Nゲージ蒸気機関車2008年のメモ>2008.1.5

悲惨な模型コンクールの巻


もう何十年も前、私が小学生の頃です。
住んでいた街にある市営の科学館が、毎年一般の社会人・学生を対象に「模型工作コンクール」を開催していました。それはプラ模型の部と一般工作の部に分かれており、参加自由だったので、無謀にも出品してみることにしました。

出品作は、その頃紙で作っていたHOゲージの電気機関車にしました。お金がなかったので紙で上廻りだけを作って遊ぶしかなかったのです。さすがにボディーだけでは出品できないので、車輪や台車も紙で作り、木の棒を買ってレールを作りました。買ったのはその棒だけだったと思います。あとは家の中にあった空き箱を切り開いて作り、塗装は赤マジックでむらがなくなるまで何度も重ね塗りしました。車軸はクリップを伸ばした針金、パンタはうまい作り方がわからなかったので、紙を細く切り抜いて作りました。

さて、出品したことも忘れていた1ヵ月後、学校に連絡があり、なんと入賞したというのです。しかも一般工作部門で3位、驚きました。そのうえ地元の新聞に作品の写真が大きく出ていたというのです。そんなわけで授賞式に出ることになりました。

授賞式の日。コンクール会場には市内から集まった100点近くの作品が陳列されていました。そして入り口近くにあった、誰の目にも留まらない厚紙のくず、それが私の作品でした。

会場に並ぶ数々の作品は、目を奪われるばかりの素晴らしさで、とても人間が作ったとは思えない出来栄えでした。どんなプラ模型よりも大きく、あるいはどんなプラ模型よりも細かく。それに比べて自分の作品はまるでゴミ。作品を見て回るうちに、自分が出品者の中で最年少者だったことがわかりました。そして、お情けを頂戴したとは申しませんが、そういうお心遣いで自分が入賞したということがすぐにわかりました。他に鉄道ものがなかったというのもあるかもしれませんが、自分のあんな工作が、他の方々の作品と同じ土俵でまともに渡り合って入賞するはずがないのです。作品の出来栄えで評価されるはずの模型コンクール、努力を認めてあげましょうなんて惨めすぎます。賞状をもらったときは嬉しさというより恥ずかしさでいっぱいでした。

あとで担任の先生が、写真の掲載された新聞を見せてくれました。大写しになったマジックでギトギトの車体。歪んでクリップの車軸の外れた台車。これが印刷されて各戸に配達されたなんて耐えられません。客観的に見せ付けられる自分の工作の拙さ。改めて、耐え難く恥ずかしいものでした。作品はあとで学校に返却され、校内に一定期間展示されていたと思うのですが、その後自分で再び手にした記憶はありません。

これが私が模型コンクールに出品した最後です。目からうろこが落ちるような技法を色々な作品から見せていただきましたし、自分よりはるかに上手な作品を作る方など日本中にたーくさんいることもわかりました。家に帰ってから先生や家族と話し、そこで見た作品のここが良かった、この作り方がためになったと自然に色々な反省をしました。やはり諸先輩方の仕事ぶりを目の当たりにして、自分の未熟さを思い知らされ、叩きのめされる経験は必要なように感じています。ただむやみに褒められていても、それ以上の要求水準は得られないのでしょう。その人の性格によるのかもしれませんが、私の場合はそうでした。


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