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元祖でぶや「まいう〜」の石塚英彦氏に愛を込めて。( ^ ^ ;
グルメ忍法帖レシピ!( ^ ^ ; 『慶長大食漢』読んでね。( ^ ^ ;
『忍法帖シリーズ』 山田風太郎の私設ファンコーナー14です。 .
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んで、14回目の今回は、
******* 『忍法流水抄』 ******* .
短編集なので、目次の紹介をします。
叛の忍法帖 60p
おちゃちゃ忍法腹 36p
近衛忍法暦 36p
刑部忍法陣 54p
羅妖の秀康 30p
慶長大食漢 45p
彦左衛門忍法盥 37p の7短編です。
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角川文庫
380円 310p 表紙:佐伯俊男 解説:中島河太郎
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それでは、『忍法流水抄』の第一話です。
* 『叛の忍法帖』 60p * .
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明智光秀の叛心を探る徳川、羽柴、毛利の忍者と明智のくノ一との四すくみの忍法合戦、
『叛の忍法帖』
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀の大誤算、光秀の心理描写は凄いよ。
ここで、『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその26』だよん。 (^ ^;
月明暗き小栗栖の竹藪の中を落ちてゆきながら、光秀は、じぶんの謀叛を知らなかったのは
ただ信長一人だけであり、みなが知っていることを知らなかったのはじぶんただ一人であった
ような気がした。
(丸写しオシマイ)
『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその26』でした。(バカだねぇ)
織田信長と明智光秀のかすかな不協和音を聞きのがすな
光秀の叛心を探れ
明智家にはスパイがいっぱい
おれは徳川の忍者
あいつは羽柴の忍者かも知れぬ
そいつは毛利の忍者かも知れぬ
こいつもどこかの忍者かも知れぬ
あいつはそいつに破れ
そいつはこいつに破れ
こいつはおれに破れ
おれはあいつに破れ
四すくみの忍法合戦
光秀は、じぶんの謀叛を知らなかったのは
ただ信長一人だけであり
みなが知っていることを知らなかったのは
じぶんただ一人であったような気がした
四すくみの忍法合戦を生き延びて
光秀の謀叛を伝えるのだ
あいつらに伝えさせてはならぬ
スパイだらけの明智家
『叛の忍法帖』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part36
っつーこと? あ、ごくろうさんpart36)
スパイだらけの明智家、四すくみの忍法合戦、『叛の忍法帖』をどう読んだかな、明智君、
むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆☆☆
*
ボクの「叛の忍法帖」データ * .
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えー、これはボクの個人的趣味です。
忍法名とか脇役陣とか時代とかをExcelで並べ替えして遊ぼっかな、っつーつもり。
忍法帖第?作目
初連載誌:オール読物1968年3月号「”忍び”の死環」改題
(山田風太郎46歳:執筆時)
時代設定:天正10(1582)年4月〜6月
登場人物
本多弥八郎正信に仕える伊賀忍者
@阿波谷 図書(あわだに ずしょ)医術に優れた山伏。:忍法名不明(牝馬の子宮をなめした頭巾
をかぶり呪文を唱えると見つめた女に陣痛を起こし安産にする。)
羽柴、蜂須賀党の忍者。流派不明。
@狩羽 陣四郎(かりは じんしろう)明智家の侍女に女装した忍者。
:忍法名不明(男の陰毛で皮膚を縫い付け、離れなくする。)
明智家に仕える甲賀くノ一
@お霧(おきり)明智家の侍女。:忍法名不明(男根のような短剣の柄を擦ると、相手の男が激しく射
精する。)
毛利家に仕えるくノ一。流派不明。
@お刑(おけい)明智家の侍女。:忍法名不明(男に抱きつくと、離れても男は舌を出し、肉体の突
出部分はすべて硬直したままになる。)
脇役陣
@明智 日向守 光秀(あけち ひゅうがのかみ みつひで)織田信長の家臣。戦国武将。
天正10(1582)年6月2日本能寺の変で織田信長を討つ。
A細川 与一郎 忠興(ほそかわ よいちろう ただおき)丹後の宮津城主細川幽斎の子息。
のちの細川越中守忠興。20歳。妻は切支丹細川ガラシャ夫人。
B永田 知足斎 徳本(ながた ちそくさい とくほん)日本史上有名な医者。70歳位。
C明智 左馬助(あけち さまのすけ)明智日向守光秀の重臣。
D斎藤 内蔵助(さいとう くらのすけ )明智日向守光秀の重臣。
Eお玉(おたま)明智日向守光秀の娘。切支丹細川ガラシャ夫人。
F細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)丹後の宮津城主。細川与一郎忠興の父。
G細川 熊千代(ほそかわ くまちよ)細川与一郎忠興の長男。
H曲直瀬 道三(まなせ どうさん)京の名医。75歳。
I織田 信長(おだ のぶなが)戦国武将。
J細川 与五郎 興秋(ほそかわ よごろう おきあき)細川与一郎忠興の次男。
K細川 忠利(ほそかわ ただとし)細川与一郎忠興の三男。
L徳川 家康(とくがわ いえやす)戦国武将。
M織田 信忠(おだ のぶただ)織田信長の長子。
N安国寺 恵俊(あんこくじ えしゅん)高僧。細川幽斎と親しい。
O安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)高僧。毛利家と親しい。
P羽柴 筑前守 藤吉郎 秀吉(はしば ちくぜんのかみ とうきちろう ひでよし)
織田信長の家臣。戦国武将。
Q里村 紹巴(さとむら しょうは)連歌師。
R松井 友閑(まつい ゆうかん)堺の豪商。
S天野 源右衛門(あまの げんえもん)明智日向守光秀の重臣。
21穴山 梅雪(あなやま ばいせつ)徳川家康の家臣。
22本多 弥八郎 正信(ほんだ やはちろう まさのぶ)徳川家康の重臣。のちの本多佐渡守正信。
* ボクの「叛の忍法帖」データ おしまい*
ではでは、出羽の守、大変長らくお待たせいたしました。
今週のメイン・イベント (^ ^; あり??? 何か変よ。 え? お詫び?
