445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年5月19日 18:47
日本国民はもっと領土等の主権意識を【目次】*麻生総理とプーチン首相の会談
隣接地域とは?北方領土の日芸術家の宿命』香月泰男氏
日本抑留者伝説
 *北方領土返還と拉致被害者帰還を国民の声に!異国の丘
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麻生総理とプーチン・ロシア首相との会談(外務省のHP文書より抜粋)
       (概要)平成21年5月12日 
会談
一部抜粋。
(イ)極東・東シベリア地域における日露協力
 2012年のウラジオストクAPECは、極東・東シベリア地域をアジア太平洋へ統合させていく上で象徴的な位置を占めているとの認識で一致。また、ロシア側から提示された具体的なプロジェクト・リストを検討してもらいたいとの要請があったことを受け、今後日露双方が協力して検討を進めることで一致した。
(ロ)エネルギー
 エネルギー分野について、サハリンIIに続く互恵的な案件形成に向けて議論された。特に麻生総理より、引き続き、サハリンIのガスへの関心が示されたほか、プーチン首相からは、サハリンIII以降のプロジェクト、ウラジオストクにおけるLNGプラント・石油精製工場建設計画、「シベリア−太平洋」パイプラインにおける協力の可能性に言及があった。
 なお今回のプーチン首相の訪日にあわせ、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)とイルクーツク石油(INK)との間で現在東シベリアにおいて行っている共同探鉱事業について、対象となる油田の場所を拡大する旨の合意が行われた。これは昨年4月に合意された東シベリアでの共同探鉱事業の第2弾である。
(ハ)原子力
 原子力協定に関連し、今後同協定が発効する場合には、ロシア国内で2020〜2022年までに28の原子力施設の建設が計画されていることも踏まえ、民間ベースを含む互恵的協力が進展することへの期待が表明された。
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一部だけ抜粋。【合意文書】(すぐに実施?)
日本国及びロシア連邦の隣接地域における生態系の研究、保全並びにその合理的及び持続可能な利用の分野に関する日本国政府とロシア連邦政府との間の協力プログラム
(以上は外務省のHP文書をそのままコピーしたものです。但し太字、文字色付は445)

 上記が今回のプーチン首相来日の<成果?>です。どれも「日露協力」となっていますが、
実質ロシア国内のエネルギー施設の増大、拡大を促進させる為のもの。技術とともにどれだけの日本の資金が投与され、どれだけ日本にとって実利があるのか、分りませんが、これだけのプロジェクトに
資金投与するのにその前段階が何も解決されていない、というのは考えられない事です。

 すこし気になるのが【合意文書】の日本国及びロシア連邦の隣接地域における生態系の研究、保全並びにその合理的及び持続可能な利用の分野に関する日本国政府とロシア連邦政府との間の協力プログラム>の隣接地域ってどこでしょう?まさか北方四島ではないでしょうね。続けて<・・その合理的及び持続可能な利用の分野に関する日本国政府とロシア連邦政府との間の協力プログラム>何をさしているのか、知りたいです。
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 先に向こうの希望があって、それに対してこちらがどうするのか、という問題でしょ?
ならば、絶対条件として【北方領土返還/平和条約締結】がある、これをクリアしなければ、希望は受け容れられない。そう返答してからのことにすれば、進むものなら進むし、ダメならダメとして、少し時間を置けば、必ず【進む】ようになるものです。【北方領土返還/平和条約締結】をどれだけ政府が重要視していないかという、これはその【結果】という<成果?>なのではないですか、現段階の。これからはこの【基本】を踏まえ「進むか否か」は、あくまで【北方領土返還/平和条約締結】を念頭に決断してください。何回も言及しますが、『ガスも電力』「元栓」を与えてからでは、もう領土返還の話など出来ない。
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<現在東シベリアにおいて行っている共同探鉱事業について、対象となる油田の場所を拡大する旨の合意が行われた。これは昨年4月に合意された東シベリアでの共同探鉱事業の第2弾である>。昨年の4月という事は『サハリン2』の環境破壊というイチャモンをつけられ権益が5分の1に削られてからそう時間は経っていない頃。それに加えて【シベリア】という地名になにか心に引っ掛かる ものはなかったか。
(下記はこれまでの北方領土関連を掲載)
                   4年前。**********2005年
2005/2/7付【今日という日】
       
