nothing changed 1


 俺はやり過ぎたのだろうかと、マイクロトフは自問する。

 春麗らかな日の昼下がり。執務室の窓辺に置いてある長椅子に腰を下ろし、眩しい外の景色をなんとはなしに見下ろしながらマイクロトフは溜息を落とした。
 赤騎士団は相変わらずなのだろうか。
 これまでだって型破りな団長に振り回されて、それでもなんとかまともな運営を保ってきていた有能揃いの赤騎士団は。身も心も春の化身と化したあの男に更なる災難を被ってはいないだろうか。
 マイクロトフの心配は、そんな自団の事では無い赤騎士団の事に尽きていた。
 どうもあの日、以前のように気楽に付き合っていこうと告げたあの夜からカミューの様子が変わった。その原因はやはり自分なのかとマイクロトフは暗い気持ちになる。

 ―――俺は以前のようにいられるのが良いと言ったのに…。

 自然とマイクロトフの瞳が遠くを見詰める。

 ―――それで何やら誤解をしたみたいだったから追いかけてその誤解をといただけなのに。

 知らずその表情が憂いに満ちる。

 ―――誤解をとくだけにしては、やり過ぎたのだろうかやはり…。

 と、小さな吐息が零れるのだった。
 考えるにどうやら好意の意思表示の大放出をしてしまったらしい。
 マイクロトフが長年友誼を深めていたカミューと、互いに恋情をもって相思相愛になったのはそう遠く無い最近のことである。
 最初にそんな気持ちを抱いたのは紛れも無くカミューからだったろう。マイクロトフの方がカミューへのそんな気持ちを自覚したのは、彼の向けてくるひたむきな眼差しによるものだったのだから。
 出来ればカミューの方から打ち明けて貰いたいと思い始めたのはいつ頃からだったか。そう思って見守っているといつの間にかカミューの様子がおかしくなってきて。それはつまりマイクロトフに好きな相手が出来たなどと言う噂が騎士団内に広まってからなのだが、それである日カミューが泥酔して帰ってきた。その時に追い詰めて心情を吐露させたのだ。無論マイクロトフの気持ちも打ち明けた。
 それで、なんとなく満足してしまったマイクロトフにも落ち度はあったと思う。
 元からカミューが己に寄せてくれる焦がれるほどの想いは心得ていた。さりとて気付いていても、その好意に充分な好意を持って返せるとしても、マイクロトフだって随分悩んだし勇気がいったのだ。
 だから未だに心構えがなっていないのか、相愛になった今でもカミューを前にすると照れる。
 照れるから極力親密にならないように牽制をしていたのだ。もっとゆっくり親しくなれば良いと思って。だがそれがカミューに要らぬ不安を与えていたらしいと知ってマイクロトフは即座にそんな自分を反省した。
 カミューは言わば長年お預けを食らった犬のようだったのである。
 いや、こんな表現をしてはカミューが気を悪くするだろうか……しかしそんな表現が一番しっくりくるのがマイクロトフにとってなんとも物悲しかった。
 まさに鎖を解き放たれた飢えた犬のようなのであるから。
 ともあれそんなカミューだったからこそ、最近になってカミューに友情以上の何かを感じ始めたマイクロトフと違って、かなりその辺―――どの辺だ―――が限界らしかった。それはもうあんな誤解をしたりその前に飲んだくれたりと、理性のぶっち切れ具合がいかほどのものか教えてくれるのだから。
 何年も自分を想い続けてくれていたらしいそんなカミューの気持ちは尊重したい。だが最近自覚し始めたマイクロトフの気持ちだって無視出来ないと思う。この食い違いをいったいどうすれば良いのだろうか。