お 詫 び
『忍法流水抄』は短編集なので、
いかがわしいシーンがほとんどありませんので、
『声に出して読めたらエライ禁断の忍法流水抄』 (^ ^; .
のすべての短編は、お休みさせていただきます。ご了承ください。.
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何だこりゃ?っつー肩すかしで、ごめんネ。だって、スケベシーン過激じゃないんだもん。
『声に出して読めたらエライ禁断の忍法流水抄』 (^ ^; のすべての短編は、お休みでした。
◆オレのゴックン度(初読)=お休み (★5つが最高)
◇ボクのゴックン度(再読)=お休み
* 「叛の忍法帖」の巻 おしまい *
2003.12.27.(また読者が減っちゃったかな?)
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『忍法流水抄』の第二話です。
** 『おちゃちゃ忍法腹』 36p ** .
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朝鮮の巫(ふ)術師登場、妖しいパクスの術に甲賀忍者もまっ青、『おちゃちゃ忍法腹』。
朝鮮出兵。
九州肥前名護屋城。
太閤秀吉、56歳。
おちゃちゃ、26歳。
宋麗華(そう れいか)秀吉の愛妾。恍惚とした死微笑。
孫素秋(そん そしゅう)秀吉の愛妾。恍惚とした死微笑。
李春燕(り しゅんえん)秀吉の愛妾。恍惚とした死微笑。
朝鮮の巫覡(ふげき)。
巫(ふ)はムーダン、巫女(みこ)。
覡(げき)はパクス、男のかんなぎ。
妖気パクスの術。
『おちゃちゃ忍法腹』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part37
っつーこと? あ、ごくろうさんpart37)
朝鮮の巫(ふ)術師登場の『おちゃちゃ忍法腹』を読みたまえ、小林少年君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆
**
ボクの「おちゃちゃ忍法腹」データ **
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忍法帖第?作目
初連載誌:オール読物1970年2月号「忍法玄界灘」改題
(山田風太郎48歳:執筆時)
時代設定:文禄元(1592)年10月上旬〜11月
登場人物
朝鮮のかんなぎ、巫(ふ)術師。
@鴻 天忠(こう てんちゅう)釜山の漁夫頭。実は李舜臣に仕える朝鮮のかんなぎ、巫(ふ)術師。
巫(ふ)はムーダン、巫女(みこ)。覡(げき)はパクス、男のかんなぎ。
:覡(げき)<パクス>の術名不明(凍えた体を裸で抱いて暖めて蘇生させる。)
:覡(げき)<パクス>の術文使い(ふみづかい)(蟹の甲羅に文字を書き、髪の毛を結び、
遠くまで自在に操り、文使いをさせる。)
:覡(げき)<パクス>の術名不明(交合して女を恍惚のうちに死亡させる。)
:覡(げき)<パクス>の術つららしょうべん(つららしょうべん)(自分の尿を瞬間に凍らせて剣
のような鋭い武器として相手の心臓を貫く。)
石田治部少輔三成配下の甲賀忍者
@網干 宗四郎(あぼし そうしろう):忍法名使用せず&不明
A木月 白印(きづき びゃくいん):忍法名使用せず&不明
脇役陣
@李 舜臣(り しゅんしん)朝鮮の全羅水軍統制使。
A石田 治部少輔 三成(いしだ じぶしょうゆう みつなり)豊臣秀吉配下の戦国武将。淀君派。
B豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)太閤秀吉。56歳。
C畑寺 源左衛門(はたでら げんざえもん)対馬藩宗家の老臣。
Dルイス フロイス(るいす ふろいす)当時来日していた伴天連。
E宋 象賢(そう しょうけん)朝鮮の釜山の城将。
F李 春燕(り しゅんえん)秀吉の愛妾。朝鮮からさらわれて来た美女。宋象賢のもと愛妾。
G宋 麗華(そう れいか)秀吉の愛妾。朝鮮からさらわれて来た美女。
H孫 素秋(そん そしゅう)秀吉の愛妾。朝鮮からさらわれて来た美女。
I淀の方(よどのかた)秀吉の愛妾。幼名おちゃちゃ。信長の妹お市の方の娘。26歳。
** 「おちゃちゃ忍法腹」の巻 おしまい **
2003.12.28.(まだ読者が残っているかな?)
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『忍法流水抄』の第三話です。
*** 『近衛忍法暦』 36p *** .
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妖怪ぬらりひょんにまつわる近衛家の歴史、『近衛忍法暦』。
近衛前久(このえ さきひさ)。天正13(1585)年まで関白太政大臣の職にあった。
「ぬらりひょん坊覚書」を書き残す。近衛文麿(ふみまろ)首相の先祖。
陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(あべの せいめい)の子孫
天文博士安倍晴親(はるちか)よ
陰陽道の式神で占うのじゃ!
皇位を狙うのは誰か?
近衛前久(さきひさ)から関白太政大臣の職を奪った
成り上がりの秀吉を天皇にしてはならぬ!
御盾(みたて)ぬらりひょん!助け給え!
天皇家を守り給え!
