『秋葉原7人殺害事件と共産主義
『北朝鮮との国交正常化を憂慮』 
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『秋葉原7人殺害事件と共産主義』 2008/6/19 日高よし子
  MSN産経新聞のニュースに目を通していたら『秋葉原7人殺害事件』のアンケートがあり
コメント欄にも入力したが字数制限で書けなかった事、
だからと言って7人もの尊い命を奪ったという厳然たる事実の前に『死刑』に処されるべきです】

 そのコメントの概略は下記1.2.3です。
1.マスコミの作った「勝ち組」「負け組」という区分け。
 その中で犯人が自らを「負け組」とその将来迄も括ってしまった。
2.それは価値観としての心の教育を怠ってきた戦後教育という個人主義が、権利意識しか育まず
、自分の境遇、能力の不満、不甲斐なさが、社会や他人への恨みつらみと向かわしめた。
3.現在問題となっている『後期高齢者医療制度』導入の政府の意図が、団塊世代の退職、
これからの少子化を見込んでの税収減であるのに、その貴重な「少子」世代の税収増を諮る
施策を為さず『日雇い』『使い捨て』という派遣労働形態を変えようともしない。
 今年の何月頃からか、20世紀の失敗と言われる「共産主義」を信奉させるような本と映画が
若者間にジワーっと広がっているという現象に、政府は深考して一歩踏み出すべきだった。
(あの事件はそれだけが原因とは言わないが)
 人間を「使い捨て」等という軽い言葉で扱えば、人間の「命」も軽くなる。

 この事件があって舛添厚労相が『派遣制度の見直し』に言及したのがせめてもの救いだが
その内容に期待したい。

もう日本企業もそこそこに業績も回復したでしょうから、
 例えば(社員教育された)派遣社員は雇用後3ヶ月を過ぎれば(仕事の適格が否めぬ以外)
自動的に雇用先の社員にする。雇用主の都合で雇用しない場合は最低1ヶ月分相当の金員を
被雇用者に支払う、等。
 同じ仕事をして目に見える差別は、見えぬ(意識せぬ)負の心の堆積となり、
「嘘」のユートピアを信じさせる下地をつくる。
                 ***************
 その嘘のユートピアの、『共産主義』『プロレタリア革命』戦後の一時期、
日本も席巻された。
労働者の社会実現、資本家の富の独占を排せよ、こういうスローガンの下、
平等社会を目指し国の垣根を超えた『共産主義国家』を造る。
 この理想主義は日本だけでなく世界旋風となった。
 この社会主義国家のその実態は、当該政府の発表公表される物だけという
秘密主義のお蔭で外国の誰も「本当の生活」は知る事が出来ず、それが永い間
日本人の中にも共産主義が蔓延した一因だろう。
 ソ連人の同胞を軽く3000万人は弾圧、粛清で殺害した事が公けになったのは
その首謀者のスターリンも死んだ後の1989年のソ連崩壊後だった。
その「実態」もなんの事はない、資本家と同じいや、それ以上の贅を尽くしていた。

 社会主義国は国民に私有財産を認めず、すべて国有なので配給的にすべて等しく
食物等が与えられる。だからよく言われる資本主義がマシなのは民間人に「金持ち」
が存在できること、と。余剰な富は全て国家という名の官僚、公務員が吸い上げる。
 一党独裁だからその国民の声を吸い上げ代弁する党もない。あっても形だけのもの。
現在もその名残りが残る資本経済を導入した中国、共産主義そのままの北朝鮮、
ミャンマー、皆軍事独裁社会主義政権である。

 以前に読んだ本、佐藤優氏著の『自壊する帝国』の中に、
【『パブリック・マローゾフの様な奴だ』と言うのは、
「出世の為なら家族でも売り渡す人物」という悪口である

 1932年、スターリンは農業集団化政策を強要し、抵抗する数多くの農民が富農(クラーク)という
レッテルを貼られ処刑や矯正収容所に送られた。当時12才だつたバブリック・マローゾフは
父親が穀物を隠匿していると秘密警察に密告し、父親は逮捕される。
 親を秘密警察に売った事に激怒した農民達はパブリックをリンチにかけて殺してしまう。
ソ連政権は親よりも、共産国家への忠誠心を大切にしたパブリックを理想的なソ連人として、
英雄に仕立て上げた。ソ連の子供は99%ビオネールに加盟し「赤いネッカチーフと
パブリック・マローゾフの肖像のバッジを胸に付けていた。】

