believe
カミューは当て所なく歩いていた。
居たくは無い場所が沢山ありすぎて、消去法で辿り着ける場所を探しながら歩く。そう、誰も知り合いのいない場所が良い。だとすればまた城下にある場末の酒場にでも出向くか。
風に当たりたくて屋外にふらりと出る。
月が綺麗に浮かんでいる、見事に晴れた夜空である。
ロックアックス城内は広い。ずっと以前は夜間警備の任などもおったものだが、おかげでその間に知り尽くせるだけ城内の配置を頭に叩き込んだ。どうすれば城外に抜け出せるかは当然ながら、サボるのにかっこうな人気の無い場所なども熟知していた。
何処へ行こう。
城下へ―――いや、また怒られるのは勘弁したい。それに無遠慮な商売女がいちいち邪魔だ。
とすれば城内の何処か、一夜を過ごせるような場所を………。
マイクロトフを思い起こさせる何も無い場所。
そんな場所など――――――あるものか。
随分前からマイクロトフはカミューの心にいた。
きっかけなど思い出せないくらい前から、カミューはマイクロトフを想っていたのだ。だからカミューの知っている場所には全て、カミューがその都度胸に宿していたマイクロトフへの想いが残り香のようにある。
どうしよう。
何処にも居場所が無い。
所詮、カミューの全てはマイクロトフに塗りつくされていて、忘れようにも遠ざけようにも無理なのだろうか。
ほら。
こうしてさ迷い歩いているあいだもマイクロトフの事ばっかりだ。
全部マイクロトフなのに。
マイクロトフで埋め尽くされているのに。
やっぱり。
叶わなかった。
少しだけの期間、とても幸せだったけど。
結局この腕からすり抜けてしまうのなら、最初から望まなければ良かったんだ。
でも、とても幸福で。
実は少し泣いた。
嬉しくて嬉しくて、マイクロトフのいないところで泣いた。
その時もう死んでも良いと本気で思った、けど。
どうしようか。
今、そうしようか―――。
怒るかな。
マイクロトフ。
「………!」
不意に腕を掴まれて強い力でぐいと引かれ、途端に夢想が吹き飛ぶ。
よほどぼんやりしていたのか全く気配も何も感じなかった。
「おい」
低い声にカミューの心臓が跳ねる。驚いてゆるゆると振り返ると月明かりを受けて、鈍く白く光る瞳が真直ぐにカミューを見詰めていた。
「何処へ行くんだ」
「……マイクロトフ」
まるでカミューの夢想から実体化したみたいに彼はそこに立っている。相変わらずの汚れの無い瞳でカミューを見詰めている。
「部屋に戻るのではないのか」
問われてもカミューは声が出なかった。
どうしてマイクロトフがここにいるんだ。まさか自分の後を追って? そんな馬鹿な。
しかしマイクロトフは一瞬だけ目を逸らすとまたカミューを伺うような眼差しで見た。
「実は、おまえを追ってきた」
カミューは短く息を呑んだ。
マイクロトフは何を言い出すんだ。まさか最後通牒を突き付けに来たのか。前のように戻るのも実は嫌に思って、もう二度と関わりたく無いとか……。
ぐるぐると目まぐるしく様々を考え、言葉も無いカミューをまだ伺うように見詰めるままマイクロトフはぽつりと言った。
「気になる事があった」
何を言うつもりだ。頼むからこれ以上はやめてくれ。
叫びたいがやはりカミューは何も言え無いまま、腕を掴まれた状態で固まってマイクロトフを見詰め返している。その目が、マイクロトフの唇が紡ぐ言葉を読む。
「カミュー、おまえ誤解をしたのではないか?」
誤解……?
何が誤解だと?
