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私の亡妹(平成5年死亡)の子供です。←平成14年11月23日私と一緒に紅葉狩り行った箕面の滝の前で。 左が当時中学1年生、右が当時高校2年生の甥子です。 当時身長がほぼ同じ位でしたが、現在上の甥子は下に抜かれてしまいました。 |
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2008/9/23(火) 『見えないものの力』 今年高校を卒業した下の甥子が勤務している会社の見学会があり参加した。 広い工場なので各部署への移動はマイクロバスが使われたが、敷地内は処々に植樹がされていて緑葉に心和んだ。又その途上に立て看板もあり、それには【ゴミ拾う あとには残る 心の美】と書かれていて、その主旨と表現力に感心した。もうひとつ極めは、昼食を頂いた社内の食堂に面したミニ日本庭園。均整と風格ある松、その横に松の高さの4分の1位の山型の石。もう一ヶ所にも見事な曲線の幹の松、その横には同じく台形の様な石。「秩序」と「自由(個性)」と名付けたくなる松と石の組み合わせだ。この2ヶ所の間には見落としそうな小さい石橋が懸けられている。その下の水の流れの中(丁度『曲線の松』辺り)では眩しい日差しに水浴びする雀や、水の中を出たり入ったりする雀に、暫し私の目を遊ばせる。時の吐息の如く、ゆらり木の葉が一枚落ち、反作用の如く、雀が飛び上がる。シーソーのよう・・・・。(窓)ガラス面に隔てられた此方とは別世界の自然界では、変わらず調和が保たれていることに安堵を覚える。 ”木の葉 落ち 雀飛び 立ち 秋日和” よし子
今度龍安寺の石庭に行ってみよう!と思わせた広告の『言葉の力』。 人のこころの一角をどっかりと占拠している。2008年9月24日 23:58:22 |
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2008/5/29(木) 甥子は2人とも社会人に 2年振りの書き込みですが【今日という日】や【私のフォトスケッチ】に墓参の時のことや写真を掲載しています。下の甥子はこの3月高校を卒業し4月から新社会人として勤務しています。社食があるので私も弁当作りを「卒業」できました。高校3年間はグリークラブで正月とお盆以外休みなしの練習の日々だったですが、とても充実していたと思います。その頑張りのお蔭で1、2年の時は全国コンクールに出場出来、加えて最高位の金賞の栄誉を授かる経験をする事ができました。甲子園の高校野球の開会式にも他の高校のグリーと共に出場し開会式の歌を合唱しました。本当に貴重な思い出ばかりで、誰でも経験できるものではありません。それは偏に生徒を引導してくださったT先生を筆頭に諸先生方の御尽力の賜と感謝しております。 幸いなことに入社した会社にもグリーがあり週一回の練習のお蔭で、「喉を枯らす」事にならなくなり安堵しているところです。『刀も使わねば錆びる』と言いますから。 それにしてもやっと一人前となり私も肩の荷がおりたというのが実感です。下の甥子が満一歳以降の養育に携わった18年間の日々を思えば、それだけでも私の存在の意義はあったと思えます。(現在当【445(よし子)のページ】の詩歌集「夢幻」公開ページに一部その事を記していますが) |
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2006/3/10) このコーナー久しぶりの書き込みです。 <今日という日>1/23付の【母永眠】に掲載の様に甥子の祖母が亡くなりましたが、それに書いている上の甥子は現在20才。最近やっと仕事が見つかり短時間てすが勤務しています。おとなしいですが、素直でやさしく私の母の介護時は手伝ってくれて本当に助かりました。幼少時ほとんど祖母に育てられ、その頃買って貰ったうさぎの縫いぐるみは今もベッドの友ですが、祖母が亡くなった時はそれを居間に座らせ祖母を偲んでいるかの様でした。