フランス菓子 Maison Wenikoの四季

ストラスブールのパン屋の娘Mlle Pernyさんが1979年夏に焼いた
伝説のガレット・ア・ラ・フランジパーヌ
(ガレット・デ・ロワ・アルザシエンヌ)

タルト・リンゼル クリスティーヌ・フェルベール風
PART

2011年8月第2週

わんだふるはうす、メゾン・ベニコへ行く

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タルト・リンゼル
クリスティーヌ・フェルベール風
佐渡バター100%使用
特注品
製作 Weniko
ストラスブールのパン屋の娘Mlle Pernyさんが
1979年夏に焼いた
伝説のガレット・ア・ラ・フランジパーヌ
(ガレット・デ・ロワ 佐渡-アルザス)

佐渡バター100%使用
特注品
製作 Weniko

「アルザス・スタイルのガレット・デ・ロワに続いて、アルザス・スタイルのタルト・リンゼルも日本に初めて上陸しました。こちらも国産バターでは最もAOCバターに近いといわれる佐渡バターを100%使っております

2011年Maison Wenikoパリ祭スペシャルパッケージ
1050円(スペシャルプライス 限定30個
2011年7月14日
タルト・リンゼル
クリスティーヌ・フェルベール風
佐渡バター100%使用
特注品

「今回製作してもらったのは、7月14日のフランス革命記念日に限定発売されたタルトレット・リンゼルのアントルメ版です

Tarte Autrichienne(タルト・オートリシエーヌ)
クリスティーヌ・フェルベール風
特注品

ワンダフルハウス様、こちらはオーストリアのTarte Autrichienne(タルト・オートリシエーヌ)というヨーロッパを代表する古典的なタルトでございます」タルト・オートリシエーヌ?(゚-゚)\

1978年10月7日
第3回現代フランス製菓技術特別講習会で作られた
Tarte linzer(タルト・リンゼル)
講師 ジャン・ミエ
1980年9月~10月
第4回フランス菓子大講習会で作られた
Tarte linzer(タルト・リンゼル)
講師 ミッシェル・フサール
「またの名をLinzer Torte(リンツェル・トルテ リンツァー・トルテ)。フランス語でTarte linzer(タルト・リンゼル タルト・リンツァー)。オリジナルは、このような形をしております。シナモン入りパートにConfiture de framboises(コンフィチュール・ド・フランボワーズ)を入れ、同じパートを上に交差上にしたタルトでございます」
1978年10月7日
第3回現代フランス製菓技術特別講習会で作られた
Tarte linzer(タルト・リンゼル)
講師 ジャン・ミエ
助手 島田進
「ジャン・ミエ氏です! 横にアンドレ・ルコントさんと後ろにWenikoシェフの師匠である島田進シェフもいます。この3ショットは凄い!(゚O゚)\」

1978年10月7日~15日まで東京・京橋の明治屋クッキングスクールにおいて開催された「第3回現代フランス製菓技術特別講習会」の初日に、講師のジャン・ミエ氏と助手の島田進氏を紹介しているスーツ姿の太った外人こそ、当時のフランス料理アカデミー日本支部長アンドレ・ルコント氏です。

会場の明治屋クッキングスクールには、連日100名を越す受講者が詰めかけ、ミエ氏の繊細で、知的に洗練された技術に魅せられました。また、後半の3日間は家庭の主婦向けに講習内容が組まれたため、女性の姿も多く見かけられ、華やかな会場に一層の彩を添える形となりました。
ジャン・ミエ氏は当時「パティスリー・ミエ」を経営し、フランス製菓最高技術者協会会長、またフランス製菓連合会会長の要職も務めていました。MOF授賞をはじめ、数々の輝かしい経歴を持つミエ氏は、世界各国から講師としての招聘を受けていましたが、多忙を理由に応諾しませんでした。日本だけは例外で、その理由は、日本にはアンドレ・ルコント氏がいたからに他なりません。
第4回フランス菓子大講習会(1980年9月~10月)で作られた
Tarte linzer(タルト・リンゼル)
講師 ミッシェル・フサール

