445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年8月3日 4:14:28 【目次
民主党のマニフェストは「日食」/自民党のマニフェスト『日本を守る、責任力』/中華対日工作の傀儡小沢一郎氏/硫黄島の戦い/在日の半島と日本を実質支配だとさ/

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2009年<【音声画像】北方領土関連/異国の丘等
国家意識を亡くした日本


2009/7/29   ◎民主党のマニフェストは「日食」
 民主党のマニフェストが7/28に公表された。
 ざっと掲げると、ムダづかい、子育て・教育、年金医療・地域主権。、雇用・経済の『5つの約束』/5原則・5策の『政権構想』/7論からなる『各論』(この中の社保庁は国税庁と統合して『歳入庁』にとあるが、
あれだけいい加減なことをやってきた社保庁は自民党の政策では来年には「ねんきん機構」に移行し職員も大分入れ替わる筈だった。社保庁職員解体をしないと国税庁職員までが『汚染』される)、
以上が民主党のマニフェスト(詳しくは新聞等で)。 

 
 このマニフェストの<地域主権>の中の「高速道路無料化」は首都高速、阪神高速以外『原則無料化』としたが、これに関して同日付の産経新聞には西日本高速道路の石田会長の言葉として【「無料化というがサービス提供や道路の維持管理の費用等は結局、高速道路を利用しない一般人の税金が投与されるしかない。『受益者負担』について選挙戦でもっと議論を。】と掲載されているように、民主党の『無料化』案は<人件費を含めた諸費用をどこから捻出させるのか?>という疑問を抱かせる。 これが象徴といえる如く、兎に角民主党は本音は隠し、建前を公表するということで選挙を戦おうとしている。

 これより5日前の7/23衆院マニフェストの原案という「政策集INDEWX2009」が発表されている。
産経新聞によるとこれには【『永住外国人への地方参政権付与、』、『重国籍容認の「国籍選択制度の見直し」、『戦時中の日本の加害行為を調査する『国立国会図書館法改正<恒久平和調査局>を設置、(「慰安婦」調査を含む){何故日本の加害行為だけなのか?この法は結局自虐史観(日本悪)の恒久化を目論むもの。
445}、(日本人にとっては逆人権侵害法案といえる「人権擁護法案」は名称が変わって445)『人権侵害救済機関」の創設』、『選択的夫婦別姓』、そして靖国神社に替えて『国立追悼施設の建立』等(A級戦犯が合祀されて云々とあるが、これも外圧に屈したもので、小泉さんが遂行した靖国参拝の日本人の信念もこれで終え又以前に逆戻り?ですか・・)。

「教育分野」では実質教員の免許更新制の廃止の『教員免許制度を抜本的に見直す』以上だが、(教育に政治色を投入すると日教組のドン輿石参議院会長は言明している)。

「本音」を先日の日食のように建前の「月」に隠している。 これらは政権を獲ったら即実行される政策である。それを踏まえデコレーションの飾り付けに惑わされることなく、31日発表予定の自民党のマニフェストと比べ、日本国の未来を託せる党はどちらか?


