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パチリ私のフォトスケッチ 墓参京都 photo著作 日高よし子 ![]() 2006年4月6日更新 ![]() |
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正月、春秋の彼岸、ゴールデンウイーク、お盆と年に4〜5回は墓参の為京都へ行きます。此処に掲載の写真は平成13年から平成18年に撮影したものです。 以下は <これまでの墓参記>【今日という日】へリンク ・平成18年3月 「彼岸の墓参」 ・平成16年8月「墓参寺」「七彩の虹」「嵐山」 ・平成16年1月「墓参と露店」 ・平成15年8月「日本の京都」 ・平成15年3月「ひがんなり |
去年(平成17年12月)亡くなった母が生前父の13回忌の年、昭和52年に京都に墓を建立したお蔭で京都とはすっかり縁が深くなりました。元はと言えば、私が若い頃よく京都へ行っていたので、母が「後の後」を考えてこの地を選んだのです。その意味でもしっかり墓守をしなくてはと、思っています。 |
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大阪寝屋川から車を走らせこの東寺に行き当たると 京都へ来た事を実感します。 (略) ”東寺から 新幹線くぐり 菩提寺へ” 何世代もの風景を見て来た 五重の塔 何世代もの人が見た、五重の塔 すべて手作業だった職人さん一人一人の思い入れの 密度の分が、現在も尚「時間の鎮し」となってビクとも しない。私達は死後何も遺せないが、遺せるものがある。 日本という国の「五重の塔」を築いた職人さんを仰ぎ見る。 ”五重の塔 寡黙に座して 千(1000)年や ” (夢幻より) |
(略)五輪塔、長方形、お地蔵様、三基がびっしり立っている。 この強固にして黙して語らず、変わらぬ墓石も、日本の遺物でろう。 楓(かえで)の木々と葉に囲まれ、緑陰に真夏の陽射しも吸収される感がある。動かし難い「死」というものを見詰めて来た、日本人の永さを、私も見詰める。 (夢幻より) <興正寺> ↓ |
以下は詩歌集「夢幻」より ・墓参坂 ゆく人 かえる人 彼岸 ・墓参段 一段 一段と 蝉の聲 ・彼岸なる 彼方より 来る 春のいき 木々の末裔 墓石に柔き手 ・墓の塵 禊ぐ わたしが みそがれて |
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↓下の甥子と、三年坂を背景に。この下が墓参寺です。 | ↓渡月橋をバックに桂川で涼水。↓ |
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帰路に通る七条通の柳 → 川の流れも 風のままよと 柳は さくよ 枝垂れ 枝垂れて 柳は ゆうよ 堕ちない 堕ちない 柳は さくよ |
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↓東山三十六峰の一山、さながら季節の彩りのパノラマ絵。 ”新緑の 原始の懐 墓参道 ” |
![]() 此処からは平成17年5月です。 いつも車が渋滞している五条通の義経と弁慶像 |
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まさに、命紅いつつじと、→ 新緑の楓↓です。 |
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"あたらしき みどりかえでか わが墓石" (掃いているのは下の甥子) |
" 渡月橋 月も わたりて 嵐山 ↓ 新緑(しんりょく) 真緑(まみどり) 深緑(ふかみどり)” |
”” ” ” 。![]() |
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←平成13年8月撮影墓参寺境内の樹、ユニークでしょう? |
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平成18年3月撮影 上と同じショットですが、右側の木が大きくなっています。甥子達も同じく5年分成長して現在、 上の甥子は20才、下は16才です。 (今年の誕生日がくれば又加齢されますが) ↓ |
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<今日という日>に詳しく記載←クリック |
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今回は電車で墓参。 ”車より 京阪特急 速かったー” 五条駅を降りてからはデジカメを手に持ち裸木の街路樹、 通り沿いの家の端麗な鉢植え等をパチリ、パチリ 「古(いにしえ)の息遣い」 大通りを車で走り抜けたのでは分からない、歩いて感じた 京都の肌触り。それは古(いにしえ)のたゆまぬ息遣い。 |
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<ここに掲載の写真、無断で撮りました。 |
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京都でなければ見かけない店(家屋)です。 | ||
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♪「祇園小唄」の、だらり帯。いいタイミングでした。↓ | 今頃は桜が満開でしょうか。 | |
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三年坂を見上げて。 | 墓参寺興正寺の桃の花 ”春分れ いまが満開 桃の花 ”↓ |
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”彼岸段 明けき裸木の 含羞や ” いつも階段上を鬱蒼と覆っている葉をすっかり落とした 裸木が羞かし気にその身を晒している。↓ |
これは平成16年夏の撮影、甥子も、 木々の葉も若さ盛もりです。 ↓ |
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私と上の甥、約40才違いです。 未だ未だ若いが唯一日高家の血筋引く甥。↓ 「その後の後」までを切に願う |
”墓参段 上がり 天から 枝垂れ梅 ” 本当に今日はいい時に来たと思える程、↓ 白梅、紅梅も 満満開。 |
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右の仮設舞台の後方には桜色の梅の花?が満開 ↓ (寒桜かも知れません) |
高台寺辺りで若者達のダンスショーがあった。 (NHKでも取り上げられた小袖の和服を着た女性のダンスショーも 掲載していたのに今回このファイルを再見して無くなっているのに気付く) |
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↓「ねねの道」に行き遇い一瞬、時代が逆戻りして「ねね」さんが(豊臣秀吉の奥方。秀吉死後の晩年の住処が高台寺) ↓ 鐘を撞き、ひとりその道を歩いて来そうだった。私が400年後を予測出来ない様に、当時のねねさんからは想像も出来ない 現代の賑わいの中、当時の静寂さをたぐり寄せた。 ”鐘の音 ただそれだけの ねねの道 ” |
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![]() 高台寺の鐘楼が見える。 |
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「東山 花灯路」に豪華な生け花の、生命の賛歌!↑ |
歴史の都、京都だけあって「日本の家屋」多い中 異彩に目を引く明治時代の西洋館(円山公園近く)。 ↓ 現在はレストランになっている様です。 |
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←「うぐいす廊下」で有名な智恩院前迄来てしまった。 | |
車が走り抜ける道路があったが、道を戻り車の走らない路を 折れて歩を進めると円山公園地下駐車場入口辺りに出た。 |
頂度「花灯路」の灯が点り、その先は八坂神社を仰ぐ 四条通りだった↓ |
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