『近衛忍法暦』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part38
っつーこと? あ、ごくろうさんpart38)
ぬらりひょんの『近衛忍法暦』を読みたまえ、小林少年君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆
忍法帖第?作目
初連載誌:小説新潮1969年10月号「御盾ぬらりひょん」改題
(山田風太郎47歳:執筆時)
時代設定:天正13年夏〜昭和16年4月22日(1585〜1941)
登場人物
甲賀忍者
@牛ノ目 百助(うしのめ ひゃくすけ)安倍晴親の弟子。:忍法録眼(ろくがん)(撮影したものをギヤ
マンの薄片に納め、目にはめるとビデオのようにはっきりと見える。)
伊賀忍者
@服部 半蔵(はっとり はんぞう)初代服部半蔵は慶長元(1596)年に死去・八千石の服部石見守
(いわみのかみ)・江戸城の半蔵門にその名を残す。:忍法名使用せず&不明
脇役陣
@近衛 文麿(このえ ふみまろ)首相。
A富田 (とみた)書記官長
Bぬらりひょん(ぬらりひょん)瓢箪なまずのようにつかまえどころのない化物。
C鳥山 石燕(とりやま せきえん)江戸宝暦(1751)〜天明(1789)にかけての浮世絵師。歌麿の師
匠。彼の描いた「絵本百鬼夜行」にぬらりひょんが出てくる。
D喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ)江戸天明(1781)〜寛政(1801)にかけての浮世絵師。
E松岡(まつおか)外務大臣。
F大橋(おおはし)外務次官。
G野村(のむら)アメリカ大使。
H井川 忠雄(いがわ ただお)元ニューヨーク駐在大蔵省財務官。
I岩畔 豪雄(いわくろ たけお)陸軍省軍事課長大佐。
Jルーズベルト(るーずべると)アメリカ大統領。
K東条 英機(とうじょう ひでき)陸軍大臣。
L永野(ながの)軍令部総長。
M陛下(へいか)昭和天皇。
N近衛 前久(このえ さきひさ)天正13(1585)年まで関白太政大臣の職にあった。
「ぬらりひょん坊覚書」を書いた。近衛文麿の先祖。豊臣秀吉に養子を申し込まれる。
O豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)太閤秀吉。天正18(1590)年当時54歳。
天正13(1585)年7月関白になる。
P持萩 中納言(もちはぎ ちゅうなごん)豊臣秀吉の母がかつて仕えたという架空の公卿。
Q後奈良 天皇(ごなら てんのう)秀吉の母がお会いしたという天皇。
R安倍 晴親(あべの はるちか)天文博士。平安時代の陰陽師の安倍晴明の子孫。
S安倍 晴明(あべの せいめい)平安時代の陰陽師(おんみょうじ)。
21花山 天皇(かざん てんのう)平安時代の天皇。
22安倍 泰親(あべの やすちか)平安時代の陰陽師の安倍晴明の五代孫。
23鳥羽 天皇(とば てんのう)平安時代の天皇。
24道鏡(どうきょう)孝謙天皇(女帝)に取り入って皇位を狙った僧。
25和気 清麻呂(わけの きよまろ)道鏡の野望を砕いた君臣。
26藤原 百川(ふじわらの ももかわ)和気清麻呂の後ろ盾になった豪族。近衛文麿、近衛前久
の先祖。
27足利 義満(あしかが よしみつ)三代足利将軍。
28斯波 義持(しば よしもち)足利管領。
29徳川 家康(とくがわ いえやす)戦国武将。
30旭姫(あさひひめ)秀吉の妹。後家。家康と政略結婚する。天正14(1586)年結婚当時44歳。
31佐治 日向守(さじ ひゅうがのかみ)秀吉の家来。旭姫の前夫。
32小督の局(こごうのつぼね)家康の妾。
33西郷の局(さいごうのつぼね)家康の妾。
34阿茶の局(あちゃのつぼね)家康の妾。
35下山の局(しもやまのつぼね)家康の妾。
36お竹の方(おたけのかた)家康の妾。
37お牟須の方(おむすのかた)家康の妾。
38本多 弥八郎 正信(ほんだ やはちろう まさのぶ)徳川家康の重臣。のちの本多佐渡守正
信。
39伊達 政宗(だて まさむね)奥州の戦国武将。
40石川 伯耆守 数正(いしかわ ほうきのかみ かずまさ)秀吉の側近。もと家康の重臣。
41淀の方(よどのかた)秀吉の愛妾。幼名おちゃちゃ。信長の妹お市の方の娘。天正18(1590)年
当時24歳。
42お棄(おすて)秀吉と淀の方との子。天正18(1590)年当時2歳。
43六の宮(ろくのみや)秀吉の時代の天皇の弟。
44豊臣 秀次(とよとみ ひでつぐ)秀吉の甥。天正18(1590)年当時23歳。
45菊亭 春季(きくてい はるすえ)京の公卿。
46菊亭 春季の娘(きくてい はるすえのむすめ)豊臣秀次の愛妾。京の公卿菊亭春季の娘。
47ヒトラー(ひとらー)ドイツ第三帝国の総統。
48スターリン(すたーりん)ソビエト連邦の首相。
*** 「近衛忍法暦」の巻 おしまい ***
2003.12.28.(更に読者が減っちゃったかな?)
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『忍法流水抄』の第四話です。
**** 『刑部忍法陣』 54p **** .
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癩病の顔を隠すため、白い頭巾をすっぽりとかぶった異形の武将、大谷刑部の節義を重んじ
る潔い生涯がいいのよ、『刑部忍法陣』
そして、イントロがこれまたいいのよ。
ここで、とっても短い『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその27』だよん。 (^ ^;
<最初の一行>
「拙者、左衛門佐(さえもんのすけ)さまお手飼いの猿飛佐助と申すもの」
(丸写しオシマイ)
とっても短い『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその27』でした。(バカだねえ)
忍術使いの超有名人、猿飛佐助の登場ですよ、アアタ、こりゃあもう読まなきゃなりませんよ。
じわりじわりと大谷刑部は癩に冒されていた。
じわりじわりと家康は罠を仕掛けて天下を狙っていた。
じわりじわりと豊臣家存亡の危機が迫っていた。
淀君さまの妖艶と退廃。
高台院(ねね)さまの淀君さまへの嫉妬と憎悪。
小早川中納言秀秋の自暴自棄と屈折。
朋友石田三成には天下を治める温厚さと度量がない。
豊臣家の生き延びる道がどこかにあるはず。
たとえ大谷刑部が業病に腐れ果てようと、
たとえ大谷一族が絶えようと、
豊臣家を救え!
