imitative lover 2


 偽りもいつしか真になるのだと彼は知らない。そもそも、己で始末をつけられない偽りは成してはならない。いっそその偽りに魂まで浸るのならば別だが。
 偽りを偽りのままとして済ませるには、生半可な覚悟では務まらない。
 ―――もっとも覚悟は既に決めたあとではあるのだが。



 フェイスターと別れてから、カミューは真っ直ぐに自室へと向かっていた。その顔は平素と変わり無いように見えて実のところ瞳が不穏であった。
 機巧(からくり)の舞台は回り始めた。仕掛け人が計った筋書きよりも上手く。
 かえって上手く進みすぎて面白くなかった。元からこの仕掛けは気が進まなかったのだが、どうしてもと望むあの声にカミューは決して逆らえない。思う限りの説得をして反対したが、まるで頑是無い彼の心は解きほぐせなかった。
 良いだろう。結末をその目で見て精々後悔するが良い。
 私はただ、おまえの望むままに―――。

 自室に到着するとカミューはマントと肩当てをかなぐり捨ててベッドにどさりと腰掛けた。そしてそのまま仰向けに倒れ込み、徐にこめかみを揉み上げる。
 気の滅入ることだ。
 声なく呟きを漏らして息を吐く。
「さて……どうしようか」
 誰ともなしにかけられた問いは天井へと吸い込まれた。



 時を同じくしてマイクロトフもまた自分の執務室で機嫌が悪かった。
 これと言って当り散らしたり険のある言動をするわけでは無い。ぎゅっと寄った眉間の縦皺がいつもより一、二本多い程度だった。それでも食堂から戻ったフェイスターに溜息をつかせるに充分だった。
「ご機嫌麗しく」
 しかしマイクロトフはそんな第一隊長の言葉には何の反応も返さなかった。ただむっつりと書類に何か書きこんでいる。それを横目にフェイスターは傍に居た副官にちらりと目をやった。
 と、ぱちりと目が合った副官はなんとも言えない情け無いような泣き出しそうな、かと思えば笑い出しそうな微妙な表情を浮かべた。さぞかし居心地が悪いのだろう。
 マイクロトフと言う青騎士団長は中々上にたつものとして優れた人格を持っている。が、些か直情で没頭するタイプである。一つ事に囚われると他の一切をないがしろにしてしまう癖があった。表面上、手は動いているので仕事は進んでいるのだろうが実際は上の空に違いない。
 それに不機嫌が滲み出ている。絶対に部下に八つ当たりはしないだろう事は青騎士の誰もが承知しているが、しかし恐いことは恐い。あの赤騎士団長の底の見えない恐さとは違う、マイクロトフのこれはいつ爆発するか分からない恐さだ。一度切れるとこの上司は見境なく誰の制止をも振り切って飛び出してしまうのだ。しかもその行動の先が全く読めない突飛さときている。彼を上官と仰ぎ、忠誠を誓いその存在を守るべく剣を持つ身としては、肝が冷やされる現状だった。
 第一隊長はその緊張感に少々苛立ちが来ていて、言わなくて良いことを敢えてもらした。
「先程、カミュー様とお会いしましたよ」
 ぴくりとマイクロトフの肩が振れた。
「食事を一緒に。その席であの噂の真意を問うてみたのですが……」
 バッと音でも聞こえてきそうなほど勢い良くマイクロトフが顔を上げて、その黒い瞳がフェイスターを射抜いた。だが、何も言わない。
「団長?」
 怪訝に眉を寄せると、ふいっとマイクロトフの顔が反らされた。その眉間が益々険しくなっていくのが見えてフェイスターはおやおやと肩を竦めた。
「ご心配なさらずとも、カミュー様は何も教えては下さいませんでしたよ。団長が仰らないことをご自身が言うわけが無いそうです」
 実際のところは、言わないのではなくて言えないのでは無いかと考えているフェイスターだったが、それは胸の内にしまっておく事にした。こうしてマイクロトフとカミューが双方口を噤んでいることに嘴を突っ込むのが良いのか悪のかくらいの判断はつく。
 だが見過ごせないこともあるので釘を刺すのは忘れない。
「話は変わりますが最近騎士団内に流布する噂をご存知ですか」
 マイクロトフは肯定も否定もしなかった。第一隊長は構わず続ける。
「騎士たるもの噂に振り回されるのは見苦しい事この上なく。明日の朝議で隊長以下を叱り付けて下さいますか」
「……分かった」
 マイクロトフが応じた瞬間、その目に痛みを覚えたような感情が流れたが、フェイスターは敢えてそれを見過ごした。
「そのうち噂が独り歩きどころか、走り出して手の届かない処まで行ってしまわないようにしませんと。暴れだした噂ほど手のつけられない厄介物はありませんよ」
「………」
 マイクロトフはやはり何も応えずに、置いていたペンを再び取り上げると、また書類に向き直った。その常に無い歯切れの悪さに、フェイスターもまた胸の辺りに痛みでも感じた気がして表情を少しばかり曇らせた。





