keep silent


 日々、己に厳しく。私利に走ることなく常から固く戒めをもち。それこそが騎士としてあるべき姿。
 誰がそんな事を言い始めたのだろう。



 最近の赤騎士団長はどこか覇気に欠けると、そんな噂が出始めたのは当の赤騎士団からだった。しかも隊長格の幹部たちの間からである。
 三色ある騎士団の中で特に身軽で紋章の能力に長ける者が集う赤騎士団においては、他の騎士団と比べあまり勇猛な感は無い。しかしその実、彼らもまた騎士として間違えようの無い気力と誇りを胸に秘めている。
 そんな赤騎士団において団長の座を極めたカミューもまた、一見柔和な外見をしているのだが、実際の所剣技においては騎士団でも屈指の実力で、戦闘にあれば敵に恐れられる程の覇気を持っている。
 そのため、若くして団長の座にあろうとも彼は充分に赤騎士たちから忠誠を捧げられていた。
 そんなカミューが、最近ひどく疲れている様子で、それまでの彼ならば自覚があれば上に立つ者としてそれを上手く覆い隠して、部下に悟らせるような羽目にならないものを、どうやらそんな疲労を隠すことも忘れているような有様なのである。

「カミュー様はいったいどうされたのでありましょうか」
 空前絶後の出来事に赤騎士団の幹部たちは動揺を隠せないでいた。
 カミューとて人の子。何かに想いをとらわれ悩む日々もあろうが、これまでが完璧すぎたためにその綻びが目立ってならない。しかも誰一人としてその原因に思い当たれないのも彼らの動揺を深くしていた。
 騎士団で何か衝撃的な事件が起きたわけでもなく。また他国との関係も今のところという限定付ではあるが和平状態にあり、戦闘も少ない。いったいカミューに何があり、何を考えているのかまったくもって不明に尽きた。
 しかし、ただひとつだけカミューを取り巻くものにそれらしい要因があったのだが、あまりに単純すぎて誰もが口にするのを憚っていた。ところが、隊長の一人がついうっかりと言った態でぽろりと零した。
「恋愛……でありましょうか」
 するとまた別の隊長が直ぐに反論を返した。
「あのカミュー様が恋愛でああも不甲斐無いお姿になると言うのか」
「不甲斐無いとは何だ。その発言は失礼に当たるぞ。情けない、くらいにしておけ」
「それもどうかと思うが……しかしあのカミュー様が恋愛などでああなるとは考えられんな」
 その言葉に皆が頷く。
 事、恋愛に関してはあの赤騎士団長ほど世慣れた男はいないと言えた。
 その秀麗な顔立ちに洗練された立ち居振る舞いは、社交界の花を摘み取るのになんの妨げにならず、どちらかと言えば花の方が自ら彼の手に手折れてくるほどである。そして幾多もの恋を重ねて、別れてはまた新たな愛を探し、とその華やかな噂は絶えなかった。
 そんな男が今更恋愛で悩むと言うのか。
 しかし言い出した隊長は「だが」と首を傾げた。
「カミュー様もそろそろ結婚を考えてもおかしくは無い筈だが」
「結婚!」
「カミュー様が結婚だと!?」
 それこそ考えられないと、そこにいた全員が上官に対して無礼極まりない態度を取る。
「在り得んぞそれは。カミュー様に限って結婚! この二つが結びつくなど、もしあったとすれば城下のどれだけのご婦人が嘆くか怒るか分からんではないか」
「全くだ。みだりにそんな言葉を口にするものではない。もし噂にでもなって見ろ、赤騎士団はご婦人とその父君の抗議文の対処だけで執務が終わってしまうではないか」
 つくづく、そちらの方面では部下に信頼の無い赤騎士団長であった。
「それでは何だと言うのだ。よもや、今になって本気で愛する相手が出来て、あの年で恋煩いでもしているなど、それこそ在り得ないだろう?」
「寒い事を言うな。青騎士団長のマイクロトフ様がそうなるのならともかく、あのカミュー様だぞ? そんな恋煩いをしている様など、想像すら出来ん」
「確かに」
 一同がうむ、と深々と頷いた。
 だが、彼らは自分たちが図らずも的を得ていた事に最後まで気付けなかった。
 赤騎士団長カミューは、その年で、今更になって、本気で愛する相手に告白も出来ずに延々と恋煩いを続けているのである。しかもその相手と言うのが、偶々会話の引き合いに出された青騎士団長マイクロトフであるとは、それこそ誰も気付きようがなかった。
「しかし問題は、このまま待って何とかなるものならともかく、もしかすると悪化して行くかも知れぬと言う懸念だ」
「あぁ、何とかして復調していただかねば赤騎士団全体の士気にも関わる。どうにかせねばなるまい」
「だが我々がいくら問い詰めたところで、カミュー様が答えてくれるとは思えんぞ」
「とすれば我らが頼るのは一人しかおらんではないか」
 顔をつき合わせていた面々は同時に一人の顔を思い浮かべた。
「では私が青騎士団長殿にお願い申し上げてこよう」
 一人が手を上げてそう宣言すると、素早く視線が行き交った。
「頼めるか。だが内密にな。決してカミュー様には悟られるなよ」
「大丈夫だ。幸い私には青騎士団の隊長に知り合いがいる」
「そうか。では頼んだぞ」
 そして頷きあった彼らは、ただ一人カミューに意見出来る男に全てを任せようと、神頼みにも似た想いで何とかしてくれと密かに願うのだった。