猿飛佐助!
『刑部忍法陣』
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( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part39
っつーこと? あ、ごくろうさんpart39)
猿飛佐助が活躍、『刑部忍法陣』を読みたまえ、小林少年君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆☆
忍法帖第?作目
初連載誌:オール読物1969年11月号「忍譚大谷刑部」改題
(山田風太郎47歳:執筆時)
時代設定:慶長5年春〜7年10月(1600〜1602)
登場人物
真田忍者
@猿飛 佐助(さるとび さすけ)真田左衛門佐幸村に仕える真田忍者。20歳位。:忍法名不明
(重量のない人間のように体重ゼロにする。『忍法忠臣蔵』の忍法浮舟と同じ)
:忍法人肌外面(ひとはだげめん)(人肌で作った顔を貼り付けると別の顔に変身する)
脇役陣
@真田 左衛門佐 幸村(さなだ さえもんのすけ ゆきむら)豊臣家の家臣。真田安房守昌幸の
次男。
A大谷 刑部 吉隆(おおたに ぎょうぶ よしたか)越前敦賀の城主。西軍豊臣方の戦国武将。
42歳。
B鞆絵(ともえ)大谷刑部吉隆の娘。真田左衛門佐幸村の妻。
C真田 安房守 昌幸(さなだ あわのかみ まさゆき)信州上田城主。真田源太左衛門信綱(武
田二十四宿将の一人)の弟。
D武田 信玄(たけだ しんげん)戦国武将。すでに死亡。
E徳川 家康(とくがわ いえやす)戦国武将。慶長5(1600)年当時59歳。
F豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)戦国武将。すでに死亡。
G真田 伊豆守 信之(さなだ いずのかみ のぶゆき)徳川家康の家臣。真田安房守昌幸の長
男。
H上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)奥州の戦国武将。
I大友 宗麟(おおとも そうりん)豊後の切支丹大名。
J石田 治部少輔 三成(いしだ じぶしょうゆう みつなり)豊臣方の戦国武将。
K加藤 清正(かとう きよまさ)豊臣方の戦国武将。
L淀君(よどぎみ)秀吉の愛妾。幼名おちゃちゃ。信長の妹お市の方の娘。慶長5(1600)年34歳。
M豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)秀吉と淀君の子。慶長5(1600)年当時7歳。
N高台院 湖月尼(こうだいいん こげつに)豊臣秀吉の正妻、北政所。ねねの方。
O大野 修理(おおの しゅり)淀君の小姓。慶長5(1600)年当時30歳位。
P大蔵卿の局(おおくらきょうのつぼね)淀君に仕える老女。大野修理の母。
Q本多 佐渡守 正信(ほんだ さどのかみ まさのぶ)家康の重臣。2代将軍秀忠の補佐役。
R湯浅 五助(ゆあさ ごすけ)大谷刑部吉隆の側近の家来。
S小早川 金吾 中納言 秀秋(こばやかわ きんご ちゅうなごん ひであき)豊臣秀吉の正妻、
北政所の甥。小早川隆景の養子。西軍豊臣方の戦国武将。慶長7(1602)年10月26歳
で病死。
21小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)戦国武将。
22樫村 彦右衛門(かしむら ひこえもん)石田治部少輔三成の家臣。
23結城 秀康(ゆうき ひでやす)家康の長男。
24徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)二代将軍。家康の息子。
25小西 行長(こにし ゆきなが)西軍豊臣方の戦国武将。
26宇喜多 中納言 秀家(うきた ちゅうなごん ひでいえ)西軍豊臣方の総司令官。戦国武将。
27真田 大助 幸昌(さなだ だいすけ ゆきまさ)真田左衛門佐幸村と鞆絵の子。
28不破 淡路守(ふわ あわじのかみ)織田信長配下の武将。
29平岡 頼勝(ひらおか よりかつ)小早川金吾中納言秀秋の老臣。
30豊臣 秀次(とよとみ ひでつぐ)秀吉の甥。関白秀次。すでに死去。
31脇坂 安治(わきさか やすはる)西軍豊臣方の戦国武将。小早川金吾中納言秀秋とともに東
軍に寝返る。
32朽木 元綱(くちき もとつな)西軍豊臣方の戦国武将。小早川秀秋とともに東軍に寝返る。
33小川 祐忠(おがわ すけただ)西軍豊臣方の戦国武将。小早川秀秋とともに東軍に寝返る。
34赤座 直保(あかざ なおやす)西軍豊臣方の戦国武将。小早川秀秋とともに東軍に寝返る。
**** 「刑部忍法陣」の巻 おしまい ****
2003.12.29.(まだ読者が残っているかな?)
