nothing changed 3


 その日は朝から雲ひとつ無い晴れやかな空がどこまでも続いていた。
 まるで俺のようだと、赤騎士団長はひとりごちる。その傍らで副長がやけに浮かない顔をしていた。原因は当然のこと隣で浮かれている赤騎士団長である。
 常にもまして躁状態のカミューである。やる気百倍と看板でも立っていそうな状態であるからして、仕事が捗っているのは良いとする。だがその弊害が、たまったものではなかった。
「うふふ……」
 何と言ったか今この男は。うふふと笑ったか。副長は掌にじっとりと浮かんだ汗を感じて、その不快さに顔を顰めた。いったい今度は何を思い出しているのやら、ここ数日この赤騎士団長の執務室を訪れる部下たちの顔ぶれが随分と減ってしまった事から、それが誰も聞きたく無いような類のものであると、僅かながら考えられる。
 まぁ今時分は騎士団もそう大変な時期でもなく、また国境も随分と落ち着いているからそう気に病むこともない。しかし領内では不埒な盗賊どもが徒党を組んで悪さを働いているとか、そんな噂が出ているので気が抜けないのは確かだ。
 だが団長がこの有様では―――。
 副長は深く溜息を落とした。
「なんだ、暗いな。悩み事かい?」
 唐突に団長から悩み事などこの世の中に存在などしないだろう、とでも言いたげな声で問い掛けられて副長は慌てて首を振るう。
「い、いえ……あ、まぁその。盗賊の噂を思い出しまして」
「盗賊?あぁ、話は聞いている。何か悪い噂でもあるのか?」
 最近領内で跋扈している盗賊団がある。聞こえてくる話ではかなり性質が悪いらしいが、今のところそう大きな組織でも無いようだから騎士団も動かない状態だった。
「はぁ、いえ」
 困惑したままの状態で副長は頷いて首を振るうとカミューはくすりと笑ってさらりと鼻歌でも歌い出しそうな勢いで言った。
「ま、今の領内巡察は青騎士団の役目。不埒な輩がいたら始末をつけるのは彼らだろう。赤騎士が気にする事では無いよ」
「さようですな……」
「さぁ、午前中に済ませられる仕事は片付けてしまおう。昼からは、ふふ、青騎士団との打ち合わせ会議だよ」
「…さよう、ですな」
 張り切るカミューの声音に、副長はがっくりと項垂れて書類を指先で摘み上げた。



 本来ならば赤騎士団と青騎士団と、その面々は会議室の大きなテーブルを挟んで左右に分かれていなければならない筈が、この日はその席割が大きく形を違えていた。
「カミュー……お前は俺の正面に座っているはずだろう…」
「良いじゃないか、隣の方が良く声が聞こえる」
「そこはうちの副長の席だ、譲れ」
「追い払うのか? ひどいな」
 後から来た青騎士団の面々よりも随分と早く会議室に訪れていたらしい赤騎士団。その団長の型破りな態度に誰もが重苦しい沈黙を守っていた。何も言うまい、今ここで口を挟めば何があるかしれない。
「馬鹿者。いつも通りの席が一番効率的だろうが。それが分からんおまえでもあるまい」
「ちぇー」
 マイクロトフに叱られてカミューが渋々立ち上がるのに、一同があからさまにホッとする。いくら何でも団長同士が隣り合って仲良く会議なんて姿は今まで聞いた事も見たことも無い。それで大きな不都合があると言うわけでは無いが、やはり形式を重んじる騎士団においてそれはあまりにしまりがないだろう。
 そして一同がはらはらとしながらもカミューが通常通りの席につくと、会議は始められた。だが思ったほどに会議が滞ると言うことはなく、やはりカミューもそれなりに真面目な面持ちになる。時折不必要なほどに真正面に座る青騎士団長を見詰めることさえなければ。
 そしてそろそろ会議も終わろうかと言う頃。会議室の重厚な扉の向こうから騒がしい音が聞こえて、それが慌しく開けられた。
「何事か、会議中であるぞ」
 扉側の騎士が声を上げると、駆け込んできた青騎士は威儀を正して会議室に座す面々を見回した。
「し、失礼いたしました。しかしながら急を要すのであります!」
 青騎士はそこに居並ぶ幹部たちを目の前にして、緊張を隠せぬ様子で無礼を詫びたが、直ぐにマイクロトフへと視線を定めると大きく息を吸い込んだ。
「例の盗賊団が村をひとつ占拠いたしました。略奪と殺人が行われております」
「なんだと……っ!」
 震える声でマイクロトフが驚きを隠さずに立ち上がる。当然ながら他の者たちももたらされた情報に顔色を変え、カミューもまた例外でなくその視線を鋭く青騎士へと向けた。
「は! 逃げ出してきた村人を保護いたしましたが、その証言によると未だ村には大勢の女性が囚われているままだと」
 そして騎士団に早急な救出を求めているのだと。
 ち、と下唇を噛んで考え込むカミューに、隣に座っていた副長が囁きかけてくる。
「いかがいたしますかカミュー様。現在ゴルドー様は不在です」
「……あぁ、そう言えばグリンヒルの市長に呼ばれて出向いていたか」
「はい、ですから勝手な振る舞いは後々問題に…」
「問題も何も、ここで何も手を打たない方が問題だろう。それに……」
 緩やかに肩を落としてカミューはふと笑った。
「もうとっくにあいつは飛び出して行ってしまったし」
 会議室に既にマイクロトフの姿は無い。それを示唆するカミューの言葉に副長も「はぁそうですな」と頷く。そして何も言わずに飛び出して行ってしまった団長に、取り残された形の青騎士たちを見た。
 カミューはそして笑顔をしまいこむと一転、厳しい面差しに変えてそんな彼らを一瞥した。
「何をしている。早くマイクロトフを追わないか」
「あ、いやしかし」
「構うな。ゴルドー様不在の今、騎士団の最高責任者はわたしだ。いいからさっさと行け! それとも虐げられる民を前に動けぬとでも言うのか?」
 それでも騎士か! と叱咤すると流石に彼らの表情が変わる。
 何を言うまでもなく彼らは身も心も騎士である。カミューの言葉にさっと顔を赤くすると席を立ち足早に会議室を出て行った。それを見送る赤騎士たちであったのだが、続いてカミューもまた立ち上がるのにハッとする。
「カミュー様?」
「我らも急ぐぞ。賊の討伐は青騎士団に任せるとしても、他にするべき事も多くある。よもやその全てを青騎士だけにさせるつもりか?」
 領内の村のひとつが盗賊如きに占拠されるなど、あってはならない。
 カミューの瞳に浮かぶ色に、残っていた赤騎士たちも慌てて席を立つ。そして会議室を後にして颯爽と行く団長の後を追う。そうしながら彼らはそこに、尊崇すべき赤騎士団長本来の姿を見出し、喜びに瞳を輝かせたのであった。



2 ← 3 → 4

2002/08/04