカニャクマリでしばしゆっくりし、荷物の切り離しや自転車の分解梱包をした後、ティルバナンタプラムに戻り、お土産を買ったりしようと考えていた。ただ、ここからティルバナンタプラムまで電車でいくとなるとけっこうお金がかかる。というのは、荷物が相当あるので、ホテルからカニャクマリの駅までの2kmをタクシー使わなくちゃいけないし、おそらくそれで50Rs以上かかるだろう。そして、駅に着いたら駅に着いたで、ポーター(荷物運び屋さん)の格好の的になり、気が付いたら勝手にポーターが荷物を運んでいるパターンで1個10Rs以上、計50Rs以上かかるだろう。また今回は一人旅なので、電車に乗っているときの荷物管理つまり盗難防止が難しい。一般座席よりも幅が広く、また個室になっているエアコン付きの車両を選ばざるを得ないとなると、90kmで250Rsくらい。ティルバナンタプラム駅に到着してからも、ホテルまで行くのにまた同様のお金がかかるから、タクシー800Rsならいいお金の使い方だろう、確かティルバナンタプラムから15km離れたコヴァーラムというビーチまでは150〜200Rsとガイドブックに書いてあった気もする。とりあえず、余裕を持って、24日の朝10時にホテルまで来てもらうようお願いし、前払い金として300Rsを払った。
そんな話をしていると、この旅行代理店の隣にあるカメラ屋のおやじが「デジカメのデータをCD-Rに焼くよ」と宣伝してきた、しめしめ。最後の瞬間を写真に収めたのでまたCD-Rに焼こうと考えていたし、またデジカメで撮った写真をサーバーにコピペしようと考えていたところだったので(メモステのフロッピーディスクアダプターを使うより、CDロムから直接読み込んだ方が、断然早い)これはちょうどよい。1枚150Rsでコピーしてもらう。
そして、自転車をくるむためのシート、いわゆる「青ビニ」を探してカニャクマリの街を歩くが、結局見つからず。バケツなんかが置いてある店のおばちゃんに聞いてみたが、この街にはないんじゃないかなぁ、とのこと。
街中にあるアイス屋で、しばしアイスを食って休憩した後、ネットカフェに行く。1時間40Rsと高いが、「韓国語・日本語OK」と張り紙があったので入ってみた。が、日本語使える気配さらさらなく、結局日本語ソフトをインストールして使用。とりあえず、サーバーに写真をアップロードし、掲示板を2日分書いたところで、回線がビジーになってしまい終了。ワードが入っていたので、ワードにコピペしてフロッピーに入れて帰る。
ちょうどサンセットタイムだ、と思い、ガートというか沐浴場というか砂浜というか公園みたいなところに行き、夕陽を眺めたが、本日はほぼ雲の中にもやもやと太陽が沈んでいく感じで、あんまり昨日のような大胆さがない。
海まで降りてみて、波打ち際をぴちゃぴちゃする。一応ここは聖なるガートとなっているが、お祈りしながら沐浴している人はそんなに多くはいなかった。むしろ、海水浴場のように若者がはしゃいでいるような風景だった。ただ単純に240度海が見渡すことができるいい場所だなぁと思う。コーヒー飲んで一服してホテルへ。
そして荷物の切り離し作業に入る。とりあえずフロントパニア左右それぞれ中に入っている物を全部取り出し、ベッドに並べ、記念に写真に収める。うん、よくこれまでがんばりました。そしてまたよくもこんなに荷物が入ってたもんだなぁと思う。フロントサイドバックには予備のミネラルウォーターや食料関係ばっかりが入っていたので、これら全部を切り離したらだいぶ荷物を減らすことができた。
夜もまたホテルのルームサービスにてプローンフライドライスとビールを食す。そして、明日には掲示板の更新をするため、手帳(日記帳)の読み返しを行う。酔っ払っていたからかもしれないが、一通り見直し、いろいろと考えてみた結果、やっぱり昨日のゴールは最高に感動的だったなぁと実感。そしてまたそれを超える日がいつかくると思うと、自由を感じずにはいられず、いい感じに酔っ払ったまま就寝。
<21.Mar.2004 Day-155>
Stay Kanyakumari
朝6時半に目を覚ます。ホテルの部屋から、今登ってきたばかりの朝日をちらりとみることができた。眠いのでまた寝る。
9時頃ゆっくりと起き出す。ルームサービスでコーヒーだけ頼み、コーチン(エルナークラム)で買ったパンを食す。
荷物の切り離し作業の続きを行う。午前中にリアサイドバック左右が終了。日本に帰ればあるけど、リアホイール不調のため(ハブのメンテナンスのため)、途中のアーメダバードやムンバイで買ったた自転車の工具等は、このホテルに置いていくことにした。ちなみに僕は日本からインドへと飛び立つ際、JALのカウンターのオネェさんに、あれやこれやとゴネたものの、結局機内預け荷物超過料金として20kg分の80,000円を支払っているので、キロあたり4,000円の価値が無い物はできるだけ置いて帰る必要があるのである。ただどれもこれも愛着があり、なかなか思い切れず。
昼飯はルームサービスでチキンヌードルを食す、これほんといけるでしょ。
