imitative lover 9
はじめから守られるために存在する者がいる。
そしてそうした存在を守るためにもまた、存在する者がいる。
ずっと幼い頃から漠然と感じていたその理屈を、自分なりに受け止めていたはずだった。
それなのに、どうして今その理屈がこの上なく理不尽に思えるのだろうか。
守られるべき者には、何の悪意もないのに。
―――弱さ、という罪があったとしても。
「マイクロトフ様はご存知? カミュー様ったら照れた時、少しはにかむ様に笑うんです」
言って幸せそうに微笑む少女に、マイクロトフは苦く笑みを浮かべて相槌を打つ。知っているも何も、カミューは照れた時はそれを誤魔化すようにそっぽを向いて少し困ったような顔をする。
はにかむなんて……あいつが寝ぼけた時くらいにする顔だ。
「マイクロトフ様?」
少女が、リディアがふと言葉を止めてうかがってくるの、マイクロトフはいや、と首を振る。なんでもないと身振りで応えるとリディアの可憐な唇はまた笑みを湛えてカミューのアレコレを美しく幸せな夢のように語るのだ。
先ほどからずっとこの調子だった。
マイクロトフの二度目の訪問は、一度目のそれから随分と時が経ってからの事だった。それを実感したのは初めに出会った頃の記憶と比べて、リディアが驚くほどに痩せ細っていたのを目にした時だった。
カミューに、俺も行くと言って無理やりについてきたのだ。
屋敷に着いて早々、リディアにお定まりらしい挨拶を告げると直ぐにカミューはジェラードと話があると言って引っ込んでしまい、取り残されたマイクロトフはひとり、寝台に身を起こした少女の話を聞くこととなった。
そしてそんな少女がする話と言ったら専らカミューの事ばかりで、聞かされるその全てに何故か反射的に否定を思い浮かべているマイクロトフだった。しかもリディアの言葉の端々には、何故だかマイクロトフの関心を引こうとでも言うのか、あからさまな表現が散りばめられていた。
「あんなに優しく接してくださる方ははじめて。もし私がこんな身体ではなくてもっと丈夫だったのなら、カミュー様と穏やかなお付き合いが出来るのに」
穏やか……。違う、カミューほど激しく人を愛する男はいない。またそんな事を咄嗟に考えていたマイクロトフだが、続いたリディアの言葉に思わず息を詰めた。
「でもカミュー様って恋人がいらしたんですってね」
「……は…」
「あら、知らなかったんですの? でもそれが、とてもつれない恋人だったんだそうですよ。滅多に手も握らせてくれなくって、愛の言葉もあまり返して下さらなかったんですって」
恋人なのに冷たいですよねぇ、とリディアが言う。それに対してマイクロトフは汗がだらだらと吹き出してくるのを隠すのに精一杯だ。リディアの言うのはきっと自分の事に違いなかった。だとすればカミューはこの少女にあれこれと自分の事を打ち明けていたと……。
「どんな方かは教えては下さらなかったんですけど」
不意のリディアの言葉に思わず詰めていた息を吐く。
「でもカミュー様のように素敵な方にそんな冷たい仕打ちが出来るなんて、その人はきっと自分がどれくらい幸福な立場にいたのか分かっていなかったのだと思うの」
リディアはその小さな手で拳を作り、むうっと唇を尖らせてそんな事を強い口調で言う。本当に心からカミューを敬愛して、恋情を捧げているのだと思わせるそんな仕草がいじらしい。
だが一転、そんなリディアの表情が酷く真剣なそれへと変わった。
「マイクロトフ様は、私の身体の事をご存知でしたよね…」
「ああ……」
いったい何を言い出すのかと黙っていると、リディアはそっと掌を己の胸へと宛がって目を伏せた。
「これまで接した誰もが、決して私と病気とを切り離しては考えては下さらなかった……仕方のない事ですけれど、でも私個人の事よりも先ず病気の事を案じられて、何をするにも病気と相談してからでした。それなのにカミュー様は違ったんです」
そっと覗い見たリディアの瞳は穏やかに潤んでいた。
「カミュー様は私を普通の女性として接してくださるの。私はなによりもそれが一番嬉しい」
「リディア殿……」
そこで少女はにこりと微笑んだ。
「だから、カミュー様にはそんな薄情で冷たい人の事なんて忘れて頂きたいの。こんな私でも、いいえこんな私だからこそ精一杯カミュー様のお気持ちに応えたいと思うんです」
