わんだふるはうす、オーボンヴュータンに行く

1968年のルコント創業当時に発売した日本初のマカロン
PART 3

1974年5月、雑誌「ノンノ」の「パリのお菓子屋さん」特集を見ていた若い女性読者は、突然、今まで見たこともないようなカラフルで可愛いお菓子を目にしました。飾り気はないけれど、コロンとして愛敬のある形で、いかにも親しみやすいそのお菓子の名前は「マカロン」と書いてありました。そのピンクと黄色と白のマカロンは、ダロワイヨーというお店のスペシャリテで、「日本の最中みたいなケーキ」「フランス式の最中です」と解説されていたのです。それは日本の雑誌が初めてマカロンを紹介した瞬間でした。その当時の日本では、まだマカロンは普及していませんでしたが、なんと6年前の1968年にアンドレ・ルコント氏によって作られ、売れなくて2年程で製造休止になった幻のマカロンが存在していたのです。アンドレ・ルコント氏との出会いからフランス菓子の世界に引き込まれ、1968年から六本木「ルコント」で3年間勤務後、フランスに渡り「ダロワイヨ」などの名店で修業した島田進さんのお店「パティシエ・シマ」をワンダフルハウスが訪ね、アンドレ・ルコント氏が作った日本初のマカロンを復刻していただきました。そして、そのマカロンを手土産に河田勝彦さんのお店「オーボンヴュータン」を訪れたのでした。

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ラトリエ・ド・シマ
トントン トントン トントン♪
東京・麹町ラトリエ・ド・シマ。2009年10月最終日、林檎が美味しくなるシーズンまで待って、ついに島田進シェフの手によって、ルコント初代マカロンが復刻されました。

島田進さんは1946年、三重県生まれの神戸育ち。1968年、東京・六本木「ルコント」入店。1971年に渡仏。「ブッタ」「ダロワイヨ」「サントノーレ」「ベッケル」、スイスのコバ製菓学校などで修業を積み、1974年に帰国。銀座「マキシム・ド・パリ」、青山「ルコント」で総製菓長。その間、「ホテル日航パリ」「ジャン・ミエ」「メゾン・ド・ショコラ」等で短期研修を経て、1988年「シェ・シーマ」製菓長。1998年、オーナーシェフとして東京・麹町に「パティシエ・シマ」を開店。2004年「ラトリエ・ド・シマ」を開店。2005年、フランス政府より農事功労シュバリエ勲章を受勲。日本のフランス菓子界の草分け的存在であり、フランスの伝統菓子や文化を伝えていくことを目的としたクラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワの会長を務めています。

トントン トントン トントン♪(^o^)//(()
「こんにちは。私がワンダフルハウスです」 「私の隣にいらっしゃるのが島田進シェフです」
フェーヴ
菓子職人
フェーヴ
太鼓クマ
「今日は島田シェフに1968年のルコント創業当時に作られていた初代マカロンを復刻していただきました」
「今日はフランスからマカロンに詳しいお二方をお招きしております」
フェーヴ
Le Promeneur
散策者
フェーヴ
Le Garde Champetre
田園監視人
(田舎の駐在さん)
「私達は今はなき幻の菓子を求めて、フランス各地の山中の村まで出向いて行って、訊ね歩き廻ってきました。私達がフランス一周菓子旅行を思い立ったのは、次々に商品化される新しい菓子に疑問を持ったからです。菓子原材料が世に出て、既に数世紀が経ちますが、新商品にばかり目が向けられ、菓子の本質をややもすると忘れがちな昨今です。このような時代にこそ、菓子の原点に戻ってみる必要があるのではないかという想いが、徒歩でのフランス一周菓子旅行に駆り立てたのです(*^_^*)」 「ウオッホン!私の本職は農村保安官…つまり警察官なのです。私達がフランス一周旅行を終えて感じたことは、消滅してしまった菓子があまりにも多いということです。もちろん存続出来えなかった諸条件があったのでしょうが…。その反面、予期せぬ場所に、こんな菓子が…と一驚させられることもありました」
「私達はフランス各地で様々な菓子に遭遇してきましたが、その度ごとに菓子に疑問を投げ、諸々の条件の分析を試み、使われている言葉の持つ意味合いをも追求してきました。このマカロンはマカロン・パリジャン(マカロン・リス)を2つ貼り合わせてある、着色料を使っていない、クリームやジャムをサンドしていない…これらの製法から、おおよその製作年代を特定することができるのです(*^_^*)」