そしてネットカフェに行き、5時間かけて5日分の書き込みをするが、やっぱり夕方になると回線が混んでしまうらしい。結局またワードにコピペし、またそのワードファイル名を「捨てちゃだめ!」にして、デスクトップに保存したまま帰る。
そしてホテルに戻り、フロントセンターバックとして使っていた青のジャックフルフスキンの60Lくらい入るザックと、よくツーリング時の休憩時に、椅子代わりとして使っていた、カスケードデザインの個人マットをくるくる巻き、その中に雨具などを入れていた物と、つねに背中にしょっていたパタゴニアのザックの切り離し作業を行う。それぞれすべて中身を取り出し、ベッドに並べ写真を撮り、日本へ持って帰る物と、インドに置いていく物の選別作業を行う。すべてのカバンのチェックが終了し、荷物のつみ直しをしたところ、計7個のカバンが計4個になった。まぁ、こんなもんかな。
ルームサービスでチキンフライドライスを食す。よくわからんが、「ルームサービスの担当が代わります」式典が部屋の中で繰り広げられた。まぁ、「よく働いたでしょ?だからチップ」というのがメインだったが・・。
ネットカフェに戻り再チャレ。なんとか昨日書いた2日分と今日書いた5日分を掲示板にアップロードすることができ、また写真もアップロードすることができた。23時過ぎになったけど、なんとかサーバーへの写真・動画のコピペも終了し、友人及び前職関係への「無事到着!」メールも終了。隣がレストランだったので、コーヒー飲みながら一服し、そこらへんにいたおじさんらとお話してからホテルへ戻る。なんとか最終目的地到着の盛り上がり・感動を文章にすることができたかなぁとは思う。ただやっぱり感動するのは簡単だけど、これを時系列で活字にすること、感動を表現することってのはほんと難しい。
<22.Mar.2004 Day-156>
Stay Kanyakumari
結構深夜23時以降になると、各音楽専門チャンネルで、懐かしの洋楽のクリップを流している。昨晩も思わず見入ってしまい、今日もまた遅起きする。
コーヒーを飲みつつコーチンで買ったパンを食い、作業開始。今日は1日かけ自転車の解体作業をするのである。とりあえず作業をする前に、よくがんばりました!という記念で写真を撮る。自転車の要であるハブやクランク等は5,000kmが交換・メンテナンスの目安だから、大活躍した実績に間違いはない。
とりあえず自転車を雑きん使って水拭きする。土や泥などの汚れをきっちり取った後、できるだけコンパクトにするためペダルを外す。また、チェーンももう限界を超えていると思われたので(だいぶ伸びていた気がした)チェーンカッターを使いチェーンを外し、チェーンの長さとコマ数だけメモし、チェーンは置いていくことにした。また、ボトルゲージも途中折れてしまい、針金を括り付けてだましだまし使っていたが、確か実家に予備があった気がしたので、ボトルゲージも取り外し、置いていくことにした。
そして特に汚れていたリアとフロントのタイヤは外して丸洗いし、自転車も日本に帰ってから特に掃除することがないくらいにまで掃除したり、注油したりした。そしてマップホルダーやメーター、リアガイドを取り外し、またフロントキャリア・ハンドル・フロントフォークも取り外し、フロントフォークに付いているブレーキシューも外すことにした。これでけっこうコンパクトになるわい。最後にタイヤの空気を抜き午前中の作業は終了。
ホテル近くのレストランに行き、チキンビルヤーニを食し、ホテルへ戻って作業再開。
タイヤを外したフレームのエンド部分が、移動の際、何かにぶつかり曲がって変形してしまって、タイヤが入らなくならないよう、専用のエンド金具を取り付けた後、サドルをクッション代わりとして自転車を逆さまにし、ストラップを使って、タイヤ2つとフロントキャリア・ハンドル・フロントフォークを自転車のメインフレームに括り付ける。括り付けた後は、これまで使っていたタオルや手ぬぐい、グローブなどを要所要所にビニールテープで巻き付け、最後に個人マットとテントマットで包み込み、16時作業終了。ルームサービスでコーヒーを頼み一服する。ここ何日かホテルの部屋で作業しながら、ずっとインドのMTVを見ていたら、あんまりにもおんなじ歌を何回も流すので、だいたいのサビは覚えてしまった。
今回度々自転車の不調があったこともあり、ある程度自転車の各部分をいじくった経験からか、そこそこ自転車をコンパクトに梱包することができた。帰国したら浮浪者という肩書きを持って生活しなくてはいけない以上、自転車はその生活を豊かにすることができる重要なツールである。ただ、壊れないようにとあんまりいろいろくっつけて梱包して、空港で超過料金を取られました・・では意味ないし〜なので、なかなかその判断が難しい。
やっとこさ作業が終了したので、近くの床屋にいく。途中伸びた髪を切りたくてしょうがなかったが、デリーで失敗したように、またしても床屋に行ってモミアゲを全部剃られたらどうしようとも脅えていたので、2ヶ月近くも床屋に行っていなかった。テレビの音楽専門チャンネルを見ながら、陽気にサビを口ずさみつつ髪を切る床屋の兄さんは、あまりにもノリノリだったのでちょっと心配だったが、なんとかモミアゲを剃られることなく散髪終了、なんて気持ちいい!
