lost childhood 14


「カミュー! 待て、俺も……」
 戦う。
 しかし立ち上がれもしないマイクロトフに、カミューは真面目な口調で返した。
「おまえはその背のナイフがどうすれば消えるか考えておくと良いよ。戦う役目は俺が負う」
「消えるかなどと……」
 深々と刺さったナイフが消えるわけがない。しかしカミューはけろりと言い放った。
「夢なんだ。消えろと願えば消えるさ」
「そ、そんなものか…?」
「ああ、そうさ」
 夢なんてものはね。
 笑ってカミューはユーライアを斜め下に払うと、いつもの構えを取った。そして正面に立ちはだかる男を見遣る。だがその男は二人の会話にひっひと哂っていた。
「愚かな、者共よ。この幽(かそけ)き世界で、たかが人間に、なにが出来ようか?」
「貴様も、見た限りでは人間の姿をしている」
 微動だにしないユーライアの先が微かに震える。仕掛けるきっかけを探しているのだろうが、頭の上で交わされる問答も気にかかる。マイクロトフは黙り込み頭半分でカミューの言葉を聞きながら、もう半分で言われるままにナイフがどうすれば消えるか考えた。
「だが貴様からは人間の気配がしない。何者、と聞いて答えてくれるのかな」
「害毒…災厄…恐怖……なれど、尤も心地良いは―――悪夢、とな」
「…貴様、がっ!」
 思わずマイクロトフが吼えた途端、またも男は哂った。
「出てきて、やったぞ。そら、成敗してみるが、いい」
「おのれ……っ!!」
 嘲笑う虚のような口に怒りが燃える。だがそれを冷静に制するのはカミューだった。
「挑発に乗るんじゃない。成る程、確かにこの穢らわしさは覚えのある感覚だ。こいつが、夢魔だな」
 カミューの瞳に冴え冴えとした冷たさが宿る。
「この腹立ちも何もかも、全てぶつけて良い相手が現れてくれたというわけだ」
 つ、とユーライアの切っ先が僅かに滑る。
「ここが夢の世界ならば、そうか―――空も飛べるかもしれない世界なわけか。では、現実にありえない力が働くのも理解できるね」
 最前のマイクロトフとの会話を思い出してかカミューがくすりと笑う。そしてユーライアの柄を握りこむまま右手を僅かに持ち上げた。
「試してみる価値はありそうだ。紋章は、使えるのかな?」
 カミューがそう言った途端に彼の右手がふわっと焔の色に染まる。その見慣れた赤い光は烈火の発動が見せる色だ。
 まさか紋章が使えるのか、とマイクロトフは驚愕に目を見開く。その前でカミューは剣を左手に持ち替えると、小さく呟いた。

 ―――『火炎の矢』

 瞬く間に掲げられた彼の指先で焔が渦を巻き、一点に凝縮されていったかと思うと、佇む夢魔に向かって真っ直ぐに矢を象った炎が打ち込まれた。
 矢はそして夢魔の胸元を寸分の狂いなく貫き、その薄暗い色の衣服にわっと炎が移る。そしてあっという間に男の身体は真っ赤な炎に包まれた。
 夢魔は、男の姿をしたそれは、全身を炎の色に染め上げると、まるで人形が焼けていくようにがくがくと揺れ、そして足元から崩れ落ちるとばったりと前のめりに倒れた。
 その呆気なさに唖然とするのはマイクロトフだけではない。
「マイクロトフ。まさか、これで終わりではないよな」
「ああ。簡単すぎる」
 しかし、そういえば夢魔はカミューに取り憑く前に烈火の攻撃を浴びて弱っていた。だから、あの男のように即死を免れて今こうして幽界に引き込まれてはいるが、カミューは生きているのだ。
「炎に怯んだのかもしれん」
「どういう事だい?」
 取り憑かれて直ぐ意識を失ったカミューは知らない。
 マイクロトフは短的に説明した。
 するとカミューは成る程、と頷いて己の右手をしげしげと見つめた。
「そうだ、思い出したよ。あの時は咄嗟に繰り出したけれど、効果はあったわけか」