  「北方領土の日」           
 2月7日は日露間の国境を定めた日魯通好条約署名から150年の日です。
今年ロシアのプーチン大統領が来日するそうですが「おみやげ」として4島一括返還するのかと思ったら、「2島」返還を返答して来ました。産経新聞の朝刊「正論」欄にその2島というのは4島の合計面積のたった7%でしかないとあった。どちらにしても、フザケルナ!ですよ。
日ソ不可侵(中立)条約を一方的に破り、戦後の日本の北方四島を占領掠奪した旧ソ連、おまけに満州から日本に帰れると思った日本人をシベリアに連行し強制労働に従事させた(60万人の内死亡5万人余り)。これ等の事を以てして何ひとつ日本が譲歩しなければならない因はない。反対に4島プラス、シベリア抑留者の労働対価をロシアに請求してもいい位だ。 
 現在のロシアと日本のパイプライン敷設【サハリン2】には日本の投資金額は莫大である。に関わらず中国にも「油」を供給するそうである。くれぐれも話の【つめ】だけはきっちり着けておくように。
そして日本は「絶対4島返還」のアドバルーンを下ろさない事。この機を逃せば一括返還はいつになる事やら、と思います。日本の資金が欲しい今だから出来るのです、絶対押し通す事。
               2005年***********4年前。
                      ◎
 上記は4年前の文章ですが、プーチン「大統領」の処を「首相」と変えれば現在の状況とよく似ている。私はこの時も、この機(パイプライン敷設【サハリン2】)を逃さず、北方領土4島返還実現を、と書いている。それでも何も変わっていない。この文章を読み直し思わず笑ってしまった。 しかし、現在の状況はこの4年前よりもっと悪くなっている。例の『エネルギーの元栓』然り。
                      ◎
 下記は5年前のもの。シベリアの地は日本人がシベリアの土と化している場所。あの土の下には無念の内に亡くなった人達の霊が宿っている。北方領土返還も適わず、日本人がロシアへの『協力』の為その地に足を踏み入れてその地で癒されることない数多くの御霊に恥ずかしくなかったか、と問いたい。
 本来、日本人がシベリアの地を踏む時は、ロシアが北方4島返還を為し、この土に眠る日本人達にその報告をする時。そうしてこそ晴れて許しを乞えるのではないだろうか。「やっと、戦後を終わらせる事ができました」と。 メディアがもっと、この問題を取り上げてくれたら・・・と切におもう。
 戦争を煽った『罪滅ぼしとして』・・・・。
                       ◎           
               5年前。********2004年
 2004/4/27付【今日という日】(何れもHP「445(よし子)のページ」よりです)
           
 『芸術家の宿命』                      4/25(日)教育テレビの「新日曜美術館」で見た
香月泰男氏の「シベリア抑留」の絵。あのような絵は描けるものではない。
「悲しい」というそんな薄っぺらな言葉では言い尽くせないし、悲しみですらない。
暗い、暗い奈落の底へ引きずられそうになる。        

 「日本の土を踏んだ時、私は自分を亡霊だと、いや亡霊を背中に背負っいると感じた」。この画家の言葉が象徴している様に、その
「地獄」から逃げる事なく生涯、シベリア抑留の体験、極寒の地での強制労働、寒さ、飢えの中で死んでいった人達を描き続けた
「シベリアシリーズ」にみる背景色に炭を画材のひとつに使ったという暗色の中、描かれた 
どの人物も表情のない、岩を削った様な骸骨の如き顔、顔、顔。
「感情腺」を断たれた者を「人間」というのか?そんな消え入りそうな聲が聴こえてきそうです。「現在の満腹の中で、シベリアを描かなければならない」、芸術家の宿命には畏怖するばかりです。

 香月泰男氏が日本への帰国が決まった時にシベリアから持ち帰った(名前は忘れたが)木の種子が、氏の家の庭で逞しく育っていた。
日本人がシベリアの土と化したその土の木に実った種子が、日本の土の中で大きな木に育った
 それは、日本人が
シベリアから日本に「帰れた」喜びを、天に向って謳い上げている様な、雄々しい姿だった。               
   ロシア(旧ソ連)人に、踏みにじられた人間性。             
   ロシア(旧ソ連)に、掠め奪われた北方4島。              
   抑留され、極寒の地で死んでいった人達の                
   御霊供養を兼ねて、北方領土返還を強く、要求する。


