flower rainy day 4


 同盟軍の軍主らと共に先にロックアックスを出たマイクロトフたちに、カミューら離反した騎士の一団が追いついたのは、グリンヒルとの境にある森でだった。
 少年達と、マイクロトフと、そして見慣れない顔は同盟軍からの迎えだろうか。随分と大勢の兵士達が森の奥にざわめいている。しんと静まり微動だにしない騎士たちとは対照的な同盟軍の兵士達である。
 彼ら同盟軍は統制の取れた騎士団の、赤騎士と青騎士のおよそ半数の多勢に呆然とした顔を見せた。それから騒がしくなった兵士達を背後に、少年は何故だか複雑な顔をし、見知らぬ黒い長髪の男はにやりと口元を笑みに歪めた。その男はカミューが名乗ると倣岸にも見える態度で同盟軍の正軍師だと名乗った。
 ではこれが噂に聞く、あのシルバーバーグから破門された不良軍師かと。端正な男の顔を見ながらそんな事を考えたカミューの顔を、その軍師は含みのある顔つきで見返していた。その視線に、つい条件反射で微笑を浮かべてしまう。
「初めてお目にかかる。シュウ軍師殿ですね」
 カミューがその名を言い当てると、シュウは僅かに目を瞠ったものの直ぐににやりと笑った。
「その通りだ。流石は名に聞こえた赤騎士団長カミュー殿だ。俺の名などを知っているとはな」
「ご自分がどれほど有名かご存じないと? まさか。各国がこぞってあなた方同盟軍の情報を得たがっているというのに」
 ハイランドの都市同盟侵攻によって出てきた新勢力の存在を、今更軽視する国、組織は少ないだろう。ゴルドーは残念ながら軽んじすぎていたが、大抵の統率者は何らかの情報を得ようとしている。そこでこの軍師の存在が無視されるわけは無い。
 そんなカミューの言葉に、シュウはふむと頷いた。
「ならば新たな情報にこう加えられるだろう。マチルダ騎士たちの大量の騎士団離反によって、同盟軍の勢力は更に大きくなったとな。まさかこんなに大量の人員が増えるとは、頭は痛いが有難くもある。それなりの歓迎させてもらうが文句は受付けんぞ」
 言い捨ててシュウは少年の腕を取り、兵士に指示をするようになにやら耳打ちを始めた。
 どうやらカミューが連れてきた騎士たちは、問題なく同盟軍に受け入れられるようだとたった今の会話で悟ったカミューは、漸くふっと肩の力を抜いて背後の騎士たちを振り返ると、号令があるまで各自休息を命じた。

