445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子 更新2009年1月10日 23:43:05 445TOPへ 今日という日TOPへ 詩歌集『夢幻』へ マイメードソングへ *2009/1/9・平成21年丑年に ・日本人の悔し涙と嬉し涙 *12/31真相はこうだ! *12/20脱侵略史観『日本人の底力』 *11/14 今こそ『愛国心』 |
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平成21年丑年に”激動の年も 牛のマイペース” 帰路は八坂神社へ向うべく二年坂方向へ歩き、神社でやはり同じ祈願をした。おみくじは私が「吉」で、上の甥子は「大吉」だった。『こりゃー新春(はる)から縁起がいいよー』になりますように。 昭和20年敗戦後『悔し涙』の中、日本は米GHQ占領下『日本の旗』は、掲げたくても掲げることが出来ず、アメリカの星条旗が高々と翻っていたという。だから昭和27年日本が講和条約締結後独立を回復し晴れて日章旗を掲げられるようになった時、日本国民は一転して『嬉し涙』に咽んだそうである。その当時の日本国民全てはその当たり前の得がたい『重宝さ』を噛み締めながら晴れ晴れと日章旗を掲げたことだろう。 それは昭和21年発布の日本国憲法を議決した時、再度の『悔し涙』に咽んだのと表裏の関連さを持つ故に、尚ひと塩の喜びだった筈である。何故ならその涙した理由は周知の如くの『武力放棄』という世界の国々に対して一切の無抵抗、従属せざるえないという「第9条第2項」が明記されていたからである。<但し、日本国憲法前文には『平和を愛する世界の諸国民への信義の下、日本は戦争を放棄する』とある。現在、世界においては周知の如く既にこの前文自体が覆っているという事に「憲法改正」の正当性がある。> 2008/12/31 4:55 「真相はこうだ!」
以前の産経新聞に戦後の昭和23年頃GHQがNHKラジオ放送「真相はこうだ!」の中で『日本兵による南京虐殺2万人』を放送すると物凄い反論の抗議がありすぐ放送中止、以後はソフト路線で日本軍部悪虐史観を日本人に浸透させていった・・。というのが掲載されていましたが、その当時はまだ戦争経験者が生存していて明らかな虚実ははっきり否定された。だから時を経るほど「歴史は真実から遠ざかる可能性を孕む」のでしょう。私は昭和21年生まれで戦後教育を受けていますが私達の子供の頃は『南京虐殺』など教えられませんでしたし、日本が勝利した日清、日露戦争、第1次世界大戦の近代史も教えられました。
国際法違反は日本のため IZA阿比留記者ブログのトラックバック「花うさぎの『世界は腹黒い』」<国際法違反は日本のため>http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/855598には【明治三十八年五月二十七日の日本海海戦である。日本の連合艦隊はこの日、四十隻を超えるロシア・バルチック艦隊を対馬沖に迎え撃ち、沈まないのが世界の常識だった主力大型戦艦七隻と、ついでに巡洋艦も海防艦もまとめてすべて沈めてしまった。・・・アルゼンチン海軍大佐、ドメク・ガルシアで、彼は「三笠」を旗艦とする第一艦隊の殿(しんがり)艦となる「日進」に乗り、東郷平八郎の敵前回頭のスペクタクルを含めた二日間の激しい戦いをくまなく目撃していた。この体験をまとめたのが今でもアルゼンチン海軍士官学校の教典として使われている「海戦記」。・・・・ブエノスアイレスにいって大佐の孫ホラシオ氏にも会ってきたが、大佐の著作の方も同大使の助力で翻訳され、「アルゼンチン観戦武官の記録」のタイトルで刊行されたばかりである。・・実はこの疑問にこたえる一葉の写真とメッセージがホラシオ氏から届けられた。写真には「下賜された」菊のご紋章入りの一輪挿しと、金蒔絵の文箱が写っている。 