reproach oneself
何故あの時、自分はそれが出来なかったのだろう。後悔ばかりがひたすら押し寄せ、自責の念は募るばかり。だが後悔と言う代物は、後になってもう取り返しがつかないからこそ、後悔と言うのである。
つまりは、そうやって嘆くのは全てが過ぎてしまってからの事なのだ。
赤騎士団長カミューは、ひどく暗かった。
先日彼が足取りもおぼつかぬ程に酒を過ごしたのは極一部しか知らないことだが、そんな出来事からそう僅かも経たない頃である。それまでのカミューと言えば一種近寄りがたい奇妙な鬱屈を撒き散らし、配下の赤騎士たちにただならぬ心配と懸念を抱かせていた。
ところが彼が酒を過ごしたその翌日。僅かに二日酔いの残る青褪めた表情で皆の前に顔を見せたのだが、不思議とその朝以来、それまでカミューをまとっていたその鬱屈が見事に削げ落ちていた。
その代わりに身にまとい始めたのが、これもまた奇妙な暗さなのである。
以前のような後ろ向きの廃れた気配は微塵もないのがまだ救いであろう。だが、朝から晩まで何かあるごとに深く溜息を落とし、握り締めたペンを今にも取り落としそうなほど、ぼんやりとしているのだ。
カミューに一番近いといわれる赤騎士団副長も、以前ならばまだそのただならぬ様子に親身になろうものの、一転ふわふわと掴み所のない暗さを漂わせる様に返ってかける言葉が見つからないでいた。その上、溜息混じりに首を振るうかと思えば、時折何を思い出したのかにやりと口元を歪めて喉の奥で愉快そうに笑うのである。
計り知れない団長の様相に、少し怖さを覚える副長であった。
結局のところ何があったかを知っているのは当事者。カミューとそしてマイクロトフだけである。しかしマイクロトフの方は以前とまるで変わりがないので、周囲もよもや彼らが互いの胸の内を打ち明け合い、見事に両想いと相成ったなどと知る由も無い。
しかし実際それが事実なのである。カミューは長いあいだ自らの中に溜め込み、悩むほどに抱えていた親友への恋情を、何ともすんなり受け入れてもらいめでたく成就を結んだ。そんな彼が今度は一体何に悩むと言うのだろうか。その暗さの理由を知っている唯一の人物マイクロトフは当然の如くそれを周囲に教える筈もなかった。
副長は時計を見やり、ペンを握ったままぼんやりとしているカミューを恐る恐る見やった。いつもならそろそろ茶の時刻である。従者が盆に茶器を載せてやってくる。
「……カミュー様」
呼びかけたがカミューの端正な横顔はぼんやりと遠くを見詰めるままである。めげずに副長が再度呼びかけると彼は漸く気が付いて振り向いた。
「なんだ?」
「そろそろ茶の時間ですが、どうされますか」
「茶……? あぁ、良いね。喉が渇いていたんだ」
呟いてカミューは持っていたペンを置いて、腕を上にあげると伸びをした。そんな様子を見ながら副長はその顔色を伺うように再び声をかける。
「僭越ながらカミュー様。本日、も、はかどり具合が芳しくないご様子。身体に不調があるのでしたら即刻医師にご相談することをお勧めしますが」
ここ数日のカミューの執務の進捗は著しく低下している。一応、部下とは言えカミューよりも年嵩で半ば父兄のような気持ちを抱いている副長にしてみれば、一言申し上げて置かねばならない状況だった。
するとカミューは相変わらずぼんやりとしたまま、こきこきと首を捻って音を鳴らした。
「身体は元気だよ。うん……最高に元気さ。睡眠時間も充分だしね……充分なんだよ」
ぶつぶつと言う。それから突然に頭を抱えて喚きだした。
「……おかげで仕事に集中できない。あぁもう! いったい私はどうすれば良い!?」
「は……?」
「どうして私はあの時寝てしまったんだろうな! そりゃまあ酔っていたからなんだが、それは寝ても当然だろうが、何もあの時寝なくても良いじゃないか、なぁ!? あぁ、くそ! 一生の不覚だ!!」
矢継ぎ早に叫んでカミューはぐしゃぐしゃと自分の髪に指を突っ込んで掻き回した。
「ここ数日の睡眠を返上しても良いから、あの時に戻りたいんだ!!」
最後にそう訴えてカミューは勢い良く執務机に突っ伏した。副長の気の所為かゴンと鈍い音が聞こえたような気もするが、彼は突っ伏し頭を抱えたまま動かない。そこへ、折り良くノックの音が響いて従者が茶の用意を持って現れた。
副長はカミューの突然の狂乱に一瞬我を失っていたが、従者の姿に我を取り戻して息をついた。その上で、そこに先日同様思い掛けない顔を見つけて喜色を浮かべる。先日もこの顔を見てのちカミューから憂いが晴れたのである。
「マイクロトフ様」
従者の後ろにいた男に微笑を浮かべて名を呼ぶと、カミューが勢い良く飛び起きた。案の定その額は僅かに赤くなっていたが、本人はそんな事などまるで気にした様子もなく立ち上がる。
「マイクロトフ!」
「いい所に来たらしい。今から茶だろう? 一緒に構わんだろうか」
「勿論だよ」
