imitative lover 1
赤騎士団長のカミュー様は騎士として女性への礼節溢れ、秀麗なる面差しは誰をも魅了する。
彼を評する美辞麗句は概ね似たり寄ったりであるが、言わずもがなその存在はマチルダ全土の乙女の憧れであり、また貴族の父兄にとっては異国出にもかかわらず独身の彼を是非に一族にと願うものであった。
いわゆる有望な独身男性の中でも結婚したい男の首位なのである。
しかし浮いた噂は数多くあれど、たった一人の定めた相手を持たない赤騎士団長である。それだけにそのひとつだけ空いているのであろう特別な位置に着くのは容易ではないと誰もが考えていた。
だから誰もが、それが空席である以上は等しく可能性を与えられているのだと考えており、いつしかそれは空席が当たり前の状態で、未来においても埋まる事は無いのだと、そんな奇妙な前提が設けられるようになっていたのだった。
そしてそんなマチルダ領内に、激震のように人々の心を揺さぶる噂がある朝突然に持ち上がったのだった。
「おい、聞いたか」
「あれか……? あのカミュー団長にあの、という」
「あぁ、やはり知っているか」
「皆知っているぞ。騎士として噂話は控えたいところだが、ことカミュー様の噂話となればなぁ」
二人の赤騎士が廊下の端に立ち止まりそんな言葉を交わしている。噂の中心には彼らの尊崇する赤騎士団長がいる。不敬にあたってはならないと言うので彼らも声をひそめているものの、実際このロックアックスの中でその噂を知らない者の方が少なかったので、囁きも意味が無かった。
「しかし、本当の事だろうか……」
「噂の元はマイクロトフ様のお言葉だ。間違いなかろう」
「うむ」
赤騎士団長カミューの無二の親友で、且つ同じ団長職を預かる青騎士団のマイクロトフ。彼の言葉に二心を疑う者はまずいないと言うほどの、真面目で一本気な性格の男である。そんな男の言葉が噂の元となっているのなら、まず間違いは無いというので、よりいっそう噂が広がっているのだとも言えた。
「しかし、俺はまだ信じられんよ」
「俺もだ。よもやあのカミュー団長が……」
「ああ……婚約を結ぶとはな…」
赤騎士たちはぼんやりと天井を仰ぎ、魂の抜けるような吐息をもらした。
そう、今ロックアックスの街を賑わす一大事な噂とは、赤騎士団長カミューがただ一人の乙女と将来を誓い合ったという、およそ信じられないような内容だったのであった。
これまでに華やかな噂の多かったカミューであったが、このところすっかりとなりを潜めていたから随分と落ち着いてきたのだなと周囲は思っていた。赤騎士団長としての分を弁えて、公私共に安定してきたのだろうと―――。そこへ来てのこの婚約話である。とうとう年貢の納め時かと思われると同時に、肝心の相手はいったい誰なのだろうとロックアックスの街中はその噂で持ち切りになった。
だが不思議な事に、カミューの婚約という事実は確からしいのにその相手の素性が全くの霧の中だった。
「……で、誰なのですか?」
仕官専用食堂、などという選民意識の顕著な場所で、カミューがハーブチキンを口中に放り込んだところでそんな問い掛けが真正面からなされた。
声の正体は青騎士団第一隊長―――フェイスターはその正面席を光栄にも得て、スープを啜りつつ目線だけちらりとカミューを見詰めていた。カミューはチキンをじっくりと咀嚼し終えてからフェイスターの瞳を見詰め返した。
「何の話かな」
「お分かりでしょう。今や城内ならぬロックアックスの街中で知らぬ者などいない噂の事ですよ。当事者殿」
「ああ、あれね」
分かり切っているくせにわざわざ今得心したように鷹揚に頷いたカミューに、フェイスターは相変わらずの無表情で口の端だけを僅かに持ち上げた。
「騎士団内では軽々しい噂話は禁じられておりますが、事が事だけに流石の青騎士でも放っては置けぬようで。しかも噂の元はマイクロトフ様のお言葉……団長まで利用なさって、いったい何を考えておいでですか」
ひたりと冷たい眼差しを向けられて、カミューはそれをかわすように柔らかな微笑を浮かべた。フェイスターは冷静で何を考えているか分からない男だが、これでいてマイクロトフには絶対の忠誠を捧げており、彼の為にならないことは一切見逃さず秘密裏に処理してしまうような周到な男である。
