lost childhood 11


 ルックが去り、マイクロトフは無言で背後を振り返ると果てしなく広がる荒漠たる焼け野原を睨んだ。そして、踏み出す。気がつけば青騎士団長の衣服に身を包んだ己がそこに立っていた。

 目的地がどの方向にあるのかも分からない。だからマイクロトフはとにかく焼け落ちた廃墟の中へと踏み入った。だが少しも歩かないうちにその足が止まる。薄く開いた口から、喘ぎのような吐息が零れた。
 それに気付いた時ぞっとした。
 見覚えがあるのだ。
 家屋も何もかもが焼け落ち、まともに焼け残った場所など少しもなかったが、マイクロトフには分かった。
 焼け跡の風景に重なるのは、何処も彼処も自分の良く知るロックアックスの街並みや、デュナン湖ほとりの同盟軍本拠地だったのだ。馴染み深い想いの残る場所が、無残に炎にあぶられ、焼け、燃え落ちている。
 それはまさしく悪夢と言えた。
 決してそのままの風景ではない。
 右側にロックアックスの路地が伸びているかと思えば、左側には本拠地の広場があったりする。でたらめなのだが、しかし細部を見れば現実のその場所がそのまま移され、そして火を放たれたようだった。
 こんな場所に。
 マイクロトフは冷ややかなものが背筋を伝ったかのような心地に息を呑んだ。そして拳を握り締めると、歯を食い縛り腹の奥から沸き起こる激情に目を伏せた。
 カミューは今、こんな場所に居るのか。
 こんな悪夢を。
 たまらずマイクロトフは再び歩き出す。だが次第にそれが早足に、そしてついには駆け出していた。忙しく視線を四方へ飛ばし、荒れ果てた風景の何処かに、探す気配が潜んではいないかと鋭く探る。
 夢の世界なのだから、疲れるわけがなかった。願えば空も飛べるはずなのだから、息が上がるわけも、汗がまとわりつくわけもなかった。それなのに、今マイクロトフの足は走りすぎて重く、息は継ぐ事すら困難なほどに荒く、全身に滲む汗は不快なばかりだった。
 現実の世界と変わりのない感覚だった。
 周囲の風景は、非現実であるにもかかわらず―――。
 それでもマイクロトフは走り続けた。息が切れても、煙の漂う焼けた空気を吸い込んで喉が噎せても、汗で目が霞んでも。
「カミューっ!」
 何処にいる。
 頼むから出てきてくれ。
 そして早く帰ろう。
「カミュー!!」
 一刻も早く、こんな悪夢から出よう。
 だがそんなマイクロトフの身体が、不意にぎくりと強張る。この風景がカミューの悪夢だと思い出したからだ。
 この哀しく辛い風景を、夢魔の仕業とは言え作りだしているのはカミュー本人なのだ。これは、カミュー自身の闇なのだ。ならば、悪夢から覚めない限り抜け出すことなど不可能なのではないか。
「馬鹿な」
 これはただの悪夢ではない。夢魔がカミューに見させているのだから。夢魔さえカミューから遠ざければ、元々見なくても良い夢だ。しかし……カミューの中にこんな悪夢の種が潜んでいたからこその、現状でもある。
「くそ……」
 考え出すときりがなかった。
 だがその時、頭の端から叱咤が聞こえた気がした。
 カミューを連れ帰るんだろうが。
 難しい事はどうでも良い。今はただ、それだけを考えていれば良い。端からマイクロトフは頭で色々考えるのは不得手な方だ。直感で動いた方が上手く行くことがずっと多い。
 思い直してマイクロトフは再び駆け出す。
 今出来る事を為せ。
 自分に出来る事など限られている。この両手が届く範囲は狭い。掌に受け止めきれるものなど、本当に些細だ。けれど、だからこそ出来る事を最大限の力で為せる。
 さぁ息を吸い込め。
 拳を握り締めろ。
 そして探せ。

「カミュー!!」

 焼け落ちた廃墟に自分の声だけが虚しく響いても、挫けてはならない。この悪夢を見ているのは自分ではなく、カミューだ。ここから抜け出せなくては彼は死ぬまでこの悪夢から逃れられない。
 こんな酷い場所で、カミューを一人きりにするなどマイクロトフの気持ちが認めない。
 もう一度、顔を合わせて抱き締めて、そして言ってやろう。
 おまえが生きてマチルダに来て、そして自分と出会ってくれたことに感謝する。
 カミューと出会えたことが、マイクロトフの喜びであるのだからと。
 あの幼い少年だったカミューに。
 烈火の見せてくれた、マイクロトフの知らなかったカミューの少年時代に。強い感謝の心と、そして溢れる愛情を。
 カミューの素晴らしい笑顔をもう一度、見るために。