 ところが、青騎士団第一隊長の懸念をあざ笑うかのように、噂は見事に独走をはじめた。
 噂の中だけに存在していた筈の婚約者の素性が明らかになったのである。相手はなんと前赤騎士団長の姪御、若干十六歳という現在二十五歳のカミューとでは九つも年が違う、少女であった。
 前赤騎士団長との縁続きであることと年齢以外、その少女の名や人物などは一切洩れ聞こえてはこないものの、それだけで充分騎士たちは盛り上がった。
 相手が若すぎる気もするがそんなものはあと数年もすれば気にならなくなる。九つ程度の年の差は実のところそう大したことでは無い。それになにより、当人であるカミューが毎週足繁く前赤騎士団長の邸に訪問しているのである。また快く招き入れられているとの目撃情報もあり、これはもしかして華やかな噂の絶えなかった赤騎士団長も年貢の納め時かと誰もが考えた。
 前赤騎士団長との縁戚であれば、それは相手として申し分なく、他国出身のカミューにとっては充分すぎるほどの後ろ盾となるだろう。これは誰からも祝福される婚姻となるだろうと思われた。

 だが、一人だけそんな赤騎士団長の慶事に暗鬱たる想いで過ごす男がいた。
 言わずもがな、その親友としてある青騎士団長である。彼ならば親友の喜ばしい話には間違いなく純粋な祝辞を告げるに違いなかった筈が、連日もうその不機嫌を隠すどころか前面に押しやって始終うそ寒い気配を撒き散らしていた。
 第一隊長はそして腹を決めた。
「……馬鹿げた噂だ。カミュー様も団長も決して認めたわけでも無いのに、さも真実のように口から口へと伝えられている」
 怒りを含んだ口調でフェイスターは団長たるマイクロトフを見詰めた。彼はやはり数日前と同じく執務室の机で書類相手に仕事をしていた。
「何だ、フェイスター」
「怒りますよ、と言っているんです」
「だから何だ」
「しらばっくれても現実は変わりませんよ。いつまでそんな玩具を失くした子供のように不貞腐れているんです」
「……フェイ…―――」
「カミュー様もだ。ご存知ですか? 今のあの方はまるで道化師の如く。自ら伸ばした操り糸で自らを動かして、言動全てが造り物のようで気味が悪い」
「フェイスター!」
 マイクロトフの怒声に、しかし第一隊長は怯まない。
「前に私はご忠告申し上げた筈。もう噂は暴れはじめている。いつまで見て見ぬ振りをするおつもりか」
「………」
 黙り込んだマイクロトフに、第一隊長はふと溜息をついた。
「団長。本来のあなたなら、ご親友がめでたい時にそんな顔はなさらないはずです。私は、そんな顔をするあなたを見ているのが辛い」
 恐らくはマイクロトフが今の噂の全ての鍵を握っているに違いないと、フェイスターはそう睨んでいた。そうでなければあの赤騎士団長がこんなマイクロトフを放り出したまま、噂が大きくなるのをそのままに、どころか増長を煽るような真似をするはずが無い。きっと何か、この二人の間にあるのだろう。
 だがそれを聞き出すまではしてはならない。
 こうして、マイクロトフの背を押してやるだけだ。物事は人が絡めば絡むほど複雑になっていくもので、やはり余計な差出口は出来るだけ控えた方が良い。
「……団長。ひとつ、情報を差し上げます」
 厳かに告げた第一隊長に、マイクロトフはふと瞬いた。滅多に無い、団長のそんな幼げな仕草に微かな苦笑を漏らしつつ、フェイスターは人差し指を立てた。
「今夜のカミュー様のご予定は白紙。ですが外出許可は赤の副長殿が差し止めております」
 一度じっくりとお話なさい。
 第一隊長の言葉に、マイクロトフはまたその瞳に痛みを浮かべたが、次の瞬間こくりと頷いた拍子にそれは消えていた。



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2003/02/08