勝利教会インターネットチャペル

十代の子を持つあなたへ


5.権威をもって


 ある家庭では、親は子どもと友だち同士のようにつきあいます。他の家庭では、できるだけ子どもの願いを聞くようにしています。
 いずれの場合も、多くの場合、親たちは年々エスカレートする子どものわがままに、頭を抱えています。
 子どもを造られた方のお考えは、昔も今も変わることはありません。
 「あなたの父を母を敬え」(出エジプト20:12)
 するとどうなるのでしょう。子どもは、「幸せに」(申命記5:16)なります。

 ところで、親を尊敬しているとはどういうことでしょうか。2つあります。親に感謝の気持ちを持っていることと、従順であることです。
 「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして主があなたを連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主が命じられた通りに:・・・」(申命記5:15、16)
 子どもは自分勝手(子どもも罪人)ですから、教えられなければ、「何をしてもらってもあたりまえだ!」と思いがちです。
 今回は、どのようにしたら子どもが親を尊敬するようになるかを、学びましょう。

第1に、親と子どもの立場の違いを教えましょう

 親は家庭の経済を支え、社会的にも法律的にも道徳的にも、子どもに責任を負っています。また、神さまから育児を委任されています。
 子どもは、親の意向に反して勝手なことはできないのです。したがって、子どもが守るべきルールもあれば、礼儀もあります。
 しかし、十代の子どもは自立欲求が強く、たとえ親であろうと自分の上にいると思えば目障りになるし、まして命令されたり、押し付けられたりすれば、強く抵抗します。しかし、立場の違いを教えることによって障害は小さくなります。

 まず、家庭の方針の決定権は親にあることを、教えるためにはこうします。夫婦で意見が別れることがありますね。それを子どもに見せてはいけません。
 夫婦2人だけのときに話し合うようにします。
 どちらかの親が侮辱されたときには、共同で対処します。
 「今の態度は良くなかったよ。お母さんに謝ってきなさい」  というふうに。
 生意気な態度は無視します。
 「シャツがなんでないの!?」  続けて問うでしょう。叫ぶでしょう。そのときにはこう言うべきです。
 「なぜお母さんが返事をしなかったか分かる? 親に向かって使う言葉ではないからよ」
 ただし、どんな場合でも静かに話しましょう。

 以上のことは、私たちへの神さまのやり方に見られることです。神さまはあなたを愛しておられますが、罪はあくまでも罪として、はっきり指摘されます。
 神さまは偉いのです。そして親も、子どもに対して偉いのです。その権威と偉さは、神さまから来ています。

第2に、深い愛情を持ちましょう

 子どもに限らず、人間というものはわがままです。食べてはいけないと注意されていたのに、アダムは食べました。従順や感謝を獲得することは、決して簡単ではありません。
「おこづかいのことなんだけど、ねえ、お父さん!」
「そうだった。値上げするんだったね。1,000円でどーお!?」
「3,000円、欲しいんだけれど…」
「多すぎるなあー」
「だって、クラスのみんなはもっともらってるよ! じゃあー、ねっ、せめて2,000円!」
 このような場面はよくあるでしょう。さて、続きはこういうふうにしたらいかがでしょうか。
 「(はっきりと自信を持って)1,000円にしよう!」
 「でも……(ぶつぶつ)」
 「千円か、ゼロ円か、どちらかを選びなさい!」
 さて、これで親子の間に溝が生まれてしまうのでしょうか。親は自分の権威や決定権を手放さない、その代償として、愛情を持った立派な親という評価をなくしてしまうのでしょうか。
 そうではありません。権威と愛情とは両立するものです。まずあなたが、神さまの愛に満たされていなければなりません。イエスさまの愛を十分に受け取ってください。
 あなたに愛があれば、たとえ子どもの側に多少の不満があっても、理由が分からなくても、あなたの善意を信じるでしょう。
 近所の小学校4年生の子どもが、ファミコンのゲームソフト、1個3〜5千円もするものを50個も持っています。私はそれを健全だとは思わないのです。
 子どもの心が健全でありつつ使える金額には、限度があるに違いありません。
 愛が動機であるなら、必ず子どもはあなたの助言や指導を理解します。
 こういう例はどうでしょう。子どもが一度約束したあとで、  「やっぱり、したくない!」  こんなことを言わせてはいけません。きっと楽しいことが続いているのです。その楽しみを制限しても、約束を果たさせましょう。
 我慢することや、忍耐することは、成功する人生にとって必須科目です。
 ローン地獄に落ちる人、アルコール中毒者、そしてギャンブルにはまる人には、この2つが欠けているという特徴が見られます。
 あなたが親なら、時には愛の鞭をふるわねばなりません。
 「父が苦しめることをしない子がいるでしょうか」(ヘブル12:5〜11)

第3に、「受けるより与える方が幸いである」(使徒20:35)ことを教えましょう

 まるで王子様、王女様のように振る舞うことを許している親がいます。
 そのような親にとって、手伝いをさせるなんて、もってのほかでしょう。
 しかしあえて言います。手伝いをさせてください。子どもにごまをすってはいけません。
 「あれが欲しい・・・あれを食べたい・・・これはしたくない・・・あんなのイヤだ!」
 子どもの反対を恐れてはいけません。
 「お父さんにお茶を持っていってね!」 と頼んでください。私の家では洗車、ごみ出し、皿洗い、食事の用意(これはときどき)などが、子どもの役割です。
 家庭とは、その中にいるすべての人が参加して作りあげるものです。参加することによって、だれもがエゴイズムを克服することができます。
 社会へ貢献する者を、今から育てていきましょう。ただし、親が自分自身楽をしたいから手伝わせるというのでは、子どもは従わないし、感謝もしないでしょう。
 実際に親であるあなたが、「与える者は受ける」ことを体験なさることをお勧めします。
 神さまがキリストを高く上げられたのは、多くの人にいのちを与えたからです。
 「豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」(第2コリント9:6)

第4に、自分の生き方と育児のやり方に、確信を持ってください

 育児がうまくいかないのは、親自身が生きる哲学、またそれから生まれる育児の方針を、しっかりと持っていない場合です。
 哲学とはたとえば、次のような質問に答えるものです。
 「人間とは、世界とは、神とは、人生とは何か?」
 方針とは、その哲学に基づいた実生活の一貫したスタイルです。
 これらによって、親は尊敬を勝ち取ります。
 一貫性のある指示を下せるからです。
 哲学と方針を先ず決めましょう。もちろんそれは、聖書から得られます。
 「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(第2テモテ3:16)
 余計な反抗心を持たせずに、あなたは権威を持って育児をすることができます。人の目を気にする必要はありません。
 まず、親自身がそれを生きること。親自身が神の権威に従い、信仰を生きてください。
 神さまはあなたを支持してくださいます。常にあなたを援護してくださいます。
 あなたの育児に、神さまの祝福をお祈りいたします。

(つづく)



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