 ひとしきり名を呼び、そして廃墟を奥へと進んだマイクロトフは、再び違和感に足を止めた。
 そこは見慣れた同盟軍本拠地の城内だった。
 崩れ落ち、石は黒く焼けて砕けているけれど、間取りや廊下の跡が同盟軍の居住区なのだと教えてくれる。しかしその場所は今まで通ってきたどの場所よりもいっそう酷く焼けて、臭気さえたち込めていた。
 マイクロトフは袖口で口元を覆い、煙を吸い込まないようにして慎重に進んだ。そうしなければ瓦礫に足を取られてしまいそうだったからだ。
 それほど無残に荒れたその場所を更に奥へと進むに連れて、何故だかマイクロトフの鼓動は早く高まった。冷や汗のようなものが滲み、指先が震えてくる。直感のようなものが多分警鐘を鳴らしているのだろう。
 この先に、カミューがいる。
 もっとも酷い場所に―――そんな気がした。
 そしてそれは、当たった。



「……カミュー」

 崩れ落ちた瓦礫に腰をかけて微動だにしない人影を見つけて、マイクロトフは立ち止まった。
 こんな中でも、彼の淡い金茶の髪は相変わらずで、そこだけ生彩を放っていた。だから安堵のあまりマイクロトフは深く吐息をこぼし、それから再び足を踏み出した。
 しかし。

 ゆらり、とまるで水中で動くような鈍重さでカミューが顔をあげた。
 恐らくマイクロトフの足が小さな小石でも蹴った、その音に反応したのだろう。しかし見上げたカミューの瞳を覗いた途端、足が硬直したように動かなくなった。

「……カミュー…」
 喉の奥から掠れた声が出る。
 その声に、カミューがふっと笑った。冷酷な眼差しのままで。
「またかい」
 ひっそりとした声だった。
 嘲笑するかのような響きでマイクロトフの鼓膜に滑りこんできたその声は、まるで聞いたことのないようなカミューの声で。
「今度はどんなふうに死ぬの」
 言われた言葉の意味が分からなかった。
「また、焼け死ぬの」
 冴え冴えとした瞳でマイクロトフを見詰めながら、虚ろな声で言い募る。
「それとも、剣で死ぬの」
 口角を笑みに吊り上げて、笑う。
「血を吐くのかな。腐って死ぬのはもう見飽きた。どうせなら一息で死んでよ」
「な、に……」
 硬直したままの足が震えた。
 カミューは何を言っているのか。
 瓦礫の中で、焼け跡の臭気に包まれたまま、マイクロトフが死ぬのを、望んでいるのか。
 思わず、息を呑んだ。
 足の震えが全身を走って、立つのも困難な状況だった。
 すると、カミューの瞳がゆっくりと瞬いて、首を傾げた拍子に髪が揺れる。
「どうしたの。もしかして趣向を変えてきたのかな」
 そして今度はクスクスと肩を震わせて笑い始めた。
「焦ってきたのかい? でも無理だよ。俺は一生、この場所にいる覚悟を決めたから」
 カミューの瞳の奥が不穏に揺らめいた。
「おまえと心中というのが気に喰わないが、まぁそうやってあいつの姿で現れてくれるだけましかな」
 言って、片手を振った。
「現れるたびに、死に様を見せ付けるのは悪趣味だが、残念ながらそんなことで俺は絶望しない」
 だって、と小さな呟きが聞こえる。
「俺がここで絶望したら、その姿が現実になるんだろう。そうやって、見せ付けてくれるから俺は、まだ、頑張れる。いい加減、諦めたら良いのに」
 まるで独り言のように呟いて、カミューは再び項垂れた。
 そして、また彫像のように動かなくなる。

 いったい今のは。

 マイクロトフは喘いでその場にとうとう膝をついた。
 まさかそんな。
 カミューはずっとここで。
 マイクロトフの死ぬ姿を繰り返し、見せられていたと。
 それが、悪夢だと。

 なんということを。



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2003/11/30