「カミューは、烈火の紋章に随分と救われている」
「そう?」
「ああ……流石は生まれながらの紋章だ。感謝すべきだな」
 そしてマイクロトフは再び立ち上がった。
 抉るような背の痛みは、夢魔が炎に包まれた途端に消え失せた。だが、未だに突き立つナイフは消えてはいないのだが。
「さあ、この隙に先へ進むぞ」
 ルックには夢魔には立ち向かうなと言われている。それよりもカミューを連れ戻して目覚める方が大切だ、とも。
 そしてマイクロトフがそう言った途端に、何処に隠れていたやら小さなルックが飛び出してさっさと先へと飛ぶと振り返って二人を急かした。
 ところがそんなルックに苦笑を滲ませて先を急ごうとしたマイクロトフを、カミューが腕を掴んで止めた。
 振り返ると青褪めた顔が厳しくマイクロトフの背を睨んでいる。
「マイクロトフ、また、血が流れている」
「大したことではない」
「馬鹿かおまえは。これの何処が!」
 すっとカミューの手が背中に触れる。だが直後にマイクロトフの目前にかざされた指先にはべったりと赤黒い血が纏わりついていた。
「このまま進むのは無理だ。これを先に何とかしようマイクロトフ」
「カミュー、俺は大丈夫だ」
 そんな柔ではない。
 訴えるがしかしカミューは頑なに掴んだままの腕を離そうとしなかった。その手が、心なしか震えている。
「…カミュー?」
「頼むからマイクロトフ……俺の目の前で無茶をするのは勘弁してほしいよ」
 そしてカミューはマイクロトフの手を引いて自分の腕の中に誘い込むと、ぎゅうっと縋るように抱き締めた。
「カミュー、俺は」
「言っただろう。おまえが痛いのは、俺も痛い」
 痛いんだよマイクロトフ。
 吐息のように呟いてカミューは指先をマイクロトフの短い髪に絡めた。その慰撫するような指の動きに当惑していると、不意に抱き寄せられていた身体が離される。
「そうだ、マイクロトフ。止血しよう」
「だが。手当ての道具など―――」
 無い。
 言おうとしたマイクロトフの口が止まる。
 いつの間にかカミューの手に薬草や包帯が現れていた。
「ああ、これは便利だ。さすが夢だね」
 呑気に感心しているカミューである。
 だがマイクロトフの驚きは尋常ではなかった。
「カミュー。いったいそれを何処から…!」
「え? ああ、ただ必要だなと思って。そうしたらほら、このとおり」
 両手を広げてカミューはそれから真剣な顔でマイクロトフの背中を観た。
 医者ではないが、騎士という立場上怪我とは無縁では居られないため、少なからず心得はある。さっきまでは手当ての道具が無くて、そのままにするしかないと諦めていたのだが、どうやら夢の中では事情が変わってくるらしい。
「カミューは、夢使いの素質があるのかもしれんな」
「夢使い?」
 再び地面に座り込み、自分の身体にマイクロトフの身体を抱き寄せながら背中の傷口を見ているカミューが首をひねる。
「そうやって、自在に道具を出してみせたりする才能だ。夢では、人はなかなか自分の思う通りに出来んそうではないか」
「確かに、夢は突拍子も無いことが起きるけど……でも結構思い通りになるもんだよ?」
 よく夢を見るらしいカミューはそう答えた。そして背中のナイフに触れる。
「……少し食い込んでるね。『優しさのしずく』の札を使うから、一気に引き抜くよ?」
「ああ。頼む」
 札まであるのか、と感心しながらマイクロトフは背中の傷が揺すられる感触に、無意識にカミューの肩にしがみ付く。そして一拍の後、激痛が走った。
「……っく」
 だが途端に涼やかな清水の香りが全身を包み込む。ふっと衝撃に閉じていた目を開いた時には、背中の痛みは消えていた。
「―――すごいな」
 思わず背中に掌を這わせて傷口を確かめるマイクロトフだ。そこは確かに服の生地が裂けてはいたが、その下の傷は綺麗に塞がっていた。
