lost childhood 7
しかしカミューの悲劇はまだ終わらなかった。
怒号と悲鳴を聞きつけた町の者たちがその場へと駆け付け、その時に彼らが見たものは、血に濡れた剣と、それを握る血まみれのカミュー。そしてそんな息子の身体に覆い被さるようにして意識を失っている父親の姿だった。
そんな親子の近くでは母親が同じく意識もなく横たわり、離れた場所にある彼らの住まいはもう取り返しがつかないほどの炎に巻かれて、崩れ落ちる瞬間を今か今かと待ち構えている。
彼らの脳裏に咄嗟に数年前の火事が甦ったのは誰かが言うまでもなかった。カミューが、火付けと噂された女の息子である事も、その右手に火の紋章を宿しているらしいという事も―――。
人々の顔つきが徐々に、恐れと憎しみに彩られていく様を、マイクロトフは見ていた。決定的な、父親のそれとはまた違う他人だからこその残酷で容赦のない眼差しをカミューがどう受け止めたのか。
しかし父親の血を浴びて、呆然と自失した子供がそんな他人の感情を理解できたかどうかは分からない。
ただ人々がそんな忌み子に対して、穏やかな心地で接して居られる筈もなかった。
とうとう恐れていた事が起きたと、人々の表情はそう語っていた。そして、こうなってしまったなら、一刻も早く諸悪の根源を断ち切らねばならないのだと。
口々に罵る声は徐々に大きくざわめきから怒声へと変わっていく。興奮に沸騰した男達はそして、カミューに対してその大きな手を伸ばした。
「こ、こいつ! 大人しくしてろよ!」
カミューの身体から父親の身体を引き剥がして、小さな手が掴んでいた剣を足で蹴り飛ばす。それから興奮につられてまだ赤く仄かな光を放つ右手の紋章に恐れを抱きながら、そのガチガチに固まったまま無抵抗の身体を引き上げた。
左腕を掴まれて立たされたカミューの表情は虚ろで、見開かれた瞳は何も映してはいなかった。辛うじて右手の紋章からその姿の見えたマイクロトフは、いっそカミューがこのまま失神でもしてしまえば良いと思った。
目覚めた時に、悪い夢を見たのだと誰かが言い聞かせてくれるように。だがカミューは意識を失いはしなかった。それどころか、男の一人に髪を掴まれ、ぐいと仰向けにされた時にぼんやりとではあるがそちらに視線を向けた程。
「あれはおまえがやったのか」
男はちらりと燃え盛る家屋を見遣る。その視線につられてカミューの瞳が炎を見た。途端、石のようにその眼差しが固定される。
「あ……あぁ…」
微かな喘ぎがカミューの唇から零れる。明らかに衝撃を受けていると分かるのに、男の詰問は止まらなかった。
「答えろ! お前が火をつけたんだろう!?」
「…っ……」
問い詰める、と言うよりはもうこれは。
後から駆け付けてきた者達も、やはり同じように燃える家屋とカミューとを見比べて即座に誤解を重ねていく。
「そいつか」
「ああ、全くなんて子供だ……母親も母親だが、まさか引き取ってくれた父親までこんな目に合わせるとは…」
「くそ。だからあの時一緒に死んでりゃ良かったんだよ」
「どうする、こいつ」
「決まってる。殺してしまえ」
「………」
ふと、沈黙が降りる。
たとえ憎しみを抱いていたとしても、誰もが子供の姿をした者を手にかけるのには躊躇いがあるだろう。
しかし誰かが言った。
「炎に放り込めば良い」
その言葉にマイクロトフは慄いた。
家はまだ激しく燃え盛っている。崩れ落ちそうなそこに、確かに放り込めば間違いなく死ぬ。死ぬが―――それが、人の言う事か。こんな子供を生きたまま劫火で焼き殺せと。
しかし興奮した人々はそれを最高の手段だと受け取った。
「―――そうしよう」
また誰かがぽつりと言った。
「こんな奴、母親と同じ末路をたどれば良いんだ」
「ああ、あの時どれほど俺たちが大変な目に合ったか」
「いくつも家が焼けたんだ…こいつの母親のせいで……それをまた、火なんかつけやがって」
憎々しげに、人々は燃える家屋を睨む。
カミューが幼い頃、母親と住んでいた家は小さくとも町の通りに並んでいたために、類焼を呼んでしまったのである。人死には出なくとも、家を燃やされた人々の憎しみは根深い。
だが今、丘の上にあるこの屋敷は幸いかな、周囲に他の家はない。それでも人々は許せないのだ。
過去の悪夢が再び甦ったかのように思えて、その悪夢を呼び覚ました呪われた子供が許せないのだ。強く髪を掴まれたまま、呆然と燃える家を凝視し続けるカミューが。
