lost childhood 4


 一番初めにその異変に気付いたのはトウタであった。
 幼いながら医療に従事する身としての自覚に溢れている少年は、夜遅くでもたまに患者の様子を見る習慣を身につけている。この時医務室にはカミューの他にも、ホウアンから安静を言い渡された患者が数名いたので、その具合を見に来たのだ。
 そこで、赤騎士団長の眠るベッドに倒れ込むようにしている青騎士団長の姿を見つけたのである。
 最初は付き添っているうちに眠り込んでしまったのかと思った。
 それならば起こして自分の部屋に帰すか、もし起きなければ余分の毛布などかけてやらなければと思って、トウタは彼らの傍に寄った。そこで気付いたのはマイクロトフが片手を忍ばせていた毛布の、その隙間から漏れる赤い光だった。
 まさか燃えているわけではないだろうと、トウタはしかし赤々としたその光に急かされて、そっと毛布をめくり上げた。そしてマイクロトフの手がカミューの右手の甲に重ねるように繋がれて、そこから炎のような光が零れ落ちているのを見た。
 トウタは驚き、慌てて師であるホウアンを呼びに踵を返した。



 その場には、ホウアンとトウタの他にルックと、それから騒ぎに気付いて起き出してきたビクトールに、元から起きていたシュウが居た。
 彼らは一様に難しい顔をして眠り続けるカミューとマイクロトフとを見下ろし、彼らの繋がった手から零れる赤い光に眉を寄せていた。
 マイクロトフはどれほど肩を揺さぶっても目覚めず、彼らの手はまるで彫像のように繋がったまま離れなかった。カミューは相変わらず呼吸は浅く青褪めた顔色が不調を教えるが、苦悶に歪められた表情は先刻よりもずっと深くなっているようだった。
 一見しただけで、尋常ではないことが起きているのが分かった。
 だが、そうと分かっても、原因も理由も詳しく教えてくれる者などおらず、彼らはただ黙するしかなかった。ホウアンなどは、既にこの状況が己の専門外の様相であると知って何も発言しない。
 だが不意にルックがぽつりと呟いた。

「紋章が……見せているんだ」

 苦いものでも噛んだような顔をしてルックが赤く光る二人の手を示す。
「カミューの『烈火』がマイクロトフに自分の記憶を見せているんだ」
「なんだと?」
 ビクトールが訳が分からぬと顔をしかめて、少年の魔法使いを見遣る。紋章と魔法の知識に関しては恐らく、この場の誰よりも博識であろうルックだが、時に彼の発言は説明が少なすぎて人を翻弄する。
 シュウがじろりとルックを睨んだ。
「素人にも分かるように説明しろ。紋章が、記憶を持っているのか」
「紋章が記憶を持っていたらおかしい? そこの熊の剣なんて、人格があって感情まで見せるじゃないか」
 星辰剣は真の紋章のひとつ、『夜』の紋章が姿を変えて在るものだ。確かにルックの指摘する通り、星辰剣は化身とはいえ紋章でありながら何に宿るでなく自身の意思でその力を行使し、あまつさえ人と同じように喋り、感情を見せる。
 ならば記憶があってもおかしくはない。
「だが、星辰剣が特殊なのは認めるが、全ての紋章もそうだとは限らんだろう」
 他にも喋る紋章があれば、ルックの言葉にも確実性が持てるがそうではない。シュウがそう言えば、ルックは肩を竦めて首を振った。
「ならカミューの『烈火』が特殊じゃないなんて、誰が言えるのさ。言っとくけど、紋章の力なんて人間の貧相な想像力の枠なんかには収まりきるもんじゃないんだよ。色んな能力を持つ紋章が世界には無数にあると考えるのが普通だろ」
「……けどよ、なんで『烈火』が記憶なんぞ見せてるって言うんだ」
 ビクトールが口を挟めば、ルックはちらりとそちらを見遣ってから頷いた。
「マイクロトフが欲していたのは、カミューの悪夢の原因じゃないの? 悪夢っていうのはその人物の体験に起因するものだろ。そしてその体験は記憶に宿る。つまり記憶を探れば悪夢の原因も分かるかもしれない」
 ルックはそして、赤い光を見詰めた。
「『烈火』はカミューの生まれつきの固定紋章だから、宿主であるカミューが死ねば『烈火』も終わる。紋章にだって存在する意志があるんだから、宿主を救おうと働きかけても不思議は無いね」
「そんで記憶を見せてるってのか。―――宿主以外の奴に紋章が記憶を見せるなんて話は聞いたことがねえや」
「……出来ない事じゃない…」
 ルックは呟いて、己の紋章が宿る手を握り締めた。
「とにかく。マイクロトフの意識は今『烈火』に繋がっているんだろうから、無理に引き離したりしない方が良いよ。少なくとも『烈火』がこうして発動している間はこのままが良い」
 淡く揺らめく炎のような光を発し続ける『烈火』。
 ところがビクトールはひと声唸って再びルックに問い掛ける。
「だけどよ、このままマイクロトフが『烈火』に意識を奪われっぱなしで、カミューがその間にどうにかなっちまったら」
「有り得ないね」
 ルックはきっぱりと言った。
「『烈火』がカミューに不利な真似をするわけがない。こんなに相性の良い紋章と使い手も珍しいんだからね、やばくなる前にマイクロトフは解放されるよ」
「確かだな?」
 シュウが念を押せば、ルックは鬱陶しそうに手を振った。
「……あくまで推測だけどね、僕はそう考える」
 話はそこで終わりだった。まずシュウが黙って医務室を出て行き、次いでルックもまだ調べものがあるんだと言って去って行った。ビクトールは暫くマイクロトフたちを見ていたが、状況に変化もなさそうなのを見て取って「眠る」と言い置いて部屋に戻って行く。
 残されたホウアンも、トウタに休むように言って自分は医務室の簡易ベッドに身を横たえたのだった。
 手出しが出来ないのなら、静観するほかに何があるだろう。そして黙って見ているくらいなら、彼らはそれぞれ有意義な事に時間を費やすのである。
 一晩中、完全に灯りの落ちることが無い医務室の淡い明かりの中、『烈火』だけが赤々と燃えるように光を放ち続けているのだった。