「ジョエル・ロビュション氏の片腕であり、ジャン・ポール・エヴァン氏の上司であり、島田進シェフも指導を受けたMOFパティシエ ミッシェル・フサール氏です!(゚O゚)\」

ジャン・ドラヴェーヌ氏、クロード・ボンテ氏、ジャン・ミエ氏に続いて、MOFパティシエとしては4番目に来日して講習会を行なったミッシェル・フサール氏の登場です。当時のフサール氏はホテル・日航・ド・パリのミシュラン2つ星レストラン「ル・セレブリテ」の製菓長でした。料理長はジョエル・ロブション氏、製菓の二番手にはジャン・ポール・エヴァン氏がいて、その黄金時代に島田進シェフは研修を受けていたのです。当時は、伝統と格式を重んじていたフランス菓子業界にも新しい時代の波が押し寄せていて、フサール氏はパリの最先端をいくヌーヴェル・パティスリーの第一人者でした。1980年9月22日から10月19日まで全国で行なわれた講習会では、最先端の菓子だけではなく、タルト・リンゼルのような伝統菓子も作られました。
ミッシェル・フサール氏は、1970年にペルティエ入社。1972年フォーションに移り、クロード・ボンテ氏の下でスー・シェフ。1976年、20代の若さでMOF受賞。1978年パリの日航ホテルのシェフ・パティシエ。その後、独立して、現在は引退しています。
第4回フランス菓子大講習会(1980年9月~10月)で作られた
Tarte linzer(タルト・リンゼル)
講師 ミッシェル・フサール

「アントルメだけでなく、プティ・ガトーやプティ・フールも製作していたのか!さすがにレベルが高い!(゚O゚)\」

タルト・リンゼル クリスティーヌ・フェルベール風
佐渡バター100%使用
特注品

製作 Weniko

「こ…これは凄い! 菓子の本来の形というものを根本から覆した上に、それを正当化してしまうほどのパワーを感じます!(゚O゚:)\

「このような感覚は、1980年代に初めて川久保玲や山本耀司のコレクションを見て以来、久々に感じることができました。Maison Wenikoの菓子は、ファッション界におけるCOMME des GARÇONSやYohji Yamamotoのような、日本パティスリー界に現われた本物のデザイナーズ・ブランドと言えましょう」

「メゾン・フェルベールでは、このハート型のサブレは定番品だそうです」

「このフランボワーズのコンフィチュールも、7月14日のフランス革命記念日に限定発売されたスペシャル・コンフィチュールを作った際に、余った茨城県小美玉市産フレッシュ・フランボワーズでコンフィチュールを作ってもらい、8月半ばまで瓶詰めにして保存して、本日タルト・リンゼルに変身したというわけなのです

7月14日に作ったコンフィチュール・ド・フランボワーズが1ヶ月後にタルト・リンゼルに変身する…フェルベール式コンフィチュールが『保存の芸術』と言われる所以です

クリスティーヌ・フェルベール式タルト・リンゼル…それはコンフィチュール・ド・フランボワーズを味わうためのタルトのようです!(゚O゚)\


これはまた何という美しい菓子でしょう!(~O~)\

よく見ると、オーブンで焼いた後のコンフィチュールは色も質感も変化していますよ?(゚-゚)\

これはベイクド・コンフィチュール…焼きコンフィチュールだ!(゚O゚)\

Tarte alsacienne à la confiture
タルト・アルザシエンヌ・ア・ラ・コンフィチュール

ワンダフルハウス様、こちらはTarte alsacienne à la confiture(タルト・アルザシエンヌ・ア・ラ・コンフィチュール)とも言われております」「なるほど…アルザスでただのコンフィチュールといえば、フランボワーズのことなのか」

「このタルト台はパート・サブレですか?パート・シュクレですか?Tarte Linzer専用のパートで、Canelle(カネル=シナモン)が入りましたPàte à Linzer(パータ・リンゼル)でございます」

「カネル風味のリンゼル生地とコンフィチュール・ド・フランボワーズの極めてアルザス的な組み合わせ

「オーストリアのリンツの地名を冠するより、タルト・アルザシエンヌ・ア・ラ・コンフィチュールという菓名で呼んだ方が、この菓子の本質にふさわしいような気がしてきました(^Q^)」

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