               5年前。********2004年
                      ◎
               3年前。********2006年
2006/11/25【今日という日】「日本人抑留者伝説」       
 産経新聞の平成18年8月28日付にウズベキスタンの「日本人抑留者伝説」というのが掲載された。【敗戦後ソ連軍に満州からシベリアへ連行された日本人の内、25000人がウズベスクに強制移送され、13の収容所に分けられ苛酷な労働を強いられた。
 「日本人伝説」
のシンボルがその内の約500人の抑留者が捕虜という厳しい環境下タシケント市に2年がかりで建設したナボイ劇場。1966年の大地震で多くの建造物が倒壊した中ビクともせず「日本人の建物は堅固だ、建築技術が高い」という評価が定着した。            
 壮麗なナボイ劇場には日本人抑留者の功績を顕彰したプレートが掲げられ、日本人に対する尊敬と感謝の思いが名実ともに歴史にとどめられている。        
 日本人抑留者の「遺産」は他にも水力発電所、運河、道路など国内の至る所に残り現在もウズベスクのインフラを支えている。当時の水力発電所を仕切った元現場監督は「真面目に、懸命に汗を流していた日本人抑留者達」の思い出を涙ながらに語った。】以上。  
                 3年前。********2006年

 2005/9/15付【今日という日】再掲
『北方領土返還と拉致被害者帰還を国民の声に!』     (1)北朝鮮工作員を養成する国策の一貫として、或る時期の北朝鮮に数多くの
日本人が拉致された。拉致するのは誰でもよかった、その私達の代わりに拉致されたのが
現在未だ北朝鮮から日本へ帰還出来ない拉致被害者の方々です。
(2)この「異国の丘」の歌詞はシベリア抑留を経験された作曲家、故吉田正さんの作品です。未だロシア(旧ソ連)から返還されない北方領土に思いを募らせていたら、昔、歌手の三浦洸一さんが歌っていたこの「異国の丘」を思い出しました。そして、この歌を口ずさんでいる内に現在、北朝鮮に拉致されている拉致被害者にその侭この想いが、置き代わったのです。
 言えば、シベリアで死んで逝った人達の叫声の如く。  
望郷の願い叶わず、死んで逝ったのだぞ!拉致被害者も同じこの想い 
が、分からんのか!
」と。
   

    『異国の丘』      作詞曲 吉田 正 
(5)1.今日も暮れゆく 異国の丘に 友よ 辛かろ 切なかろ 
我慢だ 待ってろ 嵐が過ぎりゃ 還る日が来る 朝が来る 

(3)2.今日も 昨日も 異国の丘に 寒い冬空 雨 嵐
挫けちゃならない 祖国の土に 
還り着くまで その日まで 
   
              ◎

(4)     「或る日、突然に!」                       

 或る日 突然に それ等は 奪われた。              

  私達の領土 北方四島                     
  私達の同胞(はらから) 拉致された日本人。          

 共産社会主義国家だった (旧ソ連)ロシアに           
 共産社会主義国家の 北朝鮮に                  

 奪ったもの 掠った人間を 返すのは 当たり前でしょう!     

 ずっと泥棒のままの 国家がある                 
 (旧ソ連)ロシアと 北朝鮮。                  

 日本の国家主権を 侵した国に 改めて訴える           
  人権という言葉を 知っているなら               
  人間の心を 持っているなら                  

 直ぐに 返してください  
 我等の領土 北方四島!  拉致した 日本人を! 

                  ◎
(6)平成17年9月11日の衆議院選挙で明らかな様に、一票の力の集結が小泉 
自民党を支える大きな力となりました。同じように国民一人一人が
北朝鮮拉致被害者救済、又北方四島返還に関心を持ち、それを訴える事で
帰還、返還という悲願成就の大きなうねり
と成り得るのではないでしょうか。         「北朝鮮拉致被害者救済、北方四島返還を国民の声にしましょう!」

                 ◎◎◎◎

 領土も、拉致も、戦死者の遺骨収集が等閑(なおざり)なのも原因は一つ、戦後政治家の質の劣化であり、突き詰めていけば、その政治家を選んでいる国民自身の・・・になる。
 国民もこれらの事にもっと、もっと関心を持ち選挙区議員、官邸等に箴言、訴言していくしか解決の方途はない。いま国民自身が『主権意識』に目覚めなければ、もっと大きなものを喪う。