 そこまで考えてマイクロトフは再び溜息を落とした。
 と、そこへ軽快なノック音が響き渡り、マイクロトフが応答を返す前に扉が派手に開かれた。
「マイクロトフ〜」
 語尾にハートマークでも飛んでいそうな調子のカミューがマイクロトフの思索をぶち破った。浮かれた声に重い吐息で返して立ち上がる。
「どうしたカミュー。今は仕事中だろう」
「うんっ」
 にっこりと笑ってカミューは両手を広げると一目散にマイクロトフをめがけてやってくる。そしてあっという間に抱きつかれた。それを押しやりながらマイクロトフは喚く。
「仕事中で何故ここに来る!」
「休憩なんだよ〜」
「だったら大人しく茶でも飲んで休んでいろ!」
「いやだ、俺はマイクロトフの胸でひとときの憩いを味わうよ」
「馬鹿者!」
 胸に頭を擦り付けてくる男の頭を叩き落としてマイクロトフはなんとかその身体を引き剥がした。
「痛い〜、ひどい〜」
「痛い目にあいたくなければ大人しく執務室で休憩をしていれば良い」
「冷たい……」
 じっとりとした眼差しでカミューは引き剥がされた両手をウズウズと蠢かせながらマイクロトフを見る。ふいっとそんなカミューから目を逸らすと追うように言葉が投げられる。
「少しの時間でもマイクロトフの顔が見たいと思ってきているのに……もしかして、迷惑? やっぱりこんな俺は鬱陶しい?」
「………」
 鬱陶しく無いと言えば嘘になる。だが今ここでそれを言ったらこの男は身も世もなく泣いて縋りつくなり喚き散らすなりするにきまっているのだ。それを身をもって思い知らされているマイクロトフは深い溜息を落としてカミューに視線を戻した。
「迷惑では無い……ただ休憩時間は貴重だろう。休める時にきちんと休め」
「俺の事心配してくれてるの? 良いんだよ。こうしてマイクロトフといられるだけで元気になるんだからね」
 そしてにっこりとそれはもうマイクロトフが見惚れる程の綺麗な笑顔をして手を伸ばしてくる。それをやや赤い顔をして今度は黙って抱き締められた。何しろカミューにそう言われてはマイクロトフには何も言えないのである。
 相愛になってから暫く、カミューは毎日無理を押してでもマイクロトフとの時間を作ろうとしていた。それではただでさえ忙しい身には随分な負担だろうと思ってマイクロトフはそんな無理をして会う必要など無いと言った事がある。その時に何やら誤解をしたらしいカミューを宥めるのに苦労をしたのだが、いざ誤解が解けると彼は臆面もなく言い放ったものだった。
「マイクロトフといるだけで、言葉を交わすだけで、触れ合うだけで、疲れなんて何もかも解けてなくなるんだよ。本当だよ…」
 綺麗な微笑でそう真摯に告げられては、参るより他に無かった。
 以来、その言葉を証明するかのように事あるごとにマイクロトフの元へと通い詰めるカミューなのである。それこそ、恥も外聞もなく、愛のために。



 それまでの想いを内に秘めて鬱々としていた姿などまるで夢だったかのように、カミューはマイクロトフに愛を告げる。どうやら彼の中では意識の切り替えが行われたらしい。
 少し前までは触れることさえ躊躇っていたのに。
「マイクロトフ〜」
 抱き締めたマイクロトフの体温を全身で味わって、事もあろうに背に回した掌はさわさわと好きなところをさ迷う。
「おい……」
「あ、ごめんごめん」
「直ぐ戻るのだろう」
「うん。残念」
 言いながらもぐりぐりと頬を押し付けて身体中でマイクロトフを堪能している。
 だがやはり執務中の僅かな休憩時間に抜け出してきたのだろう。名残惜しげにそろそろと身を離す。だが離れ際、そっと耳元にその唇が寄せられた。
「また来るからね」
「………」
「マイクロトフが来てくれても良いんだけど。今日休みなんでしょ? ずっとここにいるの退屈しない?」
「………」
「ま、でもここで待ってくれてる方がこうして抱き締め放題なんだけどさ」
「早く行け!」
 マイクロトフが反射的に拳を振り上げるとカミューが素早く身を離す。
「ははは、照れ屋さんなんだからまったく」
「馬鹿者が!!」
「じゃあね、愛してるよ〜〜」
「………!!」
 扉まで駆けて行って最後にそんな事を臆面もなく告げる男に、マイクロトフはわけもなく羞恥が募って口をぱくぱくとさせた。だが何かを怒鳴り返そうとする前にカミューの姿はさっさと扉の向こうへと消えてしまった。
 そしてまるで嵐が過ぎたような部屋に一人取り残されて、マイクロトフはまたふらふらと窓際の長椅子に腰を下ろして、外の景色にぼんやりと視線を向ける。何故か、麗らかな春日の眩しさがやけに目に痛く感じるのだった。



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2002/06/13