flower rainy day 3
心なしか青褪めたまま、カミューはマイクロトフへ先に関所へ向かうように勧めた。
今は一度離れて頭を冷やした方が良いと考えたからだ。冷静を促す理性が、うろたえようとする心を無視して、この後の自分のなすべきことを考えてしまう。
今、マイクロトフと二人で騎士団を飛び出すのは容易い。だがそれでは何も変わらないのだ。今、紛れもなく運命が自分たちに変化を求めていると全身で感じていたカミューは、このマチルダ騎士団そのものをも、自分達を巻き込もうとする運命の流れに共に引き込むつもりになっていた。
赤騎士団にはカミューに、青騎士団にはマイクロトフについてくるだろう者たちが多数いるに違いなかった。誇りに殉じてマチルダを出ても構わないという、そうした連中と共に離反するために、去っていくマイクロトフに背を向け、カミューは城の中へと引き返した。
「カミュー様」
既に騒ぎを耳にしたのだろう。赤の副長が常は穏やかな表情を強張らせて、カミューの元に駆け寄ってきた。そして、その胸元にエンブレムが無いのを見て、顔を歪めた。
カミューは一瞬顔を伏せかけたが、微かに顎を引くにとどめた。
「すまない―――」
「いえ」
短い遣り取りの後、副長は穏やかな笑みを浮かべた。
「いつかは、こうなっていた筈です」
「そうだね、だが少し予想より早すぎた。あの猪め、やっとミューズから戻ってきたかと思えば、またここを飛び出そうとするんだからな」
「今度は、共に行かれるのでしょう?」
「……ああ、勿論だ」
白手袋に覆われた掌で己の頬を撫で、カミューはふっと口元を笑みに歪めた。
「出来るだけの数を説得して連れて行きたい。まずは赤と青の騎士隊長達を集めて、他の騎士たちには離反の意志を伝えて駆け回ってくれるか」
白騎士の説得は難しいだろうから、今は良い、と。副長はそれだけの言葉で全てを汲むと踵を揃えて頷いた。
「御意」
「頼むよ。さて、隊長連中はどの程度ついてきてくれるかな」
「カミュー様とマイクロトフ様がお望みならば、半数以上は固いでしょうな」
「そうかい?」
「ええ」
「だとすれば、今日のこれは、なるべくしてなったという所かな」
そうなのだとすれば、少しは気が楽だ、とカミューは小さく呟いた。
それからカミューは集めた騎士隊長達を前に、一連の出来事を語った。時間が無いので事実だけを告げて、二者択一を迫った。かなり乱暴な手だと思いながら、十人十色の顔色を見せる隊長達をじろりと一瞥する。
「どちらを選ぶも自由だ」
カミューの言葉に、ひたすら驚愕する者、黙り込んで思案する者、厳しい表情で首を振る者。
各騎士隊長たちの半数以上は、このロックアックスに家庭のある者だ。長年にわたって代々騎士を輩出する名門の者すらいる。全員がついてきてくれるわけも無いのは当然だった。
中には、既に離反を決めてしまったマイクロトフとカミューを真っ向から責める者もいた。
騎士の忠誠とはなんなのだ、と。主君を裏切って、マチルダの民すら捨てて行くのかと。それに対してカミューは静かな表情でゆっくりと首を振るしかなかった。
今は、そうした感情論を交わしている暇など無かった。
「ついて来るか来ないか、どちらかにひとつだ」
「カミュー様……」
「マイクロトフは、新都市同盟軍の軍主殿らと共に、既に関所へと向かっている。私は出来るだけ同じ志の騎士を集めてあいつの後を追う。出来るならば貴殿らにもついてきて欲しい」
長い沈黙が降りた。だが、ややもしてそれを破ったのは一人の赤騎士だった。彼は一歩進み出ると、己の胸元に掌をあてて静かな眼差しでカミューを見つめると、ゆっくり項垂れた。
「私は、行けませんカミュー様。残念です」
「……構わない。君にはこのマチルダに守るべきものが多すぎる」
その赤騎士隊長には、年老いた父母と婚姻を控えた娘や、縁戚が多くロックアックスにいる。彼がもしもカミューたちについてきたなら、残された家族たちは反逆騎士の身内として扱われてしまうだろう。
良く見ると赤騎士の目は赤く充血していて、心底の悔しさを感じているのだろうとカミューに伝えた。
「本当に、残念ですカミュー様」
「ああ……。だが残るのならば、このマチルダを頼む」
「は、お任せ下さい」
深々と頭を下げた赤騎士に笑みを向けて、カミューは他の者に視線を向ける。
「それで、貴殿らはどうする? 時間は無い。即決してくれ」
「聞かれるまでもありませんな。私は早速部下たちの説得にあたらせて頂きますよ」
応えたのは青騎士の第一隊長だった。まだ若いが有能な男だ。カミューは思わず笑って頷いた。
「宜しく頼む。離反に応じた者は通常の出撃準備をしてロックアックスの城壁外に行くように伝えてくれ―――」
「了解いたしました」
では、と青騎士は出て行く。すると、それについて数人の騎士が何処か吹っ切れたような面差しで頷き、部屋を出て行った。
