get free of mind
自ら科していたのは戒めの鎖。それを解き放つためにある鍵は、ただ一人だけが持っている。決して使われる事はないと、そう思っていた鍵だった。
何故ならその唯一の人は、鍵の守人である自覚などなかったのだから。たとえそれを使える唯一絶対の権利を持っていても、鍵の存在を知らなければ使われるわけもない。
それに、もしその人がそれを知ったとしても、使う前に捨ててしまうと思っていた。
マイクロトフの瞳は相変わらず深い漆黒で、そこに偽りや虚ろな翳りはなかった。だからこそ、彼の言葉には重さがあり、真実として胸に届くのだ。だが今回ばかりはカミューもその言葉の意味に裏があるのではと疑い、急には信じる事が出来なかった。
「え……?」
小さく声に出して聞き返す。するとマイクロトフはよりいっそう瞳に深みを帯びさせてカミューを見つめた。
「俺は、知っていると言ったんだ。おまえが俺に恋情を抱いているのだと、ずっと前から知っていた」
刹那カミューは泣きそうになった。いや、そうではなく怒鳴りそうになったのだろうか。どちらにせよ意識する間もなく理性の箍が弾け飛んだ気がしたのだ。
「マイクロトフ!」
叫んでもマイクロトフの瞳に揺らぎは生まれない。
「マイクロトフ、おまえ……っ」
カミューは左腕で自分の頭を抱え込んで喚いた。
「知っていて…? 知っていておまえは俺に……あんな……!」
カミューが泣きそうに顔を歪めながら言及するのは、マイクロトフの想い人の話である。あの日、確かにこの男はカミューに向かって好きな相手が出来たと言ったのだ。その相手の名さえも教えてくれなかった。
あの時、マイクロトフがカミューの想いを知っていたと言うのなら、なんと言う仕打ちだろう。一瞬でカミューの目の前は赤く染まった。もとより酒精でぐらついていた思考が益々混迷に惑う。そしてそこへ、またもマイクロトフのいっそ冷淡なほど静かに聞こえる声が響く。
「あぁ。俺は知っていて、そしておまえの反応を見ていた」
カミューが言葉をなくす。そのさまに何を覚えたのかマイクロトフが口の端を吊り上げて笑った。
「俺に、気付かれないとでも思っていたか? おまえはもっと自分を知った方が良い。いつも冷静を気取っているが、本当は戦闘好きで負けず嫌いだろう?」
そしてマイクロトフは不意にそれまで絡ませていた視線を断ち切って顔を背けた。
「烈しい性格をしているくせに、それを隠し通そうなど無理に決まっているだろう。カミューの目は、いつも俺を見ていたからな」
そして一度瞬いて、吐息を落とした。それから再びカミューを見詰めて言った。
「いつも、おまえの視線に含まれていたんだ。俺の全身を絡め取るような熱くて、焼け焦げそうなものが……」
マイクロトフは目を離さない。そしてその瞳に宿り始めたものに、いつの間にかカミューは引き込まれ始めていた。
「それで、俺はいつも、身体や心を焦がされていたんだ。ずっと、夢に見るほどに、意識せずにはいられなくなるほどにだ」
「……マイクロトフ」
「今、教えてやる」
マイクロトフが微笑む。それをぼんやりと見ながらカミューは彼の言葉を聞いていた。
「俺が好きになった相手は、カミューだ」
「嘘だ」
開口一番にカミューはそんな事を言っていた。途端にマイクロトフは苦笑を浮かべて手を振った。
「カミュー。もっと他に言い様があるだろう」
「だってマイクロトフ。そんな嘘みたいなこと」
「嘘ではない」
きっぱりと断じてマイクロトフは今度は少し怒ったような顔をした。
「なぜ俺がこんな事でおまえに嘘をつかねばならんのだ」
「あぁ、それもそうか……」
つい納得して頷くが、しかしにわかには信じられずカミューはまた否定するように首を振った。
「だけどマイクロトフ! おまえそんな素振りなんて少しも……!」
カミューの意識の中では、マイクロトフと言う男は潔癖で恋愛沙汰に疎く、女性と会話をするのにも苦労をするのだが、それでも彼の恋愛対象は男ではなく女だと思っていた。思慕の対象が男に向けられるなど在り得ない、考えすらしないに違いないと思っていたのだ。