「ウオッホン!私達はこのマカロンは1950年代後半~’60年代初頭に作られたものだと予想しています。ムッシュー・ルコントはホテル・オークラやホテル・ジョルジュ・サンクでも作ってたんじゃないかな」
Andre Roger Lecomte アンドレ・ロジェ・ルコント
1931年1月28日フランス・ロワール地方に生まれる。
1945年モンタルジーのマルセル・ルナン氏の菓子店で見習いとして働き始め、4年間でケーキ、チョコレート、アイスクリーム作りの国家試験にパスしてスーシェフになる。
1949年パリに出てシャンゼリゼの店で働く。
1951年~1953年兵役に就く
1953年ホテル・ジョルジュ・サンクのシェフパティシエになる。
(1955年からバカンスシーズンはジャマイカのホテルラウンドヒルに派遣されて、ジョン・F・ケネディ上院議員夫妻、ロックフェラー家のために料理とお菓子を作る。2年半の期間はイランのパーレビー国王の所有するテヘランとアバダンの2つのホテルに派遣される)
1963年東京ホテルオークラの開業に伴いシェフパティシエとして来日。東京オリンピックに来日するVIPのためのフランス菓子・フランス料理の技術指導者として招聘される。ルコント氏が持っていた「メートル・キュイジニエ・ド・フランス」というフランス料理を指導する資格は、料理人の中でもエリートで、当時の日本でこの称号を持つシェフはルコント氏ただ一人であり、世界中探しても100人に満たなかった。(現在は増えて日本には7人、世界中探せば370人いる)
1968年12月22日フランス菓子とトレトゥールの店「A.ルコント」を六本木に開業。日本で初めてこのマカロンが発売された。
1970年フランス料理アカデミー日本支部を設立。初代会長に就任。
1974年農事功労賞シュバリエ受章
1981年フランス国家功労賞シュバリエ受章
1987年農事功労賞オフィシェ受章
1991年レジオンドヌール勲章シュバリエ受章
1999年9月逝去(享年68歳)
「おおっ!?クリームはサンドされていないということでしたが、何か白っぽいものが…?(゚O゚)\(()」
「よく見てください。反対側の生地が剥がれてくっついてきたのです」「おお…なるほど(*^_^*)」
「しっとりと濡れてるような感じがしますよ(*^_^*)」「ウオッホン!白い部分だけ水分が多いぞ!」
「私はこのマカロンをオーボンヴュータンの河田勝彦シェフに献上することにしました。あなたたちも一緒に行きませんか?(^-^)//(()トントン」 「それは面白そうですね。私達もお供します(*^_^*)」

東急大井町線 尾山台駅

ハッピーロード尾山台
「ウオッホン!こんな所に日本を代表するパティスリーがあるとは不思議だ」
「オーボンヴュータンが見えてきましたよ(*^_^*)\」
「ウオッホン?何で通り過ぎるんだ?」
環状8号線 尾山台交差点
「ここです!(^O^)\(()」
環状8号線 尾山台交差点
玉川田園調布方面 瀬田方面
「この交差点を右(瀬田方面)に2ブロック行った角にルコント等々力店がありました(^O^)//(()トントン」
ルコント等々力店
1973年~1978年
1970年代にわずか6年間だけ存在したルコント等々力店の登場です。河田勝彦シェフは1976年に帰国後、浦和で「かわた菓子研究所」を立ち上げ、ボンボン・ショコラの卸業を始めましたが売れなかったそうです。しかし、ルコントさんは河田シェフのボンボン・ショコラを気に入って、買ってくれたのでした」
ルコント等々力店
東京都世田谷区等々力2-1
1973年~1978年
オーボンヴュータン
東京都世田谷区等々力2-1-14
1981年~
「オーボンヴュータン…この店にもアンドレ・ルコント氏の姿が見え隠れしています!(゚O゚)\(()」
「こんにちは!(^O^)//(()トントン」「いらっしゃいませー!」
「なるほど…君は島田君の店のお客さんなんだね?」
河田勝彦さんは1944年1月3日東京都生まれ。東京農業短期大学を卒業後、丸の内会館→米津風月堂を経て1967年に渡仏。パリのシダで修業を始めますが、翌年勃発した五月革命で失職し、失意のうちに自転車で南仏マルセイユへの旅に出ます。パリへ戻る途中で資金が尽き、無一文になって桃農園やブドウ農園で働いた後にパリのショコラティエ・サラヴァンで修業を再開→ポンス→ポテル・エ・シャボー→コクラン・エネ→ベルギーのヴィタメールで最新のチョコレートの技術を身に付け→再びパリへと戻ってグーモン→カレット(この頃からホテル・セントラルというホテルで暮らすようになった)→ホテル・ジョルジュ・サンク→パリ・ヒルトン→レストラン・コッションドール→(この頃、フォションから採用通知が届いていて、クロード・ボンテ氏とミッシェル・フサール氏の下で働くはずだったが)シェフ・ドゥ・パティシエとして再びパリ・ヒルトンに。1976年に帰国して、かわた菓子研究所を立ち上げ、1981年オー・ボン・ヴュー・タン開店。