【「ソ連建国の父レーニンやその一派が共産主義というユートピアを信じていた筈がない。
冗談で革命を行い、全て遊び半分だった。ソ連自体が精神分裂病だ
最初からこの国は狂ってるんだ。」ラトビア人民戦線を立ち上げた中心人物のサーシャは言う。】以上、
同本より。

 人間は権力を持てば皆同じ、ただその程度がどれだけアクドイかだけ。
それでも、時たま奇跡の様にマシな人間が現れて、救世主となり、
人類はここまで永らえてきたのだろう。

『北朝鮮との国交正常化を憂慮』    日高よし子
 阿比留記者のブログに【福田氏の「御前会議」の場で中山恭子議員が朝鮮籍船舶の
無条件受け入れに大反対し、「人道支援」を入れさせたのだということです。現在の官邸に、
中山氏のような人がいなければ、もっともっと北朝鮮に有利なように話は進んでいたのかもしれませんね。
まったく福田という人は…。】とありました。
 
 拉致問題に関して何の進展もない状況で、再調査だけで『朝鮮籍船舶の無条件受け入れ』だったら、
さぞかし福田批判が沸騰、と思わないでもないですが、それをメディアがどう取り上げるかに
かかっていた事を思えば(福田総理退陣に迄は期待薄?)。されば『日本からの積み込み、
人道支援に限り』の文言を入れることが出来たのは、流石拉致にずっと携わってきた
中山議員ならでは箴言でした。
 それにしても、偽の遺骨を出して来た国の、『再調査する』というだけで
北朝鮮人の日本への往来、先程の『船舶』の入港を認めるのですか?

 産経新聞には【今回の協議で約束した事を北朝鮮が誠実に実行に移すかどうか慎重に
見極めた上で、制裁解除の時期や手順を判断する】又【協議では『過去の清算』
『北朝鮮人の法的地位』云々等引き続き協議していくことになった】とあるから、
もうこれは国交正常化交渉も含んでいると言う事でしょう。(この中の『北朝鮮人の
法的地位』ってなんですか?日本に住み日本国籍を取得していない朝鮮人なら『外国人』と
いう以外にないでしょうに。日本がお願いして住んで貰ってる分けではないのだけは確かです。
政府もこのことだけはブレないように)
 ついにパンドラの箱は開けられた、ともありましたが、拉致被害者全員の帰還という
原則は崩さない事が、国交正常化の最低条件
日本人拉致という日本の国家主権を
侵した国のそれが謝罪という行動
である。このことにきっちり対応しない国と国交正常化することに
不安と危惧を覚える。何故ならそれをいい加減に処理すれば、日本はそれを(拉致)認めて
国交回復したと、北朝鮮は受け留める。
 以降において日本国民としてこんな不安な事はない。だから中途半端な妥協はしないこと。
国民の総意に反する国交正常化には反対。もう一度最初の訪朝時に小泉首相と同行した
安部(当時)副官房が小泉首相に毅然とする事を進言したことで金正日が拉致を認めたという、
あの国への対処法を忘れないで頂きたい。

 『国交正常化利権絡み』という言葉をこのブログやテレビでも見るが、そんな一部の者の利権より、
民主国家でないあの国の人間(それこそ金正日の命を持った)が日本往来して
日本人に何を画策するか?
という事を考えると日本の一気呵成の左翼化が憂慮されます。
北朝鮮の隣国韓国の「米牛肉デモ」等はそれを煽っている勢力に北朝鮮は関係ないのか?
台湾も政権が変わった途端、『尖閣諸島は自国領』と中国からの風を追い風に狼煙を上げた。

