『紹介おもしろ文庫part6』
文春文庫『行くぞ!冷麺探検隊』 東海林さだお著(448円+税)9pより、
『盛岡冷麺疑惑査察団』
を原文まるごと紹介してみたい。
(やっぱり、絵はガマンしてネ)
「ここで笑わないと笑うトコもうないよ」
|
『盛岡冷麺疑惑査察団』
盛岡は冷麺の本場である。
ということ、知ってました?
ぼくはつい三年ぐらい前までは、
「誰かがそんなようなこと言ってたな」
というぐらいの知識しかなかった。
そのうちひんぴんと、”盛岡冷麺本場説”
というのを聞くようになり、
「どうもそうらしい」
と思うようになり、いまでははっきり、
「盛岡は冷麺の本場である」
と認識するようになった。
しかし、盛岡は確か、わんこ蕎麦の本場だったはずだ。
三省堂の大辞林も、わんこ蕎麦は〔盛岡名物〕ときっぱり保証している。
それがいつのまにか、冷麺も盛岡の名物ということになった。
一方、どこからともなく、
「盛岡はじゃーじゃー麺の本場だ」
という声も聞こえてきた。
新幹線の盛岡駅構内で、
「盛岡名物じゃあじゃあ麺」
というのを売っているのを見た、という友人も現れた。
自体が複雑な様相を呈してきたので、ここでちょっと整理してみよう。
いまのところ、
「盛岡はわんこ蕎麦の本場である」
という事実と、
「盛岡は冷麺の本場である」
という事実と、
「盛岡はじゃーじゃー麺の本場である」
という三大事実が判明しているわけだ。
しかし、よく考えてみると、ここで整理をしてみるほど、事態は複雑ではなかったな、
ということも判明したわけだ。
わんこ蕎麦と冷麺は盛岡が本場だということは、社会的にも認知されている事実だ
が、じゃーじゃー麺のほうは、「盛岡駅構内で見た」という友人の証言が唯一のよりど
ころとなっている。
「じゃー、そうなんだ」
と、にわかに信じるわけにはいかない。
「じゃー、どうすりゃいいんだ」
ということになり、
「じゃー、盛岡に問い合わせてみよう」
ということになって、問い合わせてみると、岩手県乾麺工業協同組合というところが、
きっぱりと、
「ンだ」
と回答してくれたのである。
わんこも冷麺もじゃーじゃーも、三つとも盛岡が本場だというのである。
(ほんまかいな)
と誰しも思うにちがいない。
そのうち、
「冷し中華もウチが本場。きつねうどんもウチが本場。レバニライタメライス大盛りも
ウチが本場」
なんて言い出すかもしれない。
すなわち、「じゃーじゃー疑惑」、あるいは
「盛岡疑惑」 というものが発生したのであ
る。
こういう疑惑は、いまのうちにはっきりさせておかないと、のちのち大きな問題になる
おそれがある。
朝鮮半島情勢は予断を許さぬ事態になっているし、半島と中国の関係も微妙になり
つつある現在、この問題をうやむやにしておいたために将来に大きな禍根を残す、と
いうようなことがあるやもしれぬ、ような気がしないでもない。
もともと冷麺の本場は韓国、じゃーじゃー麺の本場は中国である。
ことは日韓、日中にかかわる重大国際問題なのだ。
ことは急を要するのだ。
何としても、至急、査察団を派遣してその実態を調査しなければならぬ。
北朝鮮の核疑惑のほうは、IAEA(国際原子力機関)にまかせておいて、わがJGD
はただりに盛岡に向かうことになった。
JGDというのは(JGKSD)、すなわち(じゃーじゃー疑惑個人的査察団)から、ところ
どころ適当に抜いて簡略化したものだ。
査察の結果によっては、盛岡市当局への経済制裁、あるいは爆撃などの措置を取
らねばなるまい。
JGDは、盛岡駅に到着するやいなや、あっさりと査察の成果をあげることができた。
駅構内の売店で、「盛岡名物わんこ蕎麦」「盛岡名物じゃあじゃあ麺」「盛岡名物冷
麺」の三つをセットにしたお土産を発見したのである。
JGDはただちにこの証拠品を押収した。
もうこれで査察団派遣の目的は達成されたようなものだ。
経済制裁、あるいは爆撃の必要もなさそうだ。
しかし、これでおめおめと帰ってしまっては、査察団結成および派遣に尽力してくれ
た人々に申しわけが立たぬ。
さらに市内奥深く潜入して、査察の充実をはからねばならぬ。
駅構内において 「冷麺弁当」
というものを発見した。
しかしこれは売り切れていた。
「盛岡の味覚冷麺弁当七○○円」 の掲示があるだけだった。
売店のオバチャンに、
「どんなもんなの」
と訊くと、
「冷麺とおにぎりが入ってんの」
ということであった。
とりあえずどこかで冷麺を食べなければならぬ。
