445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年5月6日 4:34445TOPへ 今日という日TOPへ 詩歌集『夢幻』へ マイメードソングへ【目次】明治憲法のこと万世一系の天皇』のこと統帥件干犯のこと
5/4          ◎『明治憲法のこと
 5/3憲法記念日だった昨日、NHKTVスペシャルJAPANデビュー、天皇と帝国憲法”万世一系はこう書かれた”が放映された。他チャンネルで卓球世界大会が行なわれていたりで部分部分しか見ていないが『統帥権』干犯と、大日本帝国憲法第1条に『大日本帝国憲法ハ万世一系の天皇之ヲ統治ス』に関して。

 司馬遼太郎氏と山折哲雄氏の対談『日本人とは何か』に引用【伊藤博文が渡欧して政治、経済、宗教、文化の多くのシステムを勉強してして帰国したが、ヨーロッパの近代社会を支えているのはキリスト教である、それが最重要の精神の基軸とし、対抗するものとして明治憲法成立の動機があった。明治の近代国家にもその一神教のキリスト教に当たるものを考えた。無神論的な日本の神仏信仰はとてもキリスト教には対抗出来ない、その思想の出発点が伊藤博文で皆が影響を受けた。そして、キリスト教に代わるものとして結局皇室問題を持ち出し万世一系だけでは明治20年代にはまだ思想化できないのでそのへんにある神道というものを国家神道に、キリスト教に代わる圧搾空気にしようとした。ー山折氏><ヨーロッパ各国の殆ど古い国の国旗が十字(デンマーク、スウェーデン等)です。だから国家の基礎の中につまり、”圧搾空気”の様にして地盤があり、それがキリスト教でその上に国家という”屋台”が立っている。基礎工事されたキリスト教的な倫理観及び気分の上に国家が立っているという事です。−司馬氏>】引用
 幕末、ペリーの黒船来航に依って開国させられた日本が明治維新を成し遂げた後、西洋に追いつく事を至上に猿真似と言われようがひたすらそれに邁進した。
 現在の論議はその近代化から敗戦までをトータルで捉え明治維新さえ否定的にみてとれる。
しかしその起承転結は人間の普遍性というものに行き着くものだろう。弱肉強食という、あの白人による有色人種への植民地化が当たり前の軍国主義の『帝国時代』(大日本帝国という国名も近代化の手本としたイギリスの大英帝国に倣ったのではないか)、西欧と文明に雲泥の差があった当時、ちょんまげ脇差しの侭で居たとしたら、中国人(当時清国)のように白人(イギリス人)に阿片戦争を仕掛けられた挙句奴隷的状況に追いやられ、以後(日本を含む)米欧国の『委託統治』、租借権を認めざるを得なかったも知れないし、満州まで南下していたロシアに日本は攻め込まれていたのは間違いない。
 近代化から約28年後の1894年日清戦争、その10年後に日露戦争、さらに10年後第一次世界大戦に勝利した日本も結局第二次世界大戦で敗れた。
 「これ盛者(勝者)必衰の理なり」(平家物語)
      2009年5月5日 2:34:25
5/5 ◎ 『万世一系の天皇』のこと
 『万世一系の天皇』という事に関して以下は渡部昇一氏の「反日に勝つ」(昭和史の常識)より引用【日本人が農耕民族であった事が万世一系の思想を尊重してきた由来。露骨で無礼ながら男系は『種』で女系は『畑』という考え方、『種』こそかけがえのないものだった。(445現代生物学では男性のみの遺伝子を『Y遺伝子』女性のみ遺伝子を『ミトコンドリア』と呼び、その遺伝子を辿って行けば各々の原始の祖先に行き着くという445)。だから天皇家はずっと辿っていけば日本国(ヤマト)を平定統一した神武天皇に行き着くという事。西暦でなく皇紀にすれば日本は紀元約2670年となる。そのもっと先へ遡れば『古事記』神話のアマテラスが祖先祖となるのです。実際どうかより神話をもつ国は歴史ある国ということです。口承伝来してきた神話を7世紀に稗田阿礼が万葉仮名を当てはめて記したのが『古事記』と言われています。その経緯には皇統断絶の危機もあり第25代武烈天皇から第26代形継体天皇の継承時は10親等離れた遠戚だった事もある。純血統の継続こそ日本立国の証であり、それは国の安寧、平和の象徴、護神的存在と位置付けられてきたからこそのこだわりだった。
 だからあの応仁の乱の時でも御所の何処も傷つけられなかったし、戦国時代の信長、秀吉、家康も天皇家を国の統合の象徴として奉った。そうして護られてきた伝統があったればこそ、日本が第2次世界大戦敗戦しても天皇家は存続されたと言える。(米GHQ総司令官マッカーサーの天皇と国民の相関の洞察力が優れていた事が大きいが、それを含めて「伝統の力」が作用したというのだろう)】以上渡部昇一氏の「反日に勝つ」昭和史の常識より
 天皇家とともに私達祖先、日本民族は生きてきた、それがすべてです。