メッセージは「『日進』被弾後、砲術士官だった祖父が実は指揮を執って戦闘を続行した」。これは観戦武官に許されない国際法違反の行動だが、「祖父は日本を知り、この戦争の意味を知っていたからこそ、信念をもって協力に踏み切った」という。これが今まで公表できなかった理由で、明治天皇はその辺の事情を考慮して「感謝の気持ち」を贈り物に託したと解釈できる。 「わたしはこの秘話を祖父のひざで聞いた。国際法違反もそろそろ時効と考え、祖父の記録が日本で刊行される機会にお話ししておきたかった」と結んでいる。 あちらの教科書を見たことがある。「日進」がアルゼンチンから日本に譲られた艦といういきさつがあり、東郷の名とともに日露戦争が二ページもさかれていた。この戦争が列強の世界支配にブレーキをかけ、「世界の流れを変えた」という記述もある。】と日露戦争の知られざる内容の事が紹介されています。 その『花うさぎ』さんのブログから『日本戦略研究所』や『日本会議』というまさに「日本再生」を目指すブログを知った。 その中に【『軍』ではない自衛隊は海外派遣される度に艦船が税関で「検査」をされる・・・もし税関職員にスパイでもいたら何処かの国に筒抜け・・】とあり、政治家の国防意識の低さには唖然とさせられます。それ以前に田母神前空幕長論文のように戦勝国史観と闘い続ける事が日本再生に必須でしょう。 |
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2008/12/20 以下は渡部昇一氏著の『日本人の底力』(海竜社刊)より【抜粋要約】<445とあるのは私、日高よし子の記述及び他引用です> 一度も植民地になったことがない「日本」だが、現在の日本は「植民地以下」であり<445一人前の独立国らしくなろうとも思わないのですものね445>、これはアメリカの日本占領政策(日本人から日本人としての誇りを根こそぎ奪うこと)の根本的方針を、占領下の7年間に公職追放された要人の後に、左翼系の学者が教育の場を席捲したことに大因がある。 (旧)ソ連共産党のスローガン「1932年テーゼ」のソ連コミンテルンの日本共産党への任務指示書には『皇室廃止』『日本解体』と日本の歴史を暗黒にする様な内容が書かれていた。幼稚な共産主義の世界革命を本気で信じた人の中の代表的な人として(現在すべて故人だが)矢内原忠雄氏は東大総長に、滝川幸辰氏は京大総長、都留重人氏は一ツ橋大総長と、戦後に全て総長にまで昇りつめた。これはほんの一つまみの例。この人達を復活させたのは占領軍民生局という「左翼の巣」であり、日本という国を滅ぼしたい欲求を持っていたと思われる人々。 公職追放後の主要大学の空いたポストをこれらの人々が占め、その部下の教授も、その弟子も同系の人物だった。だから教育界の大部分が反日的であり、日本の歴史や日本人のアイデンティティ(日本的なもの)に嫌悪感を示す状態が強調されて行った。<445この一流大学卒業のエリートが日本の政治の中枢・官僚となったのですから・・・その後の日本の被虐史観が定着していく筈です。445> 『日本国憲法』も然り。日本人に草案を創らせたが大半はGHQ総司令官マッカーサーが手を加えさせ、この草案に携わった人々の中に、後に新聞社や放送局の代表になった人達がいた。ジャーナリズムも又日本の歴史や皇室に反感、あるいは好意を持たなかった人々に席捲された。<445だから未だに被虐史観を糾す識者はテレビから「お呼び」がかからないのですね。445> <445(櫻田淳氏の論文より)産経新聞「正論」欄は「右」のメディアと呼ばれる。ただし、20世紀フランスを代表する知識人であったレイモン・アロンもまた、共産主義体制の全体主義的な特質を批判し、「自由」と「多様性」を擁護した故に、「右」の知識人と呼ばれた。「自由」と「多様性」の擁護こそ、諸々の言論の前提であり目的である。このことは、あらためて再び確認されるべきものであろう。