駅前に 「盛楼閣」 という店があった。
この店は、椎名誠氏が 「とてもウマイ」
とどこかで書いていた店だ。
「盛楼閣」 は、いわゆる焼き肉屋である。
駅前のビルの二階にあって、座席多数、テーブル多数、二百名収容の大きな店だ。
夕方六時、すでに十名ほどが店の前に並んでいる。
行列ができる有名な店なのだ。
入口のところに巨人軍の大久保捕手の色紙もかかっている。
冷麺八五○円。
冷麺というものは、日本全体でどのぐらい認知されているものだろうか。
ラーメンなら、
「自分は一日一回、ラーメンを食べないとダメであります」
という人はいくらでもいるし、蕎麦も、
「あたしゃ蕎麦っ食いだから、まいんちでもいいよ」
という人もたくさんいる。
しかし冷麺はどうか。
ぼくなど冷麺はひと夏に一回か二回といったところで、特に食べたいと思うことはあ
まりない。
しかし、食べてみると確かにおいしい。
牛すね肉と牛骨と鶏ガラでとったスープは透明感があってさっぱりしている。
そこに、かすかな酸味と甘味が加わる。
冷たいコンソメスープ、という感じで、醤油味があたりまえの麺のスープに慣れてい
る日本人にとって、なじみのうすい味と言える。
韓国で食べた冷麺のスープは透明だったが、「盛楼閣」
のスープは赤く濁っている。
麺のほうも、韓国のは黒かったが、ここのは黄色くて透きとおっている。
なぜ盛岡で冷麺が根づいたか。
昭和の初めに、半島から盛岡に移住してきた人が、日本人の口に合うように作って
出したところ、評判になってはやりだした、というのが一つ。
わんこ蕎麦で代表されるように、盛岡の人はもともと麺類好きであった。
冷麺の故郷である平壌と盛岡は緯度が同じである。
というあたりが、その根拠となっているようだ。
冷麺の麺は、韓国のはゴキゴキするほど硬いが、この店のは
”相当コシがある” と
いう程度になっている。
座敷では高校生のグループが冷麺を食べていた。
部活帰りらしい十五、六名が、座敷にあがりこんで八五○円の冷麺を食べているの
だ。
けしからん。
高校生はかけうどんでいい。贅沢しても四○○円の牛丼までにしろ。
しかし、
「盛岡では高校生までが部活帰りに冷麺を食べている」
という事実は、やはり本場ならではの風景と言えるかもしれない。
じゃーじゃー麺のほうは、「県内外にその名も高い」
と言われている 「白龍(パイロン)」
という店に行った。
この店の 「じゃじゃめん」 は、岩手日報が発行している
「岩手のラーメン一○○選」
という本に、「これが盛岡名物 『じゃじゃ麺』
だ」 と紹介されている。
この店の前も、十二名ほどの行列だ。
カウンターに十人、四人がけのテーブルが三つという小さな店だ。
待っている時間のわりに、出てくる客の数が少ない。
すなわち、客の店内滞在時間が長いということになる。
「白龍」の隣は薬局で、薬局のほうに折れ曲がって並んでいると、「白龍」の中からオ
バチャンが飛び出してきて、
「隣の店の前に立たないでくださいね」
と言う。
「白龍」の入口のところにも、「近隣の苦情もありますので、車輌の駐車には充分ご注
意ください」との貼り紙がある。
近隣というのはどうやら薬局のことらしい。
薬局のほうに行列が折れ曲がると、薬局のほうから店主が飛び出してくるらしい。
それを恐れて、オバチャンが飛び出してくるらしい。
「じゃじゃめん」の麺は平打ちのうどんだ。
皿に盛ったうどんの上に、キュウリの細切りをのせ、その上にこの店秘伝の炒め味
噌のカタマリをのせる。
秘伝の味噌をなめてみると、秘伝は秘伝だろうが、それほどうんと秘伝というほど
の秘伝ではない、という程度の秘伝のようだ。
平打ちの麺に、この味噌とおろし生姜を混ぜながら食べる。
テーブルの上の、ラー油、おろしにんにく、酢などを混ぜて食べている人もいる。
全部食べ終わった人は、そこに卓上の卵を割って入れ、カウンターに持っていく。
すると、オバチャンが、そこにスープを注いでくれる。
箸でかきまわして、卵とじのようにして飲むのだが、店のメニューには「ちーたんた
ん」としてのっている。値段は五○円。
子供づれの一家四人で来たおとうさんは、一家を代表して卵を割り入れた皿を持っ
てカウンターに向かった。
皿を持って席に戻るとこれを、一家四人で分けあって飲むのであった。
すなわちちーたんたんは一人あたり一二円五○銭(消費税込み)ということになった
のだった。
むろんそればかりではないだろうが、この店の人気の秘密は値段の安さにあるようだ。
