鞍馬・貴船2

2000年5月30日

牛若丸の守り本尊が祀られていた川上地蔵堂。

近くに、牛若丸が住んでいたといわれるところもあった。

牛若丸は7才から10年間、昼は学問に励み、夜は毎日奥の院まで出かけて兵法修業を重ねたといわれています。

牛若丸

みどり深き山です。牛若丸もこの道を通って、兵法修業を重ねたと思われます。・・・・しかし、むちゃくちゃきついぜ!そろそろ、足が痛くなってきた。つま先上がりの道、九十九折り参道、何百段もの石段・・・・あ〜つらい!

転法輪堂というのがあった。御先祖に感謝の祈りを捧げる道場だそうです。

翔雲臺という石があった。

ここから北方守護のため、はるか遠くを眺めるためのものらしい。

変な狛犬と思ったら何と猫顔・・・・・???

本殿金堂の両脇にあった。

金堂の人にたずねたら、これは狛犬ではなく虎だそうです。・・・猫顔に納得!

本殿金堂に向かって左の虎

よく見ると結構かわいい顔してるぞ!       

あれっ・・・・

よく見ると口閉じている。

右に注目!!

ひとりで歩くと結構小さいことに気がつく。

こういう散策も楽しいですね〜

本殿金堂です。後ろは崖のため、これ以上バックできなかったので、写真にこの両脇にある虎が入りませんでした。

本殿金堂に向かって右の虎

口開けてる・・何故??

またまた金堂の人に質問!阿吽(あうん)の虎というそうです。「阿」は口を開いた形で物事の始まりを、「吽」は口を閉じた形で物事の終わりを意味し、「阿吽」で万物すべてを表すということです。

与謝野晶子・鉄幹 歌碑

がありました。

左は瑞風庭という小さな庭園ですが、書いてあることが面白い。下のように書いてありました。

冬柏亭(与謝野晶子先生の書斎)

与謝野晶子は何度も鞍馬を訪れて多くの歌を残しているそうです。

この庭は、650万年前、人類救済のため護法魔王尊が金星より鞍馬山に降臨せんとする様子を表現してあるそうです。

どこからみても普通の庭にしか見えなかった。

牛若丸が喉の渇きを潤した「息次ぎの水」だそうです。

霊宝殿からの眺め!よくぞここまで登った。

この霊宝殿には鞍馬山の自然博物館があった。

重要文化財の「木彫聖観音菩薩立像」は、」中国の美女を思わせる風情で魅力的であった。

ひえ〜まだまだ登りだ!

死にそう!

めちゃくちゃ歩きにくい道になってきた。

ひざが痛い。

奥州へ下る牛若丸は鞍馬山と名残りを惜しんでこの石と背比べをしたそうです。柵の中の石です。

何・・・これより奥の院へと書いてある。

また登り・・・・・絶句

上に見えるのは奥の院ではないよ。

奥の院への登山口みたいなものです。

奥の院については次のページで紹介します。

「奥の院魔王殿」までまだ20分以上この坂を登らねばなりません。この「奥の院魔王殿」・・・名前からしていわくあり気ですが、御本尊は宇宙人!(?)らしいです。

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