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十代の子を持つあなたへ
6.信仰生活をどう導くか?
日曜(教会)学校に喜んでやって来ていた子どもたちが、突然来なくなることがありますね。
中学校に上がるときです。信仰のない親たちの寛容(子どもの教会通いを許してくれていたという)も、もはやこれまでというわけです。
いよいよ日本という異教偶像社会による、執拗な宗教教育が本格化します。曰く、
「キリスト教だけが正しいなんて!?」
「神はただひとりだけなんて!?」
「心の狭い人間に育てたくない!」
じつは、信仰を持っていらっしゃるあなたのお子さんも、同じ様な脅威にさらされています。人口の99%以上――日本人の圧倒的多数が、キリスト信者でないのですから。
今回はどのように信仰生活を教え、また継承させることができるかを、考えてみましょう。
幼児期は親の言うことをそのまま信じていましたが、もはやそうではありません。サタンが一生懸命働いています。私たちは利口な戦いを進めて参りましょう。
第1に、魅力的な信仰生活を見せます
私が家の壁のペンキ塗りをしていたら、 「私にもやらせて! やらせてー!」 と、子どもからずいぶんと、せがまれたものでした。人というのは、他人が楽しくやっていると、同じことがしたくなるものです。
子どもは何でも真似をするものですが、大事なことであればあるほど、きちんと真似をさせなければならないでしょう。そのためには、2つの要素があります。
1つ基本に忠実、もう1つは魅力的であること。前者は次のようです。
- 日曜礼拝に出席する。
- 収入の十分の一をささげる。
- デボーションをする。
- 信者仲間との愛の交わりをする。
- 神様の教え(聖書)に従順である。
- イエスさまを人に紹介する。
これらの内容については後に述べますが、決して律法主義で実行してはいけません(使徒15:10、ガラテヤ5:1)。
「あーあ、また礼拝に行かなければならないのか、あーあ……」 もしあなたの態度がこんなふうであったなら、反発されるでしょう。
あなたが、十字架の上で示されたイエスさまの愛に感動しているとき、あなたは魅力的な信仰生活を見せることができます。
第2に、信仰の意味を教えます
前述した六つのことについて、考えて見ましょう。
・日曜礼拝に出席する。
信じる自由(日本国憲法も保証! しかしちょっと待って)と、家族への責任とのバランスが大事です。
簡単に言いましょう。日曜の朝、家の中は散らかしっぱなしで、「礼拝することは私の権利です!」とは、ちょっとばかり無理があるのではないでしょうか。
反対に、あなたが自分を新しく変えようという、一生懸命な思いで礼拝に出かけることが分かってもらえるとき、 「夫が家にいるときは、妻はいつも家にいるべきなんだ!」 とは夫は言えないでしょう(夫婦逆の場合は想像してくださいね)。
私たちには、理想を求めるがゆえの葛藤があることは確かです。
しかし、日曜日が決して遊びの日ではないこと、1週間はまず神さまを礼拝することから始めるべきことを、努めて示すべきです。
・収入の十分の一をささげる。
したがって単純に計算すれば、夫の給料の2分の1は妻のもの、ということができるでしょう。しかし、さらにさまざまな事情を考慮して、冷静に判断する必要があります。
献金は、あらゆるものが神さまからのプレゼントである(というふうに信じることができて)、ことに感謝の気持ちを表わす(ですからある人は返金と呼びます)ものであることを教えるべきです。
・神様の教えに従順である。
人は、信じていることを結局は行なっているし、信じていないことは行なってはいないものです。
そしてなんと恐ろしいことに、それを子どもは見ています。信仰は目に見えるものなのです。
「お父さん(お母さん)のいつも言っていることは、本当のことなんだ!」 と言ってもらうためには、行動の伴った説明が最も説得力があります。
第3に、本音で単純に会話します
「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし聞いたことのない方をどうして信じることができるでしょう。……信仰は聞くことから始まり」(ローマ1〇・13〜1七) 福音が伝達されるために、このように人格が用いられることが明らかですが、その人格が、本音で単純に、という姿のときに効果的に信仰は継承されます。
子どもは、自分の持つ素朴な疑問に対して、素朴な回答を求めています。
「なぜ、なぜってうるさいなあー! 屁理屈ばかり言って! 子どもは親の言うことを黙って聞いていればいいんだ!」 これはよくありません。あなたの真実の姿を隠さず、また砕けた言い方で答えてください。
「なぜイエスさまは十字架の上で死んだの?」 「イエスさまって電気掃除機みたい! お父さん(お母さん)の罪を、バババッて吸い取ってくださったの! いっぺんに無くなっちゃった。〇〇(子どもの名前)の罪だって!」 私たち大人でも、通常かなりくだけた話し方をしているものです。ところが信仰の話になるとなぜか難しいのです。イエスさまに倣って、たとえで話してみましょう。
「イエスさまは、多くのことをたとえで話して聞かされた」(マタイ12:3)
第4に、創造論と「進化論」の違いを教えます。
文庫本と電話帳の2冊があるとしましょう。進化論者はこう答えます。
「文庫本から電話帳に進化した」
しかし、「人間が造ったからどうしても似てしまう」(これは創造論)とも言えますが、進化論者はこの説明を絶対に受け付けません。
人間の誕生については2つの説明、すなわち「創造論」と「進化論」しかなく、理論的にはそれぞれ5割の正解率を持っているのにです。
ということは、「進化論」は一つのイデオロギーだということです。
どんな? 「偶然」です。広辞苑で調べて見ると、偶然とは「たまたま」「思いもよらぬこと」とあります。あなたはこんな考え方を、受け入れることができますか? あなたは、あなたの子どもさんにこんなふうに言えますか? 「〇〇はね、たまたま生まれて来たのよ。お父さんやお母さんにとっては、思いもよらぬことだったわ。でも、生まれて来たのだからしようがないわね」
現代の十代に広がる無力感とエゴイズムは、ここに起因するのではないでしょうか。戦後ずうーっと、日本の学校で教えられてきたのはこの「進化論」ですから。「進化論」は悪魔の宗教です。
「愛の神さまによる創造」――この事実だけが、あなたの大切なお子さんに希望を与えます。こう言ってください。
「神さまは〇〇ちゃん、あなたにお手伝いしてほしいことがあって、いのちをくださったのよ」
第5に、デボーションの仕方を教え、神さまを個人的に体験させます
「私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13) はじめは15分くらいで、聖書はリビングバイブル、あるいは子ども用の聖書がいいでしょう。少しずつ読み進めていくことと、祈ることを教えます。
具体的な指導の仕方については、私の著『元気の出る信仰が好き』(いのちのことば社)を参照してください。
お父さん、お母さん、あなたがたのお子さんのこれからが楽しみです。テモテも、親の真剣な信仰により大成したのです。
「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものです。」(第2テモテ1:5)
(つづく)