imitative lover 6


 大切なものは少なくて良い。
 右手と左手、それしかない。両手で包めるものの大きさなんて些細なものだ。腕を伸ばして抱え込める広さも、限られている。
 だから大切なものは少なくて良い。
 この身ひとつで守れるだけのものを、大切に―――。
 だけどそれでも、目に映る、耳に聞こえる全てを救ってやりたいと、そう思うのは……。



「彼女?」
 今朝早くに己宛に届いた手紙を、片手に握り締め乗り込んだマイクロトフに、カミューは軽く眉を寄せてから「あぁ」と気怠く頷いた。
「確かにリディア嬢は胸を患っている。ここ、心臓だよ。生まれつき普通より弱く脆く出来ているらしい」
 事も無げに、報告書でも読むように素っ気無く教えてくれる。
「カミューは知っていたのか…?」
「ああ、あの直後にジェラード様から手紙が来てね。それに書いてあった。彼女の余命はあと一年もないそうだよ」
「この手紙には、是非顔を見せに来てくれと―――」
 手に握り締めた手紙を見下ろしながら言うマイクロトフに、カミューは苦笑を浮かべた。
「ジェラード様も困ったものだな。おまえにまで訴えるなんて少し違反じゃないか?」
「カミュー、おまえ一度も応じていないのか」
「当然だ。用もないのに出向く暇など無いからね」
「しかしリディア殿はおまえの顔が見たいと言って……っ」
 ジェラードからの手紙には、あれから日毎リディアは意気消沈していって益々元気をなくしているらしく、食が細り寝たきりになっているのだと。原因が分からないだけに余計心配で、せめて一番最近で楽しく過ごしたカミューたちの顔を見ればまた元気になるかもしれないと、それらのような事を書いてあった。
 マイクロトフは、これは恋わずらいなのではと思った。リディアはあの時きっとカミューに一目惚れをしたのだろう。何せ外見だけは随一の美男子である。その上に微笑まれれば何を言われなくても引き込まれてしまう。そして赤騎士団長と言う地位と共に退屈させない巧みな話術だ。年頃の世慣れない娘などひとたまりも無い……と思う。
 ともかく。碌に食事もままならぬような気の毒な有様なら、見舞うくらいどうと言う事は無いだろうに。前赤騎士団長たっての頼みでもあるのだから。
 しかしカミューは厳しい眼差しで首を振った。
「見舞って一時慰めてそれでどうなる。彼女の穏やかな僅かな時間に割り込んで騒がしくするだけだ」
「カミュー…?」
「マイクロトフ、ジェラード様の思惑に乗せられるな。彼があの姪にとことん甘いのは先日見たばかりだろう。レディ・リディアだって会わずに過ごせば我らのことなど直ぐに忘れるものを、わざわざ大袈裟にしようとしている」
 そして書類を一枚、指先でぴしっと弾いた。
「大体ね、一人の少女より優先させるべき事項は多いよ?」
 それからその手をマイクロトフへと伸ばした。なんだ、といぶかしむ視線を向けるとカミューは指先を手紙へと定めた。
「手紙、寄越せ。読んだ上でジェラード様へ返事を書いておくから」
「返事だけで済ますつもりか」
「いけないか?」
「当たり前だ。何とか時間を作ってもう一度訪ねるんだ」
「どうしてそこまで」
 カミューがさもうんざりだと言う風に聞いてくる。対するマイクロトフの答えはと言えば。
「気の毒ではないか……」
 それしかなかった。
 他に理由は思い浮かばない。ただ、気の毒で。療養中の彼女の僅かな気休めにでもなればと思う。そんな事を考えるのはただの傲慢だろうか。
「マイクロトフ……」
 困ったようなカミューの声にハッとすると、彼は目が合った途端に大袈裟な溜息を吐いた。
「仕方ないな。副長に言って暇を作ってもらうよ」
「カミュー?」
「俺は、おまえのそう言う目に弱いんだ」
 いったいどんな目をしていたのか、とマイクロトフが眉根をぎゅっと寄せると、カミューは掌を上にして肩を竦める。
「それ、その目だ。ずるいなマイクロトフは」
「なんだと?」
「あ、やめてくれ。本当にそれ以上見詰められたら熱が出そう」
 一転して揶揄混じりにそんなことを言うカミューに、マイクロトフは思わずむっとして拳を握り締める。
「カミュー!」
 ふざけた気持ちで話しているわけではないのに。だがカミューはさも愉快そうに笑いながらマイクロトフの手から手紙を抜き取ると、話はこれまでだとでも言う風に肩を竦めた。
「……予定がついたらまた言うから、マイクロトフ」
「分かった―――」
 むすりと答えて、マイクロトフはくるりと踵を返すと、むかむかとした気分のまま部屋を辞した。ともあれ、カミューがその気になっただけでも良かったのだ。あれでいて約束したからには必ず守る男だから、反故にされることはないだろう。
 取り敢えずはここに出向いた当初の希望通りに事が進んだだけでも良しとしなければ。そう、少し浮上した気分で廊下を進むマイクロトフであったが、閉じた扉の向こう―――室内に居残って手紙を片手にしたカミューの呟きを聞けば、またその気分も変わっていたかもしれない。