      ◎自民党のマニフェスト日本を守る、責任力
 7/31に発表された自民党のマニフェストは、『日本を守る、責任力』というキャッチフレーズ、新聞やテレビでも取り上げているので民主党との違いを記すと『日米安保体制の強化、米国への弾道ミサイルや米艦艇防護を可能にする為に「必要な安全保障上の手当てを行う」』<集団的自衛権行使と憲法改正が明記されなかったのはこれが現在の自民党の限界だった?宗教集団幸福実現党にお株を奪われてますよ。>/『海上自衛隊によるインド洋での補給活動やソマリア沖での海賊対策の継続』<民主党は来年1月でインド洋から撤退させると又変心した。日米安全保障が危ない!>/『拉致問題:「北朝鮮による国家テロ」と断じ「国家の威信をかけ被害者全員の帰国を実現する」』<民主党輿石議員がドンである日教組と北朝鮮は友好関係を結んでいる、拉致のへの意気込みはどれほどのものか?>/先の国会で廃案となった『北朝鮮関連船舶の貨物検査特別措置法案』次期国会で成立/『教員の政治的中立を徹底』『日本年金機構設立/超党派の年金改革協議会設置』以上産経新聞より、詳しくは新聞等で。
 下記ブログ『博士のひとり言』さん「中華と小沢一郎の長城計画の正体」、『ねずきち』さんの「在日(民団)の半島と日本を実質支配」を読めば、(加えて北朝鮮の核もありますね)日本にいま一番必要なこと、必要なものが自ずと見えてくると思うのですが。
 それは国防力であり、愛国心国家堅固で、国民の『生活』安心、安定
 民主党マニフェストにはその必要なものはなく、必要でないものがあり過ぎる
折角安部元首相が法案化した憲法改正、国民投票法案も次の福田前首相が審議会すら立ち上げず形骸化させた。だから自民党はこの体たらく。それでも民主党よりはまだマシ、民主党みたいな「裏(月)」法案がないだけ。まだ自民党は「日本人」の方に軸足を置いているだろうから。

 日曜夜9時からテレビ放映されている『官僚達の熱い夏』(城山三郎原作)、昭和35年戦後復興途上の日本、官僚達が戦争に負けた日本をアメリカ並に復興させるという意気込みの下、今夜の放映分など日本の産業発展の為命懸けで米と交渉している官僚を見ていて、日本経済が高度発展出来たのは、優秀な愛国心塊の官僚がいたからだと感動した。(その後の日本のバブル絶頂期(アメリカの映画会社等を日本企業が買収したりしていた頃)などは世界中で日本の官僚は優秀と言われたものだった。{しかしその引き際を見誤らなかったら・・とあとで皆思ったことでしょうが}その後は膨張したバネが伸び切ったように官僚が疲弊体質となってしまった。)
 米軍が擂鉢山に揚げた星条旗を2度も引き摺り降ろし、日章旗を掲げた日本兵、
 東京一面を焼け野原にした東京大空襲による死者、負傷者の数が被災者数に対して意外とすくないのは、硫黄島守備隊が、およそ1か月半にわたる長く苦しい戦いを地下壕で喘ぎながら戦い抜いてくれたおかげで、その間にどれだけ多くの人が疎開や、防空壕の政策・強化を行うことができたか。
 それらはすべて 「愛国心」持つ日本兵の死に物狂いの行いだった。その日本兵たちの遺骨がまだ日本に帰る事が出来ず硫黄島の滑走路の下敷きになったままであるという。
 なんで?日本人と日本国のために自決もせずに刻一刻の苦しみに耐えて尚、立ち向かって行った日本兵なのに、それに報いるどころか遺骨すら日本に帰してあげないとは、日本政府のこれまでの怠慢に著しい憤りを覚える。

 天皇皇后陛下が、硫黄島を訪れた時に詠まれたお歌 (ねずきちさんブログのコメント「椿」さん紹介の)
・『精根を込め戦ひし人 未だ地下に眠りて 島は悲しき』
・『慰霊地は 今安らかに水をたたふ 如何ばかり 君ら水を欲りけむ
』 。

2009/7/31  ブログ「博士のひとり言」より 実質「小沢民主党」の正体
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2645.html
  ◎『小沢一郎氏が「100歳まで続けたい」と言う長城計画の正体
 
対日工作の傀儡・小沢一郎氏
2007年11月の、小沢氏の辞任騒動が起きた際に、先稿で、同氏が「民主党代表」を本当は辞めるわけには行かないであろう、と推察し、その事由について触れたのも、小沢氏のサイトの「大長城計画」を拝見していたためである。端的に云えば、小沢一郎氏は「100歳になっても」と誓い、その政治家としての立場を中国のために捧げる。そのために「民主党代表」を「抵当」に入れているに等しい。その構図がありありと伺(うかが)えるからである