これは過去の出来事なのだと、分かっていてもマイクロトフは叫ばずにはいられない。
男たちがカミューの身体を掴み上げて、燃え盛る家屋へと連れて行く。近くまで来るとその背中を叩いて、飛び込めと怒鳴る。流石に吹き出す炎が熱くて近寄れない場所で立ち止まり、大人達は自失したままの少年を突き飛ばす。立ち止まったままの小さな身体に怒りをぶつけて、石を投げる。
もうやめてくれ。
これ以上傷を刻み込まないでくれ。
マイクロトフがどれほど叫んでも、興奮しきった人々の行為は益々暴虐と化すばかりでとどまるところを知らない。もし、その場に立つ事が出来たなら、それはもう抜き身の刃をもってしなければ止められないのではと思うほど、異様なほどの興奮だった。
いったい、この窮地からどんな方法でもってカミューは生き延びたのか、奇跡が起きたのでなくてはなんだと叫び出したくなるほどだった。
投げられた石がカミューの背といわず足といわず、体中のあちこちにぶつけられる。そのうちのひとつが頭に当たり、鈍い音が響いた。それでもカミューはノロノロと炎に向かって歩いていった。
止まれ。逃げてくれ。
そう願うしかない自身の無力を呪いながらマイクロトフは嘆く。
だが、そんなマイクロトフの言葉に、まるで重なるように怒鳴った人物がひとりだけ、居たのだ。
「やめろぉー!!」
見た事もない、男だった。
年はカミューの父親よりも少しだけ若い、けれど伸びた髪や汚れてくたびれた服装や、こけた頬や無精髭が実年齢よりも随分老けたように見せている。
男は瞳だけを爛々と光たせて、まるで狂人のような眼差しでカミューを見ていた。その身体は町の人々を押し退け、ひとりだけ前に飛び出してヨロヨロと地面に膝をつく。
そして男はそのまま、まるで祈りでも捧げるように地面にひれ伏した。
「止めろよぉっ……その子が…悪いんじゃないんだ………俺なんだよぉっ!!」
唸るような、叫ぶような声で男は地面に額を擦りつけながら怒鳴った。
「あいつの家に火をつけたのは俺なんだ…俺があいつを殺したんだ……その子は何にも悪くないんだよぉ……」
その時、カミューの身体が大きく震えた。
同時にマイクロトフの視界が再び赤く染まって行く。
紋章が―――烈火の紋章が、この夜続けざまに威力を発揮しようとしていることにマイクロトフは愕然とする。
あの男は何を言った?
カミューは、何を聞いた?
「今夜だってその子が火をつけたんじゃない……俺、俺は見てたぞ……あいつら、あのガキども……慌てて逃げてった! 俺みたいに!! 血相変えて逃げてったぞ!!」
突然男はガバリと顔を上げると後ろの人々を振り返った。そして腕を大きく振り上げる。
「止めろ!! 俺が悪いんだ! 全部だ! 何もかも俺が悪いんだ!」
そして男は再び地面に身体を伏せ、くぐもったような泣き声をあげはじめる。
「ふ……ううう…愛してたんだ……それなのにあいつ…子供が居るからって見向きもしやがらない。だから俺は…俺は……―――」
男は、そして「うわああああ」と大声を上げて泣きだした。
その姿を見詰めるカミューはまるで凍りついたかのように動かない。しかし紋章は益々その力を高めて今にも激しく炎を吹きあげそうだった。恐らく、カミューの衝撃がそのまま魔力の暴走に繋がりかけているのだろう。何しろ、目の前にいるのだ。
カミューの母を殺した男が。
あの夜、逃げなさいと叫んだ美しい女性の背中に突き立っていた短剣を、マイクロトフは思い出していた。
強い声と眼差しで愛する我が子を逃した母は、こんな男の手によって命を絶たれたばかりか、汚名までも着せられたのだ。こんな、今になって漸く泣き崩れながら懺悔まがいに罪を告白する男に。
カミュー。
微動だにしない少年のカミューにマイクロトフは呼びかけた。
今は耐えろ。
耐えろなどと、言ってやれるような状況ではないのは当然でも、それでも耐えろと言ってやりたかった。
今ここで、この稀有なる烈火の紋章の力を使って、その男を殺してはいけない。その力があっても、今だけはそれを行使してはいけないのだ。
何故なら、カミューは無実なのだから。
こんな男のために、これまで犯さなかった罪を作るべきではない。
綺麗事と分かっていても、マイクロトフは少年のカミューに対してそう言ってやらずにはおれなかった。
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2003/11/02