というのも20世紀の「熱狂」と「狂言」の反映であったソビエト共産主義体制が崩壊した後ですら、その「熱狂」と「狂言」の土壌は、日本の内外に依然として残っているからである。どのように「自由」と「多様性」を護り、世にある諸々の「熱狂」と「狂言」の防壁たり得るか。(略)筆者は、自らの言論をホッファーの言葉にある「静かな細き声」として伝えたい。】以上櫻田淳氏(第1回産経新聞正論新風賞)の論文より一部抜粋。><445産経新聞は読んでみれば決して右よりとも思わないですよ。先日テレビであるコメンテーターが『右』の言論者と、最近社保庁元官僚殺傷事件を起こした「右翼」とを一緒くちゃにしている発言があった。。あの手の事件を起こすのは実際の処『左翼』である事が往々にある。こんな発言をする人間ばかりをテレビは重宝するから、そして教育の場の日教組も同じくだから、日本国民の歴史観はずっと変わらないのだ。445> ◎ *まだ離脱できない『東京裁判史観(侵略史観)』 『共同謀議』については、昭和3年以降を見ても田中義一、反対派の浜口雄幸各内閣、又これ以降も何回も内閣は変わっていたから共同謀議出来る筈がない。現に「共同謀議に加わっていない」とされた内閣もあり、矛盾だらけの裁判だった。 在職中の最後時期に安部前首相はインド訪問し、「インド独立運動の父」チャンドラ・ボーズと、パル判事の遺族を訪ねた。これは歴史的に大きな意味を持つもので、日本の戦後を支配した東京裁判史観との決別宣言である。 <445インドは約200年間イギリスの植民地だった。445> イギリスは武力で独立しようしたチャンドラ・ボーズとの戦いを無視し、ガンジー系のネールらに独立のバトンを渡した。戦後イギリスはインドの独立戦争はなかったと喧伝したが、インドではチャンドラ・ボーズは「インド独立運動の父」とされている。その独立を後押しした日本軍の指揮者東条英機(1948年刑死)は「インドにとって独立の恩人」と今でもインドに「東条大将の会」があり、又来日したインド要人は歓迎会のスピーチで「インドが今日あるのは東条大将のお蔭です」というショッキングな言葉で始めたのだった。 そして周知の如く法典学の権威パール判事は、東京裁判で全員無罪を主張した判事である。日本の開戦責任についても『不戦条約』に基づき、日本は自衛権を行使したのであって『開戦責任はない』というのがパール判事の主張だった。(『不戦条約』とはアメリカのケロッグ国務長官とフランスのブリアン外務大臣が作ったので【ケロッグ・ブリアン条約】ともいう『何が自衛であるかは、各主権国家が極めることだ。且つ自衛権には【武器の侵略】だけでなく、【経済的脅威】も含まれる』とした。)<東京裁判断行したGHQマッカーサー元帥も後に同じ証言をアメリカ議会、又自身の『回顧録』の中でも証言している。> そして「事後法」であること。<A級戦犯の罪状『平和を犯した罪』、これは「事後法」と言って終戦後、東京裁判の為に創られた法律で裁かれた。> パール判事の判決書は今、講談社学術文庫(前後2巻)に収められている。それは東京裁判でも読み上げられることはなく、裁判後も長期間出版が禁じられてきた。その後もパール判事は『東京裁判は原爆よりも長い間、日本人に害を為すであろう』と語っている。 つまり、安部前首相のインド訪問はそうした東京裁判史観、自虐史観からの脱却(戦後レジームからの脱却)を目指したものだった。安部内閣が倒れ、その意志を継いでくれる政治家はまだ見えてこない。重大な国難がここにある。 このままいけば、日本は歴史にも、文化にもプライドを持てない国に成り下がる。プライドを取り戻す為に、【我々は、東京裁判の『判決』は受諾せざるを得なかったが、『裁判』は受諾したわけではないのである】と言いたいのである。 (以下は以前の産経新聞「正論」欄より、 <サンフランシスコ平和条約第11条の「戦争裁判の受諾」英語では<accsepts the jadgments>である。 