 アジアにおける中華人民共和国は、善につけ悪につけ、プラスに付けマイナスにつけ、無視することは出来ない存在といえよう。だが、この国との平和的な交流が(=イコール)対アジアの平和的な交流かと問えば、答えは「NO!」である。まして、同国の驚異的な軍備拡張、チベット、東トルキスタンで暴虐を展開し、同国内で蔓延する人命軽視(人権)の問題、他国にまたがり民意が低い凶悪犯罪を量産する体質や世界での流通の八割を仕切る果てなき偽造品の造出、罪の意識に欠ける機密盗用(スパイ)、情報侵害(ハッキング)等々。それらには目を瞑(つむ)る外交スタンスが国益に通ずるものとは到底考え得ない。

 これらに対する指摘、言及を避け、ひたすら媚入(こびい)る、いわば、創価学会方式の"平和交流"が、真の意味で の「交流」になるはずはないのである。同国に土下座し、屈服する姿は、「御用聞き」、「中国共産党の下僕」と指摘されても止むを得まい。

小沢氏がそのスタンスの中で信奉する「長城計画」の正体もまた定かではない。小沢氏のサイトでは友好の経緯は記しているが、同計画の明確な定義は記されていない。およそ、計画の正体が、中国共産党 の第二期対日工作要綱に即するためであろう。また、小沢氏の政治行動は、その工作要綱そのものである。さらに、強いて指摘すれば、対日工作要綱の理念にもとづいて、 支那の万里の長城を日本まで延ばす。すなわち、政局を奪取して日本を中国の属国化し、実質的な「日本自治区」化へと造り返る。そこに計画の目的があると認識すれば、小沢一郎氏と民主党とのかねてからの政治行動が判りやすくなるのではないか。

2009/8/2 ブログ「ねずきちのひとり言」より http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-527.html
 ■硫黄島の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 今日書くのは、この写真の星条旗を立てるのに使われている“棒”のように見えるもののことです。
硫黄島は、その字のごとく、島全体に硫黄が噴き出す島です。地下壕内の温度は、摂氏50度に達するところもあったという。その地下壕内に水はなく、雨水を引き込むためにパイプが使われていた。その雨水を地下壕に引き込むためのパイプが、写真に写っている旗を掲げるためのポールです。
掲げられた星条旗は、いったん掲揚されたあと、あらためて大型の星条旗を掲げられた。
AP通信の写真家ジョー・ローゼンタールが写したその写真は、同年のピューリッツァー賞(写真部門)を受賞しています。
 この旗について、映画に出てこなかった実話があります。
実は、米軍が擂鉢山に星条旗を掲げた翌日、摺鉢山守備隊の日本兵がこれを奪還して、日章旗を掲げていた。米軍は、この日章旗を引きずり下ろし、火炎放射器で焼いたそうです。
そして、かなり時間をかけて、次の星条旗を掲げた。
 更に、何と、この二度目の星条旗も、日本側の守備隊は奪い取った。そして今度は、やや赤茶けた色の日の丸の旗が掲げられた。その日の丸は、擂鉢山守備隊の日本兵が、日のところを、血で染めて作ったものだったそうです。この旗も、三度、星条旗に変わり、その後、日章旗に戻ることはなかった。

 このときの様子を、当時17歳の通信兵だった秋草鶴次さんが手記に記しています。(「17歳の硫黄島」秋草鶴次著)
 米軍は、上陸5日目に、硫黄島南端の摺鉢山に星条旗を掲揚した。
秋草通信兵はそのとき、島の周囲に展開する米側の艦船群から汽笛が鳴らされ、上陸していた多数の米将兵から一斉に歓声が上がり、口笛が吹かれるのを聞いています。大変、賑やかであったようです。 
 その翌日、秋草通信兵は、摺鉢山の頂上に今度は日章旗がへんぽんと翻っているのを見た。
「守備隊は頑張ってるな」と、思わず感涙にむせんだと記しています。手記によると、日本兵が立てこもる地下壕の中は、凄惨を極めた。水も食料もなく、蚤や虱は追っ払うのでなく、捕まえ、つぶして食べたと言います。
傷口が化膿してウジ虫がわいてきますが、それも口に入れます。噛んで汁を吸い、ついで皮を噛み砕こうとしますが、これが意外と堅かったという。また、実家で豚に炭の餌に混ぜていたことを思い出し、炭も口にした。