【日本人の最大の発明は天皇です。明治以後の80年の天皇は別にして、皇帝でも、王様でもない、なんかつかまえどころのない存在。大体、天皇と言うのは神主みたいなものだが神道には教義がない。お祓いをして清めるというだけ。実に不思議。ここらの捉えどころのない、あいまいな神道的あかるさというものが日本民族を支えるあっけらかんとした、非常にだだっ広い底辺につながるんではないかと思う」】。(司馬遼太郎氏「日本人とは何か」より)

 憲法記念日だったので敗戦後の昭和憲法に言及すれば、憲法改正の為の憲法審査会を設置することになっているのにその人選さえまだ決まっていない。民主党や野党が反対するからです。
ミサイル発射を強行した北朝鮮や空母まで持つという中国、そして日本は露、中、北の「核の谷間」にあるのに何故もっと現実的対応力の為の頭の切り替えをしないのか。折角安部元首相時可決した憲法改正だったが、こんなに先行き不透明な時なのに漫然と民主党や野党は動かない。国民の生命、財産を護る為、先々の戦略構想には米との同盟強化のための集団的自衛権を行使権とする憲法改正が必定でしょう。<憲法前文:「世界は平和を希求」、していない。>
        ◎統帥件干犯のこと
 1931(昭和5)年ロンドンでの軍縮会議で日本は人種差別撤廃を提議したが否決され、巡洋艦削減が日本は対米の7割いう話から更に削られるという『差別』があった。
 その約10年前のワシントン軍縮会議では主要艦隊削減を取り決めたが米5:英5:日3:独、伊:1.7というこれも不公平な割合だった。この時、日英同盟も更新されず破棄された。
『統帥権』干犯の問題はこういう流れの中の軍部の不満鬱積と、野党政友会がこれを政局にしてしまった事から問題は大きくなった。引用【『統帥権干犯』は明治憲法を創った伊藤博文の『天皇論』を踏襲した「天皇器官説」(身体(国家)で例えれば天皇が脳で、其処から各器官、神経が発している)、美濃部達吉東大教授は「もしすべての権限が天皇個人のものならば例えば国債は天皇個人の借金となり、国際条約締結も天皇個人が行うこことなり、それは即ち専制君主である。天皇は国家というものの中でひとつの”機関”にすぎない。その解釈でなければ近代国家とはいえず、ルイ14世と同じになる」と述べた。天皇の権力は国務という形であらわれるのであって、天皇個人のものではないという事。浜口首相に問われそう憲法の主旨を延べ「日本は立憲君主国制であり、条約の批准を奏講しても統帥件干犯にはならない」と論じ浜口首相を擁護し議会や枢密院等を納得させた。にも関わらずマスコミは統帥件干犯と煽り(政友会中心になって)その挙句に浜口首相は東京駅で狙撃されて重傷を負いその傷が元で翌年死亡、以降この問題の議論、肯定論が息を潜めてしまう。
 美濃部は告発され取り調べを受けるが、美濃部は一徹に自説を押し通す。やがて軍部や司法政府に妥協しない美濃部とその『機関説』をマスコミはこぞって大々的に報道するが美濃部を擁護する声は少なく、敵意を剥き出しの右翼や国家社会主義者からの保身ばかりたった。そして遂には美濃部暗殺未遂までへと発展、筋の通った法律論よりマスコミによって操作形成される世論が力を得ていくようになる。
浜口死亡の翌年、昭和7年の5.15事件は、海軍将校、陸軍士官候補生、農村青年ら30数名が首相官邸、内大臣邸、政友会本部を襲撃し犬養首相などが殺された。しかし驚くべきはこれら実行者に実刑判決は下るも死刑にならず恩赦等で何れも短期間に出獄した。そうさせたのは世論だった。新聞は、『政党政治は腐敗堕落し、財閥も農村零細企業を疲弊させている』という首謀者の思想を報道し国民の同情を促し、それが裁判官を動かした。これら首謀者はその後、満州で特務機関として働いた。5.15事件に同情した世論はその後の日本の敗北に与した。この時世論に媚びて主犯者をも軽くしか処刑しなかったことが後の2.26事件への誘惑となった。2.26事件は5.15事件よりも精密な計画で軍を動かし何人もの重臣達を殺害。高橋是清の様な傑物を殺してしまった。彼は日露戦争時、独力でユダヤから戦費を引き出した。その彼がいなくなってどうやってユダヤ財閥下にある石油資源を調達しようとしたのか。】引用以上【】内、渡部昇一氏著ー反日に勝つ!「昭和史の常識」より