【jadgments】は裁判ではなく、判決それもsがあるので諸判決とすべきである。だから【東京「裁判」】ではなく「諸判決」を受諾と翻訳すべき。諸判決とは絞首刑、終身禁固刑、禁固刑でありサンフランシスコ平和条約締結以降、絞首刑された東条英樹他6名以外の禁固刑者計17名は正当な国際的、国内的手続きを経て釈放された。 「靖国神社」に祀られているA級戦犯なる人達(絞首刑された東条英樹他6名)は、昭和27年アメリカとの平和条約締結時迄に処刑された人達である。平和条約締結以後の昭和33年に3000万人の日本国民の赦免署名活動及び国会決議によりA級戦犯なる人も釈放され(現にその中の賀屋興宣氏は後に法務大臣、重光葵氏は外務大臣を務め、日本が国連 加盟を承認された第11回国連総会に日本代表として出席した)、日本国民の平和の為に死んでいきます、という遺書を遺してA級戦犯で処刑された人達も靖国神社に合祀された。以上、産経新聞「正論」欄渡部昇一氏著より> |
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今こそ『愛国心』 日高よし子 2008年11月14日 昨日11/13テレビ国会中継で参院の『インド洋給油法案審議』に付随しての田母神前空幕長の例の論文に関する質疑があった。この「インド洋・・法案」を人質にしての質疑なのですべて野党側のペースで進んでいる。当日は11/11田母神前空幕長証人喚問に出席出来なかった麻生総理に対する為のものだった様だが、どうせの中継ならその田母神前空幕長出席の時の方が余程観たかった。ラジオは?と思ったがやはり放送していなかった。その時の状況も伝えないので物足りない。 田母神前空幕長出席の折角の機会に国会という開かれた場所でテレビ中継させ、論文の本旨としたかったことは何か?という事を説明させる民主主義的な場にすべきだった。なのに当日の国会の冒頭では、先ず『その事』を民主党参議院の委員長が禁じた。日本国の国防を担う空軍のトップへの礼儀として当然にその本意を聞くこと(更迭されたのだから)くらいするのは当たり前ではないか。野党がただ証人喚問して問い詰め、肝心の本旨、本意は述べさせずに、これまでの当人の下士官教育云々を責めるばかり、何故懲戒免職にしなかったのかと。ただの規則違反<外部への論文投稿届出違反>でですよ?。それなら社保庁の人間などもっと罪深い、これまでの怠慢ゆえに不要な国費の出費(通信費等)をさせた。更に職務怠慢行為に留まらず、偽装行為で国民に著しい損害を及ぼした挙句に『時効』とかなんとかで逮捕されず、名前も公表されず、これじゃ『懲りない面々』となるのは目に見えている。それに比べたら田母神前空幕長の件は別に国民に迷惑かけたわけでなし、「届出義務違反」だけですよ。<「村山談話」を否定し、政府の見解に違背>というが、だからこそ解職する前に田母神前空幕長に論文投稿の真意を述べさせ(勿論テレビ中継して)、その上で進退の処断をしてもよかった。なのに11/11の国会喚問では解職した人間を国会に招致しておいて、解職された一個人田母神氏の思想、言論の自由を封圧する権利などない筈である。田母神前空幕長がその類い(真意)の発言をすると、民主党の委員長が制止したそうだ。こういう独裁的な状況は国民に観て欲しくないからこの11日はテレビ中継させなかったのだろうと憶測が深まる。 要は日本国、日本国民の生命、財産を守ってくれる国の防衛力を左右する問題となりそうな事だからである。それにしても例の論文を読んだ者として、田母神前空幕長の国を想うが故の行為(論文投稿)に対する今回の政府の対処に、不甲斐なさを又新たにされたことだろう。そして、野党のインド洋決議を『人質』にするキタナイやり方にもうんざりである。 先日のテレビ『そこまで言って委員会』で田嶋陽子氏の「自衛隊なんか解体すればいいんだよ」発言があったが、この思想そのものが以前同氏が議員時代在籍していた社民党のものであり、民主党の中にも社民党の前身の元社会党(村山富市元首相在籍)出身者が多数いて同じ思想を主張している。