 壕の中は、息苦しく、ありとあらゆる不快な臭いに充ち満ちていたそうです。
天然の硫黄臭、排泄物や死臭はもとより、流れ出た血の腐臭など、耐え難いものだった。
死体からは燐が流出し、浮遊しながら、あちこちで燃えていたそうです。著者は書いていませんが、これが、ひとだまと呼ばれてきたものなのでしょうか。大怪我をしていた秋草通信兵は、まどろみ、もうろうとなり、三途の川らしき光景に身を置くところまで見たと言います。

 敗色濃厚となった頃、米軍から投降の呼びかけがあったそうです。既に捕虜となっていた日本兵が「戦争は終わった。米軍は安全を保証する。心配ない。みんな安心して出てきてくれ。」と放送して回ったりもした。
しかし日本兵は誰も応じなかった。
 
 日本兵は、なぜそうまでして戦ったのでしょうか。

 硫黄島の戦いのあった前年(1944年)夏、アメリカ軍はサイパン島を攻略し、11月からB-29による日本本土への長距離爆撃を開始しました。サイパンと日本本土のちょうど中間地点にある硫黄島は、日本本土へ向かうB-29を見張り、無線で報告する早期警戒システムの索敵拠点として機能していました。
日本軍は戦闘機をB-29の迎撃に向かわせることができた。日本軍の爆撃機飛龍や銀河・一式陸攻が硫黄島を経由してマリアナ諸島にあるB-29の基地を急襲し、地上のB-29に損害を与えてもいた。
 とりわけ、12月には硫黄島を飛び立った零戦隊「第一御楯特別攻撃隊」の機銃掃射によって、サイパンのイスレイフィールド・アスリート両飛行場で11機のB-29を破壊し、8機に大きな損害を与えてもいます。
加えて、グアム、サイパンからの出撃では、距離の関係上、米軍は護衛戦闘機を随伴させることができない。さらに日本上空で損傷を受けたり故障したB-29がマリアナ諸島までたどり着けず海上に不時着することも多かった。

アメリカ統合作戦本部は、
1 日本軍航空機の攻撃基地の撃滅
2 日本軍の早期警報システムの破壊
3 硫黄島を避けることによる爆撃機の航法上のロスの解消
4 損傷爆撃機の中間着陸場の確保
5 長距離護衛戦闘機の基地の確保

 等を目的として、硫黄島の占領を決定します。
このことは、日本からすると、硫黄島を死守することは、上記の目的の裏返し・・・を達成することにもつながる。しかし、敗色濃厚となり、すでに制空権、制海権を奪われた日本軍にとって、硫黄島への補給は困難を極めた。硫黄島が長く持ちこたえることができないことは明白だった。この戦いははじめから玉砕戦だった。

 しかし硫黄島守備隊は、上陸部隊にできるだけ大きな対価を支払わせ、日本本土への進攻を1日でも遅らせる決意をしていた。いちにちでも多く硫黄島を守り抜けば、それだけ日本本土にいる多くの人々が、疎開できる。いちにちでも多くの日を稼げば、多くの日本人が、ひつつでも多くの防空壕を作ることができる。すこしでも深く防空壕を掘ることができる。そのための石杖となろう。その決意と覚悟で、2万人の硫黄島守備隊は決死の戦いに臨んだ。

