70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅡ-① 2016・08・06~08・29

『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、
心には尊崇、献身、信仰の思いをしっかとこめて、幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。
フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、ついには、このような性格の旅へと最後は
収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=

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 スペインの最西部に位置するサンチャゴ・デ・コンポステーラは、バチカン、エルサレムと共にキリスト教の3大聖地と
言われている。1000年以上もの歴史を持つ『巡礼の道』は、ヨーロッパの人たちにとって、この道を歩き、お参りするこ
とを人生の最大の夢として考えていたという。最盛期には年間50万人(現在は約10万)もの人々がピレネーを越えて
1500kmもの長い道のりを歩いた。

 私は若いころからフランスに関心を持ち、各地を訪ね歩く中で、フランスの文化や歴史が「巡礼」に大きく関わっている
ことを知った。そんな時、私の同世代の知人が病を克服した後、『巡礼の路』を歩いたという話を聞いて俄然行きたくなっ
てしまった。そして、2014年8月7日から9月1日、パリからリモージュまでの約470キロを24日間で歩いた。1年後の夏にも
歩くつもりでいたが、今度は私自身が《前立腺ガン》を患い、入院手術ということで実行することはできなかった。その年の
暮頃までは、『夏には行けるかなあ』という迷いもあったが、お陰で年が明けるころには体調も回復し、航空機の予約を
した。そして、今回はその続きを歩こうと計画を立てた。

Limoges
(リモージュ)----Perigueux(ペリグー)----Port Sainte Foy(ポート サン フォイ)----Bazas(バザス)
----Mont de Marsan
(モン・ド・ マルサン)----Orthez(オルテズ)  歩行日数24日間

    
    
《Voie de Vezelay:『ヴェズレイからの道』:他に、『パリからの道』『ル・ピュイからの道』等がある》

結果、今回の
歩行距離:493.3km 歩数:725、063歩 (万歩計)  1日平均:20.55km ザック重量:約10kg であった。

 私はクリスチャンでも無ければ、フランス文化をこよなく愛してはいるが究めようとして歩く分けでもない。自然に身を置い
て歩くことが好きなだけである。ただ、実際に歩き多くの人たちに接する中で人々の大きな、深い心に触れ、素晴らしい
体験をいたしました。
 一人で歩いた約1ケ月に亘る旅の様子を、先回に引き続き報告させていただきます。【先回分】←ここをクリック

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8月4日(木)晴れ:中部空港==(ヘルシンキ経由)==パリCDG空港--(バス移動)--パリ市内のホテル泊

 
《中部空港》                                        《威風堂々のリモージュ・ベネディクチ駅到着》

8月5日(金)晴れ:Paris Austerlitz(オステルリッツ)駅==Limoges Benedicti(リモージュ・ベネディクチ)駅    ホテル泊
 明日からの出発に先立ち、大聖堂付近を散策してみた。夏休みのためか、家族連れや観光客の姿も多く見られた。

    《リモージュ:サン・テティエンヌ大聖堂》
    

  
 《石畳に真鍮のマークが打ち込まれている》        《大聖堂の裏庭では、若者が【ポケモンGO
に夢中》

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8月6日(土)晴れ
Cathedral(大聖堂)--Marche(常設市場::昼食)--Justice(裁判所)前 2.1km  3,156歩 ホテル泊

 *巡礼路 1000里の先も 一歩から*

 
 いよいよ今日から出発である。ただ、第1日目は旅の疲れのことも考慮し、市内を少しだけ歩くことにした。ウォー
ミングアップである。リモージュの起点であるサン・テティエンヌ大聖堂で旅の無事を祈って午前10時45分に出発し
た。『さあ、出発!』少しく高揚感があった。途中のサン・ミッシェル教会では土曜日午前中のミサが行われていた。
司教さんの太い声が堂内に朗々と響いていた。暫し休ませてもらおうと立ち寄ったのだが、門外漢の私が居る場で
はないと思い早々に外に出た。
 リモージュは有名な『リモージュ焼き』、陶器の産地である。瀬戸市と姉妹都市でもある。趣のある旧市街地を通り
抜け、常設市場には11時半頃に着いた。市場内のレストランで昼食である。実は、2014年にリモージュに来た時も、
この3月に家内と一緒に来たときもこのレストランで食べた。『リムーザン牛』が実に美味しかった。その時『神戸牛と
どっちが美味しい?』と聞かれた覚えがある。また、それが何と300g位のステーキがドンと出てきて、18€なのだ。
まだ時間が早いので、気軽にマダムと話をしながら食した。これまでにこのレストランには3回来ていること、ここの
牛肉がとても美味しいこと、以前に来て食べた帆立貝の貝殻を貰って帰り、リュックに付けて、これから『巡礼の路』
を歩くこと、などなど・・・・・。1時間位居てレストランを出、そして今日泊まるホテルへ向かった。