シャワーを浴び(こちらでは散髪した後に洗髪した経験がない)、洗濯をした後、チキンヌードルとビール「キングフィッシャー」を食す。そして夕方買っておいたカシューナッツがほんと美味いし、どんどんキングフィッシャーが美味くなってきた!
<23.Mar.2004 Day-157>
Stay Kanyakumari
「よしャッ!」と掛け声をあげて朝6時に起き、ホテルの屋上へと上がる。そう、今日こそじっくりとベンガル湾から昇ってくる朝日を見たいのだ。屋上には先客が3組くらいおり、どこで学んだのか欧米人観光客が「ヨガ」のポーズをとっている。周りに乱立する各ホテルの屋上にも結構な数の人々がおり、今や遅しと朝日を待ち望んでいる。日中に比べ風が涼しく肌に心地よい。
30分くらい待つとベンガル湾より太陽が昇ってきた。じゃ〜ん、ご来光です。夕陽ってのもいいけど、朝日ってのもまた力強くていいもんだ。ホテルの屋上から下を見下ろしてみると、ちょうどそこが小さな漁港になっており、これから出港するらしい、葉っぱみたいなボート数台の周りに、おっさんらがうじゃうじゃと集まっており、いかにも「朝」という感じの活気を感じる。
今回の冒険に出る前、社会人をしている時は「自転車でどっかからどっかまで行く。しかも危険な地域を自転車で走る。なんて無意味なことなんだろう?!」と我ながら思っていたもんだが、今こうしてその冒険を終え、帰国してからの「社会人・会社員生活アゲインinジャパン」を想像するたびに、あまりにもそれが「非生産的」に思われてしょうがなく、これまた非生産的な吐き気を起こさせる。ただ、とにかく、それらは自分の力で「生産的」にしていくしかない。つまり目標として、自分自身が、自分自身の中において、自分自身を「連日最高値更新」させていくしかねぇなぁ!と、ここのホテルの屋上や周りの各ホテルの屋上で、ベンガル湾から「ぬっ」と出てきた朝日をパッシャパシャ写真を撮っているインド人や欧米人観光客がいっぱいいる風景を見ながら考えてみた。
無性にコーヒーが飲みたくなり、近くのティーストールに行きコーヒーを飲んだ後、ホテルに戻りまたグラスコーヒーを飲みパンを食し朝食とする。
ゆっくりとBBCワールドやCNNインターナショナルを見つつ、結構1分に1個くらい単語が拾えるようになったなぁと思い、目をつぶってその放送に耳を傾けていたら寝てしまい、起きたら昼だった。
近くのレストランでチキンビルヤーニを食う。僕の周りで飯を食っていたインド人を眺めていたが、カレーの汁がかかったゴハンを上手く手で食べるコツは、スシを握るように人差し指と中指を使うのではなく、ツミレを作るようにグーにした手の親指と人差し指の間から「ニュッ」とゴハンを出せばいいのかもと、ひらめいた。
ゴールまでの掲示板書き込み・写真のアップ・写真や動画のサーバーへのコピペも終わったし、荷物の切り離し・選別作業や、自転車の解体作業も終わったし、予定通り明日このカニャクマリを出発できそうなので、最後ぷらぷら観光することにした。
海の方まで歩き、ガンジー記念堂に行く。(日本でもよくあるかもしらんが)中に入るためには履き物を脱がなくてはならず、太陽によって熱せられた地面が暑くてしょうがない。中に入ると中央にガンジーの遺灰の一部が静かに置かれていた。ガンジーも一度(?)ヒンドゥー教の聖地であるここカニャクマリに来て、瞑想にふけったことがあるらしく、ここに遺灰の一部があるらしい。上に登ってみる。吹っ飛ばされてインド洋に落っこちそうになるほど風が強いが眺めはよい。