ペリリューの戦いでは、日本軍は地下陣地を活用して長期の抵抗に成功しています。

 栗林中将率いる硫黄島守備隊は、この戦術をさらに発展させ、地下陣地による持久抵抗によって、いちにでも長く敵を硫黄島に踏みとどまらせ、上陸部隊をすり減らすことを狙った。実際、硫黄島を奪われたあとの日本本土へのB−29による空襲爆撃では、東京だけでも、死者83,793人、負傷者40,918人、被災者1,008,005人、被災家屋268,358戸(警察庁調べ)の被害を出している。
 東京一面を焼け野原にした東京大空襲による死者、負傷者の数が被災者数に対して意外とすくないのは、硫黄島守備隊が、およそ1か月半にわたる長く苦しい戦いを戦い抜いてくれたおかげで、それだけ多くの人が疎開や、防空壕の政策・強化を行うことができたおかげということができます。

 もし、疎開がまだ十分に進まない状況下で本土空襲が始まっていたら、どれだけ多くの民間人が亡くなったか。おそらく東京だけでも100万人以上の死者が出たのではないか。それを考えたら、生き残った日本人の子である我々は、硫黄島で散って行かれた将兵の方々に、心から感謝しなければならない。それは人として、当然のことなのではないか、ねずきちには、そう思えます。

 秋草さんは、「死んで行った戦友に、この六十年戦争が無かったんだから、その死は無意味ではない。そう言ってやりたい」との趣旨を語られているそうです。
 ねずきちは、戦争は反対です。戦争を賛美するつもりもない。ボク自身、自分のからだにわいたウジ虫など、食べたくもない。しかし、そうまでして我々の祖先が守り抜いてくれたこの日本という国を、わけのわからない「友愛」などというきれいごとで、他国に売り渡すようなマネだけは、絶対に許せない。

他国と仲良くすることは、大いに結構です。外国人がたくさん日本列島にやってくることも、結構なことだ。
 しかし、日本を攻撃し、日本の文化を破壊し、日本の奴隷化を目論むような、とんでもない連中を日本に引き込むことは、家の中にあえて強盗を招き入れるようなものなのではないか?
          
 実際、東トルキスタン(ウイグル)や、ネパールで何が行われたか。
 反日教育を受けた半島人が、現にいま日本で何をやっているか。
(註:以下太字は445)
 在日韓国人の魯漢圭は、在日韓国人のための民団の新聞にこう書いている。
「もはや裏社会は我々(在日韓国人)が制圧した。その暴力と経済力を背景に日本の政官財界を侵略する。60万在日の経済力は日本経済の2割に相当し、それは実に韓国の経済力の2倍という凄まじい物だ。経済力に加え、地方参政権によって政治力も手に入れ、やがては軍事力も手にした日には完全に日本から独立した、世界で最も豊かな国家を手に入れることが出来る。
もはや完全に在日の奴隷状態の日本人には、在日国家の軍門に下って貰うことになる。
こうして、在日朝鮮民族はアジアの頂点に立つことが可能となり、半島と日本を実質支配する」

 ひとりでも多くの日本人を守るために、自分のからだにわいたウジ虫まで食べて戦い、玉砕し、散っていった日本人達がいた。そうやって、まさに命がけで守って出さった英霊たちのおかげで、いま、われわれは、こうして生きている。その命を、その日本を、いまを生きるわれわれ日本人は、もっと大切にしなければならないのではないか。ねずきちは、そう思うのです。

 擂鉢山に立てられた星条旗。
これを奪還して、自分たちの血で染めた日章旗を立てた、名もなき日本の一兵士。彼らの思いを、彼らの誇りを、彼らの血を、我々日本人は、決してわすれてはいけない。そう思うのです。
 
 当ブログのコメント「椿」さん紹介の
天皇皇后陛下が、硫黄島を訪れた時に詠まれたお歌
・『精根を込め戦ひし人 未だ地下に眠りて 島は悲しき』
・『慰霊地は 今安らかに水をたたふ 如何ばかり 君ら水を欲りけむ