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 ページ 甥 子bR  須磨海水浴      

須磨海水浴〔2001.8.28〕
8/28午後1:20分家を出発して神戸の須磨海水浴場へ甥子2人と共に
行って来ました。阪神高速若宮インター降りた左側がその目的地。
2:40前到着して、直ぐに行く前に作ったお弁当を食べて腹ごしらえ、快晴とは言えない
天候の下、見渡せば夏休みの最中とは言え平日のせいか閑散としていて海の売店も閉まっている処がある。携帯のカセットレコーダーのリュートの音(エレクトーン私の曲で演奏も同じく)を掛けていたら鳩が1匹2匹と集まって来て、私が食べている物を遣り始めると知らぬ間に10数匹がレジャーシートを取り囲み
、餌を上げるのに忙しい事。
 私が食べ終えるととにも鳩も居なくなりましたが、その内の一匹が私の前で何やらポーズを
取る如くじっとしていたので、パチリそのワンショットです。
 その後甥子達は写真を撮ったりした
時間を除いては2人共、海に入った侭
出てこず、6時を過ぎて海中にいるのはほぼ甥子達だけ、
貸切の様。         
 
”晩夏の日 明石大橋 須磨の海 甥子2人の 貸切なりぬ ”

 私が座っている砂浜から海までの距離は、目測3〜4メートル程、     
 寄せる波、返る波を目で追う………

 ────
浪がかぶさって来る 浪に呑み込まれてゆく
       浪に浸される                             
       けれども 少しも 冷たくはないし、溺れもしない
────

 目を開ければ 砂浜を間に 海が 隔たってある
私の呼吸と連動する様な海の呼吸の波の寄せ引き、確かに「他物」ではない
私の身体の部分の様な気がする。
 海にいる、その安堵感その侭に、砂浜に横臥わる。
ほぼ180度の視界は一面、空。 空の近さ。
 こんな風に空を見上げた事など先ず無い。
地面に寝転ぶなど。(街で寝転べば、車に轢かれるヨー)

 或る空間から、違う空間へ行くと言う事は
その空間を客観的に捉え見出だす事が出来る───

 見遣る明石海峡大橋を間に本州側と淡路島───
3年前の夏と言っても初夏辺り、やはり甥子達と3人であの橋を渡っていた………

彷彿される当時の想い思い出が鮮やかに甦る。
(「夢幻」及び「夢弦」の追記編に詳しく記した)─────

 ”海水浴 浪にこかされ 涙海 9年前の 甥子は3才”


 9年前甥子は7才と約3才、此の同じ海で2人で遊んでいて、下の甥子が大きな浪に転げてしまい
「わあーん」と泣いたが最後、2度と海へ入るとは言わなかった。
上の甥子は一人で暫らくその侭遊んでいたが、ほど良い頃に海から上がり、
その後は隣にある水族館
、遊園地へ行った。
 そういえば下の甥子と遊園地の遊具に乗っていて友人からのプレゼントだった
サンローランの
サンバイザーを風で飛ばしてしまい、降りてから探したが
見付からず仕舞い、惜しい事をしたと、今又思う。

 あの泣いていた甥子が、現在目の前をクロールですいすい泳いで行く、
身体の細胞の何処にもそんな記憶の痕跡等止々めていない。
 気が付けば私の身長も遂に超された。
2人の甥子は身体ではもう上も横も(身長体重)私を追い越した。
 亡妹の代わりに育てて来て、これで良かったのか?と自問してみる。
未だ未だこれから伸びて行く甥子に、身体の肥大だけでなく、内面性の研磨へ誘導出来る様、
自身の研磨を心掛けたい。

 『 やさしくされると、やさしくしたくなる。
  自分の為だけにした事は、自分が死ねば、それで終わる。
   他のものの為にした事は、その中に残り、増えてゆく。』


 
窮屈な生活空間と眺望的な「原始」の空間………
現在、車で走れば家迄2時間程の距離………

 しかし、この現代と原始時代の時間的距離は?
1万年、100万年、1億年と言われてもピンと来ない。
原点のその空間を見る、聴く自分自身のその眼、その耳は
「原始」のものだと認識出来る。
 
海と空、それだけあればいい。

  
”何もない ひとつ 海 空 原始人(びと) 紺碧の海 紺青の空”

 彼方水平線の目印の如く、幾隻もの船が視界の左側から右側へ消えて行く。
視線を運ぶ私の存在等、勿論知る筈もなく………
   
”海と空 区切って 船は 水平線 ”

 やがて遠く、明石海峡大橋の支柱の点滅燈がその照度を増すと共に、
後方夕焼けの色も
その赤さを増して来たのを潮時に、帰り支度となりました。

  ”海水浴 僅かとなりし 夏休み  明石海峡 落日間近 ”

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