nothing changed 7


 村は炎に包まれていた。家は燃え、木々も風に煽られ火を孕みながら赤く染まっている。長閑なはずの田舎風景の続く村は、一転して戦場のそれに似た熱気に包まれた騒乱に満ちていた。
 マイクロトフは片手に抜き身の剣を持ち、油断なく周囲に視線を走らせながら村の中央を走りぬけて行く。逃げ惑う村人たちはそんなマイクロトフを見て一瞬ぎょっとしたものの、その姿が彼らを守るべき騎士団の、しかも青騎士団長のそれと知って一様に安堵の表情を浮かべた。
「騎士団長様! あちらです!」
 娘が一人飛び出してマイクロトフの前に立ちはだかり、真横を指差す。つられる様にそちらへ視線を転じると、何処よりも激しく炎の燃え盛る家屋を見つけた。
「賊たちは皆あの家に…!」
 娘の言葉にマイクロトフは頷いて答えると、後続の騎士に目配せをする。すると一人の騎士が進み出てそんな娘を保護するように抱えた。
「教えて下さって有難うございます。あなたも早く逃げなさい」
 騎士にそう促されて娘もほっとして他のものたちと同じに村の外へと足を向けた。だが、最後にまたマイクロトフを見て、訴えた。
「妹があそこにいるはずなの……!」
 マイクロトフは一瞬身を固くし、それから鋭く息を吸い込んだ。
「分かった」
 一言短く応えてダンスニーの柄を強く握る。そして娘の立ち去る気配を追いながら、険しい眼差しで燃え盛る家屋を睨みつけた。
 一際大きい造りのその家屋は賊たちの格好の拠点となっているのだろう。さしずめ村の長の住まいだろうか。頑丈な造りなのか炎に巻かれていてもまだ全貌は確かである。と、そこへ扉を蹴破るような勢いで数人が飛び出してきた。見れば手に手に獲物を携えた物騒な男たちであった。
 すかさずマイクロトフたちは駆け出してそんな彼らを取り囲むと大音声で牽制をした。
「我らはマチルダ騎士団の騎士! 大人しく従えばよし、さもなくば命無いものと思え」
 高らかな騎士たちの恫喝に、だが男たちは元より抵抗する気などなかったようで、口々に「助けてくれ」と叫んで獲物を放り出すと、自ずと縛にかかってきた。
「これはいったい、何事だ」
 騎士たちは威厳を保ちつつも困惑を隠せずに賊たちを捕縛していく。その中賊の一人がうわ言のように呟いた。
「悪魔だあの野郎……っ」
 その時のマイクロトフの動きは誰も予測ができなかった。気が付けばそう呟いた賊の胸倉をマイクロトフが掴み締め、間近にまで顔を寄せてその黒い瞳で強く睨みつける。
「何があったのかを話せ」
 そして低く発せられた声音に含まれた反しがたい威力に、賊がひくりと喉を震わせた。見上げれば強い眼差しが自分を見下ろしているのに正面からぶつかって金縛りのように固まる。
「あ……」
「答えろ、何があった」
 言わねば食い殺されそうな迫力に賊は腰を抜かして閉口する。
「火の手が……。いきなり、燃えて……それで…ひ、火の向こうに悪魔が…」
 悪魔…? と眉を寄せるマイクロトフの隣で第一隊長が声をひそめる。
「カミュー様でしょうか」
「分からん。だが確かめる必要がある」
 言うなり胸倉を掴む手を離し男を放り出すとマイクロトフは真っ直ぐに炎の燃え盛る方へと進んで行く。
「マイクロトフ様!」
 お待ち下さい! と叫ぶ声を無視して舞い上がる火の粉を手で払いながら進むマイクロトフに、第一隊長は舌打ちをして己の右手を掲げた。
「完全じゃ在りませんけどね……敵の魔手を弾き霧散せよ『守りの霧』!」
 紋章から発した炎ならば或いは守ってくれるだろう。稀有なる『水の紋章』を宿し使いこなす青騎士第一隊長は、マイクロトフの身体の周囲が青白く輝いているのを認めて吐息をついた。まったく流石の第一隊長でも猪突猛進な団長には振り回されて余裕すらなくしてしまう。そして彼はやれやれと傍らに座り込んで腰を抜かしている賊を見下ろした。
「……貴様らが何をしたかは知らんが、賊は縛り首だ観念するんだな」
 賊が縛り首なのは確かだが、それは頭首に限っての事だった。しかしそれを知らない賊は第一隊長の言葉にひっと息を呑んでがっくりと肩を落す。
「八つ当たりは程々になさってくださいね」
 との部下の声は聞こえなかった事にして、第一隊長は己もマイクロトフの後を追った。



 『守りの霧』の効力か肌を焼く熱気は火傷しそうなほどに熱いのに炎の脅威はマイクロトフの身には及ばなかった。だがそんな事には気付きもせずにマイクロトフは奥へ奥へと一心に突き進んで行った。その瞳は油断無く炎の向こう側に赤い人影を探して動いている。
 絶え間なく木の爆ぜる音が聞こえ、燃え落ちた家々の骨組みが落ちる音が地面を震わせる。マイクロトフは炎の渦巻く小屋の前で立ち止まると両足を踏ん張って仁王立ちになった。
「…カミュー!」
 呼べば、今にも崩れ落ちそうに赤々と炎を噴き上げる小屋の何処かで何かが動いた気がした。
「何処にいるっ! カミュー!!」
 もう一度叫んだ時、目の前の小屋がどおんと大音を上げて崩れ落ちた。途端に炎の勢いが落ちてマイクロトフは一歩前へ踏み出した。流石にここまでくると熱気が目を焼く。腕で庇いながら更に進むと崩れた小屋の向こう側に人の気配がした。
「カミュー…?」
 回り込んで駆け寄ると彼はいた。だが象徴的なマントも赤騎士団長の上着も無く、煤に黒ずんだ格好で片手には抜き身の剣を下げ独りぼうっと立ち尽くしている。マイクロトフが駆け寄ってもそのままの様子であった。
「どうした。何があった」
 声をかけても応えは無く、肩を掴んで揺すぶってもその表情は変わらない。魂の抜けたようなその態度に、焦れたマイクロトフは反射的に拳を振り上げていた。
「確りせんか!」
 ガツンとその顔を殴り飛ばすとカミューの瞳が漸くハッとして瞬いた。
「痛いよマイクロトフ…」
「返事をせん方が悪い。一体何があったんだ」
「うーん、まぁ後で詳しく話すから。ちょうど良い、マイクロトフ手伝ってくれないか」
「何をだ」
「彼女を運んでやって欲しい」
 そしてカミューの振り向いた先には、彼のマントや騎士服の上着があった。いや、その下に女性の身体が―――。
「…なっ!」
「あ、大丈夫。生きているし何も酷い事はされていないんだ。寸前で『烈火』を出したから……」
 気がついたら飛び出してしまっていたよ、とカミューはすまないと言って項垂れた。せっかくの作戦を台無しにしたことを詫びているのだろうか。マイクロトフはそれには答えず装備を解いて己も上着を脱ぐと意識の無い娘の方へと向かった。
「行くぞカミュー」
「うん……」
 良く見れば血のついた刃先のユーライアをそのまま鞘に収めてカミューはこくりと頷いた。マイクロトフは地面に横たわる娘に己の上着も被せると一息に抱き上げた。
「お前の馬は何処だ」
「向こう…」
 カミューが裏の森を指差す。
「行くぞ」
「うん」
 娘を抱えてずんずんと歩くマイクロトフの後ろを、カミューは何故だかとぼとぼとついてくるのだった。



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2002/11/24