 前安部政権が誕生した時の『希望』、倒れた時の『絶望』
いつかあれが日本の最後のターニングポイントだったと思うだろう>とその時書いたが、
北朝鮮現政権との国交正常化は(セットになっている「人権擁護法案」と共に)間違いなく
日本の民主主義を後退させることになるでしょう
。それはどういうことか、とよく考えてみるべきです。

 それにしても日本には本当の日本の国益を考える政治家や官僚、含めて公務員
が何故こうも少なくなってしまったのでしょうね。
 下記は 黄文雄氏の『日本人から奪われた「国を愛する心」』より。
【反日教育を受けた中国の若いインターネット世代はネット上で「日本民族を地上から抹殺しよう」「日本を占領し倭族自治区にしよう」「チベット人と同様に自治権を与えてやってもよい。その代わり日本人は中国人の寛大さに感謝せよ」の罵詈雑言が続く。現実的な敵、仮想敵国を現代国家は尚も必要としているのだ。世界は未だそうして成り立っている。日本だけが敵味方の識別が出来ず誰かれ構わず『友好』の手を差し延べている。その区別は軍事面だけでなく政治面でも必要だ。道徳的善悪、美意識敵美醜、経済的利益等も選別の必須条件。敵国の要求に『屈服』することで敵の友になる。この手法を行使、又支持しているのが日本の平和主義者(独に言う護憲派)達だ。上っ面の平和を求めるのだ。(中略)

 かっての学生運動や共産主義運動の様な世界革命呼応の反戦運動は冷戦崩壊後鳴りを潜めたように思えるが、その勢力、思想はまだまだ健在で、特にマスコミ、教育界、法曹界等は形を変えて『反日教育』『ジェンダーフリー』『人権偏重』として行われている。こうした思想潮流によって日本人は次第に『国を愛する心』を失ってしまった。いや、奪われたと言った方が正確だろう。『国を愛する心』を失うとどうなるか?
『国のため』『公のため』という意識が希薄になリ『私』ばかりが肥大化するようになる。倫理観や道徳は失われ、終には国家を裏切るだけにとどまらず、自分自身をも裏切っていくようになる。昨今の親殺し、子殺しの日常化も本当はそこからきている。人間の退廃、教育の荒廃である。(略)護憲派や社民党、共産党、朝日新聞社、進歩的文化人他中国人学者、同留学生、北朝鮮関係者等半世紀以上に亘り日本に巣食ってきた内外の革命勢力によって憲法9条は拡大解釈されてきた。自衛権の交戦権を否定するという事は「生存権の放棄」と同義語であり、自国の防衛が出来ず何かあったら他国の保護を求めなどという国家は既に独立国家ではなく、奴隷国家である。
もしも、憲法9条が日本の武装解除だけを意味するものであったなら、それは亡国にする陰謀だとし化考えられない。もしくは、日本を近隣の反日国家へ売り渡す奸計である。】以上ですが、
 現在のこの北朝鮮に対する日本の動きは『テロ国家指定解除』を進めたいアメリカの意図が背後にあるらしく、とすると日本も覚悟、色んな意味の覚悟が必要でしょう。『自立できない国・日本』は、結局すべて戦後教育(被虐史観)の間違いにある。国家観がない教育は極端に言えば「何のための教育?」と教育者なら自問すべきことである。倫理観と知性の備わった優秀な人材がいてこそ経済発展の向上が望め、国民総生産のアップ、イコール生活の安定に繋がる。そしてそれを国家の発展として誇りに思う。教師にその使命感がなければ本人も虚しいだろうし、生徒も、総体として『国』の不幸である。 
 日本の戦後復興、高度成長はそんな国家意識をもった教育を受けた戦前世代、現在『『後期高齢者』と言われる人達の真面目な勤勉性の賜なのだ。
 黄文雄氏の同書の中に【ドイツの平和主義者G・ピノートの言葉として『平和』の反対語は『貧窮』である。】の記述がある様に、生活安定こそが平和の絶対条件なのである。

 そんな国益を持った外交、教育論を展開する最近の安部氏の講演内容が阿比留記者のブログに掲載されています。日本も未だ希望を繋げると、想えます。下記にアドレスを。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/607302/
『安部前首相の外交論と教育論講演』(2008/6/12付阿比留記者ブログです)

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