所在地 |
城の名前 |
説 明 |
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豊岡市 | 港地区瀬戸 | 瀬戸奥面台場 | 幕末期に、津居山港を外国船から 守るため、数ヶ所に台場が設けら れた。地元ではこれらの台場群を 総称して「瀬戸台場」と呼んでい る。文久2(1862)年に豊岡藩が築 造した。 |
瀬戸港台場 | |||
津居山台場 | |||
気比台場 | |||
尼崎市 | 大高洲町 | 大高洲新田台場 | 尼崎藩により文久年間(1861〜64年) 辺りに完成される。 |
丸島町 | 丸島台場 | 尼崎藩により文久年間(1861〜64年) 辺りに完成される。 |
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今福 | 今福村台場 | 尼崎藩により文久年間(1861〜64年) 辺りに完成される。神崎川の河川砲 台である。 |
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南初島町 | 初島新田台場 | 尼崎藩により文久年間(1861〜64年) 辺りに完成される。 |
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大浜町 | 未新田台場 | 尼崎藩により文久年間(1861〜64年) 辺りに完成される。 |
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西宮市 | 今津真砂町 | 今津砲台 | 西宮港・今津港を守るために築造され た。文久3(1863)年8月起工し、慶応2 (1866)年完成した。堡塔を中心に、円形 の土塁が設けられていた。 |
西波止町 | 西宮砲台 | 西宮港・今津港を守るために築造され た。文久3(1863)年8月起工し、慶応2 (1866)年完成した。堡塔を中心に、円形 の土塁が設けられていた。 |
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神戸市 | 中央区東川崎町 | 川崎砲台 | 文久3(1863)年起工し、元治元年(1864) 年完成した。堡塔を中心に、円形の土塁 が設けられていた。 |
垂水区東舞子町 | 舞子砲台 | 明石海峡の最も狭まった本州側の尖端 は舞子浜である。幕末に異国船に対する 西の最前線として明石海峡が選ばれ、明 石藩が舞子浜に砲台を築造した。文久3 年(1863)に旧舞子浜砲台の改築を開始し 元治元年(1864)に工事は中断された。現 在、明石海峡大橋により、ほとんど破壊さ れた。 |
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兵庫区和田岬町 | 和田岬砲台 | ← 城の名前をクリックしてください | |
飾磨郡家島町 | 家島天神鼻 | 天神鼻台場 | 嘉永3(1850)2月完成。家島・飾磨間の姫 路藩領を通過する異国船を砲撃するため に、姫路藩によって築造された。 |
家島 | 家島穂元台場 | ||
室津藻振鼻 | 室津台場 | ||
姫路市 | 飾磨港区堪保小万歳 | 飾磨砲台 | 文久3(1863)年3月に、姫路藩により完成さ れた。飾磨港を防御するために造られた砲 台である。 |
的形町福泊 | 福泊砲台 | 姫路藩により築造される。 | |
高砂市 | 新浜 | 荒井砲台 | 姫路藩により築造される。 |
加古郡播磨町 | 古宮 | 古宮砲台 | 姫路藩により築造される。 |
赤穂市 | 御崎 | 御崎台場 | 異国船防備のため赤穂藩が築いた。文 久2(1862)年着工し、元治元(1864)年完 成した。 |
唐船砲台 | 赤穂藩により、文久3(1863)年9月に完成 された。 |
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丸山砲台 | 赤穂藩により築造された。 | ||
松ヶ鼻砲台 | 赤穂藩により、元治元(1861)年9月に完成 された。 |
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津名郡淡路町 | 岩屋松帆 | 松帆台場 | 岩屋台場群の中心である。徳島藩により、 文久3(1863)年完成された。大砲4門と野 砲2門を備えていた。 |
払川台場 | 岩屋台場群の一つであり、徳島藩により築 造された。 |
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龍松台場 | 岩屋台場群の一つである。徳島藩により築 造された。 |
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長谷川台場 | 岩屋台場群の一つである。徳島藩により築 造された。野砲2門を備えていた。 |
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古城台場 | 岩屋台場群の一つである。徳島藩により築 造された。大砲4門と小型モルチール砲を備 えていた。 |
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洲本市 | 由良成ヶ島高崎 | 高崎台場 | 安政元(1854)年幕府の命により徳島藩が 築造開始する。その後、増改築を繰り返し 文久元(1861)年12月に完成した。設計は、 徳島藩の勝浦安右衛門である。大砲が64門 備え付けられていたという。 |