「そうです。それでは、河田シェフにルコント初代マカロンを召し上がっていただきましょう!(^O^)//(()トントコトントコ♪」
「うん!」
「マカロンは、焼いてすぐ食べるのが一番美味い…」「おおっ!実はこのマカロン、オーボンヴュータンに持ち込んだ時には、1週間以上が経過していたのです!(゚O゚)\(()」
ラトリエ・ド・シマ
「マカロンは、こういうプラスチックのケースには入れない方がいい」「パティシエ・シマではマカロンは2週間程度日持ちのするお菓子として販売されていますが…(゚-゚)\(()」
「おおっ!?(゚O゚)\(()」
Macaron au noisette
マカロン・オ・ノワゼット
220円
Macaron aux chocolat
マカロン・オー・ショコラ
265円
「オーボンヴュータンではマカロンが裸のままトレーに並んでいます!(゚O゚)\(()」
Macaron au noisette
マカロン・オ・ノワゼット
220円
「ほぅ、これがオーボンヴュータンのマカロンですか。一応パリ風ではありますが、表面がザラザラしていますね(゚-゚)\(()」
「表面にキャラウェイシードを貼り付けてあります。セリ科の植物の種子で、やや甘い爽やかな香りとホロ苦さが特徴です(*^_^*)
「ヘーゼルナッツの香りが凄い!(゚O゚)\(()」
「生地にも中のクリームにもヘーゼルナッツを使用しているようです!(゚O゚)\(()」
「これには、生クリームとバニラ棒、フォンダン、バターで作ったクレーム・ブランシュというクリームを使っています」「ウオッホン!コクランエネで、どの菓子にも使っていたベースのクリームですね?」「そう。バタークリームほど重くなく、クセがないので、ヘーゼルナッツの香りや色を加えることで変化がつけやすいからです。また、たくさん挟んでも美味しく食べられるのです」「黒い粒は何ですか?(^-^)//(()トントン」「ヘーゼルナッツをキャラメリゼした時に焦げたものです」
「このサクサク感とネチネチ感は何だ!?(゚Q゚)\(()」
Macaron aux chocolat
マカロン・オー・ショコラ
265円
「表面はカリッ、中はネチッ。この食感の落差がマカロンの特徴です」
「湿気が戻ると美味しくなく、3日間が限度ですが、包装してしまうと水分が戻りやすいのでハダカで売りたい菓子です。食感の落差こそマカロンの美味しさだから」
「マカロン・ショコラにはガナッシュをサンドしてありますね(*^_^*)
「もの凄いネチネチ感!まるでヌガーを食べているようです!(゚Q゚)\(()」
「サンドされているのは普通のガナッシュです。ヌガーは使われていませんよ?(゚Q゚)\(()」「砂糖と一緒に泡立てた卵白を使うのがマカロンパリジャンの特徴で、ここにアーモンドプードル(マカロン・オ・ノワゼットの場合はノワゼットプードル)や砂糖を加えていきます。気泡をどの程度つぶしていくかなどが食感に大きくかかわります。材料は至ってシンプル。しかし、作り方、作り手によって本当に差が出るのがマカロンなのです。食感をどう表現するかを考える上では、これほど面白いお菓子はないんじゃないかな」
「ところで、あなたはコバ製菓学校について大変お詳しそうですね?(^-^)//(()トントン」「実は私は1966年にバーゼルのコバ製菓学校で4ヶ月間の実習セミナーを受けたことがあるのです。その時は宮川敏子さんも一緒でしたよ(*^_^*)」「そ…それは凄い!(゚O゚)\(()」
コバ(COBA)の意味は、コンフェクショナリーのCOとバーゼルのBAをとってCOBAとつけたのです(*^_^*)
Beignet alsacien
ベニエ・アルザシアン
200円
Papillote
パピヨット
315円
学校というよりも塾といったほうがふさわしい小じんまりした校舎で、実習および講義用の階段教室が一部屋、それに小さい校長室と図書室があるだけのものでした(*^_^*)
Oreillon de midi
オレイオン・ド・ミディ
80g 660円
Gaufre
ゴーフル
(フランボワーズ、プラリネ、ショコラ)
1枚 230円
Merveilles lyonnaise
メルヴェイユ・リヨネーズ
100g 850円
Chouquette
シューケット
7個入 525円