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『忍法流水抄』の第五話です。
***** 『羅妖の秀康』 30p ***** .
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結城秀康(ゆうき ひでやす)、家康の長男でありながら、養子に出され、将軍になれなかった不運
の男、『羅妖の秀康』。
弟秀忠よりも豪放磊落、淫乱放蕩。梅毒に冒されて鼻を失っても、傍若無人、家康に楯突く有
様に、業を煮やした家康。長男秀康を服部組の忍者が襲う。
結城秀康(ゆうき ひでやす)には鼻がない。
梅毒に冒されて鼻がない。
忍法接木肉づき(つぎきにくづき)で鼻がついた。
家来の忍者の摩羅で作った鼻がついた。
摩羅の鼻、羅妖の秀康、鼻がついた。
豪放磊落、淫乱放蕩、傍若無人。
秀康の言動が鼻につく家康。
徳川家を揺るがす骨肉の争い。
業を煮やした家康の指令。
服部半蔵よ、
長男秀康をひそかに殺せ!
『羅妖の秀康』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part40
っつーこと? あ、ごくろうさんpart40)
将軍になれなかった男、『羅妖の秀康』をどう読んだかな、明智君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆☆
忍法帖第?作目
初連載誌:小説現代1971年12月号
(山田風太郎49歳:執筆時)
時代設定:慶長5年〜12年4月8日(1600〜1607)
登場人物
結城中納言秀康の家来の伊賀忍者。
@伊坂 修理(いさか しゅり):忍法名使用せず&不明
A鍋掛 善九郎(なべかけ ぜんくろう):忍法接木肉づき(つぎきにくづき)(筋肉移植の法。尻や男
根の肉を使って、失った耳や鼻を作り整形移植手術で接合する。)
服部半蔵配下の伊賀忍者。
@蟹坂 兵太夫(かにさか へいだゆう):忍法名不明(女の黒髪を編んだ縄を自在に操る。)
A沼ノ目 空印(ぬまのめ くういん):忍法名不明(釣り竿のように、30センチの長さの槍が次々に
つながって2メートルの長さの槍になる。その槍を自在に操る。)
服部半蔵配下の伊賀くノ一。
@登世(とよ):忍法名使用せず&不明
脇役陣
@結城 中納言 秀康(ゆうき ちゅうなごん ひでやす)家康の長男。三河守。三河黄門秀康とも
云われる。水戸黄門さまよりずっと昔。慶長5(1600)年関ヶ原の時27歳。
A徳川 家康(とくがわ いえやす)慶長5(1600)年当時59歳。
Bお万(おまん)結城秀康の母。家康の正妻築山御前のもと侍女。
C築山 御前(つきやま ごぜん)家康の正妻。
D本多 作左衛門(ほんだ さくざえもん)家康の家来。
E豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)戦国武将。
F徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)家康の次男。二代将軍
G石田 治部少輔 三成(いしだ じぶしょうゆう みつなり)慶長5(1600)年6月当時近江国坂田郡
佐和山の城主。
H豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)秀吉と淀君の子。
I服部 半蔵 正重(はっとり はんぞう まさしげ)三代目服部半蔵。初代服部半蔵の次男。
妻が大久保長安の娘。:忍法名使用せず&不明
J柴田 勝家(しばた かついえ)戦国武将。豊臣秀吉に滅ぼされる。
Kお市の方(おいちのかた)柴田勝家の奥方。織田信長の妹。
L淀君(よどぎみ)秀吉の愛妾。幼名おちゃちゃ。信長の妹お市の方の長女。
M江与の方(えよのかた)徳川秀忠の御台所・信長の妹お市の方の次女。
N阿国(おくに)京の四条河原で念仏踊りという新しい群舞を始めた。阿国歌舞伎の創始者。
***** 「羅妖の秀康」の巻 おしまい *****
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謹 賀 新 年 昨年中はご愛読ありがとうございました。
本年もご愛読のほどお願い申しあげます。
2004.1.3.
少年摩羅人アルク・コーガン
怪人2面相
トホホの遁兵衛
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『忍法流水抄』の第六話です。
****** 『慶長大食漢』 45p ****** .
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家康は、鯛の天ぷらにあたって死んだ、という史実に基づいた大ぼら話、『慶長大食漢』。
大食漢を演じるは、京の豪商、三代目茶屋四郎次郎(ちゃや しろじろう)。
初の主役、グルメ&料理研究家は、まさに彼のはまり役、入魂の怪演技に生唾ごっくん。おぬし
役者やのう。これは、『頬っぺたが落ちそうなほどおいしい短編時代劇』、ですよ。
但し、忍法は出てきません。服部半蔵はちょこっと出てるけど。
美味が人心を惑わし、美食が歴史を変える、超グルメは忍法だ、っつーお話。
グルメ本大好きボクは大はしゃぎ、★★★★★(五つ星)のグルメ忍法帖レシピ。
ボク的には、茶屋四郎次郎には、元祖でぶや「まいう〜」の石塚英彦クン(東京12チャンネル毎
週金曜日夜8時)をイメージしてます、ハイ。石塚英彦クンは毎週実に実にうまそうに食べてくれる
「bP食べタレ」ですから、ハイ。(アンタは東京12チャンネルのまわし者か)…いいえ。
ああ、誰か、『慶長大食漢』を石塚英彦クン主演で、TV映画化してくんないかなぁ。(バカだねぇ)
茶屋四郎次郎(ちゃや しろじろう)
京の呉服商
朱印船の総元締め
徳川家の経済顧問
通人
美食家
和洋中華料理研究家
肉・魚・貝・海草・野菜・穀物・果物・香辛料・調味料の交響詩
香しき誘惑、盛りつけの媚笑、彩りの興奮
目・鼻・唇・歯・舌・頬・喉の快楽、五臓六腑の恍惚
美味の法悦、珍味の陶酔、美食の桃源郷
本多佐渡守の舌をとろかし
江戸柳生の舌をとろかし
加賀百万石の舌をとろかし
大阪の女官たちの舌をとろかし
家康の舌をとろかし
家康を食べてしまった男
オーナー・シェフ茶屋四郎次郎の
注文の多い料理店にようこそ
グルメ忍法フルコース
おいしゅうございました
『慶長大食漢』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part41
っつーこと? あ、ごくろうさんpart41)
グルメ忍法フルコース、『慶長大食漢』はおいしかったかな、明智君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★★★
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆☆☆☆(☆5つが最高)
ps.