 そこへ、やっとと言おうかそれとも今更と言おうか、マイクロトフが難しい顔をしてカミューの間近に寄ってきた。
「カミュー、少し良いか」
「ああ」
 促されて、カミューはすたすたと先に進むと、少しだけ周囲と距離を取るようにして離れた場所の木の根元に立つ。そこで改めて正面から見たマイクロトフは、ぐっと奥歯を噛み締めているのが良く分かる顔をして、これから言い出すべき言葉を練っているようだった。
 だがややもして、引き結んでいた唇を開くとマイクロトフは言った。
「後悔はしていない。だが、正直に言うと、彼らのことはちっとも考えていなかったのだ」
 主語も何もあったものではない。だが、それだけで充分カミューには理解できる言葉だった。彼の不安は良く分かる。そして戸惑った目を真っ直ぐに見詰めてくる理由も、その目につい微笑み返す自分がいる事も。
「分かるよマイクロトフ」
 ふっと足元を見てカミューは靴底の下の地面の柔らかさを感じる。舗装されたロックアックスの街には無い、幾重にも枯葉が積もりしっとりと湿り気を帯びた柔らかな土。不意に、自分が今何処に立っているのかが、その経緯も含めた全てが実感できたような気がした。
 ゴルドーに刃向かい離反を宣言して、事実上の反逆を示めして飛び出したも同然のマイクロトフ。直ぐにでも追っ手がかかってもおかしくないほどの大罪だ。
 ところがその罪に、カミューだけどころかこんなにも大勢の騎士たちが同調して騎士団を出奔してきてしまったのだ。あの時、エンブレムを棄てた時のマイクロトフは、後になってこんな事態になるとは考えもしていなかったのだろう。
「おまえの考える事は、だいたいは分かるよ。案じるな、と言うのはちょっと違うけれど、彼らがここにいるのはおまえの所為だけじゃない。皆、自分の意思で来ているのだから、そう気にするな」
 マイクロトフの戸惑いは、自分の行動がこれほど大勢を巻き込んだ事だ。しかし、気を抜けばその重大な責任に頭を抱えそうになる男に、大丈夫だと言ってやれるだけの根拠が、カミューにはちゃんとある。
「誰も強制されて来た訳じゃない。確かにマイクロトフ、おまえが切欠になったんだろうけれど、でも皆心の何処かで今のマチルダ騎士団に疑心を持っていたんだよ」
 だからこそ、突然の青騎士団長出奔劇が、こんな大量の騎士の離反に繋がったのだ。元々の要因が無ければ起こり得ない。ゴルドーの政策に不満を持っていたのはマイクロトフだけではなかったのだ。
「皆、自分の誇りを信じてここにいる。おまえは何も不安に思う必要は無いんだ。今までどおり前を向いて進めば良いだけだ」
「カミュー」
 それでも心配そうな表情が拭えないらしいマイクロトフは、ちらりとカミューの背後に見える騎士たちを見た。その黒い瞳が益々曇っていくのに思わず苦笑がこぼれる。
「しょうがないなマイクロトフ」
 カミューはそっとマイクロトフの袖口を掴んだ。それに吃驚したように目を見開くのに、にやりと笑って見せてやる。
「教えてやろうか。彼らの気持ちを」
「なんだと?」
「俺ならば分かるのさ。何しろ同じ気持ちを抱えていたんだからね」
「カミューが、あいつらと同じ……」
「そうさ。面と向かって言った事はないが、俺はずっと同じ気持ちを抱き続けてきていたんだ」
 呟き、袖口ごとマイクロトフの手首を握り締め、間近にその黒瞳を覗き込み告げる。