若いのに<受けた事>を<返す事>が出来て後の人生に悔いの種を蒔なかったのは、誰にでも出来るものではないと思います。 下の甥子は現在16才。この4月から高校2年生ですが、テストも終わり終業式迄の休み(春休みになってもでしょうが)の今日もクラブに行っています。小さい頃から音感の良かったこの甥子はグリークラブでこの1年間、学業以外はほとんど練習ですがよく頑張ってきました。中学校でもですが卓球クラブも約3年間貫徹し、立派なものです。有意義な青春時間を与えて下さった教師の方々にお礼申し上げます。振り返ってみれば、私はこの2人の甥子にはとてもかなわないと改めて脱帽です。 |
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2004/8/6 永い事書き込みしない間に、上の甥子は今年高校を卒業しました。少しアルバイトらしき仕事をしていましたが、現在は求職中です。それでも、仕事に行っている私に代わって家事の一部を嫌がりもせず担ってくれています。ま、今は夏休みなので下の甥子もいるし分担しているようです。下の甥子は早々と宿題をやり終え現在、私が買ってやった 山本有三の『路傍の石』を読んでいる処です。来年受験なので宿題を終えたからといって勉学から解放される状況ではありません。 「滑ったら働かなあかんねんで」、「分ってる」。 ゲームはする時間を決めているので、それ以外の時間はプラモデルを作ったりしています。ほんとにガンバレよ!です。 |
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2003.5/1 私の亡妹(平成5年死亡)の子供です。上が高校3年生、下は中学2年生です。 上は小さい時から図鑑をよく見ていて生物の事に詳しいです。いま飼っているキャバリア犬「コスモス」の面倒も一番みてくれます。 下の甥子は卓球クラブに入っていて、毎日授業後練習があるのですが頑張っています。土曜、日曜もある時があるんですよ。お蔭で入学時ブチュと太り気味だったのにスマートになりました。 |
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下の甥子と犬のコスモス。 トップへ戻る |
ゴッホという名前は知らないものがない位有名ですが
産経新聞のゴッホ紹介の絵を見て(特に印象的だったのは<ローヌ河畔の星空>)
出不精の私も兵庫県迄出かける気になりました。
高校生と中学生の甥子を連れて行きたくて祝日に行きましたが、
県立美術館に到着して先ず驚いたのは、入館を待つ人の行列。
そして、やっと館内に入っても又、列、行列の人の波、
展示場にやっと、やっと入っても同じく人の山盛り────
それでも、その山盛りの侭動きつつ、ゴッホの絵筆の鋭線、色調、油絵のぎらつく「油」部分を敢えて強調した作品等に圧倒され
(その「油」は『花瓶の花』では宝石の星の煌めきの様に使われていて、「煌めき」というものの原始的エネルギーに思及しました)
そんな絵を目の当りにしていると人の群れも眼中になくなり、
ゴッホの生身の筆跡をこの目で何度もなどっていると、それだけでもゴッホの一端に触れたようで、100年前のその時代のゴッホと
向き合っている自分自身に感激しました。
「花瓶」の絵の数点、傾いたり、割れていたり、その当時のゴッホ自身の象徴の如く、それがアルル移住以降の『花瓶の花』では
花瓶は安定して、又画風もアルルの陽光の様に明るく、ゴッホの充実期がうかがえます。
展示にはなかった『アイリスのある花瓶』は、この館内で買ったポストカードで初めて見ましたが、バランス性のあるゴッホの
透徹した静謐な心世界、この世とは一線を画した「死」への覚悟と、「再生」への願望が読み取れ大好きな絵です。
ゴッホの作品は未完成的な処が魅力ですが、この絵は「完成」された秀逸作だと思います。
展示絵画の横の案内文で印象に残ったのが、「芸術というものの思想性の反映」とミレーの種まく人に傾倒したゴッホが
「自然を超えた作品」と評した言葉です。
