imitative lover 7


 何をもって駄目だと言うのか。
 そして良しと言うのか。
 その判断は結局個人の勝手な価値観からでしかない。
 だから我を通すとは、実際には酷く独善的な行為なのだ。
 たとえそれがどれほど他人を思っての事だとしても。



 雨の日の屋内訓練は大変なものだ。
 屋外で訓練する予定だった者が屋内の訓練場へと移ってくるのもある。だがそれ以前に大勢の人間がもたらす熱気と湿気が、通常のそれにも増してすごいことになるのだ。
 だからといってその篭った暑苦しい室内さに挫けていいわけではない。よりいっそうの心身の鍛錬を怠らんと、自然指導にも厳しさが増す―――はずなのだが。
 この日ばかりは少々勝手が違った。

 騎士団内に例の噂が蔓延して数日。
 リディアの存在は明らかなところとなり、この上婚姻の事実を疑う者などいない。噂は既に噂ではなくなり、公然の事として騎士たちの口にのぼるようになった。
 そんな埒もない現在の状況をつらつらと考えながら、そういえばカミューと最近剣を合わせていないなと、マイクロトフは思った。
 お互いに忙しい上に、ここ最近は休日となればカミューが出掛けていってしまうからだ。尤も、暇があるのなら通えと仕向けたのはマイクロトフなのだからそれに対して不満などあるはずもない。
 だが―――。

「……っ!」
 視界を掠めたそれに、マイクロトフの意識よりも先に身体が反応する。あ、と思った時にはダンスニーが対戦相手の腕を切り裂いていた。
「マイクロトフ様!」
 訓練場の床に飛び散った鮮血に、部下たちが顔色を変えて飛んでくる。だが怪我をしたのは相手の方で、しかも重症だ。ただマイクロトフの方がより怪我人のように青褪めていたが。
 そこへ常の平静な顔で第一隊長が緩やかに歩み寄ってきた。しかしその声は皮肉屋のこの男にしては冷徹である。
「マイクロトフ団長」
「…フェイスター……」
「訓練への集中がお出来にならないのなら、邪魔ですから出て行って下さい」
 不敬といえば不敬に過ぎる言葉だ。仮にも団長に対して隊長職の者が言うべき言葉ではない。しかし言われた方は悄然と項垂れて血に汚れてしまった剣をしまう。
「すまない」
「見当外れの謝罪など結構」
 普段からの捏ね繰り回された物言いとは違った、率直過ぎる言葉の理由は怒りだ。口の端に皮肉な笑みすら浮かべていないこの第一隊長は、怒りが心頭に達した時ほど言い回しに容赦がなくなる。それを知っているマイクロトフも、今の彼の怒りの理由が嫌と言うほど分かっているので大人しく詫びの言葉を飲み込んだ。
「後を任せても構わないか……?」
「無論の事―――して団長はどうなされるおつもりで」
 そこで漸く第一隊長の顔に見慣れた皮肉が宿るのを見て、マイクロトフは苦笑を浮かべた。上の空で全く訓練に身の入っていなかった上司に対して、はじめは手厳しくとも結局は甘く接してくれるのだ。
「…俺は少し頭を冷やしてくる」
「それは良いですね。なんでしたら洛帝山の万年雪にでも頭を突っ込んでこられると良い」
「……流石にそこまで能天気な真似は出来んが…」
「明日の朝議までに復活して下されば問題はありませんので、それくらいの時間はございますが?」
 揶揄混じりの言葉に、さしものマイクロトフも顔を顰めて手を振った。
「勘弁してくれフェイスター。分かった、明日の朝までにはどうにかするから、今日のところは頼んだぞ」
「承知いたしました」
 いってらっしゃいませ。
 典雅に頭を下げて送り出すのに、マイクロトフは生真面目に頷いて返し、訓練場を後にした。
 実のところ去り行くその団長の背を、心配そうな眼差しで見送ったのは第一隊長のみならずその場にいた青騎士全員であったわけだが、今のところそれは関係のない話である。





 かくして訓練場を追い出されたマイクロトフは、唐突に生まれた空白の時間を持て余して思わず慣れた存在を探そうとして止まった。
 そうだ、あいつは今日もいないんだった。
 声もなく呟いてマイクロトフは俯いた。