「え?」
間が抜けたように問い返すカミューに、マイクロトフは眉を顰めた。
「やはりな、カミュー」
何処か痛ましいような、同情するような目でマイクロトフはカミューを見る。
なんだ、なんなんだ。マイクロトフはいったい何を……。
カミューの頭の中は今や許容量を大きく過ぎて渋滞を起こしている。結論が見えない。そしてそんなカミューの前でマイクロトフは小さく溜息を落とした。
「俺は、前から言葉が足りない男だが、不思議とカミューには通じるからついその調子で話していたのだが、今回ばかりはそれが悪かったようだな」
「な、なにを……」
「おまえ、俺がおまえに好きだと告げたのを撤回したと思ったのでは無いか」
「………!!」
カミューはこれ以上は無いほどにぎくりとして目を見開いてしまっていた。それに対してマイクロトフは一言。
「カミュー……馬鹿だな」
と言った。
それで混迷を極めていたカミューの脳が一旦停止を起こして何もかもが真っ白になった。
「何が! 誰が馬鹿だ!!」
怒鳴り返すと腕を掴んでいたマイクロトフの指に力が入って締め上げられた。
「静かにしろカミュー。警備の者が聞き付けて来てしまうぞ」
「警備が何だ! 何が言いたいんだマイクロトフ!!」
掴まれた腕は痛いしマイクロトフの言いたい事が分からないし、それに気分はどん底だし。もうどうにでもなれなんて気持ちのカミューである。だがそうして続けて叫ぼうとした口を不意に手で押さえられた。
「うぐ」
「馬鹿もの。静かにしろと言っているだろう。全く世話の焼ける男だな」
「うぐーー!!」
愛剣ダンスニーを軽々と振り回すだけあってマイクロトフの力は強い。振りほどこうにも振りほどけない。それでも無茶苦茶な心理状態で暴れようとするカミューを押さえながら、マイクロトフが唐突にくすくすと笑い出した。
「本当に世話の焼ける。ずっとぐだぐだと悩んで挙句に飲んだくれる。おまけに俺の気持ちは伝えたはずなのにまだ信じない。しかも毎日下手な緊張をして無理をする」
笑いながらマイクロトフは言う。
「俺はな、もっと気楽におまえと付き合っていきたいと思っている。何しろ俺とおまえは……互いを想って…いる。その、何の不自由も無いはず、だろう?」
少し照れたように言葉にしながらマイクロトフは言う。いつの間にかカミューはじたばたと暴れているのを止めて、そんなマイクロトフを呆然と見ていた。
「無理に時間を割く必要は無いんだカミュー。以前のように自然と時間が空けば俺はおまえに会いに行くし、おまえもそうすれば良い。ただでさえ互いに忙しい身なのだからな。それに無理に会わなくとも俺はちゃんとおまえを信じているし、ちゃんと……好きだぞ?」
静かにゆっくりとマイクロトフは言った。そしてカミューを押さえていた手を離す。
「俺がさっきおまえに言いたかった事だ。随分と省きすぎて誤解をさせた。すまない」
そして微笑む。
腕と口と両方を解放されたカミューは息を吸い込んで、それから小さく言った。
「省きすぎだ、このやろう」
あ、いけない。と思ってさっと俯いた時、カミューの目から涙がこぼれた。
誤解もいいところだ。
マイクロトフはちゃんとカミューを好きだと言ってくれている。想ってくれている。
伝えたはずなのにまだ信じないとマイクロトフは言った。その通りだ。カミューは何処かで自分を好きだと言ってくれた言葉を信じていなかった。あまりにも望みすぎた言葉だったから、いつの間にか諦めていた言葉だったから。
確かにマイクロトフの言葉は足りな過ぎたが、本当に悪いのは信じられなかったカミューだ。謝るべきは、カミューの方なのだ。
カミューは零れた涙を乱暴に拭って顔を上げた。目の前には苦笑しているマイクロトフの顔があって、その目は今でも真直ぐにカミューを見ている。そこに、そっと手を伸ばした。
「マイクロトフ、ごめん」
頬に掌を添えてそのぬくもりを感じる。
「追いかけて来てくれて、ありがとう」
そして、キスをした。
今までしたキスの中で、一番胸に染みたキスだった。
end
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2002/06/11