カミューが一人で食事しようとしているところを見計らって同席を願い出たのは、なるほどあまりに蔓延しすぎた噂の真実を付き止める為かと、カミューは微笑を浮かべたままチキンにフォークを付き刺した。
「何って、おそらく君が聞いたままの通りだと思うんだが」
「私が聞いたまま、と仰られますと―――カミュー様が旅芸人の娘に手を出して孕ませた挙句に捨てようとしているところでその親族がはるばる殴り込んできてどうにもならずに婚約をこぎ付けられたとか言う……」
「そんなところまでいっているのか?」
カミューはぽかんとして、次に大声を上げて笑った。
「大したものだな。ちなみに一番マシなのは?」
「『結婚するかもしれんとカミューが言っていた』ですかね」
「あぁ、それが一番正しいな。もしかしてマイクロトフの言葉そのままかな」
「はい。一言一句間違いありません、が、その時のお顔の表情までは再現できないのが残念です。苦虫どころか刺激物満載の丸薬でも噛み潰したようなお顔でしたから」
「ほう、良く知っているじゃないか」
「その場におりましたもので。それに、ここまで最悪な尾ひれがついたのも、ひとえにあの時のマイクロトフ団長の表情が酷かったからでしょう。これが笑顔で仰っておられたら、今頃もっと平和的で花でも舞いそうな噂になっていたのでしょうな」
「……なるほど」
フォークを持つ手で顎を支えてカミューは考え込んだ。それを正面から冷ややかな眼差しで見詰めるフェイスターは変わらずスープを飲みながら、また訊ねる。
「それで、件の婚約相手とはいったい何処のどなたですか」
「知りたいか」
「大変興味深いですからね」
「マイクロトフには聞いてみたかい?」
「はい」
即答にカミューが僅かに目を丸くする。まさかそう返ってくるとは思っていなかった反応である。フェイスターはしかしそんなカミューの態度を心得ていたかのように、またもや口の端だけを歪めて笑うと、その薄い灰色の瞳に生真面目なほどの表情を浮かべて見詰めた。
「あの方は素直な方ですから、こちらが疑問に思う事を聞いたとしても何の不思議も感じられません。カミュー様に婚約話が持ち上がったのならば、当然皆その相手が誰だか気になりますから、代表しましてこの不詳の身が問い掛けさせて頂きました」
「答えは?」
「『それはまだ言えんのだ』です」
「はぁー、そうかい」
カミューは何度か軽く頷きを繰り返すと、残っていたチキンを平らげて口元をナプキンで拭った。そしてグラスの水をごくりと飲み込む。暫しそんなカミューを黙って見ていたフェイスターは何を考えているのかやはり落ち着いてスープの残りをスプーンで掬っている。
そんな彼らを遠巻きに見ていた他の仕官位にある騎士たちの心境は平穏ではない。そう大声で話してもいないカミューとフェイスターなのに、嫌なくらいの存在感があり、聞きたくなくてもつい耳をそばだてて彼らの会話を聞いてしまうのである。その内容が今のところ騎士団内で一番の噂のネタで、しかも当事者の赤騎士団長に、青騎士団内随一の曲者と名高い第一隊長がその真意を問うているのだ。この先を聞かない方が良いのか、それとも聞いておいた方が良いのか、判断の付き難い状況である。もしも聞いてしまって他言出来ないような内容なら赤騎士団長が怖く、聞かずに逃げ出したら青騎士第一隊長が怖い。
しかしそんな彼らの言い知れぬ不安を誘う杞憂は、カミューが静かに席を立ったことで晴らされた。
「フェイスター」
「はい」
愉快気な色を含むカミューの呼び掛けにフェイスターが律儀に応える。灰色の瞳を見下ろすカミューの瞳は細く笑っていた。
「マイクロトフが答えない事を、わたしが教えるわけがないだろう?」
言ってカミューはくるりと踵を返すと食堂を去って行く。その背を見送るフェイスターの顔はそれでも相変わらず無表情だった。だが、一番近くの席にいた青騎士が、微かに洩れ聞こえてきた青騎士第一隊長の呟きを聞いて、その夜悪夢を見たとか見なかったとか。
結局の所、噂の真意は当事者の胸以外に知られる事もなく、ただその話だけが大きく独り歩きをして行くのだった。
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2003/01/07