「じゃじゃめん」は、小が三○○円、中四○○円、大五三○円だ。
JGDは盛岡市内で一泊し、翌日、わんこ蕎麦の査察に向かった。
これまた「県内外にその名も高い」 と言われている
「直利庵」に向かった。
「直利庵」に向かうべくタクシーに乗ると、運転手は坊主頭でモミアゲの長いこわそうな
人だった。
ゴルゴ13の頭を刈り、眉毛を薄くし、鼻をうんと低くしたような人だった。
「直利庵」 と告げると、きっぱりと大きくうなずくのだった。
「合点承知之助」(古いカナ)という感じだったので、
「おいしいんですか?」
と訊くと、
「いずぬ」
という答えが返ってきた。
「いずぬ」
というのは、おそらく「一、二」のことで、「一、二」というのはおそらく「市内で一、二の
美味である」という意味らしく思われたのだが、こわいのでそれ以上のことは訊けなか
った。
「直利庵」 は、「わんこの部」と「ふつうの蕎麦の部」に店が分かれていて、時間が早か
ったせいか「わんこの部」はまだやってなかった。
やむをえずわんこをあきらめて、「ふつうの部」のほうに入った。
意外にも、天丼もあればカツ丼もあるという店であった。
「酒そば」というメニューがあった。
盛り蕎麦の上から日本酒をふりかけて食べる、というものである。
ふりかけて、ふつうの盛りとおなじように蕎麦ちょこのツユにつけて食べる。
プンと酒の香りがし、蕎麦が少し甘くなる。
のどごしもツルリとなめらかになる。
「こんどウチでもためしてみよう」
と思った。
蕎麦は更科系の白い蕎麦で、なかなかのものだ。
田舎の蕎麦屋は蕎麦はいいがツユがダメだ、とよく言われる。
だが、さすがに県内外にその名も高いと言われるだけあって、ツユも甘みの少ない、
香りの高い、力のある味であった。
盛岡にやってきて、冷麺、じゃーじゃー麺、蕎麦と査察した以上、同じ麺類のラーメン
を査察しないわけにはいかない。
JGDは、盛岡駅のそばのビルにおいて、すばらしいラーメン屋を発見したのだった。
地下街を歩いていて、ふと何気なく一件のラーメン屋のショーウインドーを見てギョッと
なった。
ラーメンの丼があまりにも巨大なのだ。
「この特大ラーメンを全部食べたらタダ」
というラーメン番組をよく見かけるが、ショーウ
インドーに並んでいる丼が全部あの丼なのだ。
あとで計ってみたら、直径が二十八センチ、高さが十五・五センチ、丼の厚さが一・二
センチある。
ふつうの丼は、直径が二十センチ、高さ八センチが相場だ。
値段はラーメンが五○○円、タンメン六五○円、炒飯七○○円で、ふつうの店と少し
も変わらない。
丼の中身は、さすがに「大食い」ほどには入っていないが、十五・五センチの高さの六
分目ぐらいまで入っている。
JGDは迷わず中に入って行った。
四人がけのテーブルに、三人が腰かけて三つの丼を並べると、もうそれだけでテーブ
ルの上は満杯となる。
かなり大きな店で、女店員は全員赤いチャイナドレスにまっ白なエプロンをかけている。
本格派を目指す店でもあるようだ。
驚くべきことは、店内の客の誰もが、このラーメンの巨大さに驚いていないということで
あった。
誰も騒がない。
誰も驚かない。
誰もたじろがない。
というのが、この店の「三ない三原則」であるらしかった。
高校生も、オバチャンも、子供も、誰もが巨大な丼を目の前にしているのに、ふつうだ
ったらその巨大さについて一言あってしかるべきなのに、誰も、なーんにも言わないとこ
ろが見ていて可笑(おか)しい。
隣の高校生が食べているギョウザラーメンは、ふつうのラーメンの上に大きなギョウザ
が五個ずつ二列、計十個並んでいる(八百円)。
ふつうだったら、
「ワーッ、ギョウザが十個も!」
とか、
「ワーッ、これで八○○円!」
とか絶対に言うと思う。
高校生は、(それがどうかしましたか)という顔つきで、つまらなそうにギョウザラーメン
を食べている。
味はどうか。
まずかったらこういう報告はしない。
麺に少し問題があるほかは、メンマもチャーシューも平均以上だった。
特にチャーシューが旨かった。
盛岡駅隣の「FESAN」というビルの地下にある「三龍亭」という店だ。
例の冷麺弁当の実態を知ろうと、例の売店に朝の十時に出かけて行った。
またしても売り切れだと言う。
「何時ごろ売り出すの?」
と訊くと、朝の十時だと言う。
「いま十時じゃないの」と言うと、「いま売り切れた」と言う。
冷麺弁当は、毎日三個しか作らない幻の弁当なのだそうだ。三個ですよ。
麺王国盛岡は、まだまだ奥が深そうだ。
|