校長先生は日本へ来たこともあるジュール・ペリエ先生。それと飴細工の名人といわれたジルベール・ポネ先生。それに在校生の助手が2名くらいというところでした(*^_^*)
Barquette caramel
バルケット・カラメル
210円
La branchette provence
ラ・ブランシェット・プロヴァンス
420円
しかし、コバの名前はヨーロッパはもちろん、日本にもアメリカにも知られていました。それは1945年の創設以来、生徒が最も興味を持っている分野のことを常に実地訓練を中心に教えてきたからです(*^_^*)
Galette bas bretonne
ガレット・バ・ブルトンヌ
130円
Baton cerise mi-confit
バトン・スリーズ・ミ・コンフィ
300円
一般課目は2ヶ月半コースと3ヶ月コースに分かれており、2ヶ月半コースはデコレーション1ヶ月、パティスリー1ヶ月、コンフィズリー半月になっていました。3ヶ月コースは、それぞれ1ヶ月ずつやって修了になります。その他にも1ヶ月コースや15日間コース、河田シェフが受講された4日間コース、最も短い2日間コースなどが設けられていました(*^_^*)
Weekend
ウィークエンド
1800円
Pave de Venise
パヴェ・ド・ヴニーズ
2000円
最初のデコレーション1ヶ月コースというのは、ガトーのデコレーション法、チョコレートを使った仕事、モダンな文字の書き方、デッサン、マジパンを使った型の作り方、合理的なデコレーション法などを学びました(*^_^*)
Cake gingembre
ケーク・ジャンジャンブル
2100円
Pan d'epice a la maison
パン・デピス・ア・ラ・メゾン
3800円
次にパティスリー1ヶ月コースですが、これはビスキュイ、クリーム、プチフール、アントルメ、ピエスモンテ、発酵生地、折りたたみ生地等に使う素材の作り方。現代的なアントルメや季節に応じたグラスの作り方を習う機会もありました(*^_^*)
Cake anglais
ケーク・アングレ
大 2500円
小 1500円
Petit four demi sec
プティ・フール・ドゥミ・セック
大 18個入 1800円
小 12個入 1300円
Cake chocolat orangina
ケーク・ショコラ・オランジーナ
1200円
次にコンフィズリー・コースですが、これはマジパン、ガナッシュ、カラメル、ヌガー・モンテリマール等の基礎生地の作り方と、プラリネを使った内側の材料の作り方。さらにクーベルチュール、リッカーボンボンの作り方、トランペの仕方などを学びました(*^_^*)
熟練資格を取るためのコースもあって、このコースは入学者多数の場合、9月と10月に開講されました。プティフール、プラリネ、ピエスモンテなど熟練者の免許の必要な者に充てられました。入学者は24歳で5年間、製菓技術者として経験を有する書類を提出しなければならず、また免許証の必要な国の生徒のために特別に充てられたコースでした(*^_^*)
Madeleine
マドレーヌ
170円
Paysanne
ペイザンヌ
200円
以上4つのコースを、それぞれ1ヶ月かけて勉強できるようになっていました。1ヶ月では長いという人のために15日間コース、2日間コースなどもありましたが、その内容はというと…」
Piemonte
ピエモンテ
230円
Carre sable chocolat
カレ・サブレ・ショコラ
230円
15日間コースはコンフィズリーのスペシャルコース。引き伸ばし砂糖菓子、スフレ砂糖菓子、鋳型砂糖菓子の製法を専門に教えていました(*^_^*)
Galette bretonne
ガレット・ブルトンヌ
210円
Succes
シュクセ
170円
またコンフィズリー上級コースもあり、これはコース終了者のために現代的な砂糖菓子の仕事を教えていました(*^_^*)
Carre alsacien
カレ・アルザシアン
230円
Galette dauphinois
ガレット・ドフィノワ
260円
2日間コースや河田シェフの受講された4日間コースというのは、休暇中のコースで、7月1日から8月31日までの間に開講していました(*^_^*)
Le negre
ル・ネーグル
180円
Visitandine
ヴィジタンディーヌ
170円
以上のような内容で、各コースは月始めの1日に始まり、15日コースは1日と16日が開講日になっていました(*^_^*)
Coeur papa
クール・ド・パパ
210円
Creme glacee et Sorbet
クレーム・グラッセ&ソルベ
500円~