それまでの恐慌が幻だったかのようにカミューは微笑を浮かべて―――乱れたはずの髪もいつの間にか元通り整っている―――マイクロトフを接待し始めた。そして従者から盆を受け取り後は自分がするからと追い返し、手ずから茶の用意をし始めた。
「あ……それでは私も一服してまいります」
何やら微妙な居心地の悪さを感じて副長は立ち上がった。それにカミューは「ゆっくりしてくると良い」と笑って送り出す。ともあれマイクロトフの出現で上司の機嫌も落ち着いたらしい様子に、副長はそれではと一礼して部屋を出たのだった。
しかしながら、カミューはとんでもないほどに焦っていた。先程の喚き声を聞かれてはいなかっただろうかとそればかりが思考を埋め尽くす。マイクロトフの顔を見た時などは息が止まりそうだったが、咄嗟に冷静になり取り繕ったのは我ながら見事だと言えた。
そして茶を淹れながらカミューは震える胸の内を覆い隠してマイクロトフに勧めた椅子に向かい合わせになるよう自分も座った。
「突然、珍しいなマイクロトフ」
執務を終えてからの時間を共に過ごすことは多かったが、こんな風に如何に休憩時間とは言え執務の間にマイクロトフが何の用もなく赤騎士団長の元を訪れる事などなかった。それだけ彼が真面目である証拠であるし、そんな一生懸命なところは好ましいとカミューも思っていた。だがマイクロトフは「そうか?」と首を傾げて笑う。
「おまえの顔を見たくて来たんだ。だから本当は直ぐに戻るつもりだった」
途端にカミューの手からカップが落ちた。
「うわっ!」
叫んだのはマイクロトフ。ゴトンと音を立ててテーブルの上を転がったティーカップは盛大にその中身をぶちまけた。
「あ、あれ!?」
カミューも慌てて傾いたカップを立て直し、ハンカチを取り出して流れ落ちようとする液体を押し留める。しかし白いハンカチは見る間に茶色く染まった。
「何をしているんだ、おまえは」
「な、何ってマイクロトフが突然変な事を言うからじゃないか」
顔を赤くしてカミューは言うが、マイクロトフは「なにが変だ」と憮然と放ち、自分のハンカチも差し出して一緒にテーブルを拭い始める。その態度にカミューは益々顔を火照らせて言葉を無くした。
あぁ、もう。
胸の内で吐息をこぼしカミューは目を伏せる。
あの夜以来、カミューはこうしてマイクロトフに振り回されっぱなしだった。
酔った頭でマイクロトフの不意打ちの告白を食らい、わけも分からぬままに呆然としながら両想いだった事実に祝福の鐘を鳴り響かせたわけだが、どうもその後がいけなかった。
カミューは寝てしまったのである。
キスはした。
それはもうとても言葉では言い表せないほどの至福だったのだが、マイクロトフを抱き寄せてその唇を味わってからの後の記憶が無いのである。そして翌朝重たい頭に顔を顰めながら起き上がると、服を着たまま同じベッドでマイクロトフと寝ていた。
カミュー、一生の不覚である。
あんなチャンスは滅多に無かったに違いない。現にその後、少しは良い雰囲気になってもまるで思春期の恋のようにただ手を握ったりキスをするだけに留まったり。実はもっとそれ以上の濃密な関係を切望するカミューにとっては不満は無くとも物足りなさはめ一杯だった。
そして、なだれ込むのならあの夜を除いてなかったに違いないのに、何故自分は寝てしまったのだろうと、何度も悔やむ日々である。
更にそんな風にしてどうにかマイクロトフともっと関係を進めたいばかりに、日夜マイクロトフの言動に隙はないかを伺ってばかりいるわけで、そんな時にこうして不意に真直ぐな好意をぶつけられてしまうと、返って動揺してしまうのであった。
「顔を見たいと思うのが変か?」
「それは変じゃないけどね……いや、嬉しいよ。でも面と向かって言われると照れるな」
「カミューは照れるとカップを落とすのか? 可笑しいな」
そしてマイクロトフは笑う。
なんだろう、この余裕は。
泣きたくなってカミューは淹れ直したカップの茶を啜ってごまかした。
まぁマイクロトフの余裕と、自分の余裕のなさは仕方のないことかもしれないとカミューは俯く。そもそもが、自分の片思いから始まり、そんな恋情を隠していたはずが確りマイクロトフに見破られ、またそんなマイクロトフに好きな相手が出来たと知り最初に余裕を無くしたのはカミューの方である。その上で実はそれが自分だと聞いたのは、酔っ払った挙句に我慢がならずに自分の想いを無茶苦茶になりながら打ち明けた直後で、始終マイクロトフは冷静でカミューは散々だったのだ。
思い返すと情け無いと言うか、なんというか。
それからずっとマイクロトフに主導権を握られっぱなしだ。いつか必ず、出来るだけ早くその主導権を奪い取ってやると、カミューは胸に誓うのであった。
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2002/05/13