「置いていかないでくれ」

 ぽっかりと開いた口が、なんだか間抜けだった。

 カミューは思わず笑うと掴んでいた手首をぐいっと引くと、重心を崩したマイクロトフの頬にすかさず手を添えて、ふわりと唇を掠めるように口付けた。
「カミュー…っ」
 ぎょっとして大口を開けて叫びかけたマイクロトフは、しかし大声を出す寸前で留まって掠れた声で咎めた。
「大丈夫だよ。ほんの一瞬、誰も気付いていない」
 と言っておきながら、もしかしたら見られていたかもしれないが、そうか? と素直に信じるマイクロトフに笑みを向けてやる。そして頬に添えた手をするりとこめかみに滑らせた。
「マイクロトフは薄情な男だから」
「なに…」
「俺のことなんて、直ぐに忘れてしまう」
「カミュー?」
 惑う瞳を見据えてカミューはもう一方の手も添えて、両側から挟みこむようにしてマイクロトフの頭を包み込む。
「おまえはなかなか後ろを振り向いてくれないから、置いてけぼりの俺はいつだって必死で追い掛けるしかなくて、ずっと息切れしてばっかりだったよ」
 恨み言のようなそれは、だが苦笑交じりに告げられる。こめかみに添えられていた手は、肩へと落ちる。
「独りでミューズへ行ってしまった時、俺はとても辛かったよ。きっとおまえが戻ってきてくれると信じたからこそ送り出したが、顔を見るまで少しも心は安らがなかった。直ぐにでもおまえの後を闇雲に追いかけたかった」
 でもそんな事が無理なのは、周知だった。
「カミュー、俺は……」
「マイクロトフにとって俺はいったい、なんなんだろうと思ったよ。もしかしたら簡単に捨てられてしまう存在なのかな、と」
「馬鹿な!!」
 カッと吼えたマイクロトフに、遠くから視線が集まる。だが、遠巻きに眺めるばかりで誰も近寄っては来ない。騎士団長二人の密談を邪魔してはならないと配慮しているのだろう。
 ただの痴話喧嘩なんだと、誰が気付くだろう。
 笑ってカミューは、宥めるようにマイクロトフの肩に置いていた手でさらさらとその二の腕を撫でた。
「分かっている。おまえがこんな俺のために後ろを振り向く必要なんて少しもないんだ」
「カミュー! おまえは何を…」
「違うんだよ。自棄になって言っているんじゃないんだ。おまえは後ろを見れば立ち止まってしまう。それでは、おまえはどこにも進めない。俺は、前だけを見て突っ走るおまえが好きなんだから、それでは駄目だろう?」
「す……っ」
 途端にかぁっとマイクロトフの耳が赤くなる。分かりやすい男だと思いつつカミューは一歩踏み出してマイクロトフの肩に額を乗せた。
「分かったんだよ。俺は、マイクロトフに置いていかれるような存在じゃないさ。当たり前だよ、誰が取り残されるものか。もし俺が突っ走ったおまえを見失っても、必ず探し出して捕まえるよ。姿が見えないからって焦る必要なんて無かったんだ……」
 置いていかれるのを嘆くのではない。自分が、追いかければ良いのだ。何しろカミューはもう、何もできなかった迷子の子供ではないのだ。
「何処にだって探しにいけるよ。それにおまえは、探しに来た俺を追い返したりはしないだろう?」
「当たり前だ!」
「うん。だから俺のことは良いんだ。けれど、他の連中は俺ほどにはおまえを探して追いかけるのが得意ではないからね。少しだけ振り返って、彼らの姿を確かめてやるといい。そうしたらきっと、ちゃんとおまえを追いかけてきてくれる彼らの姿が見えるから」
 皆、おまえを追ってきてくれているんだよ。
 そう言うとマイクロトフは、まるで初めて気付いたかのように、カミューの肩越しに、大勢の騎士たちの姿を見たのである。
 カミューは顔を上げてそんなマイクロトフの横顔を見て、微笑んだ。
「大勢来たものだ。流石に半数もと言うのは、俺も予想外で驚いてる」
 一割でも二割でも、隊長格の連中が付いてきてくれればそれで充分だと思っていたのだ。それがこんなにも人数が集まって、これではマチルダ騎士団は二分されたも同然である。
「それだけ責任は重大だが、彼らを背負うだけの覚悟はおまえのここに、ちゃんとある筈だ。大丈夫だな?」
 とん、とマイクロトフの胸を手の甲で叩いてやる。すると、ふっと彼の気配が変わった。見れば、その横顔は凛として暮れかけの空を見上げていた。
「カミュー」
「うん?」
「ノースウィンドゥは、どのような所なのだろうな。同盟軍の本拠地を俺は早く見たくなってきた」
 カミューは思わず笑顔になった。
 そして遥か南東。デュナン湖対岸の遠くを眺めるように、顎を上げる。
「古い城館を改築しまくった城なんだそうだよ。デュナン中から難民が集まっていて、ロックアックスとは天と地ほどに違うとか―――その難民を保護するために同盟軍は常に資金難で、あの軍師を筆頭に同盟軍ぐるみで交易をしているとも聞く」
「詳しいな」
「そりゃあね」
 任せろよ、とカミューはマイクロトフの背をぽんと撫でた。
「実力のある戦闘員は、連日資金集めにモンスター狩りに繰り出されるとも聞いたよ。おまえも俺もムササビやバニーなんかを狩りまくる事になるかもしれないよ」
「望むところだ」
 ぐっと握り拳を固めて決意するマイクロトフに、カミューはついつい大きな笑い声を上げて、周囲の視線を集めてしまったのだった。



3 ← 4 → 5

2004/11/03

/