「カミュー。すごいな!」
「そうかな…? でも、これで少しは安心したよ。もしかしたらやっぱり夢の方が現実より都合が良いかもしれないね」
「そんなものなのか」
「うん。だって昔は結構夢で―――……」
 と、そこで不意にカミューが口を噤んでしまった。
 何か不審な事でもあったのか、と不安に思ったマイクロトフだったのだが、実はそうではない。
「どうしたカミュー。なんだ」
「いや別に。なんでもないよ」
「昔がなんだ。夢の話なのだろう?」
 苦笑いで誤魔化そうとするカミューにマイクロトフは険しく眉根を寄せる。
「一体なんだ! こんなところで隠し事はよさんか」
「うう……でもさ。言っても怒らない?」
「俺が怒るようなことなのか」
 夢魔が暫し去ったとはいえ、まだまだ危険である。夢をあまり見ないマイクロトフにとって、夢に慣れているらしいカミューの言葉は少しでも聞いておきたいところなのに、曖昧にされては非常に困る。
 ところがカミューはそんなマイクロトフ以上に困ったような顔で唸っている。
「怒るなよ?」
「言わんと分からん」
「……だからさ、昔は夢でおまえと会ってたりしたんだよ」
「俺と?」
 そこで疑問なのが、どれほど昔なのかだ。
「いつの話だ」
「もっと若い頃……団長になる前だよね」
「しかし俺たちは毎日ではないが、夢でわざわざ会わなくとも顔を突き合わせていただろうが」
 ところがカミューは余程困り果てているのか、深々と溜息をついて頭を抱え込んだ。
「違うんだよ」
「なにがだ」
「だ、だからさ。夢の中だったら、好きに出来るじゃないか」
「何がだからだ。どうしてはっきり言わない」
 次第に怒り出してくる始末だ。
 何をそう言い淀む必要があるのか、全く理解に苦しむ。
 しかし、何か意を決したようにカミューは口を引き結ぶと、ちらりと憤慨まじりのマイクロトフを見て呟いた。
「だから色々。触ったり口付けたり、あんなことやこんなことや」
「…………」
「これでも片思い歴は半端じゃないからねぇ」
 しみじみと言う。
「夢の中のマイクロトフはそれはもう素直だし」
 何処か遠い目をしてカミューは嬉しそうに笑った。
「そりゃ現実の方が数倍良いけど、ほら、あの頃は絶対有得ないと思ってたしね。夢でも見なきゃやってられないって気分で」
「………カミュー」
 自分でも驚くほど低い声が口をついて出る。途端にカミューがびくっと肩を震わせた。
「お、怒った?」
 恐る恐ると問い掛けてくる。その情けない顔にマイクロトフは苦く溜息を落とした。そして短く問い返す。
「今はどうなんだ」
「え?」
「今もまだそんな夢を見ているのかと聞いているんだ」
「み、見てないよ。だって夢より生の方がよっぽど―――」
「言わんで良い! 馬鹿者!」
 怒鳴って、そして一呼吸。
 見る間に己の顔が赤くなっていくのが分かるマイクロトフだ。
「全く、この本物の馬鹿が」
「…マイクロトフ?」
「なんだ!」
「怒ってないの?」
 吃驚したような目をしてカミューが立っている。
 その姿にマイクロトフは半ば呆れつつ首を振った。
「今更の話だろう。それよりも、そんなにも夢を好きに見られるのなら、せいぜい期待させてもらおう。目覚めるまで、カミュー……夢魔に負けるなよ」
 脱力しつつも笑って言ってやると、じわじわとその言葉の意味が飲み込めたのかカミューがゆるゆると笑顔を浮かべていく。
 そして言った。
「任せろ。何しろ昔はすごい事を夢でしたこともあるし」
 一体どんなことだ、とは、流石にそれ以上聞けなかったマイクロトフである。



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2004/02/29