1974年5月、雑誌「ノンノ」の「パリのお菓子屋さん」特集を見ていた若い女性読者は、突然、今まで見たこともないようなカラフルで可愛いお菓子を目にしました。飾り気はないけれど、コロンとして愛敬のある形で、いかにも親しみやすいそのお菓子の名前は「マカロン」と書いてありました。そのピンクと黄色と白のマカロンは、ダロワイヨーというお店のスペシャリテで、「日本の最中みたいなケーキ」「フランス式の最中です」と解説されていたのです。それは日本の雑誌が初めてマカロンを紹介した瞬間でした。その当時の日本では、まだマカロンは普及していませんでしたが、なんと6年前の1968年にアンドレ・ルコント氏によって作られ、売れなくて2年程で製造休止になった幻のマカロンが存在していたのです。アンドレ・ルコント氏との出会いからフランス菓子の世界に引き込まれ、1968年から六本木「ルコント」で3年間勤務後、フランスに渡り「ダロワイヨ」などの名店で修業した島田進さんのお店「パティシエ・シマ」をワンダフルハウスが訪ね、アンドレ・ルコント氏が作った日本初のマカロンを復刻していただきました。そして、そのマカロンを手土産に河田勝彦さんのお店「オーボンヴュータン」を訪れたのでした。