グルメ本大好きのボク、読者のヒンシュクも覚悟の上で、ゼヒ読んでほしいので紹介します。
グルメ忍法帖『慶長大食漢』vsグルメ本大傑作大量執筆の東海林さだお著『乾きもの一族』
っつーことで、強引にもゴーイング・マイ・ウェイでごめんね。でもおもしろいんだよん。読んでネ。
ここで、『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその28』だよん。 (^ ^;
『RED
SHADOW
赤影の私設ファンコーナー』より、(すでに読んじゃってる人もまた読んでネ)
東海林さだお『鯛ヤキの丸かじり』233pより丸写しです。
★★★★★ 『乾きもの一族』 ★★★★★ .
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夏が近づくと、婦人雑誌とか食べ物関係の雑誌は、いっせいに「ビールのおつまみ特
集」というのをやる。
ビールのおつまみは、”すぐ出来る”ということが眼目になる。
要する時間は三分から十分まで。
三十分かかるとか、三ヵ月かかるとか三年かかるとかいうおつまみは敬遠される。
まず誰でも思いつくのが枝豆。
フライドポテト、焼きとり、ソーセージ、スモークサーモン、鶏の唐揚げ、チーズ、串か
つ、冷や奴などは誰でもすぐに思いつくラインアップだ。
しかし、”すぐ出来る”という意味から言ったら、串かつなんかより、しらすおろし、刺し
身のほうが早いし、お新香も早い。
電子レンジを使えば、冷凍シュウマイも早いし、冷凍マーボー豆腐も早い。出前をと
れば、寿司だって早いし、ギョウザだって五目肉うま煮だって早い。
以上、なに気なく書きつらねたものは、みんなビールに合う。ビールに合わないもの
は一つもない。
ところが、ここに、不思議なことが一つあるのですね。
ビンビールには合うが、ビアホールなどのジョッキのビールには合わない、というもの
がある。
早い話が、ジョッキにしらすおろしは合わない。ジョッキに刺し身は合わない。ジョッキ
に寿司は合わないし、ジョッキに冷や奴は合わない。
ところが、かたわらに茶色いビールの大びんを置くと、とたんに、ビンビールにはしら
すおろしが合う。ビンビールに刺し身が合う。寿司や冷や奴も合う。
不思議と言えば不思議ではないか。
さて。
ここまで書いてきて、大事な一派、重要な一団を忘れていたことに気がついた。
そうです。世に言う”乾きもの”の一団です。
乾きもの。
ちょっと声に出して読んでみてください。何かこう、不気味な響きがあるでしょう。
伊賀もの、甲賀もの、忍びのもの。
徳川幕府をひっそりと、陰で支えた隠密の一団。
そういうものと相通じる同じ響きがあると思いませんか。
「この、乾きもの奴(め)が」
と、ピーナッツやアーモンドを叱っても、決して不自然ではないし、
「出会え、出会え。乾きのものが忍びこんでおるぞ」
と海苔缶から品川巻をつまみ出しても少しも不自然ではない。
なぜかと言うと、乾きものは、実は忍びのものと同一の性格と使命を帯びているから
なのだ。
乾きものは、”ビール業界をひっそりと陰で支えている隠密の一団”なのである。
乾きものは、雑誌の「ビールのおつまみ特集」に決して取りあげられることはない。
いつだって無視されている。
作り方、盛りつけ方、並べ方について言及されたこともない。
スモークサーモンやチーズなどの、盛りつけ方、並べ方については書いてあっても、
ピーナッツの盛りつけ方、並べ方については一言も書いてない。
ピーナッツだって、全員横一列にきちんと並べれば、それなりの盛りつけの美という
ものも生じるかもしれないではないか。(すぐくずれちゃうけどね)
では彼らは、ビールのおつまみの戦力ではないのか、と言うと決してそんなことはない。
いつだって重要な戦力だ。決して表だつことなく、陰で支える戦力なのだ。
ビールのおつまみの、メインテーマである”すぐ出来る”という意味から言えば、彼ら
の右に出るものはいない。
三分かかるとか、十分かかるとか、そういう問題ではない。もう出来ているのだ。
簡便、迅速、機敏、それでいて全員いずれ劣らぬ実力者揃いだ。
たとえばピーナッツなど、小袋一つあれば、ビールの大ビン二本を軽くこなすことがで
きる。
最近あまり見かけないが、塩豆だって中ビン一本は軽くいける。
塩豆は、”トリスバーの時代”の主役だった。
”トリスのハイボールと小皿に盛った塩豆”が、トリスバーの時代のシンボルだった。
非常に硬く、バリリと噛みくだくと、その余震が頭のてっぺんのほうまで響いたものだ
った。
皮のゴワゴワした空豆を揚げたやつ。
あれも懐かしい。
旨いというわけではないが、反りかえった硬い皮が、口の天井や頬の内側を突つい
て痛いところに味わいがあった。
ピスタチオも味が深い。皮をむくところに趣がある。
正式な名称は知らないが、ピーナツをまん中にして、厚いコロモがおおっていてひび
割れているやつ。これも好きだ。
細長く切ったアーモンドと、味つけ小魚とをいっしょにしたやつ。これも食べ始めると
きりがない。実にビールに合う。
さっきから、これを乾きものの一団に加えていいのかどうか、ずうっと迷っていたのだ
が、やはり仲間に入れてやることにする。
ぼくの大好きなむしり塩たら。
これはまあ、乾いていることは乾いているのだが、じゃあ完全に乾いているのか、と
問いつめられると自信がない。少ししめっているような気もする。
むしり塩たらを、乾きものの仲間に入れるなら、われわれだってそっちに加わりたい
と、イカクンやタコクンも言いだすにちがいない。
そうなると、乾きものの一団は、グループとしての収拾がつかなくなるおそれがある。
いっそのこと、”しめりもの”として独立させて一派をなさせるという手もある。
しめりものが旗あげするのなら、われわれも馳せ参じたいと、カマボコとかサツマ揚
げなんかも駆けつけてくるかもしれない。
そうなると、お新香や冷や奴なども、対抗上”濡れもの”として結束しよう、ということに
なって、ビールのおつまみ界は大混乱になるかもしれない。
(丸写しオシマイ)
『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその28』でした。(バカだねえ)
忍法帖第?作目
初連載誌:?