私の記憶では、デコレーションコースは1月2日~12月24日まで。コンフィズリーコースは10月1日~4月30日まで。パティスリーコースは11月1日~12月24日まで。熟練者の特殊コースは9月1日~10月1日まで。15日間の砂糖菓子コースは1月2日~12月25日までと割り振りされていました(*^_^*)
Creme glacee et Sorbet
クレーム・グラッセ&ソルベ
500円~
授業時間は午前中は8時から12時まで。昼休み2時間とり、午後は2時から5時までで、土日は休校(*^_^*)
Sorbet exotique
ソルベ・エクゾティック
500円
Sorbet passion orange
ソルベ・パッション・オランジュ
500円
入学の条件は製菓業者として3年間訓練を受けた経験者でなければならず、入学時にその証明書を提出することと、授業用語がフランス語およびドイツ語を使うので、その方もマスターした者でないと、せっかく勉強に行っただけの効果がないわけです(*^_^*)
Sorbet banane
ソルベ・バナーヌ
500円
Sorbet menthe
ソルベ・マント
500円
なお、コバの場合は、生徒に個人的なレッスンを与えるという建前から、人員はコンフィズリーコースは8人、パティスリーコースは5人と制限されていました(*^_^*)
Sorbet fruit rouge
ソルベ・フリュイ・ルージュ
500円
Creme glacee a l'epice
クレーム・グラッセ・エピス
500円
コクラン・エネに入る前はポテル・エ・シャボーで働いていました。今、店で作るアイスクリームの味の出し方はポテル・エ・シャボーで経験したことがベースとなっています」
Creme glacee au caramel
クレーム・グラッセ・カラメル
500円
Creme glacee a la vanille
クレーム・グラッセ・ヴァニーユ
500円
ポテル・エ・シャボーは19世紀パリ万国博覧会の時にアレキサンダー大王が宴会を開いた店で、上流階級の社交場でした」
Creme glacee a la pistache
クレーム・グラッセ・ピスターシュ
500円
Creme glacee au chocolat
クレーム・グラッセ・ショコラ
500円
ここには、それまで経験がなかったアイスクリーム担当のグラシエを希望して入りました」
「ウオッホン!うめぇ~(~■~)」「あーっ!?何か食べてる/(^-^)(()」「私たちにも同じものをください(*^_^*)」
Creme glacee au chocolat
クレーム・グラッセ・オ・ショコラ
500円
「おおっ!?(^O^)\(()」
「ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールです!(^O^)//(()トントン♪」
biscuit a la cuillereの『bis』はラテン語で『二度』、『cuit』はフランス語で『焼く』、『cuillere』は『スプーン』という意味。昔、まだ絞り袋が無かった時代には、生地をスプーンですくって焼いていたことから、“スプーンで作るビスキュイ”と名づけられたのです(^O^)//(()トントン♪」
フィンガー・ビスケット
1680円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年
「ルコントではフィンガー・ビスケットという名前で売っています(^-^)\(()
「ちょっと待ってチュー~( C・>」
「おや?あなたがたはルコントのスウリーじゃありませんか(^-^)//(()トントン♪
ツウィル 2415円
フィンガー・ビスケット 2100円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2007年
「ツゥイルもフィンガービスケットもオレンジケーキもレモンジンジャーケーキも、もう売ってないんでチュ~( C・>」
レモンジンジャーケーキ
2520円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年
「一体どうしたというのですか?売り切れたらまた作ればいいじゃありませんか(^-^)//(()トントン♪
レモンジンジャーケーキ
2520円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年
「もう作られることはないんでチュ~( C・>」
グランマルニエケーキ
2520円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年