 しかし唯一の望みだった男、マイクロトフは「俺でも力になれないようだ」と出向いた赤騎士に深々と詫びた。
 共に騎士団に入団した縁から、彼ら二人の交流は長い。団を超えて、互いに騎士団長となってもそれは変わらずいっそうの友情を深めていた。だからカミューにとってのマイクロトフとは誰よりも信を置け、何よりも安心出来る相手と言えた。
 そのマイクロトフが、不調のカミューになんの働きかけもしていなかったわけがなく、それでもカミューに何の変化も無くそれどころか悪化しているという現在は、そのマイクロトフの力が及ばなかったことを示していた。
「カミューは、あれでとても頑固者だからな」
 赤騎士を相手にマイクロトフは苦笑を浮かべてそんな事を言った。
「俺がどれだけ何があったと聞いても、カミュー自身が言わないと心に決めた事は、絶対に洩らしてはくれない」
 だからこそのカミューであるともマイクロトフは思うのだが、赤騎士は今ひとつ納得出来ない様子だった。
「ですがカミュー様も、周囲がどれだけ案じているかをお知りになれば、そして我らがその憂いに少しでもお力になれるとお分かりになれば或いは」
 根気良く説けば打ち明けてくれるのではないかと。だがマイクロトフは緩やかに首を振った。
「カミューが、カミュー自身に誓った沈黙ならば、それはあいつにとって神に誓うものよりも神聖で犯せないものだ。周りがどう言おうと決して覆されることはないだろう」
 例えそれが俺でもと、マイクロトフは付け足した。しかしその表情には打ち明けられない事への不満も焦りも無く、赤騎士はそんな青騎士団長の態度が不思議でならなかった。
「ではカミュー様がご自身で解決されるのを、ただ我々は傍観せねばならないのですか」
「そうは言わない。カミューもそこまで愚かではない」
 マイクロトフは少しだけ笑って首を振った。
「俺たちが心配しているのだと告げるのは構わないし、それがカミューに通じないわけはない。それはあいつだって分かっているし、何とかしようとは考えてくれる。ただ理由を言わないだけだ」
 その理由こそを知りたいのに、マイクロトフは赤騎士が思うよりも気にしていないようだった。だが次のマイクロトフの一言に赤騎士ははっと目が覚めるような思いになった。
「カミューを信じろ」
 マイクロトフはカミューを信じているのだ。
「あいつの沈黙は、俺たちを信用していないからではない。言うべきことではないとカミュー自身が判断したからだ。だから信じろ」
「マイクロトフ様」
 赤騎士はマイクロトフの言葉に感銘を受けた様子で、深く頭を下げた。何とも赤騎士一同不徳の致すところであると。
「どうやら我々が焦りすぎたようです。仰せの通り、カミュー様を信じましょう」
 そんな赤騎士の言葉にマイクロトフは頷いて見せた。だが最後にふと苦笑を浮かべて言った。
「だがカミューが頑固すぎて見ていられなくなった時は、俺が馬鹿力で叩き折ってやるからな」
「期待しております」
 赤騎士は笑って青騎士団を去ったのだった。



2 ← 3 → 4

2002/05/04