私などは到底ゴッホの絵画の審美眼には及びませんが、
人間のその「種蒔く行為」自体が、植物にとって太陽光と同じく生命連繙の行いであると、ミレーの主題の着眼点には共鳴できます。
『花咲く桃の木、モーブの想い出』にはゴッホの芸術観、死生観が汲み取れ、恩師モーブ、ゴッホの弟のテオいなくして
「作品は存在しなかった」という謝意と、芸術の伝播性をおおらかに歌い上げている処に惹かれ、複製紙を購入しました。
もう一枚買ったのが『ローヌ河畔の星空』。
【昼間の当たり前の明るさが、徐々にライトダウンしてくると
やがて薄桃色にやさしく空が染め上がる。
しかしそれは夕間暮れのほんの一瞬のこと………
すぐに手の平を返したように闇色のマントが拡がる。
そんな時────車で走っている遠く前方に、ポツリとポツリと民家やマンション
の部屋の灯りが点るのが目に付く────
その時の安堵感を、何と説明出来るだろう………
───── * ──────
それは昼間、信号待ちをしている車の前を横断して行く人達、又街路を往来する無数の人達、
他人という無関係な人が私の視界を幾ら埋めようとも、ただの時の「流れ」のようなもの。
それが地下への階段を一段一段下りていくように光が絞られていき、やがて地底の暗闇に「触れる」と、『 』のだ。
その「夜」の彼方に、たとえ微かな光でも見付けるということは、そこに私だけではない「誰か」が存在している事、
全く見ず知らずの他人でも「私の存在」への橋を懸けられる可能性を持てるという事なのだ。
その遠く瞬く民家の明かりの下、実際はたった一人の、或いは数人の食卓かも知れない。
しかしそれから受ける灯りの下は、いつも「団欒」のイメージがある。
明かりは「暖かく」、それは心を和ませる。】
自分自身がこの『ローヌ河畔の星空』に惹かれる理由を考えていて、以前想った事を思い出しました。
絵の説明に依ると【ゴッホが亡くなった年の1890年作で入院中のスケッチだが
この絵の中の北斗七星は北半球でしか見れず、実際にはない】。
その北斗七星を点在させたのは、「凍れる北半球」だったゴッホの心ゆえでしょう?
入館の為行列する人の「熱気」は何故か?
間違いなく言える事は、「笑いたい為」に並んでいるのではないという事。
日本に憧れ、夢見たゴッホ。その日本でゴッホの人気が高いのは、激しく一途な芸術魂と、その悲劇的生涯故でしょう。
ということは、ゴッホの苦悶、悲しみの底から立ち上った仄青い火、誰もがその火に「点火」されたくて順番を待っているわけです。
ローヌ河畔の水面に映える灯のように、心の水面の灯(魂)の「存在」を確かめるために………
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当地に車で到着して直ぐに美術館の近くの埠頭へ行きました。(たまたまですが、そこでお弁当を食べ
、トイレをお借りしましたが
ペーパーまで備え付けられている事に神戸市のサービス精神と共に、結局は市民の公共意識の高さに感心しました。)
震災後に各都市から寄贈されたという「政令指定都市の森」の中に、
約1メートル毎一直線にコンクリートの柱が並んでいましたが、
何のモニュメントでしょう?
一体の広い空間に、暫し心の羽を一杯に拡げることが出来ました。
高校が西宮にあったので、時々神戸の友達と三の宮のセンター街や花時計等に行ったことがあります。
ですからメディア等で見た阪神大震災の惨状は、私の心の石組みが壊れるほどのショックでした。
【♪………
……… 真直ぐ伸びるのか 曲がって咲くのか
それでいいのか 悔やみはしないか
人の一生 花火の一瞬
燃えてしまうなら 消えてしまうなら ♪】
「一瞬の」 作詞 日高よし子
大震災のあった夏に創った詩です………。
周辺何もかもが新しく、まさに新生神戸の街。
今度ゆっくり神戸巡りしたく思っています。
(2002/10/18 にゃこリンの夢現シリーズより) トップへ戻る
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