(山田風太郎?歳:執筆時)
時代設定:慶長11年〜元和2年1月21日(1606〜1616)
登場人物
伊賀忍者
@服部 半蔵 正重(はっとり はんぞう まさしげ)三代目服部半蔵。初代服部半蔵の次男。
妻が大久保長安の娘であったため、2年前(慶長18(1613)年)大久保一族が誅戮を
受けたときに浪々の身となる。:忍法名使用せず&不明
A服部 半蔵 正広(はっとり はんぞう まさひろ)四代目服部半蔵。初代服部半蔵の三男。
:忍法名使用せず&不明
脇役陣
@徳川 家康(とくがわ いえやす)慶長11(1606)年当時65歳。元和2(1616)年4月17日75歳で死去。
A織田 信長(おだ のぶなが)戦国武将。天正10(1582)年6月2日本能寺の変で明智光秀に討た
れる。享年49歳。
B平手 監物(ひらて けんもつ)織田信長の老臣。
C豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)戦国武将。
D茶屋 四郎次郎(ちゃや しろじろう)三代目茶屋四郎次郎。初代茶屋四郎次郎の次男。
京の呉服商。朱印船の総元締め。徳川家の経済顧問。美食家。通人。第三代長崎
奉行長谷川左兵衛藤広のもと養子。
E茶屋 四郎次郎(ちゃや しろじろう)二代目茶屋四郎次郎。初代茶屋四郎次郎の長男。
京の呉服商。徳川家の経済顧問。慶長8(1603)年死去。
F茶屋 四郎次郎(ちゃや しろじろう)初代茶屋四郎次郎。京の呉服商。徳川家の経済顧問。
もと徳川家の譜代の家臣。慶長元(1596)年7月27日死去。
G長谷川 左兵衛 藤広(はせがわ さへえ ふじひろ)第三代長崎奉行。
H本多 佐渡守 正信(ほんだ さどのかみ まさのぶ)2代将軍秀忠の補佐役。二万二千石。
元和2(1616)年6月7日79歳で死去。
I明智 日向守 光秀(あけち ひゅうがのかみ みつひで)織田信長の家臣。戦国武将。
天正10(1582)年6月2日本能寺の変で織田信長を討つ。
J大道寺 友山(だいどうじ ゆうざん)寛永(1624〜1644)のころの兵学者。「駿河土産」「落穂
集」の著者。
K徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)家康の次男。二代将軍
L池田 光政(いけだ みつまさ)備前少将。
Mヒトラー(ひとらー)ドイツ第三帝国の総統。
Nルーズベルト(るーずべると)アメリカ大統領。
Oチャーチル(ちゃーちる)イギリス首相。
P柳生 又右衛門 宗矩(やぎゅう またえもん むねのり)徳川家の剣の師範。後の柳生但馬守。
Q山田 浮月斎(やまだ ふげつさい)匹田蔭流の剣士。匹田文五郎小伯の弟子。
R上泉 伊勢守 信綱(かみいずみ いせのかみのぶつな)柳生石舟斎新左衛門の剣の師。新
陰流の祖。天正5年(1577)柳生城で大往生。もと上野(こうずけ)の大胡城の城主の子。
S柳生 石舟斎 新左衛門(やぎゅう せきしゅうさいしんざえもん)柳生又右衛門宗矩の父。
21匹田 文五郎 小伯(ひった ぶんごろう こはく)上泉伊勢守信綱の弟子。
22滝 善右衛門(たき ぜんえもん)家康の囲碁の相手。町人。
23松浦 静山(まつら せいざん)肥前平戸の藩主、松浦壱岐守。文政4(1821)年11月甲子(きの
えね)の夜に起稿した「甲子夜話(かつしやわ)」の作者。隠居してから20年間の280巻
の大随筆集。当時最高の知識人。
24豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)秀吉と淀君の子。
25淀君(よどぎみ)秀吉の愛妾。幼名おちゃちゃ。信長の妹お市の方の長女。
26前田 中納言 利長(まえだ ちゅうなごん としなが)加賀百万石の大名。前田大納言利家の子。
27前田 大納言 利家(まえだ だいなごん としいえ)加賀百万石の大名。
28前田 利常(まえだ としつね)加賀百万石の大名。前田大納言利家の子。前田中納言利長の弟。
29大蔵卿の局(おおくらきょうのつぼね)淀君の女官。
30清韓(せいかん)当代きっての名文家。慶長19(1614)年、方広寺大仏殿の鐘の「国家安康、君臣
豊楽」の文の作者。
31榊原 内記(さかきばら ないき)徳川家康の家臣。家康に大鯛五本、甘鯛七本を献上した。
****** 「慶長大食漢」の巻 おしまい ******
2004.1.3.(あ・はぴい・にゅう・いやあ!いつもご愛読ありがとうございます。おたより送ってネ)