「………」
「応援、してくださいますよねマイクロトフ様?」
え、とマイクロトフは瞬いた。するとリディアは「あら?」と目を瞠る。
「マイクロトフ様は、カミュー様のご親友でしょう? 私、カミュー様の婚約者としてまだまだ不足なところがあると思うんです。だから色々とマイクロトフ様に教えていただこうと思っていたの」
やっと訪ねて来て下さって、だからとても嬉しいの。
無邪気にニコニコと笑顔を浮かべながら少女はそんな健気な事を言う。しかしその、まるで病などないような気丈な言葉と、見た目の蒼白さが相反して余計に切ない。
そしてそれだけに、マイクロトフの胸を強く抉る衝動があった。
「リディア殿、俺は……」
「あら、駄目ですか?」
「いやそういう事では」
こめかみを指先で押さえてマイクロトフは言葉に詰まる。
違うのだ。自分はリディアのこんな話を聞くためにここに来たのではないのだ。決意をしてやってきたはずなのに、なんなのだろうこの有様は。
本当は、自分の気持ちを正直に言うつもりでここにやってきたのだ。一切を偽ることなく、誠実に。
だがその決意が挫けた。
この少女を前に何を言えと言うのだろう。
マイクロトフが武骨な手で掴むなり押すなりしただけで折れてしまいそうに儚く細い身体を寝台に横たえて。表情だけはきらきらと若さに溢れているのに、その肌の蒼白さは少女の溌剌さを裏切っている。
そんな少女が瞳を煌かせて、カミューへの愛を語るのだ。
何を語れと……。
―――すまないが、協力は出来ん。
理由は?
カミューがここに来るようになった原因はマイクロトフの言葉だったのに。仮にとはいえ婚約をすると言った時、反対もしなかったまさに薄情な恋人の分際で。
第一、彼女が褒め称えるカミューの長所はどれもこれもマイクロトフには馴染みのないことばかりで、まるで別人の話を聞いているようだった。それに対してマイクロトフが教えられるカミューの良いところなど、言ったところで憧れをぶち壊すだけではなかろうか。
あんな整った造作のくせに、眠いと幼児のようにぞんざいに甘えてきたり。
理知的なようでいて一度癇癪を起こすと怒鳴るわ喚くわ手がつけられないし。
時折思い出したように我侭を言って困らせるし。
……良いところどころかこれでは欠点ばかりではないか。
内心で深い溜息をついてマイクロトフはこめかみを指で揉んで微かに首を振るう。素敵な赤騎士団長の顔がなくなってしまう。
「マイクロトフ様?」
「あ、いや…」
ここで口ごもる自分にたまらなく嫌気がさしてくる。奥歯を噛みしめると苦渋が口の中に染み出してくるようだった。
「……リディア殿、俺は―――」
「気になります」
不意にリディアはマイクロトフの言葉を遮るように言葉を発した。顔を上げると少女の不満げに揺れる瞳とかち合う。
「カミュー様は、まだその前の恋人をお忘れになっていないみたい。冷たい人なのに、そんなにも思われるなんてどんな方なのか、気になります」
そしてリディアは寝台から飛び出さんばかりの勢いで、マイクロトフに縋ってきた。
「本当はマイクロトフ様に、これだけを教えて頂きたかったの。カミュー様の恋人ってどんな方だったの? ご存知なんでしょう? お願いします、どうか隠さずに教えて」
突然の必死さにマイクロトフはうろたえた。
だがリディアは泣きそうな顔をしてじっと見詰めてくるのだ。
「親友なのでしょう? 絶対知っているはずよ、教えて!」
「俺は……」
「お願い!」
リディアが訴える。
マイクロトフは苦味を噛み潰したような顔のまま、そんな少女を見詰め返すばかりだ。
「マイクロトフ様……お願いします……」
しまいにはぐすぐすと涙混じりに懇願されては、もうマイクロトフに成す術はなかった。
舌がうまく動かなかったかもしれない。
だが、ゆるりと見開かれたリディアの、濡れた瞳がきちんと聞こえたらしいと教える。その唇が微かに「うそ」と動くのも。
気付くとマイクロトフは言っていた。
「俺です」
言った直後に後悔がどっと押し寄せてきたが、何故だかそれまでずっとマイクロトフを苛んでいた憂鬱の重みが消えた気がした。
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2003/07/06