庚申塔・お庚申様
熊野神社の東約100mの所に林光庵というお寺があり、この境内に庚申塔が建っています。地域の庚申講のメンバーがお庚申様をおまつりしたものですが、お寺の境内にあるので仏教と思いきや、塔の頂部は四角垂であり神道系です。お庚申さまとは民間信仰でこの近辺ではまだ続いているのですが、世代交代の為若い人達の間には「お庚申さまの時唱える詞は何て言うの?」という声があるのでちょこっと調べてみました
- 1.まず数の呼称について
- (1) 十干(かん)
- 甲(こう:きのえ)乙(おつ:きのと)丙(へい:ひのえ)丁(てい:ひのと)戊(ぼ:つちのえ)己(き:つちのと)庚(こう:かのえ)辛(しん:かのと)壬(じん:みずのえ)癸(き:みずのと)からなる10進の単位です。
- (2) 十二支
- おなじみの子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)巳(み)午(うま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(ゐ)からなる12進の単位です。
- (3) 干支(えと)
- (1)の十干と(2)の十二支とを順に並べると甲子、乙丑、丙寅…癸酉、甲戌、乙亥、丙子…と順にずれてゆき壬戌、癸亥と最後の組み合わせが終わり再び甲子が巡ってきます。この干支は最小公倍数が60になり日では約2ヶ月、年では60年(暦が元に戻るので還暦という)になります。
- 2.お庚申さまの行事
- この60日ごとに巡ってくる庚申の日は庚申講という集まりに入った人達が夕方から当番の家に集まりその家で「お庚申さま」と呼ばれる掛軸を掛け、南天の小枝をさしたお神酒を供えて唱えごとをします。その後、一緒に食事をしながらさまざまな長話をし、夜が明けるのを待つというのが本来の風習ですが最近では21時頃にはお開きにします。
- 3.さていよいよ呪文(となえぶみ)
お唱えは仏教の要素がかなり入っています。
「な〜むぼんてん、たいしゃく、しょうめんこんごうどう、(これを延べ百回繰り返し)こうしんで〜こうしんで〜まいとりまいとりそわか〜」と唱えるのですが漢字で書くと
「南無、梵天、帝釈(天)、青面金剛童子、おんでいばやきしやばんだばんだ(この漢字は不明)娑婆訶」ということになります。
青面金剛童子のご真言は「おんでいばやきしやばんだばんだそわか」であり唱え文の後半はこのご真言が訛ったものではないかと思っています。後半は庚申のご真言で「おんこうしんれいこうしんれいまいたれやそわか」が訛ったもののようです。
- 4.庚申信仰とは
- 1で述べた様に干支で60日ごとに回ってくる庚申(かのえ さる)の日は陰陽五行説では庚・申ともに金性の冷酷な日だといわれ、夜明かしするのは、中国道教の三尸(さんし)説に由来するといわれています。道教では、人間の体内にいる上尸の虫(頭の中にいる)・中尸の虫(お腹の中にいる)・下尸の虫(脚のあたりにいる)という三尸(さんし)の虫は庚申の日の夜、天帝(梵天・帝釈天)にその人の罪過を報告に行くと言われ、その報告をもとに健康や寿命が決まるのだそうです。身に覚えのある人々は何とかして三尸の虫の動きを封じ込めたいと思い、そこで考え出したのが、庚申の夜に寝ずにいて三尸が抜け出すのを防ぐことだったのです。
これを守庚申(しゅこうしん)といい、日本では平安の貴族社会あたりから守庚申が行われており、後に一般民衆に広がり神道、仏教など宗教と結び付いていった庚申信仰ですが、その本来の意味は、庚申の夜は眠らずに身を慎み、夜通し神を崇め祭るというところにあったようです。(でも実際は博打もしていたという話もあります)
もともとはっきりした信仰対象を持たなかった庚申信仰は、かのえさるの申=猿と考えられることから、神道の猿田彦神と習合したようで、神社の幟の下についているお猿さんや、見ざる聞かざる言わざるの3猿もこれに由来しているようです。
仏教面では青面金剛童子は帝釈天のメッセンジャーボーイといわれていることからお庚申さまの主役になり[お庚申さま」の掛軸も青面金剛童子が中央に大きく描かれています。この様にして神仏が混交し境内に建てられたものがここの庚申塔のようです。
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