だから好きな相手が出来たと聞いても相手が女性だと信じて疑わなかったカミューだった。それに、噂はあれっきり囁かれることはなくなり、マイクロトフ相手に何よりも気鬱だったその話題を持ち出す事はなかった。
またマイクロトフも「好きな相手が出来た」とは言ったが、先のようにその相手も教えてくれず、話はそれきりとなり、密かにマイクロトフの想う女性はどんな人なのだろうと、針で刺すような小さな痛みを胸に覚えていただけだった。
「秘密だと言っておいて、それを明かすような事をするわけがないだろう?」
「そんな、マイクロトフ……」
意地悪なマイクロトフにカミューが何とも情けない声をあげた。だがマイクロトフは変わらぬ真面目な顔つきのままである。
「俺はなカミュー。いつかはおまえが自分の悩みを俺に打ち明けてくれると思っていたんだ。なのにおまえときたら内に溜め込むばかりで一向に俺に何も言ってこない」
「…言えるわけないじゃないか」
むっつりと怒ったようなマイクロトフの物言いにカミューは首を振る。だが男はそれこそ「何故だ」と首を振って返した。
「おまえが苦しんでいた原因は俺だろう? 俺は、当事者じゃないか。何故言えない」
「だって……そんな…てっきり俺は」
「俺に嫌われるとでも考えていたのだろう」
言い当てられてカミューは言葉を失くして俯いた。その通りである。こんな常識から外れた想いなど、抱いていることさえ知られてしまえば途端にマイクロトフから嫌悪されると思っていた。
しかしマイクロトフはふんと息を吐き出して腕を組んでみせる。
「見くびられたものだ。俺はそんなおまえの心をとうに知っていたが、少しもおまえが嫌いになどならなかったぞ」
それは最初は驚いたがと、マイクロトフは付け足した。そして不意ににやりと笑って言う。
「だが悪い気はしなかったぞ。それに、いつもいつもわけ知り顔で俺をからかってくるカミューが、本当は俺が好きなんだと思ったら、逆に可笑しかった」
「可笑しかった……って、そんなマイクロトフ…」
くすくすと笑うマイクロトフにカミューは唖然とした。それにマイクロトフは慌てたように言い繕う。
「あぁ、いや。可笑しいのとは少し違うか。正直、嬉しかったぞ」
「………」
言って穏やかに笑うマイクロトフに、途端にカミューは見惚れて、その顔はかーっと赤くなった。
「え、と……あの、マイクロトフ?」
「だから言っただろう。それで今度はそう言う目でカミューを見てみた。そうしたら、俺もおまえが好きなのだと気付いてな……。それでぼんやりとしてつい呟いていたんだ。そうだ俺はあいつが好きだったんだと、な。それを傍にいた奴に聞き咎められて噂などになってしまったんだが」
「そうだったのか……」
「あぁ、信じてくれるか?」
さっきは嘘だと言った。それに対する問い掛けだろう。カミューは思わず小さく頷いていた。
「……うん」
するとマイクロトフは良く出来ましたとでも言うかのように、大きく頷いて笑みを深めた。そして。
「で、どうするカミュー?」
聞いてくる。
「え?」
いったい何をとカミューは首を傾げる。するとマイクロトフはほんのり首筋を赤く染め、そこを掌で撫でながら今度は一転、小さな声でもごもごと洩らした。
「一応、俺たちは両想いだ……それで、この後カミューはどうしたいんだ」
照れているのか、両想いのところは聞き取るのも難しいほど囁きに近い小声だったが、そんなマイクロトフが何を言いたいのかは、カミューに充分伝わった。
「あぁ…」
途端にカミューは破顔して、胸の奥底から沸き上がる幸福感に衝き動かされるまま、マイクロトフに腕を伸ばしていた。
「とりあえず、キスしても良いかな?」
腕を掴んで問い掛けると顔までも赤くしたマイクロトフがこくりと頷く。
そしてカミューはこれ以上はないと言うほど心臓を高鳴らせつつ、赤い顔のマイクロトフを引き寄せ、決して手に入らないと思っていた至福を味わったのだった。
end
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2002/05/11