アイスパーラーでアイスを食った後、ちょこっと歩き、ボート乗り場へ到着。このカニャクマリというインド亜大陸最南端である岬町の突端から、ちょっとボートでいったところに、磯釣り師が「ここなら!」と思って集まりそうな大きな磯というか岩というか島があり、ここにビベナカンダ岩とビベナカンダ記念堂があるのだ。50人くらい乗れそうなボートで5分くらい乗ると、最初にビベナカンダ記念堂に到着。このビベナカンダさんってゆうのは100年以上前のヒンドゥ教宗教改革者らしく、アメリカで開かれた国際宗教会議にも出席したことのある(そんなんがあったことすら僕は知らんかった)偉い人らしい。この人がこのカニャクマリのこの岩(磯?島?)で何日か瞑想にふけったときにいいモラルに巡り合えたのかどうだかわからんがお気に入りの場所だったらしく、このビベナカンダさんが亡くなった後に、何十万人という全インド人の寄付によって記念堂が立てられたらしい。なかなか立派な建物で、中に「メディテーションルーム」という薄暗くなった部屋があり、思わず座禅組んで瞑想してみた。
次にビベナカンダ岩というか、このビベナカンダさんを模して作ったのかどうかはわからんけど、高さ20メーターくらいある石像が立てられている岩(磯?島?)に行く。やっぱり案の定こういうのは遠くから見た方が立派にみえる。ただ、てっぺんまで昇ると、東側の海岸が見えた。つまり、「V」(ブイ)の字になっているインド亜大陸の左側に沿って、上から下まで自転車で走ってきたわけだが、この「V」の字の東側の海岸線が見え「まだまだなぁ、もう27歳なのに・・。世界は広いし、まだまだやることいっぱいあるなぁ、あ〜忙しい!!」と思ったりした。
波止場までボートは戻る。ちらりとレストランに置いてあった体重計で体重を量ってみる。ちなみにインドでは、駅とかに、1ルピーコインを入れて体重を量るこのマシーンが結構あるし、繁華街や観光スポットの道端で、座っているおじさんの前に体重計をボーンと置き、この体重計1つだけで飯を食っていると思われる、乞食との境目がわからんような人も結構いる。体重を量ったら3.7kgだった。あら、40kg以上体重減ったか?と思ったが、決してそんなことはなく、ただ体重計が壊れていたようだ。ただ、今回は痩せるというよりもむしろ筋肉が付いた分太ったんじゃないかなぁと思う。
ちらりとネット屋に行く。「無事到着しましたよ〜」というお知らせメールで、肝心な人にメールを送ってないことに気が付いたからだ。そう、「たとえ自転車がガタガタであろうとも、君は絶対最南端、カニャクマリに行くべきだよ、というか、絶対着かなくちゃだめだよ!そして到着することができたら、絶対僕にメール送ってよ!」と、唯一「絶対着かなくちゃダメ宣言」してくれた、ウダイプルであったフランス人芸術家「ベッソン氏」にメールしてなかったのだ。今回「気をつけて」とか「無理しないで」とか「がんばって」といったメールや電話を皆さんから頂き感謝しているのだけども、こういった形で「着かなくちゃダメ宣言」をしたのは彼だけだったと思うし、結構何気に、僕は面白いことにこの宣言が引っかかってた。特にゴア以降、別に最南端まで行く必要はなかったし、ゴアで1ヶ月くらいゆっくりすることも考えたが、「最終目的地まで行って欲しい!」とお願いしている人がいたことは、僕にとって微妙な作用を与えたと思う。ネットカフェで1ヶ月ぶりくらいで日本人2人組に会うが、おどろくほど僕に喜びがなく、その会話を弾まさせなかった。
そしてホテルに戻り荷物を置いた後、てぶらでガートというか沐浴場というか砂浜というか公園みたいなところに行く。そして30分くらい待つ間、ベンチみたいなところでうたた寝してしまった。この最終地点に到着する直前の13km地点で「最後」ということでそこらへんにうたた寝したっていうのに!ただちゃんと今日はくっきり、雲の中にではあるが、沈みゆく夕陽を見ることができた。アラビア海とインド洋とベンガル湾が交わるヒンドゥ教の聖地カニャクマリという場所は、ガイドブックによると「聖なるコモリ」としてギリシアやローマの司書にも出てくるらしい。処女神クマリが村の名前の由来らしいが(僕はこの処女神クマリが気に入り、12枚入りのポストカードを買った)、ただ単純にこのロケーションは絶対的に価値があるんだろうなぁと思い、そしてまたここを最終目的地にしてほんとよかったなぁと思った。
ホテルに戻りがてらカシューナッツを買い、チキンヌードルにキングフィッシャーを食す。またかよ、って感じだけどこの組み合わせもう最高。