「何ですって?(゚-゚)\(()」
「1999年にアンドレ・ルコントさんが亡くなった後は、マダムのルコント靖子さんが社長となって頑張ってきましたが、引退を決意されたため、お店を閉めることになったんでチュ。東京ミッドタウン店は2010年7月末、青山本店とブラッスリー・ルコントと百貨店のインショップは9月末で閉店でチュ~( C・>」「な…何ですって!?(゚O゚:)\(()」「ルコントがクローズ!?(*゚O゚*)\」「ウオッホン!マジかよ!?(`■´)\」
グランマルニエケーキ
2520円
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年
「何というショッキングなニュースでしょう。1968年にオープンした日本のトップ・パティスリー『アンドレ・ルコント フランス菓子店』が間もなく閉店してしまうというのです(T-T)//(()」
「そしてこれは何という大きな文化の喪失でしょう。2009年のガストン・ルノートル氏の死去によるルノートル・ブティックの日本撤退の時もそうでしたが、私達が1980年代に憧れ、夢中になって追い求めた文化がブランドごと無くなってしまうのです。私達にできることは、このように写真として残すことだけのようです。お菓子は瞬間芸術であって、形としては残せないのです(T-T)//(()」
「ウオッホン!ワンダフルハウス君、気を落とさずに早く食べなさい。クレーム・グラッセ・オ・ショコラが溶けてしまうぞ」「ルコントが閉店してしまうなんて…(T-T)//(()」
「ウオッホン!それは私が奢ってあげよう」「何?奢り!?…おっ、これは美味です!(^Q^)//(()トントン♪」
Coupe multicolore
クープ・ミュルティコロール
800円
「ウオッホン!店員さん、これはワンダフルハウス君の奢りにしておいてください」「かしこまりました」「ええっ!?そっちの方が高そうじゃありませんか!(゚O゚)\(()」
「ウオッホン!これはソルべ5種類の全種盛りだそうです」
Coupe au bon vieux temps
クープ・オー・ボン・ヴュー・タン
750円
「私もおかわりをいただきましょう(*^_^*)」
「おーっ!?これは凄い!(*゚O゚*)\「おおっ!?(^O^)\(()」
「アイスクリームの上にオーボンヴュータンのシンボル 洋梨のコンポートが飾られています!(^O^)//(()トトトーン!!」
「添えられている焼き菓子はクルスティアン(croustillant)というサクサクの薄いクレープ生地です。アイスクリームと一緒に食べて食感を楽しむためのものです(*^_^*)「ウオッホン!キャラメルソースがかかっているな」
「ところで、グラス・ア・ラ・ヴァニーユ(Glace a la vanille)とクレーム・グラッセ・ア・ラ・ヴァニーユ(Creme glacee a la vanille)の違いは?(゚-゚)\(()」「アイスクリームの手法はアングレーズベースのグラス・オ・ズ(glace aux oeufs)と、牛乳や生クリームベースで作るクリームグラッセ(creme glacee)の大きく2つに分けることができます。以前はアングレーズベースのものを提供していたのですが、これは卵黄が入ることでバニラなりピスタチオなりの素材がマスキングされがちになる。素材の風味をもっとストレートに出したいと思い、クレームグラッセ、それも生クリームを加えず牛乳だけで作る手法に変えたのです。粉乳を加えることで旨味を補い、仕上げにバターやクレームドゥーブルを使うことで艶を出し、コクを補っています

「基本的にアングレーズベースではありませんが、ショコラ以外はコクをつけるために少量の卵黄を使って味を補っています。仕上げにバターを使うものとクレーム・ドゥーブルを使う場合があります。バターは艶を、クレームドゥーブルはコクをつけるのです」「タヒチ産バニラの強い香りが口中にくまなく広がります。サッパリしていて旨味がある…そんな新鮮な印象のアイスクリームです(*^Q^*)
ショコラはクレーム・ドゥーブルで仕上げるタイプです」「フレッシュクリームを煮詰めて作った、高脂肪なフランス風ダブルクリーム!チョコレートのコクと風味がいいのです(^Q^)//(()トトン!!」
Coupe orientalle
クープ・オリエンタル
850円
「私もクープをいただきましょう(^O^)//(()トントン♪」
続く

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