「我らも部下の説得にあたります」
「すまない」
「いえ」
そして残った隊長たちを振り返り、カミューは再度問うた。
「私ももう行かねばならない。来るか残るか、選ぶ自由はある」
そしてカミューは扉に手をかけ、もう二度と振り返ることなく部屋を出た。
廊下を足早に進みながら、カミューは白手袋で口元を覆い、思案顔を曇らせる。
見立てではおよそ半数の青騎士と赤騎士が離反に同調してくれるだろう。彼らに故郷を捨てさせるのは忍びないが、やはり同調者は多いほど心強い。何しろ、カミューたちが今から向かおうとしているのは、大した戦力もないのにルカ率いるハイランドの軍勢に立ち向かおうとしている同盟軍だ。
ミューズの残党とトゥーリバーの市軍とコボルト軍を引き入れているとはいえ、良くぞ今まで分散せずに済んだものだと感心する。それはやはり、あの真の紋章を抱くと言う少年の力故なのだろうか。
ともあれ、今はするべき事が沢山ありすぎる。
己の今日限りの私室―――赤騎士団長の居室へと向かう足は、いつの間にか小走りの速度に変わっていた。
ところがその赤騎士団長私室へ通じる大扉の手前で、待ち構えるようにして立っていた一人の赤騎士に、その足は止まらざるを得なかった。
「カミュー様、お待ちしていました」
ここで待っていればおいでになるだろうと思って、とまだ若い赤騎士は居住まいを正した。
「……何の用だ?」
その名前すら記憶にない、一介の騎士だ。カミューは僅かに目を細めると、気付かれぬように緊張を帯びた指先をユーライアの柄に滑らせた。
早くも捕縛命令が出ていると言うのか。ならば、迎え撃つまでだ。既に騎士団に対して叛意を示した以上、たとえ同じ赤騎士が相手とはいえ、カミューに躊躇いはない。
しかし相対した騎士は、カミューの密かな緊張とは裏腹に、妙に心許ない表情をしていた。そう、まるで戸惑っているような目をしていた。
「……マチルダを、去ると聞きました」
言いながら、騎士の目は否定してくれと訴えていた。そんなのは嘘だろうと信じたがっている目だ。だがカミューは肯定した。
「ああ」
「な、何故ですか?」
首を傾げた騎士の声は震えている。広げた両腕がさ迷い、当て所なく振り回されて結局身体の横にぶら下がった。そしてここに来て、初めて率直に問われた事にカミューは面食らった。
「今はマチルダに居ても、何も出来ないからだ」
分かり切った事だった。しかし騎士はまるで意味が分からないというような顔で首を振った。
「どうしてですか。ここは騎士団で、カミュー様は我々赤騎士団を統率する赤騎士団長です。何故、何も出来ないのですか」
「騎士団に居るからこその限界がある」
だから、出て行くのだ。
―――そうだ。だから、マイクロトフは出て行くと決めたんじゃないか。
「ですが、カミュー様が居て下さらなければ、赤騎士団はどうなるんですか! 我々を見捨てるんですか!」
カミューは息を吸い込み、唐突に激昂し始めた赤騎士を呆然と見遣った。
「マイクロトフ様も同じです! あなた方はこのマチルダ騎士団の赤騎士団と青騎士団とを統べる方々なのに! なぜそうも簡単に捨てられるのですか!」
誰よりも、捨ててはならない立場なのに、と赤騎士はカミューたちを責めた。だが声高に責め立てながらも、何故か赤騎士の顔は泣きそうに歪んでいた。
「何故ですか…っ! 我々はカミュー様の下でこのマチルダを守り抜くと誓ったのに。それなのに何故、今騎士団を捨てるのですか」
そして赤騎士は俯いて、小さく呟く。
「……お願いしますカミュー様…お願いです―――」
震えた声で、赤騎士は言った。
「我々を、置いていかないで下さい」
―――ああ、そうか。
その時カミューの目に、泣きそうな顔の赤騎士の姿が、自分のそれと重なって見えた。
―――置いていかないでほしい。
この声は、まさしくカミューがマイクロトフに訴えたかった言葉なのだった。
そして言いたかった言葉と同時に、その理由も見えたカミューだった。
「……捨てるのではないよ」
「カミュー様」
「必ず帰って来るよ。何故なら、私は騎士の名を捨てたとしても、その誇りまでも捨てたわけではないのだからね。それに、私は一人ではないからこそ、今このマチルダを去る事が出来る」
カミューは微笑を浮かべると、くるりと踵を返して赤騎士と真正面から向き合った。
「後は任せたよ」
「……カミュー様」
「私は別の場所から、このマチルダを守るために剣を振るおうと思う。だから残る者には、剣を使わずに戦ってもらいたい」
マイクロトフの背ばかりを追って、周囲を見回すことを忘れていた。少し立ち止まってみれば、自分は置き去りにされる孤独なばかりの存在ではないと分かっていたはずなのに。
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2004/09/17