nothing changed 2
ぐふふふふ。
不気味な含み笑いが聞こえて、赤騎士団副長はびくっと肩を奮わせた。だが流石は騎士団でも上位に立つ者というか、奇特な男の部下として伊達に長くはないというか。顔色を変えなかったのは見事だ。
太陽が西へと傾きかけた頃、不意に休憩を告げて何処かへと姿を消した上司、赤騎士団長カミュー。彼の最近の言動はとても奇怪だった。尊崇と敬愛を捧げる自団長ながら本当にこんな人がこの赤騎士団の長で良いのだろうかと疑問さえ持つほどそれは奇怪だった。
休憩だと言う、その僅かの時間を経て何気ない顔をして戻ってきた彼は、だが機嫌の良さを隠しきれ無い様子で再び執務に没頭し始めた。そして突然先程の含み笑いである。
はっきり言ってなんだか怖い。
副長とて騎士の名を受けてからはや幾年。数々の戦場において武勇を連ねてきた身である。青年期をそろそろ過ぎて、邪気の無い幼児にはもう「おじさん」としか呼ばれないような外見になり、その細い目がどうしてか穏やかな印象をかもすために「赤騎士団最後の良心」などと噂されていようが実際はこれでも勇猛果敢な騎士である。そんな副長が思うのだ。怖いと。
彼はそろそろと最大の注意を払って、さり気ない風を装い敬愛する団長へ視線を向けた。途端に背筋を伝った得たいの知れ無い感覚に思わず椅子ごとひっくり返りそうになる。
頬を染め、まるで恋する乙女。軽く小首を傾げてその潤んだ視線はどこを見ているのか分からないが、遠くを見詰めている。そして動きの止まって久しいらしい右手に握られた羽根ペンの先は、いじらしく緩んだ唇がそっと噛んで慰撫していた。
副長はわなわなと震えた。
こんな精神衛生上、たいへん宜しく無い職場は無い。
何が哀しくて雄々しく凛々しい青年のこんな姿を見なければならないのだ。彼は男泣きに泣きたい衝動に駆られ、だがそれも寸でのことで堪えて反射的に席を立った。だが上司の方はそんな副長の動きに微塵の反応すら見せない。
副長はふらふらと部屋を出た。
そこで隣接する続き部屋で執務に励んでいた部下たちが揃って副長を見た。
「どっ、どうされたのですか!」
よほど顔色が良くなかったらしい。副長は憔悴も顕わな声音で返した。
「仕事にならぬ……」
そして副長は空いた椅子にどっさりと身を置くと、両手で顔を押さえつけ重い溜息を落とした。
「カミュー様はいったいどうされたのだろう。まるで良く無い何かに取り憑かれておいでのようだ……」
「取り憑かれて?」
途端に部下たちは眉をひそめて副長の周囲に集い始めた。
「そう言えば先ほどお戻りになられた時にちらりとお顔を伺ったが……ぼんやりとしておられた」
「さようか? あれはどちらかと言えばうっとりではないか?」
「あの僅かな時間でカミュー様が何にうっとりすると言うのだ」
「しかし実際に蕩けるような顔をしておられたぞ」
「そうだったか?」
「ああ」
そこで沈黙が降りる。皆一様に腕組みをしたり項垂れたりをして尊崇する団長の様子を思い出しているらしい。そこで副長がぽつりと呟いた。
「このところの休憩時間に、カミュー様がどこへ足をお運びか知っている者はおらんか」
「あ、俺知っています。青騎士団の方ですよ」
若い騎士がひょいと答えた。
「青騎士団……?」
ひくりと副長の声が震えた。
とそこで重々しいノックの音が響き、一同の思考は中断された。
「何者か」
扉の傍にいるものが声をかけると珍しい人物の声が返った。
「青騎士団から参った」
その声は青騎士第一隊長の声である。慌てて扉を開けると背の高い第一隊長が室内を睨みつけるようにして立っていた。といっても彼の眼差しは常に何者かを威嚇するようなのでこれはいつもどおりである。
「いったいどうされた」
今日は青騎士団とは何の連携もなかったはずだと副長が立ち上がろうとした。しかし第一隊長はそれを構わないと手で制して室内に踏み込んできた。
「赤騎士団長殿のことで相談に参った」
「カミュー様がな、何かっ」
たった今カミューがどうやら青騎士団に出入りしているらしいと話していたばかりだ。途端に赤騎士立ちは目を見開いて青騎士団の第一隊長に視線を集めた。しかしそんな赤騎士たちの内情を知ってか知らずか、彼はここを訪れた時から表情を全く変えずにまた別の名前を出した。
「マイクロトフ団長なのだが」
「カ、え? マイクロトフ様が?」
肩透かしを食らった形の赤騎士たちに、彼は更に続けた。
「溜息で金が溜まれば大金持ちになっている」
「はあ?」
青騎士団の第一隊長の言動は時に相手をおちょくっているのでは無いかと思うほど突拍子が無い。だが次の言葉に赤騎士たちはぐっと詰まった。
「原因は赤騎士団長殿だ。事あるごとに暇さえあれば団長の元へおいでになる。それを気になさってあの方は胸を痛めておられる」
無意識に落としておられる溜息がとても気の毒だ。と言う第一隊長に赤騎士たちは言葉をなくす。おかしいのはカミューだけかと思えばマイクロトフまでとは。あの前向きで陽の中を真直ぐに脇目もふらずつき進んで行くような、迷いや憂いなどまるで無いような青騎士団長が溜息を……。
「団長があのような調子では青騎士団の士気に関わる」
第一隊長がぴしりと言った。
「た、確かに」
話を聞いただけでも赤騎士たちはこれほど狼狽しているのだ。これが全ての騎士の知るところとなればその動揺は計り知れないだろう。
「早々に何とかしなければ、このままでは団長の溜息は積もり積もって蔵がたつ」
重い吐息と共に吐き出された第一隊長の言葉に、赤騎士たちは首を傾げながらも頷いた。蔵が云々のところはともかく、何とかせねばならないのは同感である。
「だが以前カミュー団長がおかしくなられた時、助言を下さったのはマイクロトフ様だ」
「あぁ、そうだった。しかし今回はそのマイクロトフ様も様子がおかしいとあっては……」
自分たちだけでどうにかする手立てなどまるで浮かばない一同である。そして彼らははぁーっと溜息を落として首を振った。
双璧とさえうたわれる団長たちはいったいどうしてしまったのだろうか。そして我がマチルダ騎士団の行き先はどこに向かっているのだろうか。
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2002/07/03