100Wでの変更検査で経験済とはいえ、アマチュア無線で最高の空中線電力である、どのような検査になるか不安だったが、来られた検査官は1人。あっけなく終了した。リニアアンプは101ラインと共通のFL−2100(572B×2)。アンテナも14MHzのフルサイズ5エレになっていた。 |
当時の憧れの的だった101ライン
1973年4月4日に予備免許、5月21日に検査合格、本免許となる。以後、結婚するまで本格的にDXCCにのめりこんだ。14MHzでCQカリビアンとか、CQアフリカ等今から思うと冷や汗物だった。 |
ただ、ここでの500W運用は1年半余りしか続かなかった。1974年10月に結婚し、2LDKのマンション住まいとなり、QRTを余儀なくされたのでした。電波管理局に廃局届を出し、無線とは縁のない生活が始まりました。3人の子供を作り、電検2種の免許を3年かけて取得したりしました。仕事に家庭に油の乗った時代でした。 |
結婚して3年目、1977年に待望の1戸立て住宅を千葉県市川市に建てることになり、ついでにタワーも建て、夢は大きく膨らみました。 |
以前のような許可証は無くなり、免許状の下部に「予備免許を与える」という文言がある。工事落成の期限は2月28日までとなっていたが、家の建築が遅れ、検査日は5月26日になってしまった。 |
1977年11月26日に関陸二第507号で予備免許、1978年5月26日に検査合格で本免許となる。家の建築が遅れ、検査日は翌1978年5月26日となった。実は予備免許中もDXCCを稼いでいた。リニアアンプはFL−2100からSB−2000ASに変わっている。これは最近オークションで売ってしまった。 |
長男と当時のシャック。FL,FR-101にFL−2100だった。リニアは後にSB2000ASに変わった。時計と電波法令集は必須できちんと追録が補充されていないと指摘を受けることになる。リニアをSB−2000に変えたときは終段管を572Bから3−500に変更した旨届け出るだけでよかった。今はダメかなー? |
1978年11月にはDXCC−260、1982年8月にはDXCC−300を申請しているが詳細はこのホームページの「私とDXCC」を見て下さい。順調にいっていた私のハムライフですが、1984年4月1日付で大阪本社転勤となり、住居もマンション住まいで、しばらくアマチュア無線から遠のくことになります。 |