 駄目だ、と言ったマイクロトフに哀しそうな顔をしていたカミュー。
 でも、俺はおまえが好きなんだけど。そう言った言葉が何故かマイクロトフの胸に重く圧し掛かった。あの時は咄嗟に分かっていると憮然と返したが、それにカミューは「そう?」と首を傾げた。
 誠実たれ。その言葉の裏にはしかしなんと巧妙な偽りが潜んでいることか。
 マイクロトフは、リディアの真剣な告白に対してカミューに誠実な態度を返せと言ったのだ。だがそれと同時に、あの少女に真実は言って欲しくないとも言った。
 あの病弱な少女がたった一目で恋に落ちた赤騎士団長が、よもやこんな無粋な男と恋人関係にあるのだとは、とてもではないが教えられない。いったいどれほどの衝撃を受けるか知れないし、今度こそ重大な発作を起こして大変な事になるとも限らない。
 そんなマイクロトフの考えは直ぐに理解したのだろう。カミューは微かな笑みを浮かべて頷いてくれた。

 分かったよマイクロトフ…。

 どこか諦めたように微苦笑を浮かべてカミューはマイクロトフの言葉に従ってくれたのだ。
 そしてそれから僅かも経たずカミューはジェラードの屋敷へと出掛けたのである。リディアに会いに、誠実に彼女の想いを否定するために。ところが、それでこの面倒な話が終わる筈が、再びカミューが帰った時の一言でぐるりと違う方へと向いてしまった。

「なんだって…?」
 マイクロトフはカミューの言葉を聞き直した。今、なんと言った?
「だから、また行く羽目になった」
「ま…た?」
 そんな、カミューは今日リディアに想いは受け入れられないと断ったはずだ。それがどうしてまた会いに行くのだ。もしかして、実はまだ断っていないのか―――。
「いや、きちんと断ったよ。レディ・リディアには悪いけれどね」
 肩を竦めたカミューは、にこりと笑ってマイクロトフを見ると「俺にはお前がいるからね」と囁いた。その瞬間にきらりと光った瞳に鼓動がどきりと跳ねる。
「……また、お前はそんな事を…っ」
「本当のことだからね」
 真っ赤になったマイクロトフにカミューはくすくすと笑って手を伸ばしてくる。
「キスしても良いかい?」
 だが唇が触れる直前、マイクロトフは眉を顰めた。
「待て、話が終わっていない」
 その肩をぐいと押しやって不満げに瞳を眇めるカミューを見つめた。
「またジェラード様の所へ行くと言うのはどうした理屈だ」
「ああ……別にそんなのは後でも…」
「駄目だ、きちんと答えろ」
「別に大した事ではないよ。ただこれからも良ければ話し相手になって欲しいと言われたのさ」
「それで、お前は行くのか……?」
 途端に胸が冷やりとした気がした。しかしカミューは相変わらずの微笑のまま頷く。
「ああ、確り交際を断って拘りをなくしてみると、レディ・リディアはあれで明朗快活で思ったよりも話しやすいからね。流石にそんな些細な願いすら断るのは悪い気もするから」
 変なところで女性には優しいカミューだ。けれど、それ以上にマイクロトフに優しい。
「でもお前が嫌なら、行かないよ」
 そんな事を言う。だがその言葉の意味が良く分からなかった。
「どうして」
「うん? 嫌じゃない?」
 首を傾げて聞いてくるのに、マイクロトフは黙り込む。何故、嫌だと思わなければならない。余命幾ばくもない少女に僅かばかりの慰めを与えられるのなら、それを勧めこそすれ嫌がるなどあるか。
 良く考えてから、言葉を纏めてそんなように答えるとカミューは何とも言えない微妙な表情をして笑った。
「マイクロトフは、それで良いの?」
「無論だ」
「なら休みのたびにレディ・リディアの見舞いに行っても構わないとか、言うわけかい」
 休みのたびに。
 カミューがリディアに会いに行く?
「…行けば良い、何よりだ。なんなら毎週でも行けば良いだろう」
 気が付くとそう答えていた。
「……あ、そう」
 ふと、カミューの瞳に見慣れた熱が篭った気がした。だがそれは直ぐに消え失せて、また微笑が宿る。
「分かった。マイクロトフがそう言うのなら、そうするよ」
「ああ……」
 そうしろ。

 囁きは、カミューの唇に消える。待ったをかけられていたキスが再開して、目を伏せたマイクロトフは、何だかもやもやとした気分を抱えたまま、カミューの柔らかな唇の感触だけを追った。

 そしてそれ以来、カミューは暇さえあればリディアを見舞うようになり、マイクロトフは絶えずそんなカミューの姿を探すようになった。



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2003/06/14