    
    《大聖堂内陣:旅の無事を祈る》

  
《サン・ミッシェル教会のミサの様子》          《いつも賑わうレストランと300g位のドでかいステーキ》(^_-)-☆

      
      
《裁判所前で今日は終わり:近くのホテルに泊まった》

8月7日(日)晴れ:
Limoges Justice(裁判所)前----Saint Martim le Vieux 23.2km(25.3km)  34,135歩 友人宅泊

  
《『巡礼の路』の標識:これを探しながら歩けば間違いない》                     《木陰でちょっと一休み:涼しい風が心地よい》

  
《Aix sur Vienne(エクス・シュル・ヴィエンヌ)遠望》            《ヴィエンヌ川を渡る》     《OT(観光案内所)のマダムと》

 自分の部屋で朝食を済ませ、午前7時15分にホテルを出る。マダムがまだ起きていなかったので部屋のテーブルの上に
鍵を置いて黙って出てきてしまった。勿論、ホテル代は前日に支払ってある。『簡単な置き手紙でも書いて来ればよかった。』
と少々後悔した。
 歩くについては、ガイドブックとPCから打ち出したグーグルマップの地図を持っている。おまけに、都市部はストリートビュー
を何回も見て学習して来た。従って、この日は殆ど迷うことなく、途中の町や村を楽しみながら予定よりも早くAix sur Viennneに
着くことができた。
 まず、OT(観光案内所)に行ってみた。日曜日であったが開いていた。『ボンジュール!』マダムがにこやかに迎えてくれた。
「今日は友人の家に泊まるのですが、明日、月曜日の宿の予約をしていただけませんか。」「どこの町に行くのですか」「できれ
ばBussiere Galantの近くまで行きたいのですが。」 「チョットお待ちください。」と言って彼女はPCに向かった。歩いていて一番
気を揉むのは宿を探すことなのだ。飛び込みで行っても良いのだが、もし、満員の時は次の町までまた数キロ歩かなくてはなら
ない破目になる。できるだけ前日までに予約をすることが賢明なのだ。私は拙いフランス語しか話せない。電話で予約すること
は結構難しいのです。

「大丈夫です。Bussiere Galantの近くに取れました。3時頃Mairie(市役所)に行ってください。Gite(巡礼者用簡易宿)の
ムッシュが車で迎えに来てくれます。このGiteは無料で泊まれます。」「エッ、無料?」「Oui.(ウィ)」 私は無料の意味が良く解ら
なかったが、いずれにしても安堵して、礼を言ってOT(観光案内所)を出た。


 
《長い登り坂、振り返れば素晴らしい景色》                                 《道標が『良く来たな』と迎えてくれる》
(^_-)-☆

        
         《道筋には立派なお城もある。》


 リモージュから23km余。今日はフランスの友人が彼の女友達の家に泊まれるよう手配をしてくれている。昨日、リモー
ジュのホテルからたどたどしいフランス語で電話を入れた。『待っているわ。』とのカルメンの陽気な声が私を安心させてく
れた。
 予定の時間よりも早く、2時にSaint Martim le Vieuxに着くことができた。初対面の私を、カルメン夫妻は快く迎えてくれた。
『Bonjour! 』シャワーを浴び、ひと休みした後、彼らは村を案内してくれた。フランスの夏は日が長い。この時期、陽が沈む
のは午後9時頃。自然と夕食の時間が遅くなる。7時頃になってアペリティフに始まり、
夕食は7時半頃だった。流石に腹が
空いてきた。カルメンの手料理だ。サラダに続いてトマトファルシー。美味しかった。おかわりまでしてしまった。
 そして、10時頃まで話をして寝た。少し疲れたけれど、良い1日だった。

 
《村の入り口:人口約1000人》                          《左の建物がカルメンの家》

  
《中世からの泉:今は涸れていた》 

                                                              つづく