 そして、その『烈火』の中で、マイクロトフもまた己が今『烈火』の記憶を見ているのだと気付きはじめていた。
 どうやら、これは紋章の観た世界であるらしい、と。何故なら見える視界は全て幼いカミューの身体の右側からで、彼の左手は見えるのに右手は絶対に見えないのだ。そして時折、視界が暗く閉ざされる事があるのだ―――。

 カミューが左手で自分の右手を覆い隠す時。
 それは頻繁にではないが、時折起きた。
 そうされてしまうと景色は暗い影に包まれて何も見えなくなる。ただ音だけが響いてくるのだ。だからマイクロトフは、見えている景色が『烈火』の見たものだと考えた。
 だが考える傍ら、堪らない苦痛を覚えて喘いでいた。

 景色が閉ざされるそんな時、聞こえてくる音は大抵いつも似ていたのだ。

 それは近所の子供たちの声だろう。
 叩きつけるように乱暴な声音が幾つも重なって、カミューを罵る。
 口々に、胸が冷えるような子供ならではの率直で残酷な言葉が放たれるのだ。カミューに向けて、容赦なく。
 そんな時、カミューは決まって右手を左手で握り込むようにして胸の前で抱えて耐えているのだ。逃げられる時は逃げるが、捕まってしまった時はそうして耐えている。
 乱暴なのが言葉だけではなかったからだろう。見えなくても声と音で知れるほど、子供達は拳や足を使ってカミューに絶対の力で襲いかかっていた。
 四つか五つの幼子に、大勢で。
 そうしなければいけないとでも言うかのような口振りで。
 まるでカミューに消えない罪があるかのように。

 始まりはあの火事だ。
 あれきりカミューの母は姿を見せない。周囲から聞こえてくる声から、結局彼女は火災で倒壊した家の下敷きになって死んだのだと分かったが、その周囲はカミューが幼いと思ってか、歯に衣着せぬ物言いを平気でしていた。
 どういう事情があったのかは分からない。だがあの火災が何故かカミューの母自身が火をつけたと言う話になっていた。
 烈火が見せてくれる世界は切れ切れで、時間が一気に飛ぶこともあれば緩やかに進む時もあるので、全ての記憶を見られる分けではなかったのだ。
 それでもマイクロトフには、カミューの母が火をつけたとは到底思えなかった。彼女は我が子を愛していた。その子―――カミューを危険に巻き込むと分かってどうして火などつけられるだろう?
 だが周囲はカミューの母を火付けだと蔑み、下手をすれば他の家屋にも広がっていたと罵った。そしてカミューをそんな最低な女の子供だとしか見なかった。
 そして子らは、そんな大人の言葉を素直に聞く。
 大人が言って聞かせる必要も無く、大人たちの会話や言葉の端々に聞こえる声を、子供たちは聞き取るのだ。そして感情もまた一緒に受け取って、そのままをカミューにぶつけてくるのだ。

 火付けの子と罵り、蔑み、排斥しようとする。
 そしてそんなカミューに、味方は誰一人としていなかった。
 驚くべき事に、カミューの父ですら、同じようにカミューを罵っていたのだから。

 マイクロトフは驚愕していた。
 実の親が、我が子を叱るでなく罵り、愛情の欠片なくまるで忌むべき存在のように疎ましく扱う様に。
 そんな、初めて知ったカミューの幼少時代に。
 今の今までそんな事実を全く知らなかった己に。
 何もかもに驚愕して、ただ『烈火』の中で無力に喘いでいた。



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2003/10/04