もう少し以前にも田嶋陽子氏はこの「自衛隊なんか解体すれば云々・・」の発言をした時、「外交で解決すれば戦争は起こらない」と続けた。外交で解決出来ないから、戦争になるのである。相手国の言う事を何でも聞き容れれば、そりゃ戦争にはならないだろうが、それが日本国及び日本国民の為にならないなら・・・という事を考えて、その外交上の交渉時に於いても(相手への威圧、抑制力として)国防が必要なのだ。 核には核を、持っておかなければ(外交交渉上でも)適わないのは瞭然だ。 アメリカは北朝鮮に核査察の拒否権を与えてしまった。今一番北朝鮮に効果があるのは中国の出方だろう。この流れの中で『日本が核を持つ!』と動けば、絶対中国は北朝鮮の核を廃棄させる方向に動くだろう。このままの現状では背景の『核の力』に負けて日本のお金が北朝鮮に脅し取られるのは目に見えている。言論、思想にも勿論及ぶ。「人権擁護法案」などは北朝鮮の為ものと言ってもよい。しかし、 現在の政界は民主党ばかりでなく自民党にも北朝鮮寄りの議員が沢山いる(国交正常化利権を見込んで)、だから田母神氏の質疑の時にも民主党の「前提」そのままで異議を唱える議員もいなかったのだろう。日本の「核保持」発言も一切出てこない。 日本は核保有国ロシア、中国、北朝鮮に囲まれ、アメリカはオバマ氏が大統領になり不透明。北朝鮮へのテロ国家指定解除を日本の意見を聞かず独断したという現実は日本独自の国防を真剣に考える時機なのに、内向きな議論ばかりで、日本国の防衛の将来設計がまるで観えてこない。今、国民自身が、そのことに重きを措いて考えないと、日本という国はもうどうしようもない国になる。 『日本が核を持つ!』と動けば、絶対中国は北朝鮮の核を廃棄させる方向に動く 教育がそんな体たらくだから、いつまでも日本国民は被虐史観という敗戦国から脱け出せないのだ。この国の不幸は自分自身で勉強しない限り日本の正しい歴史も知らないまま、極端に言えば人生を終えるかも知れないという事。(因みに民主党の輿石議員は日教組のドン、知ってた?)
明治維新を決行した当時の下級武士は20才そこそこの青年達が、日本の将来を憂患して幕府を倒し新しい明治政府を造り、近代国家となった。その文明論は兎も角も、それしか西欧の白人支配、脱植民地国への手法がなかったという英断と勇気からだった。(前回分と重ねて書く事になるが)そこには偏に愛国心が源泉にあった。 結局、田母神前空幕長が言いたかった『本旨』もここにある。自衛隊員全員に愛国心を養わなくて、なんで日本に愛着がもてるのか。イザという時、日本国の領土保全、堅守、日本国民の安全の為に踏ん張れるであろうか。与野党問わず国会議員に日本への愛国心はないのか?左翼議員は『日本人は悪い』という日本人よりもっと悪かったアメリカの置き土産の被虐史観を後生大事に持ち続け、それを日本と戦ったわけでもない近隣国へも伝播させ(中国とは蒋介石軍と日本は戦い、後に共産党の毛沢東には感謝されたほどだ。)、今度はその近隣国の優位性のため被虐史観を日本に行使させている。この左翼党派等は日本有事の時どちらに与するのでしょうね。 そんな人間は国民の税金を受け取る事自体おかしい。国会議員を返上して貰いたい。 又、今回田母神前空幕長は「論文投稿」で更迭までされたのに退職金の事にまで口出しするだけに留まらず、防衛省の各トップの人事権まで『議会』にと暴言にもほどがある。まずもって愛国心の持てない議員などにはその選任者になって貰いたくないし、やはり防衛省内部に熟知した者が選任するべきで防衛大臣が適任だろう。 シビリアンコントロール(文民統制)も愛国心を基本にしてこそのものである筈。 国防を担う、それが自衛隊なのだから。2008年11月15日 2:30:44 |
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