「……俺は、苦手だと言ったのにな」

 ポツリとこぼし、僅かばかりの気鬱を纏って、カミューは手紙の文面を確かめるために便箋を開いたのだった。





 ところが、互いの予定を合わせていざジェラードの屋敷へと出向こうとしたその当日。既に相手にも訪問を伝えて後は馬車に乗り込むだけとなった時だった。
 青騎士団内部で問題が起きて、マイクロトフは居残らざるをえなくなってしまった。どうも騎士同士で私闘があったとかで団長がいなくては収拾がつかないとか。
 ところがその話を聞いたカミューが、それなら自分も行かないと言い出した。すかさずマイクロトフはそんな男を馬車に詰め込むと叱りつける。
「馬鹿者、ジェラード様は今日俺たちが来るものと思って用意しておられるに違いないのだぞ。俺だけならまだしも、二人ともいかんわけにいくか」
「でもマイクロトフ。それでは俺ひとりに、ジェラード様とリディア嬢二人の相手をしろと言うのかい?」
 片足だけ馬車から乗り出すカミューの返しにグッと詰まる。
 だがここでカミューが予定を変えて訪問しないとなれば、待ち侘びているに違いないリディアなど更なる消沈を誘ってもっと具合が悪くなってしまうかもしれないではないか。
「カ、カミューなら平気だろう」
「日を改めてはいけないのか?」
「約束を違えるなど、いかん」
「マイクロトフと一緒でなければそもそも願い下げなんだけどね」
 これでは堂々巡りだ。そんなマイクロトフが頭を抱えたい気持ちになったところで、カミューが仰々しく溜息を吐いた。
「分かった、もう良いよマイクロトフ」
「何がだ」
「行って来れば良いんだろう? それでレディのご機嫌でも伺ってくるさ」
 投げ遣りな言い草にまたカチンと来るものの、カミューがそう言うのなら間違いなくそうしてくれるだろう。
「あぁ、頼む」
「仰せのままに」
 むすっとしたマイクロトフの態度とは裏腹に、カミューはこの上もなく優雅に頷くと馬車の扉を閉めたのだった。





 そしてカミューは夜半、戻ってきた。
 もう就寝すべきはずの時間だったが、何故か眠る気になれずに僅かな明かりの元で頭に入ってこない読書をしていたマイクロトフは、突然に部屋へとやってきたカミューに驚く。
 晩餐も共にしてきたのだろう、しかし満足できるもてなしを受けたはずが、僅かな酒精を漂わせた瞳は苛立ちもあらわにマイクロトフに詰め寄った。
「…カミュー?」
「最悪だ」
 不機嫌な声音で一言吐き捨ててカミューは上着を椅子の上に放り投げる。
「まったく、やっぱり行かなければ良かった」
 タイも剥ぎ取って上着に叩き付ける。
「何があったんだ」
 するとカミューは鼻先で笑ってマイクロトフを横目にちらりと見た。
「……別に、大した事じゃない。レディ・リディアに心を込めて想いとやらを打ち明けられただけだ」
「………」
「当然、丁寧に断らせてもらうつもりだった筈が、相手が相手だからいつもと違って調子が狂った。実に後味が悪い」
「どうした」
「どうもこうも。断ろうとした最中に突然発作を起こされてしまったんだ。ジェラード様は取り乱すし、本当に最悪だった」
「それは……」
「幸い薬を飲んだらすぐに落ち着いたが、冷や冷やしたよ―――」
 それでやっと帰ってきたがと引いた椅子にどかりと腰掛けてカミューは首を振るう。その明るい髪の色を見つめながらマイクロトフは複雑な気分で眉根を寄せていた。
「それでカミュー、どうするんだ」
「……何がだい?」
「結局断りはできないまま帰ってきたんだろう」
「そうだけど、どうせ断るものなんだから、また手紙でも送るさ」
 もう二度と出向きたくないね。
 肩を竦めてそんな事を言うカミューを、しかしマイクロトフはわけの分からない不快感に衝き動かされて怒鳴っていた。
「駄目だ!」
 カミューがぱちりと瞬く。
「マイクロトフ…?」
「そんな酷い真似は許さん!」
「……ええ?」
「リディア殿は本気でお前を好いている。ご自身の体の事も全て理解した上で勇気を振り絞ってお前に告白したんだろうに、それを素気無く断るなど、あんまりだ」
「でも、マイクロトフ」
「何だ!」
 語気も荒く振り返ると、なんとも情けない顔のカミューがそこにいた。下手をすると突付けば泣きそうな風情でもある。
「マイクロトフ……でも、俺はお前が好きなんだけど…」
 それ、分かってくれてるのかい?
 カミューに気弱に問いかけられて、思わず返す言葉をなくしたマイクロトフだった。



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2003/06/06