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『忍法流水抄』の第七話です。
******* 『彦左衛門忍法盥』 37p ******* .
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戦争の真実に向き合う、若い兵士たちのぶざまで滑稽だがリアルな心情が胸を打つ、感動コ
メディ、『彦左衛門忍法盥(たらい)』。
ここで、『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその29』だよん。 (^ ^;
人呼んで「旗本奴(はたもとやっこ)」という存在が、異風、大手をふって大道せましと闊歩しはじ
めたのは、この話より十何年かあとの明暦ごろのことだが。……
その原型ないし元祖ともいうべきものは、もうこの寛永期の末のころから現われた。最後の戦
争大阪の役が終わってからでも、もう二十年以上になる。久しい泰平にエネルギーを持てあま
し、そのくせ金がないのと体制が確立してしまっているのとで不平満々、そこで八つ当たりにあ
ばれたり、人をくった奇行を以て鬱をはらしたりする若い旗本集団である。
その集団の名も、明暦のころになると、「白柄(しろつか)組」とか「鶺鴒(せきれい)組」とかややあか
ぬけがし、異装といっても、びろうど襟の衣服に立髪、無反(むぞり)の長刀をかんぬきにさすとか、
帯も袖口も白く、大刀の柄(つか)、下緒(さげお)また白一色とか、花のお江戸にそれなりに合う華
美(はで)なものになったが、この旗本奴草創時代は、風態もむさくるしく、組の名もどこか泥くさい、
というより余人には何の意味やらよくわからないたぐいのものが多かった。
たとえば、「大草履(おおぞうり)組」「小草履組」などはまだいいとして、「下馬(げば)衆組」「下馬坊
組」、或いは「呑々(のんのん)組」「呑堀(のんぽり)組」、それから「放屁(ほうひ)組」、さらに「飛屁(ひっ
ぴ)組」に至っては、その由来も不明である。
(丸写しオシマイ)
『ボクの忍法ローリング・スクラッチ・ホールド』又の名を
『忍法いつもの丸写しシリーズその29』でした。(バカだねえ)
っつーように、「旗本奴(はたもとやっこ)」草創時代の大ぼらネーミング盛りだくさんで話が始まるん
だもん、笑いながら読んでると、エンディングはみごとなどんでん返しなのよ、感動もんのコメディ
だよん。
「下馬坊(ゲバ棒)組」と「呑堀(ノンポリ)組」と「飛屁(ヒッピー)組」の描写が実にリアルなんよ、
オレは笑いながらエンディングにびっくりしたよぉ。読みなさい、笑いなさい、驚きなさい。
久しい泰平の世
エネルギーを持てあます「旗本奴(はたもとやっこ)」
「下馬坊(げばぼう)組」「呑堀(のんぽり)組」「飛屁(ひっぴ)組」
七十八歳の大久保彦左衛門は語り出したらとまらない
おまえたち、聞け、わしの若いころ、神君家康公は……
由比正雪は若者集団を誘惑する
ベアトリスお品よ
忍法精卵逆のぼり(せいらんさかのぼり)で
大久保彦左衛門のぶざまでこっけいな昔の姿を見せよ
しらけた若者たちを謀叛(むほん)へと洗脳せよ
『彦左衛門忍法盥』
***
( 注:*は手裏剣のつもり
(^ ^; )
(これがいわゆる、”少年摩羅人アルク・コーガン”の
『失笑・スピロヘータネッチョリ目線:流し目波状攻撃』part42
っつーこと? あ、ごくろうさんpart42)
感動コメディ、『彦左衛門忍法盥(たらい)』を読みたまえ、小林少年君、むはははは。
◆オレのオモシロ度(初読)=★★★ (★5つが最高)
◇ボクのオモシロ度(再読)=☆☆☆
忍法帖第?作目
初連載誌:週刊サンケイ1970年1月5日号「忍譚大久保彦左衛門」改題
(山田風太郎47歳:執筆時)
時代設定:寛永14(1637)年春〜10月
登場人物
森宗意軒の弟子のくノ一。流派不明。
@ベアトリス お品(べあとりす おしな):忍法精卵逆のぼり(せいらんさかのぼり)(卵子を入れた
盥(たらい)に精液を注ぎ、男の過去の影像を空中に描き出す。)
脇役陣
@由比 民部之助 正雪(ゆい みんぶのすけ しょうせつ)軍学者。号を張孔堂と称す。
A森 宗意軒(もり そういけん)大阪方の残党。島原の乱で天草四郎時貞の軍師。
B松平 伊豆守 信綱(まつだいら いずのかみ のぶつな)幕府老中。
C大久保 彦左衛門 忠教(おおくぼ ひこざえもん ただたか)二千石の旗本。大久保相模守
忠隣の叔父。78歳。
D山崎 闇斎(やまざき あんさい)京の妙心寺の僧。20歳位。
E張良(ちょうりょう)古代中国の思想家。
F孔子(こうし)古代中国の思想家。
G孟子(もうし)古代中国の思想家。
H徳川 家康(とくがわ いえやす)元和2(1616)年4月17日75歳で死去。死後神君と呼ばれる。
I徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)紀州駿河大納言。家康の第九子。秀忠の弟。
J鄭 芝竜(てい しりゅう)明の都督。貿易商人。
K徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)家康の次男。二代将軍
L板倉 重昌(いたくら しげまさ)寛永14(1637)年10月25日島原の乱の鎮圧軍の司令官。戦死。
******* 「彦左衛門忍法盥」の巻 おしまい *******
2004.1.11.(まだ読者が残っているかな?)
*****これにて 「忍法流水抄」全巻のおしまいです。ご愛読感謝。
*****
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